徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

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"サザエさん”の誕生日

2007年01月30日 09時23分09秒 | 今日は、何の日

1月30日は、「サザエさん」の生みの親である長谷川町子さんが1920年に佐賀県佐久市で生まれました。

これほど日本国民の多くが親しんでいる漫画の主人公は、いないのではないでしょうか。 
テレビの「サザエさん」は、1969年から放映が始まり、現在まで40年近く続いており、そのテーマ曲はいまだにヒット・ランキングの上位にある、とんでもないロングセラー曲です。

     

作者の長谷川町子さんは、初め画家を志しますが、高女在学中に「のらくろ」の田河水泡の弟子になってマンガを書くようになったそうです。
「サザエさん」「いじわる婆さん」以外の作品としては「いじわる看護婦さん」「エプロンおばさん」などがあります。

この「サザエさん」は浜辺を散歩していたときに着想を得たものとされ、最初は福岡の「夕刊フクニチ」に1946年から連載されましたが、その連載をサザエさんを唐突に結婚させ終了した後、今後は1949年から朝日新聞に続きが連載されることになりました。
朝日新聞での連載は最初夕刊でしたが1951年から朝刊に移り、1974年2月「フジ三太郎」にバトンタッチして終了しました。
朝日新聞の連載分だけで25年間の長期連載でした。

   

その人気の「サザエさん」も自費出版した時には、1巻目を大手の取次ぎ店が受け取ってくれたのに気をよくして2巻目も出版します。が1巻目の返本の山が押し寄せ2巻目は取り扱わないと取次店から通告されてしまします。

要するにこの本のサイズが横長の変形版であったため本棚に並べにくかったこともあって全く売れず、家は返本の山で埋まったといわれています。
しかし、母親から本のサイズを変えてもう一度出版するように進められ借金をして再度挑戦し、幸いなことにボツボツと売れ出して、その後在庫は一掃されたそうです。

このことを教訓に、長谷川町子は出版社の誘いに乗らず、姉と「姉妹社」を設立し、長谷川町子の作品はこの「姉妹社」からずっと出版され続けることになりました。