徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

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将軍をくじ引きで決めた!!!

2007年01月18日 10時29分57秒 | 今日は、何の日

1月18日は、1467年には応仁の乱1657年には振袖火事がありました。
そして1428年には、室町幕府の4代将軍、足利義持が亡くなり翌19日に後継者を決める”くじ引き”が行なわれたそうです。

  足利義持

その”くじ引き”は、三条八幡宮の神前で行なわれました。
4代将軍義持には、子供がなく、候補者は義持の4人の弟でした。
この4人の弟は全員出家していましたが、当選したのは青蓮院住職の義円でした。
義円は早速還俗して義宣と名を改めますが、「義宣では世を忍ぶになってしまう」といって義教(よしのり)と改名しました。

この義教は、非常に過激な人で、多くの大名が些細な罪で殺害され、課税に従わない商人も死罪され、この暴君の恐怖政治におののきます。
が、赤松密祐が饗宴を開くという名目で殺害し、以降室町幕府の権威は低下してゆきます。

”くじ引き”で決めるというと、非常にいい加減なもののように思われますが、実はそうでもありません。
現在でも地方の議員選挙で同票になったとき、”くじ引き”で当選者が決められています。
また、サッカーのワールドカップでもPK戦でも決着がつかない場合、”くじ引き”で勝者を決めることとなっています。

実は天皇を決めるのにも、似たようなことが行なわれました。
文徳天皇の時、皇太子を決めるのに惟喬親王派と惟仁親王派が激しく対立し、どちらかに決められない状態であったため、競馬と相撲を行なって勝ったほうを皇太子にすることとなり、勝ったのが惟仁親王で、後の清和天皇です。

また、安徳天皇が平氏とともに西海に行った後、後継の天皇を誰にするのかについて、惟明親王、尊成親王、北陸宮(以仁王の遺児)の3人が候補にあがり、決着が付かず、後白河法皇の指示により、”占い”が行なわれ、尊成親王が後継者と定められました。後の後鳥羽天皇で、古来”くじ引き”というのは、人間の判断では決着つかないことを神意によって決めるため行なわれたのです。