ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

観劇の感想―「人形の家」そして「マクベス」

2020-04-10 10:14:05 | 芸術およびコミュニケーション


演劇鑑賞団体に入った。
毎月会費を払って年に6回の公演を観る。
自分で演目を選んでみるわけではないので、好みと合わないこともある。
けれど、東京や遠くまで行かなくても観られるメリットがある。
こういう鑑賞団体がなければ、なかなか地方にまで劇団が来てくれない。

これまで6回観たからようやく1年ということになるが、3勝3敗。

「音楽劇 人形の家」の感想を送ったら会誌に掲載され、しかも出演者たちのサイン色紙をいただいた。

気を良くして、2月24日に見た「マクベス」の感想も書いておこう。

*****

暗闇にスポットが当たり、最初に目に入るのは5人の男たち。
千手観音のような力強くも不思議な美しさ。その人間彫刻に度肝を抜かれる。

後頭部に仮面をつけ、あたかも背中が腹側であるかのように動く彼ら。
この男たちは魔女。本来は3人の魔女のはずだが、今回はロシア人演じる魔女の女王ヘカテと二人の魔女に加え、通訳も兼ねて2人の日本人魔女が加わる。

マクベスは、いつ謀反を思いついたのか。
妻に魔女との遭遇を語り今がチャンスとそそのかされたときか、それともその前に魔女に囁かれたときだろうか。
これまで、私は魔女との遭遇が引き金になっていたと考えていた。
魔女に合うまでは、他の人々が語るような「高潔の騎士」であったのだと。

今回、それは違ったと思いいたる。
「高潔の騎士」と同時に「権力欲にまみれた謀反者」はずっと彼の中にあったのだ。
「人々がなんと思うだろうか」という弱さや常識が「権力欲にまみれた謀反者」を奥深くに閉じ込めていただけだ。

「悪は善、善は悪」という魔女のことば。見ているうちに、腹なのか背中なのか分からなくなってくる不思議な身体によって、はたとその意味に気づく。「二つの面」ではなく「二つは一体」であると。相反するようで、実はひとつの身体として混然と内在する。

あのときたまたま魔女に出会ったのではなく、魔女は常に自分の中にいるのだ。
それはマクベスに限ったことではない。

だから魔女たちは最初から登場し、マクベスに予言するときだけでなく、頻繁に現れ、扉を動かし、場面を展開していく。最後も魔女たちのパフォーマンスで締めくくられる。

『マクベス』をはじめシェークスピアはこれまでも何度も観ている。
しかし、いつみても古くはない。
それぞれに演出が異なる。
なにがしか現代に通じるもの、あるいは人間の持つ普遍性に触れる。
だからシェークスピアは偉大なのだ。

*****

それに引き換え「平和が大事だ」「環境を守れ」とストレートに訴えられる芝居は
その主張に共感しても、心に響かない。
今回のマクベスの演出に感動しながら
「やはり台本が大事」と思った次第。
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噂話が人を殺す

2020-04-09 08:44:42 | 読書

怖い本だった。
山口県の限界集落で起こった5人の殺害と放火事件についてのレポートである。

中学校を出て東京で働いていた男が親元へ帰ってくる。
しかし男は、村人と馴染めない。
男は次第に自分について良からぬ噂をしていると妄想を膨らます。
これが単に妄想なのか、本当に男について根も葉もない噂をしたり
嫌がらせなどがあったのか、そこのところは判然としないが
男は妄想性障害の果てに殺害放火にいたる。

限界集落の閉ざされた人間関係の中、
以前は祭りなどの行事もあったが、それも維持できないような状態で
噂話をすることが一種の娯楽になるということは想像に難くない。
本当に噂話なのか、単なる井戸端会議なのか分からないのだが。

いや、限界集落に限ったことではない。

ご近所の女性が何人かほぼ毎日立ち話をしているのだけれど
私が認知症の母と同居するために実家に戻ったとき
「〇〇さんとこ、娘さんが帰ってきたけど出戻りやろか」
「ご主人はいないみたいやね」(この時夫は単身赴任)
しばらくして
「このごろ、たまに男の人が来てはるえ」
「あの人が夫?それとも愛人?」
なんて噂をしていたとしても不思議ではない。
私の妄想だけれど。

まあ、実際は当時は家と仕事の往復に精一杯の毎日だったし
引っ越してきてすぐ町内の役があたってしまい、
そんな噂のたつ暇も、妄想を膨らませる余地もなかった。

もし私がまったく孤立していたら
被害妄想をふくらませていたかもしれない。
一番いけないのは、孤立することかも。

一方で、夫の父親は妻が亡くなってから世間とは孤立して暮らしていたが
自分で楽しむ世界を持っている人なので
世間のことなど全く気にしていなかった。
ご近所の方からしたら気になる存在だったかもしれないが。
100歳を越えたころから、ようやくデイサービスやヘルパーを受け入れるようになったが
それまではせっかく来たヘルパーを追い返してしまうような人だった。
孤独を愛せる人はそれはそれで良いようで。

ただまあ、一方的に自分の話はするが、人の話にまったく耳を貸さないので
家族は困っていた。
会社ではそれなりにやっていたようなのだが。
「上から言われたことはする」と割り切っていたのかねえ。
具体的な支障がない限り、本人の生きたいように生きればよいのではと思う。

問題は、好きで孤独になったわけではない人。
『つけびの村』の男は、
ひょっとしたら村に帰ってから妄想性障害になったのではなく
東京にいたときにすでに発症していて
村に戻ることでこじらせたのかもしれない。
「変な人」ということで誰もまともにかかわろうとしなかったのだろう。
両親が亡くなってから、孤独を深めたようだ。

ネット上での誹謗中傷やヘイトも孤独感の表れかもしれない。
家族であっても会話がない家庭。
被害妄想を膨らませる環境は、限界集落に限らない。
都会は都会で、人が多いからこそ孤独感は深いともいえる。

そして人は、被害妄想を膨らませると時には殺人にまで及ぶのだ。

ことばにして分かり合おうとすることの難しさ。
お互いを人として尊重しながらコミュニケーションするということの難しさ。
難しいからこそ、教育の重要な課題なのだと思う。
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障害物競走

2020-04-08 16:58:16 | 子どもと学ぶ

工作は一段落

先日はアイデアを持ち寄った障害物競走。

 家の前の路地を「ヨーイ、ドン」でスタートし
 玄関前の敷石をケンケンで飛び(Tちゃん)
 再び路地を走り
 途中で縄を持ち縄跳びしながら前進(Sちゃん)
 電信柱のところで縄を置き靴を脱いでつっかけに履き替えて折り返し(Kちゃん)
 途中でカードを引きリンゴかレモンか同じカードを持った人におんぶされて(Aちゃん)
 スタート地点にもどってゴール

というコースに。それぞれ( )内の人のアイデア。
Kちゃんはとりわけ身体能力が高く、これではいつもKちゃんが一番になるのではと思い、
私は「途中で私とジャンケンして負けた人はそこでジャンプする」というのを提案したけれど
却下された。

「それでは運しだいになってしまう」と子どもたち。
「でも、いつも同じ人が一番ではおもしろくないやんか」と私。
「おんぶのところで、誰が誰をおんぶするか分からないし同じ人が一番になるとは限らない」と子どもたち。
つまり組み合わせにある程度運も絡むけれど、運だけでなく実力でおんぶして運ぶという要素があるので、良いということらしい。

ふたりずつで競争する。

実際やってみると子どもたちの言う通りで、
Kちゃんが、必ず一番になるわけではない。
意外だったのは、ケンケンのときKちゃんは石から外れることが多く、はずれるとひとつ前に戻るルールがあるので、ここで遅れて互角になったりする。

最後のおんぶは、2年生の子が他の子をおんぶすることなると数歩で止まってしまう。
なので最後まで、勝敗は分からない。

おもしろすぎて
笑い転げた。

ところがスリッパで走るところでSちゃんがお腹から転倒。
路面がザラザラで擦り傷ができ、強く打ったのかそうとう痛そう。
泣き止まず、競技は中止。

大事にならずに済んで良かったけれど。
ママの顔を見たら安心したみたいで、
「今日はテントを張って、お昼ごはんはハンバーグ作って、外で食べたらおいしかった」
とおしゃべりしていたそうです。
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新型コロナ肺炎による非常事態宣言2

2020-04-08 15:44:45 | 日記・エッセイ・コラム


昨日、7都市選定の理由を感染者総数と感染者増加率と私なりに推理してみた(昨日のブログ参照)。
専門家は①累積数②倍層の日数に加えてもう一点、③感染経路不明の割合を考慮したそうだ。
福岡は、①は少ないが、②と③を考慮して選定されたらしい。

なるほどね。

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新型コロナ肺炎による非常事態宣言

2020-04-07 08:37:30 | 日記・エッセイ・コラム

近所の川沿いにて

首相は、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく「緊急事態宣言」を7都府県(東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡)に出した。今日から1か月程度の予定。
外出自粛が主な内容であるが、これを受けて東京都は対策案として、学校、塾、体育館などの学習・スポーツ施設、劇場・映画・美術館・博物館などの文化施設、その他、百貨店やショッピングモールを含む人が多数集まる場所の休止・休業を検討している。

昨日(正確には6日午前0時:朝日新聞)のデータによると、感染者総数の多い順に、東京(1116名)、大阪(428名)、千葉(283名)、愛知(239名)、兵庫(209名)、北海道(194名)、福岡(176名)、京都(126名)となっている。

感染者総数100名以上のなかでも愛知(239名)、北海道(194名)、京都(126名)が外されている。これは、ここ1週間の毎日の新規感染者数がおおむね一桁台で推移しているからだろう。

都道府県別人口密度を見ると、緊急事態宣言を出された都府県は5位の愛知を除き、上位8位にぴたりと収まる。

# 都道府県 人口密度(/km2)
1 東京都 6,354.79
2 大阪府 4,631.03
3 神奈川県 3,807.54
4 埼玉県 1,932.02
5 愛知県 1,460.04
6 千葉県 1,217.43
7 福岡県 1,024.79
8 兵庫県 650.36
9 沖縄県 637.52
10 京都府 560.07
47 北海道 66.93

「密閉」「密集」「密接」の3要素が感染に深くかかわっているといわれ、この人口密度からみれば、愛知、沖縄、京都は、油断すれば今後、緊急事態宣言の対象になりかねない。
沖縄で空間が密閉されるのは、むしろクーラーを使用するこれからの時期だろう。

特筆すべきは、北海道である。人口密度は、最下位。

1月28日に最初の感染者が確認され、2月22日ごろから急速に感染者の拡大がみられた。
「各地で開かれた冬の観光行事がきっかけで広がった可能性がある」とされ、特に大規模な『さっぽろ雪まつり』(2020年2月4~11日)が影響したと考えられるが、感染経路は必ずしも明らかではない。

北海道の鈴木直道知事はいち早く2月28日に緊急事態宣言。週末の外出自粛要請のほか、大規模イベントの開催自粛、学校の休校などが行われた。予定通りの3月19日、緊急事態宣言解除。すでに緊急事態宣言の時期は過ぎたと7日の安倍首相の出方をけん制する一方で、予防行動をやめると2週間後に再燃の可能性もあると慎重さを保っている。

賢明な措置だと思う。

以前から、北海道は熱心に自己研修に励む教員が多いと感じていた。
道内のメンバーだけでなく、実力のある講師を東京やその他の地域から招いて、自主企画の研修会を頻繁に実施している。
そういった研修会に、道内各地から車で長距離をものともせず集まってくる。
長距離を車で移動して集まることが日常化しているようだ。

私の場合は、沖縄や京都から東京または他の都道府県に参加するということが多かった。それと同じ感覚だろう。
東京は、研究会にせよ様々な研修にせよ、なんでもある。
(余談だか、東京および関東の人は、あまり関東以外の道府県に出かけないように思う(偏見かもしれないが)。東京で間に合う、ということだろう。だが、地方には地方にしかないものもあり、東京にいてはかえって見えないこともある。)

北海道での外出自粛要請が感染対策として功を奏したのは、もともとは密集していない地域であることが幸いして、互いが接触しないことにより感染源からの分散・拡大を食い止めたからだろう。

京都は、大学の街、若者の街である。
これまでの最大の感染クラスターが大学であったことは、京都らしいといえる。
今後、爆発的に感染者が増える可能性はある。
大学の授業を当面WEBに切り替え、部活動などの自粛を呼び掛けているのは、必要な措置だと思う。

いずれにせよ、7都府県に緊急事態宣言が出されたからと言って、そういった地域特性の分析もなく、深く考えることも無しに、全国一律に休校にすることは止めてほしい。
子どもたちは、遊び、学ぶ権利がある。
休校に対して、十分な説明と深い配慮が必要である。
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