文部科学省では、2008年にも小学校の高学年から週1時間程度の英語を教えることを唱えています。
2006年2月の文部科学省の中央教育審議会の報告書によると「英語を学ぶことで異文化理解だけでなく、国語や我が国の文化についてあわせて理解を深めることが出来るよう検討する必要がある」と述べています。
同時に「国際コミュニケーションの観点から我が国においてもインターネットの普及などによって英語コミュニケーションを図る機会が増えている」とも述べています。
又、2006年3月18日の平成17年度小学校英語活動実施状況調査では、小学校の93.6%が英語教育を実施されており、平成16年に比べ1.5ポイント増になっているそうです。
英語も大事ですが、それよりも日本語や日本文学、日本文化をもっとしっかりと教えるべきではないでしょうか?
英語を話すことが出来ても、日本人である限り日本語をしっかりと身につけ日本語の良さを知らなくては国際人としては、恥であると思います。
僕自身、日本語について偉そうなことを言えませんが、もっと日本語や日本文学を学んでおけばと後悔しています。
北野天満宮の梅
「しとしと」「ひたひた」「ひしひし」「ぽたぽた」と言う言葉には、一言で表現できる英語はありません。 まして「もののあわれ」も一言で英語にすることが出来ず、表現したところで、the pathos of life と訳されていますが、直訳すれば、「人生における同情」となり、本来の日本語の良さが表現出来ないのです。
勿論、「もののあわれ」を日本語でも内容を巧く表現することは難しいですが、日本人なら、なんとなくその状態を憶測することが出来なくてはなりません。
「わび」=簡素な中に見出される清澄、閑寂な趣。
「さび」=古びて味わいある渋い趣。
これらも英語では、表現できません。
「趣」も英語で訳せば meaning (趣旨)の一言で済まされていますが、本来は「しみじみとした味わい」であり、その状態によっては又異なる意味も持っています。
小学校から英語などを教えれば、本当の国際人がいなくなります。
国際的に通用する人間になるには、日本語を徹底的に教えなくてはダメです。
表現する手段よりも表現する内容を整える方が大事だと思います。
折角の情緒のある言葉も英語に訳せば、味気ないものになってしまいます。