今、新渡戸稲造の「武士道」が見直されています。
「武士道」と言うと、切腹とか、刀を抜くことと誤解している節がありますが、本来の「武士道」とは、その刀を如何に抜かないようにするかの忍耐の美徳であり、愛情を注ぐ道徳で、武士だけではなく、日本人全てが持っていた共有の価値観なのです。
「武士道」に明確な定義はありません。が新渡戸稲造は、外国人に日本人の根底にある形を解説するために新渡戸稲造なりに解釈したものです。
新渡戸稲造が「武士道」を書いたのは、明治32年で、日清戦争と日露戦争の間の時期で、世界が日本に注目を浴び始めた頃です。
彼はある時、ベルギー人の法学者と散歩しながら、「日本には宗教教育がない」と応えると「宗教なしでどうして道徳教育が出来るのですか?」と驚かれた。
そこで、よくよく考えると、自分の正邪善悪の観念を形成しているのが、幼少期に身に着けたのが「武士道」であると気づいたのです。
そこで日本人の魂を西洋人に分からせたいと熱望し、「武士道」を英語で紹介することを思いつき、分かり易いようにギリシャ哲学や聖書、シェックスピア、ニーチェ等と比較したり、本居宣長や平敦盛、吉田松陰などを引きながら武士道精神の本質について説きました。
これがアメリカで出版されると、絶大な賞賛を受け、当時に大統領ルーズベルトは、親戚知人は言う及ばず他国の首脳たちにも送ったそうです。