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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

惑星ナブー巡礼の明日

2013年05月15日 | 時事書評

 

 

 

  【スターウォーズ エピソードⅠ/惑星ナブー 】

 

 オータ・グンガブラザのコンセプト・デザイン:


 最初、プラザは周囲には特に何もない街の広場だった。ルーカスは初期のスケッチにみられる
 ミステリアスな雰囲気、特に、
外に広がる漆黒の闇と内側に点在する小さな明かり溜まりが気
 に
入っていたという。別の準備稿デザインでは、曲がりくねった通路やサンゴのような構造が
 特徴的である。都市の床は海とつなが
っており、床下からは美しい光が灯っている。加えて、
 都市の周
りや都市を縦断するようにサンゴも生えている。しかし、これらの要素は後のデザイ
 ンからは削除されたという。


 青々とした肥沃な惑星ナブーには、おもに2種類の種族が棲息している。人間タイプのナブー
 人と、両生類タイプのグンガンである。両種族にはある意味で象徴的な関係があるか、互いに
 疑わしい不信の目で相手を見ている。人間型のナブー人が住む一帯は、陽光のふりそそぐ地中
 海風の趣かある。具体的にいうなら、水しぶく川の流れ、なだらかな縁の丘、草木に覆われた
 果てしのない平原地帯といったものだ。

 人口密度はいたって希薄で、その大部分もシードと呼ばれる都市部に集中している。シードは
 エコロジカルな環境整備か行き届いた街で、いわゆる公害もなく、都市としての楽園といえる。
 グンガンたちの棲息する地域もまた、湿潤な沼沢地を中心に繁殖する豊富な動物種を擁した美
 し
いものだ。ダンガンはオータ・グンガと呼ばれる水中都市に住んでいる。それは果てしなく
 広が
るサンゴ礁の群落を思わせる外観を呈しているいるが、彼らは時々、聖地として崇められ
 る沼の
一角に集まることもある。ここに点在する無数の人間型彫刻はグンガンやナブー人か栄
 えるはるか以前に死滅した種族の遺物だ。

 トレード・フェデレーションが惑星ナブーに執肴する背景には、銀河交易ルートから見たナブ
 ー
の戦略的位置関係があるか、同時に、惑星それ自体か持つこのような資源的価値もあったわ
 
けである。ナプーか無防備であると見るや、ニモーディアンたちは狡猾な手段でバトル・ドロ
 イド軍団を送り込もうとする。自然の生命の謳歌する牧歌的な惑星を、メタリックな金属兵士

 たちに蹂躙させ、ドロイドたちの君臨する植民星に変えてしまおうと図るのだ。共和国議会は
 官僚
連に牛耳られ、一向に頼りにならないという状況の中、ナプー人とグンガンたちは今こそ
 協力して、ニモーディアンの侵略の魔手から自分たちの惑星を教わねばならないことを悟る。
 そして両種族は、見事にそれを成し遂げた--驚き、うろたえるトレード・フェデレーション
 を背に 両生類と人間種族の連合軍が、圧倒的な数に勝る武装兵器とドロイド軍団に勝利を収
 め
たのである。



 オータ・グンガのコンセプトイメージ:

 グンガンの水中都市を離れるボンゴ潜水艇のフロダクション・ペインティング:オータ・グンガ
 の第一印象は、海底に浮かぶシャンデリア。周囲をカドゥの群れが泳い
でいる。オータ・グン
 ガ評議会会議室を描いた。

 

特開2012-73237

 【携帯液晶保護シート】 

NHKのテレビ(「まちかど情報室」)で株式会社エクシールコーポレーションのぷよシートが
介されていたのを思い出したので好奇心からネットで下調べ(2013年5月13日(月)午前6:
45
放送)。下図のように透明ゲル(英語ではジェル)状ウレタン樹脂フィルムを衝撃吸収機
能として
応用したもの。岐阜の素材加工メーカのエクシールコーポレーションの新規考案「特
開2008-050381
:足跡、タイヤ痕用転写シート」などの企業技術でなるほどと関心
する。つまり「足跡やタイヤ痕
を転写するために用いる転写シートであって、基材と、官能基数2、分子量700~2,000の末端に1
級ヒドロキシル基を有するポリオール若しくは、官能基数3、分子量6,000~8,000の末端に1級ヒ
ドロキシル基を部分的に有するポリオールと、理論量より少ないポリフェニルポリメチレンポリイ
ソシアネートを反応させたポリウレタン樹脂からなる軟質組成物により前記基材上に形成された転
写層と、該転写層を覆うセパレーターとを備え、前記転写層は厚さが0.5mm
~5.0mmである足跡、タ
イヤ痕用転写シート特性を生かし、粗面や凹凸面上に印象された足跡やタイヤ痕、立体感のある泥
足跡をも鮮明に転写できる足跡、タイヤ痕用転写シートを提供」という技術の応用展開だ。

 

犯罪捜査に役立つだけでないく(この項の最上部図クリック)、若者達が広く博している携帯情報
端末機器の画面保護や入力ミス防止に
大いに役立っている?!という代物で、世界中の携帯情報端
末機器に売りまくることが可能だ。これによく似た商品として振動による転倒防止・制震・静粛シ
ートなどとして出回っている。ここから、『限定的界面接合制御素材事業』が抽出することができ
そうだ。例えば、超音波発振装置にこの手のシートを噛ませることで、例えば、ビールを発泡させ
ることができるのではと。



 

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オレンジとレモンを巡る明日

2013年05月14日 | 日々草々

 


 
【深志城情 その貳】


 

 

 

  五月の終わり頃につくるは週末に繋げて休みを取り、三日間名古屋の実家に戻った。ちょう
 ど父親の法事がその時期にあったので、帰郷するにはいろんな意味で都合がよかった。
  父親が亡くなったあと、長姉の夫婦が母親とともにその広い家に住んでいたが、以前つくる
 が使っていた部屋は、誰にも使われないまま取り置かれていたので、そこに寝泊まりすること
 ができた。ベッドも机も本棚も、彼が高校生だったときのままになっていた。本棚には昔読ん
 だ本が並んでいた。机の抽斗には文具やノートがまだ残っていた。

  最初の日に寺での法要と親戚との会食を終え、家族との一通りの会話を済ませてしまうと、
 翌日からは自由の身になった。つくるは最初にアオを訪問することにした。日曜日は普通の会
 社は休みだが、自動車のショールームは営業している。誰に会うにせよアポイントメントはと
 らず、行き当たりばったりで出かけて行く。それが前もって決めた方針だった。相手に心の準
 備をさせず、その場でできるだけ率直な反応を引き出す。もしそこで会えなくても、あるいは
 会うことを断られても、それはそれで仕方ない。その時は次の方法を考えればいい。
  レクサスのショールームは名古屋城に近い静かな一画にあった。広々としたガラスのウィン 
 ドウの中には、スポーツクーペから四輪駆動車まで、色とりどりのレクサスの新車が晴れがま
 しく並んでいた。中に入ると、新しいタイヤと合成樹脂と本革の匂いが混じり合った新車独特
 の匂いがした。




  つくるはレセプション・デスクに行って、そこに座った若い女性に話しかけた。彼女は髪を
 上品に上にまとめ、ほっそりした白い首筋を表に出していた。デスクの花瓶にはダリアがピン
 クと白の大きな花を咲かせていた。

 「青海さんにお会いしたいのですが」と彼は言った。
  彼女は明るく清潔なショールームに似合った穏やかな、整った微笑みを彼に向けた。唇が自
 然な色に塗られ、歯並びが美しい。「はい。青海でございますね。失礼ですが、お客様のお名
 前をいただけますでしょうか」
 「多埼です」とつくるは言った。
 「タサキ様。本日ご予約は承っておりますでしょうか?」

  彼は名前の読み方の微妙な間違いをあえて指摘しなかった。その方がむしろ都合がいい。

 「いや、予約はしていないんだけど」
 「かしこまりました。少々お待ちいただけますでしょうか」。女性は電話の短縮番号を押して、
 五秒ばかり待った。そして言った。「青海さん、タサキ様というお客様がこちらにお見えにな
 っておられます。はい、そうです。タサキ様です」

  相手が何を言ったのかは聞こえなかったが、彼女はそれに対して何度か短く相づちを打った。
 そして最後に「はい、承知しました」と言った。
  彼女は受話器を置き、つくるを見上げて言った。「タサキ様。青海はただ今所用があり、手
 を離すことができません。まことに恐縮ですが、ここで今しばらくお待ちいただけますでしょ
 うか? 十分とはかからないと本人は申しておりますが」
  訓練された滑らかなしゃべり方だった。敬語の使い方も間違っていない。そして待たせるこ
 とを本心から申し訳なく思っているように聞こえた。教育が行き届いている。あるいはそうい
 うのは生来のものなのだろうか?



 「いいですよ。べつに急いではいないから」とつくるは言った。
  彼女はつくるをいかにも高価そうな黒い革張りのソファに案内した。巨大な観葉槙物の鉢が
 あり、小さな音でアントニオ・カルロス・ジョビンの曲が流れていた。細長いガラスのテーブ
 ルの上にはレクサスの豪華なカタログが並べられていた。
 「コーヒーか紅茶か日本茶をお持ちできますが」
 「じゃあ、コーヒーをください」とつくるは言った。




  彼がレクサスの新しいセダンのカタログを眺めていると、コーヒーが運ばれてきた。クリー
 ム色のマグカップにはレクサスのロゴが入っていた。つくるは彼女に礼を言って、それを飲ん
 だ。美味いコーヒーだった。香りが新鮮で、温度もちょうどいい。
  スーツを着て、革靴を履いてきて正解だったようだとつくるは思った。レクサスを買いに来
 る人間が普通どんな服装をしているのか、つくるには見当もつかない。しかしポロシャツにジ
 ーンズ、スニーカーという格好では軽く見られるかもしれない。家を出る前にふとそう思って、
 念のためにスーツに着替え、ネクタイを締めてきた。
  十五分ほど待っている間につくるは、販売されているレクサスの車種をすべて覚えてしまっ
 た。そこでわかったのは、レクサスの車には「カローラ」や「クラウン」といった名称がつい
 ていないので、車種は番号で覚えるしかないということだった。メルセデスやBMWと同じだ。
  あるいはブラームスの交響曲と同じだ。

  やがて背の高い男が、ショールームを横切ってやってきた。横幅もある。でも大きな体躯の
 わりに身のこなしは機敏だ。歩幅は大きく、自分が比較的急いで空間を移動していることをま
 わりにそれとなく示唆している。それは間違いなくアオたった。遠くから見ても、昔と印象は
 ほとんど変わりない。身体がひとまわり大きくなっただけだ。家族が増えて家屋が増築される
 みたいに。つくるはカタログをテーブルに戻し、ソファから立ち上がって彼を迎えた。

 「お待たせいたしまして、申し訳ありませんでした。青海です」

  アオはつくるの前に立ち、軽く頭を下げた。その大きな身体はしわひとつないスーツに包ま
 れていた。青とグレーが混じった、軽い生地の上品なスーツだ。体型からしてきっとオーダー
 メイドだろう。淡いグレーのシャツに、濃いグレーのネクタイ。隙のない着こなしだ。学生時 
 
代の彼からは考えられない。しかし髪だけは相変わらず短い。ラグビー選手の髪型だ。そして
 やはりよく日焼けしている。
  それからつくるを見るアオの顔つきが少しだけ変化した。目に微かな戸惑いの色が浮かんだ。
 彼はつくるの顔に覚えのある何かを読み取ったようだった。しかしそれが何であるかがうまく
 思い出せない。彼は笑顔を浮かべ、言葉を呑み込んだまま、つくるが何かを口にするのを待っ
 ていた。

 「久しぶりだな」とつくるは言った。
  その声を聞いて、アオの顔を覆っていた淡い疑念のようなものが急に晴れた。声だけは変わ
 っていない。
 「つくるか」と彼は目を細めて言った。
  つくるは肯いた。「仕事場に突然押しかけて悪かった。でもそれがいちばんいいような気が
 したんだ」

  アオは肩で大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。それからつくるの全身を点検するよ
 うに眺めた。上から下に徐々に視線を落とし、また上に戻した。

 「ずいぶん見かけが変わったな」と彼は感心したように言った。「通りですれ違っても、まず
 気がつかないだろう」
 「そちらはぜんぜん変わらないみたいだ」

  アオは大きな口を少し斜めに曲げた。「いや。体重は増えた。腹も出てきた。速く走れなく
 なった。最近は月いちの接待ゴルフしかやってないからな」
 しばしの沈黙があった。

 「なあ、ここに車を買いに来たわけじゃないよな?」とアオは確かめるように言った。
 「車を買いに来たわけじゃない。悪いけど。できれば二人で話をしたいんだ。短い時間でもか
 まわない」
  アオは少し顔をしかめた。どうすればいいものか、彼は迷っていた。昔から、思っているこ
 とがそのまま顔に出てしまう性格だ。
 「今日はかなり予定が詰まっているんだ。外回りもあるし、午後はミーティングに出ることに
 なっている」
 「都合のいい時間を指定してくれればいい。そちらに合わせる。今回はそのために名古屋に来
 たんだ」

  アオは頭の中でスケジュールを洗い直しか。そして壁の時計に目をやった。時計の針は十一
 時半を指していた。彼は鼻の頭を指でごしごしこすってから、心を定めたように言った。「わ
 かった。おれは十二時に昼休みをとる。三十分くらいなら話ができるだろう。ここを出て左に
 しばらく歩いたところにスターバックスがある。そこで待っていてくれ」

 

  十二時五分前にアオはスターバックスに現れた。
 「ここはうるさい。飲み物を買ってどこか静かなところに行こう」とアオは言った。そして自
 分のためにカプチーノとスコーンを買った。つくるはミネラル・ウオーターのボトルを買った。
 それから二人は歩いて近所にある公園に行った。そこで空いているベンチを見つけて並んで座
 った。
  空は薄く曇って、青空はどこにも見えなかったが、雨の降り出しそうな気配はなかった。風
 もない。緑の葉を豊かにつけたヤナギの枝は、地面すれすれまで垂れ下がり、深く考えごとを
 しているみたいにぴくりとも動かなかった。時折小さな鳥がやってきてその枝に不安定にとま
 り、すぐにあきらめて飛び立った。枝がかき乱された心のように僅かに揺れ、やがてまた静ま
 った。

 「話の途中で携帯電話が鳴り出すかもしれないけど、そいつは勘弁してくれ。いくつか仕事の
 用件があってな」とアオは言った。

 「かまわない。忙しいことはわかっている」
 「携帯ってのは便利だから不便だ」とアオは言った。「それでおまえ、結婚しているのか?」
 「いや。まだ一人だよ」
 「おれは六年前に結婚して、子供が一人いる。三歳の男の子だ。もう一人は今かみさんの腹の
  中に入っていて、着実に大きくなりつつある。九月に生まれる予定だ。女の子だと聞いてい
 る」

  つくるは肯いた。「人生は順調に運んでいる

 「順調かどうかはともかく、少なくとも着実に前には進んでいる。言い換えれば、後戻りはで
 きなくなっている」、アオはそう言って笑った。「おまえの方はどうなんだ?」
 「とくに悪いことは起こっていない」、つくるは財布から名刺を取り出して、アオに渡した。
 アオはそれを手に取り、声に出して読んだ。

 「***鉄道株式会社。施設部建築課」
 「主に駅をつくったり、維持したりする仕事だよ」とつくるは言った。
 「おまえは昔から駅が好きだったものな」とアオは感心したように言った。そしてカプチーノ
 を一口鉄んだ。「結局、好きなことを仕事にできたわけだ」
 「勤め人だから、好きなことばかりはやっていられないけどね。つまらないことはたくさんあ
 る」
 「それはどこだって同じだ。人に使われている限り、つまらんことはいっぱいあるさ」とアオ
 は言った。そしてつまらないことの実例をいくつか思い出したみたいに、何度か小さく首を振
 った。

 「レクサスは売れているのか?」
 「悪くない。ここは名古屋だからな。もともとトヨタの地元だ。放っておいてもトヨタ車は売
 れる。ただし、おれたちの今回の相手は日産やホンダじゃない。目標は今までメルセデスやB
 MWといった海外のプレミアム・カーに乗ってきた層を、レクサスのオーナーに変えることだ。
 そのためにトヨタはフラッグシップ・ブランドを立ち上げたんだ。時間はかかるかもしれない
 けど、きっとうまくいく」 「負けるという選択肢は、おれたちにはない」

  アオは一瞬奇妙な顔をしたが、すぐに相好を崩した。「ラグビーの試合のあれか。変なこと
 をよく覚えているんだな」
 「士気を鼓舞するのがうまかった」
 「ああ、試合にはよく負けたけどな。でも実際の話、ビジネスはそれなりに順調に進んでいる。
 もちろん世の中の景気はあまり良くないが、それでも金を持っている人間はしっかり全を持っ
 ている。不思議なくらいな」

  つくるは黙って肯いた。アオは続けた。

 「おれ自身ずっとレクサスに乗っている。優れた車だ。静かだし、故障もない。テストコース
 を運転したときに時速二百キロを出してみたが、ハンドルはぴくりともぶれなかった。ブレー
 キもタフだ。たいしたもんだよ。自分で気に入っているものを人に勧めるのは、いいものだ。
 いくら目がうまくても、自分で納得のいかないものを人に売りつけることはできないよ」

  つくるはそれに同意した。

  アオはつくるの顔を正面から見た。「なあ、おれの話し方って車のセールスマンみたいか?」
 「いや、そうは思わないよ」とつくるは言った。アオが自分の考えを正直に話していることは
 理解できた。しかしそれはそれとして、高校時代にはそんな話し方をしなかったことも、また
 確かたった。
 「おまえ、車は運転するのか?」とアオは尋ねた。
 運転はするけど、車は持っていない。東京に位んでいれば、電車とバスとタクシーでだいた
 いは事足りるし、普段の足には自転車を使っている。どうしても必要があれば、そのときはレ
 ンタカーを時間単位で借りる。そういうところは名古屋とは違う」
 「そうだな、その方が気楽だし、金もかからない」とアオは言った。そして小さくため息をつ
 いた。「車なんてなきゃないでいいんだ。それで、どうだ、東京での暮らしは気に入っている
 のか?」
 「仕事もあるし、もうけっこう長く住んでいるから上地柄にもなんとなく馴れた。ほかにとく
 に行くところもない。それだけだよ。かくべつ気に入っているわけじゃない」
  二人はそれからしばらく黙り込んでいた。二匹のボーダーコリーを連れた中年の女性が前を
 通り過ぎた。何人かのジョガーが、城の方に向かって走っていった。
 「話があるって言ったよな」とアオは遠くにいる誰かに向かって語りかけるように言った。
 「大学二年生の夏休みに名古屋に帰ってきて、君と電話で話をした」とつくるは切り出した。
 「そのとき、もう僕とは会いたくないし、これからいっさい電話もかけてほしくないと言われ
 た。そしてそれは君たち四人の総意だと言われた。それは覚えているか?」
 「もちろん覚えている」
 「その理由が知りたいんだ」とつくるは言った。
 「急に今になってか?」とアオは少しびっくりしたように言った。
 「ああ、今になってだよ。そのときにはどうしてもこの質問ができなかった。出し抜けにそん
 なことを言われたショックが大きすぎたし、それと同時に、自分がそれほどきっぱり拒絶され
 る理由を教えられるのが怖かったということもある。それを知らされたら、ひょっとしてもう
 立ち直れないんじゃないかという気がした。だから何も事情を知らないまま、すべてを忘れて
 しまおうとした。時間が経てば心に受けた傷も癒えるだろうと思った」

 
  アオはスコーンを小さくちぎって口に入れた。それをゆっくり喘み、カプチーノで喉の奥に
 流し込んだ。つくるは話し続けた。

 「それから十六年が経った。しかしそのときの傷はまだ僕の心に残っているみたいだ。そして
 どうやらまだ血を流し続けているらしい。このあいだ、ちょっとした出来事があって、それに
 気づかされた。僕にとってはけっこう大きな意味を持つ出来事だったんだ。だからこうして名
 古屋まで君に会いに来た。突然で、迷惑だったかもしれないけど」
  アオは重く垂れ下がったヤナギの枝をしばらく眺めていた。やがて口を開いた。「その理由
 として、おまえに思い当たることはないのか?」
 「十六年、理由を考え続けてきたよ。でもいまだに見当がつかない」
  アオは困惑したように目を細め、鼻の頭を指でこすった。それが何かを深く考える時の彼の
 癖だった。「あの時おれがそう言うと、おまえは『わかった』と言ってそのまま電話を切った。
 とくに抗議もしなかった。話を深く追及もしなかった。だからおれとしては当然ながら、おま
 えにはそれについて、自分でも何か思い当たるところがあるんだろうと解釈した」
 「本当に深く心が傷ついたときには、言葉なんて出てこないものだよ」とつくるは言った。
  アオはそれについて何も言わず、スコーンをちぎって、その塊を鳩のいる方に投げた。鳩た
 ちがあっという間に群がった。それは彼が習慣的に行っている行為のように見えた。たぶん昼
 休みに一人でよくここに来て、鳩に昼食を分け与えているのだろう。

 「それで、いったい何か理由だったんだ?」とつくるは尋ねた。
 「本当におまえは何も知らないのか?」
 「ああ、本当に何も知らない」

  そのとき携帯電話の陽気な着信メロディーが鳴り出した。アオは携帯電話をスーツのポケッ
 トから取りだし、スクリーンで相手の名前をちらりと確かめてから、無表情にキーを押し、そ
 のままポケットに戻した。その着信メロディーにはどこかで聞き覚えがあった。ずっと昔のポ
 ップソング、たぶん生まれる前に流行った曲だ。何度か耳にしたことがあるが、曲名までは思
 い出せない。

 「もし何か用事があるのなら、先に済ませてくれてかまわないよ」とつくるは言った。
  アオは首を振った。「いや、いいんだ。そんなに大事な用件じゃない。あとでも間に合う」
  つくるはミネラル・ウォーターをプラスティックのボトルから一口飲み、喉の奥に潤いを与
 えた。「どうして僕はあのとき、グループから追放されなくてはならなかったんだろう?」
  アオはひとしきり考えを巡らせていた。それから言った。「おまえの方に思い当たる節がま
 ったくないというのは、どう言えばいいんだろう、それはつまり、おまえはシロと性的な関係
 を持たなかったということなのか?」

 

 
 つくるの唇はとりとめのない形をつくった。「性的な関係? まさか」
 「ンロはおまえにレイプされたと言った」とアオは言いにくそうに言った。「無理やりに性的
 な関係を持たされたと」
  つくるは何かを言おうとしたが、言葉は出てこなかった。いま水を飲んだばかりなのに、喉
 の奥が痛いほど乾いていた。
  アオは言った。「おまえがそんなことをするなんて、おれにはとても信じられなかった。ほ
 かの二人も同じだったと思う。クロにしても、アカにしてもな。おまえはどう考えても、人の
 いやがることを無理強いするタイプじゃない。とりわけ暴力をふるってそうするようなタイプ
 じゃない。それはよくわかっていた。でもシロはどこまでも真剣だったし、思い詰めていた。
 おまえには表の顔と裏の顔があるんだとシロは言った。表の顔からは想像もつかないような裏
 の顔があるんだと。そう言われると、おれたちは何も言えなかった」

  つくるはしばらく唇を噛んでいた。それから言った。「どんな風に僕にレイプされたか、シ
 ロは説明したのか?」
 「ああ、説明してくれたよ。かなりリアルに細部までな。できればそういうことは耳にしたく
 なかった。実際のところ、その話を聞いているのはおれとしてもとてもつらかったよ。つらか
 ったし、悲しかった。いや、心が傷つけられたという方が近いかもしれない。とにかく彼女は
 ひどく感情的になっていた。身体が震えて、形相が変わるくらい激しい怒りにとらわれていた。
 シロが言うには、誰だか有名な外国人ピアニストのコンサートがあって、それを聴きに東京ま
 で一人で出かけ、そのときおまえの自由が丘のマンションに泊めてもらった。ホテルに泊まる
 と両親には言って、宿泊代を浮かせたわけさ。男女二人きりで夜を過ごすとはいえ、相手がお
 まえだからと安心していたんだが、夜中に力尽くで犯された。抵抗はしたが、身体が痺れてい
 うことをきかなかった。寝る前に少しお酒を飲んだけど、そのときに何加薬を混ぜられたかも
 しれない。そういう話だった」

  つくるは首を振った。「泊まるもなにも、シロが東京のうちに来たことなんてコ院もないよ」
  アオは広い肩をわずかにすぼめた。苦いものを口に入れてしまったような顔をして脇を向い
 た。そして言った。「おれとしては、シロの言うことをそのまま信じるしかなかった。自分は
 処女だったと彼女は言った。無理にそれを強要され、激しい痛みと出血があったと言った。あ
 の内気なシロが、おれたちにわざわざそんな生々しい作り話をしなくちゃならない理由も思い
 つけなかった」

  つくるはアオの横顔に向かって言った。「でもそれはそれとして、どうしてまず僕に直接確
 加めな加ったんだ? 釈明の機会くらい与えてくれてもよかったんじゃないのか。欠席裁判み
 たいなかたちじゃなく」
  アオはため息をついた。「たしかにおまえの言うとおりだよ。今にして思えばな。おれたち
 はまず冷静になって、何はともあれおまえの言い分を聞くべきだった。でもそのときはそれが
 できなかった。とてもそういう雰囲気じゃなかった。シロはひどく興奮して、取り乱していた。
 そのままでは何か起こるかわ加らな加った。だからおれたちはまず彼女をなだめ、その混乱を
 鎮めなくちゃならなかったんだ。おれたちにしても百パーセント、シロの言い分を信じたわけ
 じゃない。正直な話、ちょっと変だと思うところもなくはなかった。でもそれがまるっきりの
 フィクションとは思えなかった。彼女がそこまではっきり言うからには、そこにはある程度の
 真実は含まれているはずだ。そう思った」
 「だからとりあえず僕を切った」
 「なあ、つくる、おれたちだって、やはりショックを受けてとても混乱していたんだ。傷つい
 てもいた。誰を信じればいいのかもわからなかった。そういう中でまずクロがシロの側に立っ
 た。彼女はシロの要求どおり、おまえをいったん切ることを求めた。言い訳をするんじゃない
 が、アカとおれは勢いに押されてというか、それに従うかたちになった」

  つくるはため息をついて言った。「信じてくれるかどうかはともかく、僕はもちろんシロを
 レイブしかことはないし、彼女と性的な関係を持ったこともない。それに近いことをした覚え
 もない」
  アオは肯いたが、何も言わなかった。何を信じるにせよ、信じないにせよ、それからあまり
 に長い時間が経ちすぎている。つくるはそう思った。ほかの三人にとっても、つくる自身にと
 っても。


  もう一度アオの携帯電話の着信メロディーが鳴った。アオは相手の名前をチェックし、つく
 るに向かって言った。
 「すまない。ちょっと外してもいいか?」「もちろん」とつくるは言った。
  アオは携帯電話を持ってベンチから立ち上がり、少し離れたところで話をした。その身のこ
 なしや表情から顧客との商談であるらしいことがわかった。
  つくるは突然、その着信メロディーの曲名を思い出した。エルヴィス・プレスリーの『ラス
 ヴェガス万歳!』だ。しかしそれはどう考えても、レクサスの辣腕セールスマンが着信メロデ
 ィーとするのに相応しい音楽とは思えなかった。いろんなものごとがそれぞれ少しずつ現実昧
 を欠いていた。

  やがてアオが戻ってきて、ベンチの彼の隣に再び腰を下ろした。

 「悪かったな」と彼は言った。「用件は済んだよ」
  つくるは腕時計を見た。約束の三十分はそろそろ終わりに近づいていた。
  つくるは言った。「なぜシロはそんなでたらめな話をしたんだろう? そしてなぜその相手
 は僕でなくちやならなかったんだろう?」
 「さあな、おれにはわからん」とアオは言った。そして力なく何度か首を振った。「おまえに
 は悪いけど、それがいったいどういうことだったのか、その時も今も、おれには皆目わからな
 いんだ」
 「クロがもっと詳しい事情を知っているんじゃないかな」とアオは言った。「おれはそのとき、
 なんとなくそういう印象を持った。おれたちには知らされていない事実が何かあるんじゃない
 かって。わかるだろう。そういうことについては、女同士の方がもっと腹を割って率直に話す
 ものだ」
 「クロは今フィンランドに住んでいる」とつくるは言った。
 「知ってるよ。たまに絵葉書をくれる」とアオは言った。

  それから二人はまた黙り込んだ。制服姿の女子高校生が三人、グループで公園を横切ってい
 った。短いスカートの裾を元気に振り、大きな声で笑いながら、二人の座ったベンチの前を通
 り過ぎていく彼女たちは、まだほんの子供のように見えた。白いソックスに黒のローファー。
 表情がまだ幼い。自分たちもついこのあいだまで、そのような年齢だったのだと思うと、ずい
 ぶん不思議な気がした。

 「なあ、つくる、おまえはずいぶん見かけが変わったよな」とアオが言った。
 「もう十六年も会っていないんだ。それは変わるさ」
 「いや、歳月だけのことじゃない。最初はおまえだとは、まるでわからなかったよ。もちろん
 よく見ればわかるんだけどな。なんていうか、痩せて精悍な感じになった。頬がこけて、目が
 深く鋭くなった。昔はもっと丸みのある、おっとりした風貌だった」

  それが死について、自分を消滅させることについて、半年近く真剣に思い詰めた結果だとは、
 そしてそれらの日々が自分の心身を大きく作り変えてしまったのだとは、つくるには言い出せ
 なかった。そんなことを打ち明けても、そこにあったぎりぎりの心情は半分も伝わらないだろ
 う。それくらいならまったく何も言わない方がいい。つくるは黙って、相手の話の続きを待っ
 ていた。


  
                                   PP.151-168                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 

 
 


庭先に花咲くきせつがやってきた。彼女が作業準備中の僕の手をつかみ、「ねぇ、ねぇ、大事に
育ててきたレモンに蕾がついたのよ!」とそう叫びながら、
現場に連れて行きゆびさす。「ほら」
と。「ジャマンアイリスも花が咲いたのよ」とゆびさしながら、写メールしている。庭には鉢植
えのブラッドオレンジの小さな果実がついていて、「オレンジとレモンが実れば、庭先のサラダ
として組み合わせることができるね」と言おうとしたが、秘するが花?と飲み込む。これからが
楽しみだ。
 

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城郭都市巡礼の明日

2013年05月13日 | 国内外旅行

 

 

【五月十一日、曇りのち雨】 

八時過ぎ、松本に向かう。岐阜から長野に入り、中央自動車道は雨降る状態で運転。一
路昼食休憩場所の蓼科ブライトン倶楽部にある「日本料理  蓼」に向かうが、蓼科高原
は深い霧がかかりフォグランプやライトなしには走れない。おまけにどこにいるのかは
ナビ頼み状態。いけどもいけども目的地につかいない。仕方なしに元来たルートを引き
返し、ほうほうの手で蓼科ビレッジ管理事務所に到着。そして、そこで目の鼻の先に目
的の「蓼科ブライトン倶楽部」を発見。だが、閉鎖中だ
(→ブライトンコーポレーショ
ン(千葉県浦安市)が運営する会員制のリゾートホテル「蓼科ブライトン倶楽部」(茅
野市北山)が、最長で11月までに閉館されることが2月28日、明らかになった。同
ホテルは現在、冬季休館中で、4月12日に開始予定の今期営業は、親会社の長谷工コ
ーポレーション(東京都)が、他の子会社に運営を委託する方向で検討している(蓼科
ブライトン倶楽部 11月までに閉館 - 長野日報
)。前述の管理事務所で彼女が紹介され
た「オーベルジュ・エスポワール」の昼食で移動する。

【オーベルジュ・エスポワール】

オーナーシェフーの藤木徳彦プロフィールの紹介欄に、1998年「オーベルジュ・エスポワ
ール」をオープン。オーナーシェフとして腕を振るう。貧欲に地元食材を追求しており、
地元食材を使った
料理教室や食育講座、大学・高等学校の講師も務める。2008年には農水
害の定める「地産地消の仕事人」に選定される。
地域の食材と環境を活かして、そこでし
か味わえない美味しい料理や、そこでしか楽しむことができない空間でのおもてなしを
提唱し、
「地産地消の仕事人」として全国各地で地域の魅力を発信するための助言を行っ
ている。著書に『
フレンチで味わう信州12ヶ月』がある。日本農業新聞「藤木シェフの
食材発見」、中日新聞「味な提言」連載中。
長野県塩尻市「塩尻キュイジーヌアドバイザー」、
長野県東御市「東御市食の掘り起こしアドバイザー」、長野県千曲市「地産地消
アドバイザ
ー」を務める。松本大学人間健康学部健康栄養学科特別講師。
地産地消を「食べる」と「買う」
から発信するJR松本駅ビル「信州アルプス市場」代表。
2011年1月農水害「FACO食農連携コー
ディネーター」登録-と書かれている。

フランス料理店ということがわかったが、スローフードのコース料理であることがわか
り、内心、これはまずい、箱蕎麦などのファストフードで良いのにと思ったが、これも
なにかの縁だということで案内されたまま、室内テラス風の席に着き、ジビエ(野性鳥
獣)料理を堪能することに?! 

            

【ジビエ料理 cuisine Jibie

森の中を駆ける抜ける野生の獣や鳥を使った料理で狩猟が解禁となる11月半ばから3月
頃までしかロにする事が出来ない冬期限定のフランス料理のひとつ。ジビエ料理に共さ
れるのは猪や鹿・ウサギそれにキジや鳩など。森に住む野生の動物をハンターが仕留め、
それを仕入れて調理する。うまみの詰まった骨は、大きな寸胴鍋で野菜と一緒に煮込み
ソースの素にする。尊い命と引き換えに一匹丸ごと料理して食べて頂くのがジビエ料理。
飼育された動物と違い野生特有の香りがあり、その香りこそが真髄。冷蔵庫で一週間あ
るいは、10日闇値肉を熟成させてさらにうまみを強め、濃厚なソースで頂く。その香り
が苦手な方には仕留めたばかりのフレッシュな肉で調理致する。飲み物は、しっかりと
した赤ワインと一緒に頂くのがジビエ料理の醍醐味とか。

まず、だされたのは、ハーブブレンドティー、信州野菜(オランダ酸のからのアスパラ
ガスもだされたがこれはことわる)。先ず前菜としてパセリペーストを添える温製サラ
ダ仕立て、鹿肉製のソーセージをいただき、とうもろこしポタージュ、自家製燻製とサ
ラダの盛り合わせをいただく。このときゼンマイが洋食としてアレンジされて出された
がこれは、美味しくチョットした驚きとなった。

ハーブブレンドティー
信州野菜の温製サラダ仕立て

信州鹿肉の自家製ソーセージ

とうもろこしのポタージュ
自家製煉製(信州サーモン・鹿肉)の盛り合わせと子豚のパテ

塩漬け豚肩ロースのグリル

最後に、メインディシュとして塩漬け豚肩ロースのグリルを蕎麦のパンといただく。食
事のときも彼女やホールスタッフと感想をはなしたが、オイルを控えめして素朴な素材
の魅力を最大限に引きだした料理の力に感動したことを話し、酸味のきいた赤ワインが
良く合うだろうと、ワインを口に入れ鹿肉を食べている自分のイメージを重ね合わせた。

※ジビエ料理についてこのブログでも掲載したが、昆虫食料理を含めて牛肉食偏重文化
 是正と持続可能社会あるいは多様な食文化への再評価として有用だと考えている。



【空飛ぶ泥船】


オーベルジュ・エスポワールで、空飛ぶ泥船のことをたずねると、パンフレットをスタッ
フがパンフレットを持ってきてくれたので、勘定をすませ、雨の中を「神長官守矢史料
館」へ向かうことにした。これは『スターウォーズ巡礼の明日』のなかで「樹冠都市構
」でも掲載したが藤森照信工学院大名誉教授が制作したもので茅野市が管理。雨がや
まぬ現地に着くと、「神長官守矢史料館」とあるが国道沿いとはいえ民家が散らばった
鄙びた場所で、先ほどの実例もあり、電話を入れることに。そうすると「そこだ」とい
うことで「ここだ」というので会々傘で敷地内に入ると正面の墓地の山の向こう側に空
飛ぶ泥船が見えるので近くまで行き鑑賞、そして少し上がったところには「茶室」が見
えたのでそこまで足を伸ばす。「畸形」ということばが浮かんだ。




 

上の写真の資料館に入ると、年配の男の係員がひとりだけいるだけ。通り一遍の案内を
するだけで、情熱はない。そこで、藤森先生の思いを彼の著書『天下無双の建築学入門』
『建築史的モンダイ』『人類と建築の歴史』の紹介で確認-デザインポリシーは縄文に
あり、
人類が鉄製の道具を手にする弥生の一歩前。摩製石器を入手したあたりにある。
人類史
の中で、正に動物から人間としての文明を築くあたりの生命感に関心があり、ロ
ストの
ように無人島での生活を始めることを余儀なくされたとき、そこにある自然の中
で工夫
しながら生きていくとしたら、縄文的生活になることがイメージされている。例
えば、
(1)竹は日本を含めた東南アジアでの利用がみられ弥生的な材料(2)世界最
古の樹
上住宅はロンドン郊外にあり、夏の快適さをもとめて樹上住宅があった(3)建
築用木材として
は板が一番むずかしく、割り板の製作は弥生をまたねばならなかった、
(4)正倉院の校
倉づくりで、湿気により隙間をコントールしたのはウソだ。急激な湿
度変化の効能はあ
った(5)屋根に花がさくのは芝棟として、当たり前だった(6)日
本で引き戸が多いのは、そ
の為政の構造の違いにより、防御のためには開き扉で内開き
だったなどの根拠をもとにされて
いる-などが説かれている。建築学の造詣は無に等し
いので、時間があればあらためて考えてみたい

※ ブログでの寸評例

明治初期、和洋併置のお屋敷が建てられたのはなぜか? 西洋風と自国風とを共存させ
た建築というのは実は世界的にも珍しいらしい。西洋の建築史ではゴシック様式、ロマ
ネスク様式といった感じに時代区分と建築様式とを結び付けてスタイルの変遷を叙述す
ることができるが、日本では一度成立したスタイルがそのままずっと生き残ったため時
代区分による叙述が難しいのだという。例えば、神社建築や茶室など、時代よりもむし
ろ用途に応じてスタイルが使い分けられていた。従って、明治になって和洋併置の邸宅
が建てられたのも、プライベートでは使い慣れた和風、来客等パブリックな場面では洋
風という形で使い分けを意識していたからではないか。

『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書、2005年)は初学者向けに建築の起源から
説き起こした建築史概説で考古学的話題が大半を占める。上掲の二冊で紹介されたエピ
ソードを通史的にまとめ直した感じで、合わせて読めば頭の整理にうってつけだ。
藤森
さんが設計の方針として第一作から自覚して試みていることとして(1)
過去と現在の
誰の建物にも、青銅器時代以後に成立するどんな様式にも似てはならない(2)
自然と
調和するために、見えるところには自然素材を使い、時には植物を建物に取り込む。以
上の二つという。


【松本市】



諏訪インターから、松本に車を走らせ、松本市内に入る午後三時ごろはまだ雨が降って
いたが、直接、「ホテル花月」にチック・イン。ところで、ホテルは東南アジアからの
観光客でごったがえししていたが、これも中国との関係かもしれないと思った次第。

松本市は、長野県の中央からやや西の所にあり、県庁所在地の長野市から南西へ75km、
東京から西北へ240kmに位置している。2005年の合併後の市域は、西の飛騨山脈(北ア
ルプス、西山、3000m級)から、東の筑摩山地(美ヶ原、東山、2000m級)までと
広大で
あり、長野県内では最も広い(全国の市では20位)。松本市街地(松本駅周辺な
ど)は
、二つの山脈(山地)の間にある松本盆地の中央部、複合扇状地上に位置する(
標高約
600m)、人口243,338人(2012.12.01)。

河川では、上高地方面から流れ出す梓川が市の西部を流れ、奈良井川が市を二分するよ
うに横断している。また、市街地には清流である女鳥羽川が横断している。女鳥羽川は
もとは現在の大門沢川のルートを流れていたと考えられるが、江戸時代はじめに人工的
に流路が変えられ今の姿になった。山では、合併に伴い日本百名山の山が多数松本市に
編入され、岳都(学都、楽都とならび松本市のキーワードとなっている)の側面が強く
なった。松本市には標高第3位の穂高岳や第5位の槍ヶ岳があるが、市街地からは手前の
常念山脈に隠れて見えないため、市民には常念岳や美ヶ原のほうが親しまれている。中
部山岳国立公園、八ヶ岳中信高原国定公園が市内にあり、前者には特別天然記念物のラ
イチョウが生息する。また、景勝地の上高地も市内にある。

市内には多数の扇状地が形成されている。また、松本市はフォッサマグナの上にあり、
松本盆地東縁に沿う糸魚川静岡構造線が旧市街地の西側を通っている。市内南部の牛伏
寺断層も糸魚川静岡構造線を構成する断層の一つとされ、30年以内のマグニチュード6.5
以上の地震発生確率が25.21%と全国で最も高い活断層として地震関連のテレビ番組など
でもよく紹介されている。2011年6月30日午前8時16分頃、長野県中部を中心とする強い
地震が発生し、同市で震度5強を、山形村で震度4を観測した。また、国宝松本城に小さ
なひびが入るなどの被害が出た。市域は5000万年前は海底にあった。

中心市街地は古くは深瀬郷(深志郷)、捧庄(ささげのしょう)または庄内、信濃府中
または信府あるいは信陽などと呼ばれていた。捧庄、庄内の由来は国衙比定地とされる
市東部にあった八条院領の荘園で、現在市内にある本庄、庄内という地名はこの名残で
あると考えられる。「信府」は国府が置かれたことに由来する「信濃府中」の略称「信
陽」はそれを漢文調にしたものである。以上の地名は現在ほとんど使われていない。

現在の市名である松本の由来は諸説あるが、通説では武田氏の侵攻により落ち延びた嘗
ての信濃守護職・小笠原長時の三男小笠原貞慶が1582年に旧領を回復した際に「待つ事
久しくして本懐を遂ぐ」と述懐し改名したとされる(小笠原氏は長らく信濃府中奪還と
いう本懐を抱いており、それが叶ったことから、待つ本懐を→松本懐→松本 と略され
松本となった)。他に、小笠原宗家(府中)が分家(松尾)とのお家騒動に勝利したこ
とを記念したとする説があるが、内訌は約50年前に片付いており、この説は時代的に合
わない。「松本」という氏姓は松本市の「松本」地名よりも遥か昔から存在するが相関
はなく、松本市に松本氏が多いということはない。市役所等によって「広報まつもと」
のようにひらがなで表記されている。

また、松本市周辺や松本地域は松本平、筑摩(つかま/ちくま)(筑摩野(つかまの/ち
くまの)とも)などと呼ばれる。旧県名の筑摩県は、前身の松本町が筑摩郡(1879年以
降は東筑摩郡)に属していたことに由来する。 現在、最も人口に膾炙(かいしゃ)する
のが深志で、太古の松本盆地が湿地帯であったことを示すとされる「深瀬郷」が転訛し
たものであり、現在でも社名、校名などに使われている。女鳥羽川を挟んで北側が北深
志、南側が南深志とされる。

松本市は、甲信越地方の中部、長野県中部(中信地方)に位置する市である。国から特
例市や国際会議観光都市に指定されている。2005年4月1日に梓川村、四賀村、奈川村、
安曇村の4村を、2010年3月31日に波田町を編入した。国宝松本城を中心とする旧城下町
である。幸いにも戦災を免れたことから、旧開智学校(重要文化財)などの歴史的建造
物が多く残る。キャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」、「三ガク都(楽都、
岳都、学都の三つのガク都。音楽、山岳、学問で有名なため)」などがある。市のマス
コットはアルプちゃん。日本で最も古い小学校のひとつ開智学校の開校、改正高等学校
令に基づく全国9番目の官立旧制高等学校である松本高等学校の招致など、教育に熱心
な面があった。また、小沢征爾ら一流の音楽家の集うサイトウ・キネン・フェスティバ
ルの開催、全国に(一部海外にも)広がるスズキ・メソードや花いっぱい運動の発祥、
映画やテレビドラマなどのロケ支援を市が行うなど、文化を尊重する気風は今も健在で
ある。
 
県庁所在地ではないが、FM長野本社、日本銀行松本支店、松本空港、信州大学本部、陸
上自衛隊松本駐屯地などがあり、特に日銀の存在は松本市をして、長野市とともに複眼
構造をなすことにより、県の経済の中心に押し上げる役割も持っとされる。商業販売額
は長野市に次いで県内2
位だが、松本パルコなどの人気の高いアパレル商業施設を抱え
県内各地から消費者が訪れることや、市街地型複合店舗の立地数が県内では最多で、工
業生産額は安曇野市、上田市に次いで県内で3位であり、県内工業の拠点の1つ。近年
高層マンションの建設が相次いでおり、この中でいかに城下町の景観を守るかが課題に
なっている。2008年4月から「市都市景観条例」が改正され、松本城周辺の建築物の高
さ規制が厳しくなることから、現在マンション建設を前倒しする動きが見られる。これ
に対し、周辺住民の反対意識は強く、既に完成した縄手通りのマンション建設には建設
反対運動が起こった。
 

【松本城】

 

  

 

ファイルダウンロード 新規ウインドウで開きます。※ 松本城案内図(PDF:1,093KB)

翌朝、参観地としてホテルの目と鼻の先にある松本城に入場する。ホテルスタッフから
午前八時半開園で九時になると待ち時間ができるので早めに観光した方が良いとのこと
で急ぎ直行くことに。作事と打って変わり快晴の上天気。北アルプスが多少雲がかかっ
ていたが美しく見えた

松本城は、長野県松本市にあった城である。安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造され
た天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は
深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)[1]とも呼ばれ
ている。しかし文献上には烏城という表記は一切ない。
戦国時代の永正年間(1504-1520
年)に、松本平の信濃府中(井川)に井川館を構えていた信濃守護家小笠原氏(府中小
笠原氏)が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわ
れている。後に甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落、武田氏は林城を破棄して深
志城を拠点として松本平を支配下におく。武田氏滅亡後の天正10年(1582年)、徳川家
康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城に改名した。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の結果、徳川家の関東移封が行われ当
時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。代わりに石川数正が入城し、石川数正
とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う。
その後、大久保長安事件に
より石川康長が改易となり、小笠原秀政が返り咲く。大坂の陣以後は、松平康長や水野
家などの松本藩の居城として機能。水野家の後は松平康長にはじまる戸田松平家(戸田
氏の嫡流)が代々居城とした。
享保12年(1727年)には本丸御殿が焼失、以後の藩政は
二の丸で執務がとられたとされる。

2000年(平成12年)には- 松本城周辺市街化区域が都市景観100選に選ばれ、2001年(平
成13年)に- 乾小天守の一般公開を開始。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(29

番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが
開始された。2011年(平成23年)6月30日に長野県中部を震源とする地震により、天守
の壁等25ヵ所にひびが入る被害を受けた。また、埋門の石垣がズレたため、埋橋を渡っ
ての入場が停止されている。典型的な平城。本丸・二の丸・三の丸ともほぼ方形に整地
されている。南西部に天守を置いた本丸を、北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、さらに
それを四方から三の丸が囲むという、梯郭式に輪郭式を加えた縄張りである。これらは
全て水堀により隔てられている。現存122天守の中では唯一の平城
 

 

以下、十一時に松本インターに入り、十一時半には、みどり池パーキングサービスエリアで休憩
をとり箱蕎麦セットを注文し昼食をとり、十四時過ぎに帰宅した。それにしても、雨の高速道路、
霧の蓼科高原道路とはキツイ旅路だ。
  

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スターウォーズ巡礼の明日

2013年05月10日 | 時事書評

 

 


樹冠都市構想】

樹冠都市構想という、まちづくり未来図があるという。動植物の生態・構造を模倣した未来都市と
いう。バイオミミクリーとは生物摸倣とも表し、勤植物の生態や構造を分析し模倣することで、よ
りサステナブルな新しい技術を生み出すこころみだと。そのバイオミミクリーの技術を駆使した未
来の都市
の構想、それが「樹冠都市」なのだ。この未来都市は、緑に覆われている。自然を征服する
べき対象と見る
のではなく、人と他の種が同じ価値を持つというディープ・エコロジーの考え方も
反映させ、都市と森林が融
合している。

人々が居住するのは、高さ二百メートル、地上63階の超高層住宅。アスパラガスにも見えるこの住
宅の建
築材には、鉄筋コンクリートの数倍の強度を持つアワビの殻から生まれた新素材が使われ、
この住居は、地上から七階までが吹き抜けになっている。これは、アフリカのサバンナに生息する白

蟻の巣の構造を模したものだという。この白蟻の巣は土の上に盛り上がった巨大な塚のようになっ
ている
のだが、内部は吹き抜けで、地下の湿った冷気を利用した気化熱で叫の中の温度を調整してい
る。その結結果、昼間50℃にも達し、夜はゼロ℃になる過酷な環境ににありながら、巣の中は30℃

前後に保たれる。さらに、チムニー効果と土の通気性で、巣の中は常に空気が循環している。アス
パラガス住居は、この構造を取り入れて、電気のいらない空調、換気システムを実現。また、年間
を通して安定した温度に保たれている地表に近い地下にチューブを通し、森と住居を繋ぐこと
で、夏
は涼しく、冬は暖かい空気を住居に送り込んでいる。

この住居の1フロアの住民数は約50人。フロアの各地に井戸端スペースが設けられていて、住民同
士の交流の場になっている。樹冠都市では、人間活動による環境負荷を減らすために、人間が占有
する地表面積をなるべく小さくなるよう設計されていて、例えば単身者用の小住宅は2メートル四方
と小ぶりなつくりだが、その分、井戸端スペースに人が集まる。シェアハウスのようなイメージだ。
藤森照信工学院大学教授によるこのような記事を読んでいたら、映画「スターウォーズ エピソード
1/ファントム・メナス」やジョージルーカスを思いだし、本棚にあった「
スターウォーズ エピソード
1/ファントム・メナス」(ソニーマガジンズ)を取りページをめくりながら、チューイングガムを噛むように、“柔
軟で自由な発想時代”を懐かし思い出していた。

 




【スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス】



マルチ・トルーブ・トランスポート「大型兵員輸送車=MTT」


MTTのコンセプト・デザイン・モデル:ルーカスは巨大で、蒸気機関車を思わせ、ホパー移動し、
沼だろうが何だろうが、お構いなしに突き進んでいくような乗り物を要求していた。そこで、ダク・
チャンは衛角艦を思わせるデザインを揚いたその後、いかにも蒸気機関車らしく、かつリポルパー
拳銃の回転弾装を洗練させたようなデサインを試し、最終的に「おでこが高い位置にあり、回転砲
という「牙」を持った動物--今回は象なのたか ペースのデザインになった。ルーカスはこのデ
ザインを気に入り、タク・チャンはこれを多少洗練させて完ぼバージコンに仕上げたという。

 

         すべてのデザインは
         デザインのためのものであってはならない

                           ジョージ・ルーカス

 

 

 

 

 

 

  「彼があなたに話したのはそれだけ?」と沙羅が尋ねた。
 「とても短いミニマルな会話だった。これ以上正確に再現のしようもないよ」とつくるは言っ
  た。
  二人はバーの小さなテーブルをはさんで話をしていた。
 「そのあと彼と、あるいは他の三人の誰かと、そのことについて話をする機会はあった?」と
 沙羅は尋ねた。

  つくるは首を振った。「いや、それ以来誰とも何も話していない」
 沙羅は目を細めてつくるの顔を見た。物理的に理屈の通らない風景を検証するみたいに。
 「まったく誰とも?」誰とも会ってもいないし、話してもいない」
 沙羅は言った。「どうして自分がそのグループから突然放り出されなくてはならなかったの
 か、その理由を知りたいとは思わなかったの?」
 「どう言えばいいんだろう、そのときの僕には、何もかもがどうでもよくなってしまったんだ。
 鼻先でぴしゃりとドアが閉められ、もう中に入れてもらえなくなった。その理由も教えてもら
 えなかった。でももしそれがみんなの求めていることなら、それで仕方ないじゃないかと思っ
 た」
 「よくわからないな」と沙羅は本当によくわからないように言った。「それは誤解がもとで起
 こったことかもしれないじゃない。だってあなたの方には思い当たる節がまるでなかったんで
 しょう? そういうのを残念だとは思わなかったの? つまらないずれ違いが原因で、大事な
 友だちをなくしてしまったかもしれないことを。努力すれば修正できたかもしれない誤解を修
 正しなかったことを」


  つくるは小さく首を振った。「明くる日の朝、家族には適当な理由をつけ、そのまま新幹線
 に乗って東京に帰った。何はともあれそれ以上一日も名古屋に留まりたくなかった。それ以外
 のことは考えられなかった」
 「もし私があなただったらそこに留まって、納得がいくまで原因を突き止めるけどな」と沙羅
 は言った。
 「僕はそこまで強くなかったんだ」とつくるは言った。
 「真相を知りたいとは思わなかったの?」
  つくるはテーブルの上に置いた自分の両手を眺めながら注意深く言葉を選んだ。「その原因
 を追及して、そこでどんな事実が明るみに出されるのか、それを目にするのがきっと怖かった
 んだと思う。真相がどのようなものであれ、それが僕の款いになるとは思えなかった。どうし
 てかはわからないけど、そういう確信のようなものがあったんだ」
 「今でもその確信はあるの?」
 「どうだろう」とつくるは言った。「でもそのときはあった」
 「だから東京に戻って一人で部屋にこもり、目をつぶり、耳を塞いでいた」
 「簡単にいえば」

  沙羅は手を仲ばし、テーブルに置かれたつくるの手に重ねた。「かわいそうな多崎つくるく
 ん」と彼女は言った。その柔らかな手のひらの感触が、彼の全身にゆっくり伝わっていった。
 少しあとで彼女は手を難し、ワイングラスを口に運んだ。

 「それ以来、名古屋には必要最低限しか帰っていない」とつくるは言った。「用事があって帰
 郷しても、なるべく家から出ないようにしていたし、用事が終わればすぐに東京に戻った。母
 と姉たちは心配して、何かあったのかとしつこく尋ねたけど、僕はいっさい説明をしなかった。
 そんなことはとても口に出せない」
 「その四人が今どこにいて、何をしているか、そういうことは知っている?」
 「いや、何も知らないな。誰も敦えてくれなかったし、正直言って知りたいとも思わなかった
 から」
  彼女はグラスを回して赤ワインを揺らせ、その波紋をしばらく眺めていた。誰かの運勢でも
 見るみたいに。それから□を開いた。
 「それは私にはずいぶん不思議なことに思える。つまり、そのときの出来事はあなたの心に大
 きなショックを与えたし、あなたの人生をある程度書き変えてしまった。そうよね?」
  つくるは短く肯いた。「僕はそれが起こる以前とは、いろんな意味あいで、少し違う人間に
 なってしまったと思う」
 「たとえばどんな意味あいで?」
 「たとえば、自分が他人にとって取るに足らない、つまらない人間だと感じることが多くなっ
 たかもしれない。あるいは僕自身にとっても」

  沙羅は彼の目をしばらくじっと見ていた。それから真剣な声で言った。「あなたは取るに足
 らない人間でもないし、つまらない人間でもないと思う」
 「ありがとう」とつくるは言った。そして自分のこめかみを指先でそっと押さえた。「でもそ
 れは僕の頭の中の問題なんだ」
 「まだよくわからないな」と沙羅は言った。「あなたの頭には、あるいは心には、それともそ
 の両方には、まだそのときの傷が残っている。たぶんかなりはっきりと。なのに自分がなぜそ
 んな目にあわされたのか、この十五年か十六年の間その理由を追及しようともしなかった」
 「なにも真実を知りたくないというんじゃない。でも今となっては、そんなことは忘れ去って
 しまった方がいいような気がするんだ。ずっと昔に起こったことだし、既に深いところに沈め
 てしまったものだし」
  沙羅は薄い唇をいったんまっすぐ結び、それから言った。「それはきっと危険なことよ」

 「危険なこと」とつくるは言った。「どんな風に?」
 「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもた
 らした歴史を消すことはできない」。沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。「それだけは覚え
 ておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという
 存在を殺すのと同じだから」
 「どうしてこんな話になってしまったんだろう?」、つくるは半ば自分自身に向けてそう言っ
 た。むしろ明るい声で。「この話はこれまで誰にもしたことはなかったし、話すつもりもなか
 ったんだけど」
  沙羅は淡く微笑んだ。「誰かにその話をしちゃうことが必要だったからじゃないかしら。自
 分で思っている以上に」

 

 
                                      PP.35-40                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 

 

 

 

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奇蹟の巡礼の明日(あさ)

2013年05月09日 | 時事書評

 

 

 

東京ドームでの息づまりような阪神-巨人戦をテレビ観戦していたが、あらためて勝負の機微とい
うか、選手たちが織りなす人間模様の摂理の不思議さに驚く。その場面はいくらでもあったが、サ
ンスポの記事にあるように-ひしゃげた白球が一塁の手前でポ
ーンと弾み、一塁手・脇谷の頭上を
越えた。スタートをきっていた一走・田上が快足を飛ばして一気
に生還。奇跡だ!奇跡が起きた。
延長十二回二死一塁で代打として登場し決勝の右翼線二塁打を放った桧山進次郎外野手(43)が
ニ塁上で2度ガッツポーズ-延長12回の攻防の見応えの余韻はながく糸を引いた。投手のボール
に掛かる微妙な指先の加減ひとつ、全身を被せ踏み込み投げ込む身体バランスひとつ、それを迎え
撃つ打者の球種の読みとの駆け引きの結果が招くバットスイングの軌道ひとつ、対戦場面に併せた
野手の布陣位置から、打ち返されたボールへの反応ひとつと無数に想定される結末はひとつ。無情
にも、守備体形の不適合を嘲笑うかのように脇谷の頭上をすり抜ける。これぞ「野球万華鏡」。わ
たしみたいな無精な似非阪神フアンにも、アンチ阪神フアンにも間違いなく堪能させてくれた。





セカンドライフに入って最大の成果?というのが、家庭菜園や草木の生命を生き生きと実感できた
ことにある。最近は、人間がやさしく接すると草木もそれに反応するという確信をえたことだ。そ
んな思いを裏付けるような研究が報告された。つまり、植物は化学物質のにおいをかぐ「嗅覚」や、
隣人に反射した光を見る「視覚」に加え、周囲の音を聞く「聴覚」も備わっている可能性があると
いう研究だ。西オーストラリア大学の進化生態学者モニカ・ガリアーノ(Monica Gagliano)らによ
ると、隣の植物の音を「聞いた」植物は、自ら成長を促進させ、あるいは音響信号を利用してコミ
ュニケーションを取っている可能性があるという。植物が“良き隣人”を認識することを実証し、
このコミュニケーションは音響的な信号の交換に基づくと考えられると話す。つまり、植物は化学
物質のにおいをかぐ「嗅覚」や、隣人に反射した光を見る「視覚」に加え、周囲の音を聞く「聴覚」
も備わっている可能性もあり、「植物は、私たちの想定よりもずっと複雑な生物体だ」という。


例えば、バジルなど、雑草や害虫を防ぐ「良き隣人」の隣にトウガラシを植える実験を行ったとこ
ろ、単独で植えたときよりも早く発芽し、健やかに成長することが確認され、また。光や化学物質
の信号を遮断できぬように黒いプラスチックで隣の植物と遮断した場合でも同じ結果を得たという。
つまり、トウガラシの若木は、隣の植物の種類を認識し、それに応じて成長しているようなのだと。
意図的かどうかは別にして、植物細胞の内部で生成される音響振動がカギを握っているのだろうと
推測している。「音というのは、媒体の制限が少なく、非常にしっかりと伝わる。したがって、振
動に基づくコミュニケーションは最も簡単で直感的な方法といえる」と。すでに、同研究チームは
昨年の研究で、トウガラシが、ハーブの一種のフェンネル(ウイキョウ)など、ほかの植物の成長
を阻害する化学物質を放出する「悪しき隣人」に囲まれたときそれを認識することを実証している。

また、カリフォルニア大学デービス校の生態学者リチャード・エバンス(Richard Evans)は、今回の
研究を受け、詳細な分析が必要だが、非常に興味深い成果だ。未知のコミュニケーション手法の存在が確
かめられたとする。
コミュニケーションの秘密が解明できれば、人類にとっても実用的なメリットがあると話し、
例えば、農業で音を利用すれば、特定の植物の成長を促進したり、抑制したりすることが可能になり、化学
肥料や農薬などが不要になるかもしれないというのだ。また、
研究チームの一員で、同じく西オーストラリア
大学に所属するマイケル・レントン(Michael
Renton)は、ただし、音の影響の規模はかなり小さいかも
しれないと話し、発芽速度をほんの少し早めるだけであれば、わざわざ音楽をかけるのは経済的に
割に合わない可能性がある。今後の研究で確かめていきたいとも語っている。

 



奇蹟的なという言葉が、こんなに日常的に感じられるのはやはり、科学技術の急伸のたまものであ
ると思っている。と言っても、植物と人間のとの関係で言えばギリシャ神話や古代からの物語や精
霊信仰などでもそれらしく表現伝承されてきた。その関係性を科学技術が確証担保し、それがまた
関係を深化させるというわけで、かって物理学上の想像物質がいまでは確証されてきている。例え
ば、遺伝子的側面からは遺伝子検査・遺伝子診断が実用段階に入り、新規事業として急速に拡大し
ていくだろう

  

有り体に言うと、定期的な微量採血による遺伝子診断システムにより健康管理が当たり前に行われ
る社会が実現しているだろう。

 

  

 

    それが起こったのは大学一年生の夏休みだった。そしてその夏を境に多岐つくるの人生は、
 以前とは成り立ちの異なるものになってしまった。鋭く切り立った尾根が前後の桂物相を一変
 させるみたいに。
  彼はいつものように、大学が休みに入るとすぐに荷物をまとめ(たいした荷物はない)、新
 幹線に乗った。そして名古屋の実家に帰ってI息つくと、すぐに四人の家に電話をかけた。し
 かし誰とも連絡がとれなかった。四人とも外出しているということだった。きっとみんなで揃
 ってどこかに出かけているのだろう、電話に出たそれぞれの家族に伝言を残し、一人で街に出
 て散歩し、繁華街の映画館に入ってとくに見たくもない映画を見て時間を潰した。帰宅して家
 族と一緒のタ食をとってから、もう一度四人の家に電話をかけてみた。まだ誰も帰っていなか 
 
った。



  
  翌日の昼前に再び電話をかけてみたが、同じように全員が不在だった。彼はまた伝言を残し
 た。もし帰ってきたら、こちらに電話をもらいたいと。わかった、そのように伝えると、電話
 に出た家族は言った。しかしその声の響きに含まれた何かが、つくるの心にひっかかった。最
 初の日は気づかなかったのだが、普段の声とは微妙に印象が違う。人々はなぜか、彼と親しく
 話をすることを避けているように感じられた。一刻も早く電話を切りたいという気配がそこに
 はあった。とくにシロの姉の声はいつもよりずいぶん素っ気なく響いた。つくるはその二歳年
 上のお姉さんと気が合って(妹ほど目立たないけれど、やはり美しい女性だ)、シロに電話を
 するついでに、機会があればちょっとした冗談を交換するのが常たった。少なくとも親しげな
 挨拶くらいは交わした。しかし彼女は今回、いやにそそくさと電話を切った。四人の家に電話
 をかけ終えたあと、つくるは自分がたちの悪い特殊な病原菌の保侍者になったような気がした。

  何かがあったのかもしれないとつくるは思った。自分かいない間にここで何かが起こって、
 それで人々は彼に対して距離を置くようになったのだ。なにかしら不適当な、好ましくない出
 来事が。しかしそれがいったいどんなことなのか、どんなことであり得るのか、いくら考えて
 も思い当たる節はなかった。

  胸に間違った何かの塊を呑み込んでしまったような感触が残った。それを吐き出すことも、
 消化することもできない。その日は家から一歩も出ず、電話がかかってくるのを待った。何か
 をしようとしても意識が集中できなかった。自分か名古屋に帰ってきたことは四人の家族に繰
 り返し伝えた。いつもならすぐにでも電話がかかってきて、弾んだ声が聞こえるところだ。し
 かし電話のベルはいつまでも堅く沈黙を守っていた。

  夕方になって、もう一度こちらから電話をかけてみようかとつくるは思った。しかし思い直
 してやめた。みんな本当は家にいたのかもしれない。しかし電話に出たくなかったので、居留
 守を使ったのかもしれない。家族に「もし多崎つくるから電話があったら、自分はいないと言
 っておいて」と頼んだのかもしれない。だから電話に出た家族は妙に居心地の悪い声を出して
 いたのだ。

  なぜ?
  理由は思い浮かばない。この前グループの全員が集まったのは五月の連休だった。つくるが
 新幹線に東って東京に戻るとき、四人はわざわざ駅まで見送りに来てくれた。そして列車の窓
 に向けてみんなで大げさに手を振ってくれた。まるで遠い辺境の地に出征する兵士を見送るみ
 たいに。

  そのあとつくるは東京からアオにあてて何通か手紙を書いた。シロがコンピュータを苦手と
 していることもあり、彼らは日常的に紙の手紙をやりとりした。そしてアオがその代表窓口の
 役を引き受けていた。彼に手紙を出せば、それはほかのメンバーにも回覧される。そうすれば
 似たような手紙を四通、個別に書く手間は省ける。彼は主に東京での生活について書いた。自
 分がそこでどんなものを目にして、どんな体験をして、どんなことを感じているか。何を見る
 にしても、何をするにしても、みんながそばにいてくれたらどんなに楽しいだろうといつも思
 っている。それは彼が本当に感じていることだった。それ以外、たいしたことは何も書いてい
 ない,
 
  四人の方も何度か連名でつくるに手紙を書いてきたが、そこにもネガティブなことは書かれ
 ていなかった。彼らが名古屋でどんなことをしているかが詳しく報告されているだけだ。みん
 なは生まれ育った街で、学生生活を存分に楽しんでいるようだった。アオが中古のホンダ・ア
 コードを買って(後部席には犬の小便のように見える染みがついている)、それに乗ってみん
 なで琵琶湖まで遊びに行った。五人が楽に乗れる車だ(誰かが過剰に太りすぎない限り)。つ
 くるがいないのが残念だ。夏にまた再会できるのを楽しみにしている、と最後にあった。つく
 るの目には、本心からそう書かれているように見えた。
 
  その夜はうまく眠れなかった。気が高ぶり、いろんな多くの思いが頭を去来した。しかし結
 局のところそれらは、いろんな形状をとったひとつの思いに過ぎなかった。方向感覚を失った
 人のように、つくるは同じ場所をただぐるぐると巡回していた,ふと気がつくと前と同じ場所
 に戻っていた。やがてそのうちに彼の思考は、頭の溝がつぶれたネジのように、前にも後ろに
 も進めなくなった。

  午前四時まで彼はベッドの中で起きていた。それから少しだけ眠り、六時過ぎにまた目を覚
 ました.食事をとる気にはなれなかった。オレンジジュースをグラスに一杯飲んだが、それで
 も軽い吐き気がした。家族はつくるが急に食欲を失ったことについて心配したが、なんでもな
 いと彼は答えた。ただちょっと胃が疲れているだけなんだと。
  その日もつくるはずっと家にいた。電話の前で横になって本を読んでいた。あるいは本を読
 もうと努力していた。昼過ぎに四人の家にもう一度電話をかけてみた。気は進まなかったが、
 こんなわけのわからない気持ちを抱え込んだまま、ただ電話がかかってくるのを待ち続けるわ
 けにはいかない。

  結果は同じだった。電話に出た家族は素っ気なく、あるいは申し訳なさそうに、あるいは過
 度に中立的な声で、彼らが家にいないことをつくるに告げた。つくるは短く、しかし丁重に礼
 を言って電話を切った。今回は伝言を残さなかった。おそらく白分かこんな事態が続くことに
 耐えられないのと同じように、彼らも毎日居留守を使い続けることに耐えられなくなるはずだ。
 少なくとも実際に電話に出る家族は音を上げるはずだ。つくるはそう踏んでいた。こちらから
 電話をかけ続けていれば、そのうちに何かしらの反応があるに違いない。
 予想通り、夜の八時過ぎにアオから電話がかかってきた。

 「悪いけど、もうこれ以上誰のところにも電話をかけてもらいたくないんだ」とアオは言った。
  前置きらしきものはなかった。「やあ」も「元気か?」も「久しぶりだな」もない。冒頭の
 「悪いけど」というのが彼の口にした唯一の社交的言辞だった。
 つくるは一度息を吸い込み、相手の口にした言葉を頭の中で反復し、素早く考えを巡らせた。
 その声に含まれた感情を読み取ろうとした。しかしそれはただ形式的に読み上げられた通告に
 過ぎなかった。感情の入り込む隙間もない。
 「電話をかけてほしくないとみんなが言うのなら、もちろんかけない」とつくるは答えた、言
 葉はほとんど自動的に出てきた。ごく普通の冷静な声で言ったつもりだったが、それは彼の耳
 には自分の声ではなく、見知らぬ人間の声として響いた。どこか遠い街に住んでいる、まだ一
 度も会ったことのない(そして今後会うこともないであろう)誰かの声として。
 
 「そうしてくれ」とアオは言った。
 「人のいやがることをするつもりはないよ」とつくるは言った。
 アオはため息とも同意の呻きともつかない声を出した。
 「ただ、どうしてそういうことになったのか、できれば理由を知りたい」とつくるは言った。
 「それはおれの□からは言えないよ」とアオは言った。
 「誰の目からだったら言えるんだ?」
 電話の向こうでしばし沈黙があった。厚い石壁のような沈黙だ。鼻息が微かに聞こえた。つ
 くるはアオの平べったい肉厚の鼻を思い浮かべながらそのまま侍った。
 「自分で考えればわかるんじゃないか」、アオはやっとそう言った。
 つくるは一瞬言葉を失った。この男は何を言っているのだろう? 自分で考える? これ以
 上いったい何を考えればいいんだ? これ以上深く何かを考えたら、おれはもうおれではなく
 なってしまう。

 「こんな風になって残念だ」とアオは言った。
 [それは全員の意見なのか?」
 「ああ。みんな残念に思っている」
 「なあ、いったい何かあったんだ?」とつくるは尋ねた。
 「自分に聞いてみろよ」とアオは言った。哀しみと怒りの震えが僅かにそこに聴き取れた。し
 かしそれも一瞬のことだった。つくるが言うべきことを思いつく前に電話は切れた。



                                      PP.29-35                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 

 



  文学作品は意味論としては何も語らないで、腹話術のようにたくさんのことを語れる器だといっ
 ていい。わ
たしはこの作家はまだやれるとおもった。その条件は創造のモチーフに含まれている〈自足〉
 をやぶることで、言葉の無意識の井戸に、重鉛を下ろすことだとおもえる。

                                 吉本隆明 刊行年 1994
     「村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第1部・第2部 新潮社;消費のなかの芸(21)」
                         掲載誌名 Cut卷5、号6、PP.112-113


 

 

【イタリア版食いしん坊万歳】

グリーンピースのタマネギ炒め Piselli con la cipolla

おいしく作るには、グリーンピースは新鮮で粒が小さく、柔らかいものを選ぶべきである。料理の作り方は簡
単で油を熟した鍋に、薄く刻んだタマネギを入れ、タマネギがしんなりしたら、グリーンピースを加え,数回か
きまわし、塩、コショウで味付けをして、さらに砂糖を加え、もう一度かき混ぜて煮えたらできあがり。

 

 

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五人巡礼の明日

2013年05月08日 | 時事書評

 

 

 

  「君の高校時代はどんなだったの?」と多崎つくるは尋ねた。
  沙羅は首を振った。「私の高校時代のことなんて、どうでもいいの。けっこうつまらない話
 だから。またいつか話してあげてもいいけれど、今はあなたの話が聞きたい。その仲良し五人
 組のグループはどうなったのかしら?」
  つくるはナッツをひとつかみ掌に載せ、いくつか口に運んだ。
 「僕らの間には、口には出されないけれど、いくつかの無言の取り決めがあった。『可能な限
 り五人で一緒に行動しよう』というのもそのひとつたった。たとえば誰かと誰かが二人だけで
 何かをしたりするのは、できるだけ避けようと。そうしないとやがてグループがばらばらにほ
 どけてしまうかもしれない。僕らはひとつの求心的なユニットでなくちゃならなかった。なん
 て言えばいいんだろう、乱れなく調和する共同体みたいなものを、僕らは維持しようとしてい
 た」

 「乱れなく調和する共同体?」。そこには純粋な驚きが聞き取れた。
 つくるは少し頬を赤らめた。「高校生だから、いろんなおかしなことを考える」
  沙羅はつくるの顔をじっと見ながら、少しだけ首を傾げた。「おかしいとは思わない。でも
 その共同体は何を目的としていたのかしら?」
 「グループのそもそもの目的はさっきも言ったように、学習能力や学習意欲に問題がある子供
 たちを集めたスクールの手伝いをすることだった。それが出発点だったし、もちろんそれは僕
 らにとってずっと変わらず大事な意味を持っていた。でも時間が経つにつれて、僕らがひとつ
 の共同体であるということ自体が、ひとつの目的になっていったかもしれない」
 「それが存在し、存続すること自怖がひとつの目的だった」
 「たぶん」

  沙羅は目を硬く細めて言った。「宇宙と同じように」
 「宇宙のことはよく知らない」とつくるは言った。「でもそのときの僕らには、それがすごく
 人事なことに思えたんだ。僕らの間に生じた特別なケミストリーを大事に護っていくこと。風
 の中でマッチの火を消さないみたいに」
 「ケミストリー?」
 「そこにたまたま生まれた場の力。二度と再現することはないもの」
 「ビッグバンみたいに?」
 「ビッグバンのこともよく知らない」とつくるは言った。




  沙羅はモヒートを一口すすり、ミントの葉のかたちをいくつかの角度から点検した。そして
 言った。
 「ねえ、私はずっと私立の女子校で育ったから、公立技のそういう男女混合のグループみたい
 なことは、正直言ってよくわからないの。どういうものなのかうまく想像できない。あなたた
 ち五人は、その共同体を乱れなく存続させるために、それをできる限り禁欲的なものにしよう
 と努めていた。つまりそういうことになるのかしら?」
 「禁欲的という言葉がふさわしいかどうか、それはよくわからない。それほど大げさなものじ
 ゃなかったような気がする。でもたしかに僕らは、そこに異性の関係を持ち込まないように注
 意し、努めていたと思う」
 「でもそれは言葉には出されなかった」と沙羅は言った。
  つくるは肯いた。「言語化はされなかった。ルールブックみたいなものがあったわけでもな
 い」

 「それで、あなた白身はどうだったの? ずっと一緒にいて、シロさんや、クロさんには心を
 惹かれなかったの? 話を聞いていると、二人ともなかなか魅力的な人たちに思えるけど」
 「どちらの女の子も実際に魅力的だったよ。それぞれに。心を惹かれなかったと言ったら嘘に
 なる。でも僕としてはできるだけ彼女たちのことは考えないようにしていた」
 「できるだけ?」
 「できるだけ」とつくるは言った。また頬が少し赤らんだような気がした。「どうしても考え
 なくちゃいけないときは、二人を一組として考えるようにしていた」
 「二人を一組として?」
  つくるは間を置いて適切な言葉を探した。「うまく説明できないんだけど、どう言えばいい
 んだろう。つまり一種の架空の存在として。肉体を固定しない観念的な存在として」
 「ふうん」と沙羅は感心したように言った。そしてそれについてひとしきり考えを巡らせてい
 た。何かを言いたそうにしたが、思い直して□をまっすぐ閉じた。しばらくしてその目を開い
 た。

 「あなたは高校を卒業すると東京の大学に入学し、名古屋を離れた。そうね?」
 「そうだよ」とつくるは言った。「それ以来ずっと東京で暮らしている」
 「ほかの四人の人たちはどうしたの?」

 「僕以外の四人はみんな地元の大学に進んだ。アカは名古屋大学の経済学部に入った。父親が
 教授をしている学部だよ。クロは英文科が有名な私立の女子大に入った。アオはラグビーが強
 いことで有名な私立大学の商学部に推薦で入った。シロは結局周囲に説得されて獣医学校に進
 むことはあきらめ、音楽大学のピアノ科に落ち着いた。どの学校もそれぞれの自宅から通学で
 きる距離にあった。僕だけが東京の工科大学に進んだ」
 「どうしてあなたは東京に出て行く気になったの?」

 「とても簡単な話だよ。駅舎建築の第一人者として知られている教授がその大学にいたんだ。
 駅の建築は特殊なもので、普通の建築物とは成り立ちが違うから、普通の工科系大学に進んで
 建築やら土木を学んでも、あまり実際の役には立だない。スペシャリストについて専門的に勉
 強する必要がある」
 「限定された目的は人生を簡潔にする」と沙羅は言った。つくるもそれに同意した。
  彼女は言った。「それで、他の四人が名古屋に留まったのは、その美しい共同体を解散した
 くなかったからかしら?」
 「三年生になったときに、五人で進路について相談をした。僕以外の四人は名古屋に留まって
 地元の学校に進むつもりだと言った。はっきり□には出されなかったけれど、グループを解体
 したくないから彼らがそうするんだということは明らかだった」

  アカは成績からすれば、東京大学にも楽に入れたはずだし、親も教師もそれを強く勧めた。
 アオにしてもその運動能力からすれば、全国的に名を知られる大学の推薦を受けることもでき
 ただろう。クロのキャラクターはより洗練された、知的刺激のある都会の自由な生活に向いて
 いたし、本来なら当然東京の私大に進んだはずだ。名古屋ももちろん大都会ではあるけれど、
 文化的な面をとりあげれば、東京に比べてうすらでかい地方都市という印象は否めない。しか
 し彼らはあえて名古屋に残ることを選んだ。それぞれに進む学校のレベルを一段階落として。
 ただシロだけは、グループの存在がなくても、最初から名古屋を出ることはなかっただろう。
 彼女は積極的に外に出て、刺激を求めるタイプではなかった。

 「おまえはどうするのかと訊かれて、まだはっきり決めていないと僕は答えた。でも実際はそ
 のときには、東京の大学に進もうと心を決めていた。僕だってできることなら名古屋に残って、
 地元のまずまずの大学に進み、適当に勉強をしながら、みんなと一緒に仲良くやっていたかっ
 たよ。いろんな意味でその方が楽だったし、家族も僕がそうすることを望んでいた。大学を出
 て、父親の経営する会社を継ぐことを、それとなく期待されていた。でもここで東京に出て行
 かないと、あとになって悔いが残るだろうと自分でわかっていた。僕はどうしてもその教授の
 ゼミに入りたかったんだ」
 「なるほど」と沙羅は言った。「それで、あなたが東京に行くことになって、あとの人たちは
 そのことをどう感じたのかしら?」

 「みんなが本当にどう思っていたか、そこまではもちろんわからない。でもたぶんがっかりし
 たんじゃないかと思う。僕が抜けることで、五人の間に生まれた最初の一体感みたいなものは、
 いったん失われてしまうわけだから」
 「ケミストリーも消えてしまう」
 「あるいは性質の連うものになってしまう。もちろん多かれ少なかれ、ということだけど」
 しかし彼らはつくるの決心が堅いことを知ると、引き留めたりはしなかった。むしろ励まし
 てくれた。東京とは新幹線なら一時間半くらいの距離だ。いつだってすぐ帰ってこられるじゃ
 ないか。それに志望校に合格できるとは限らないものな、と彼らは冗談半分に言った。実際そ
 の大学の入学試験に合格するには、つくるはこれまでになく--いや、ほとんど生まれて初め
 て--真剣に勉強をしなくてはならなかった。

 「で、高校を卒業したあと、その五人組はどういう経過を辿ったの?」と沙羅は尋ねた。
 「最初のうちはとてもうまくやっていた。春と秋の連休も、夏休みも正月の休みも、大学が休
 みになれば僕はすぐに名古屋に戻り、少しでも多く長くみんなに会うようにした。僕らは以前
 
と同じように仲良く、親密につきあった」
  つくるが帰郷している問、久しぶりに顔を合わせるということもあって、話題は尽きなかっ 
 た。彼らはつくるが街を離れたあと四人で行動していた。しかし彼が帰郷すると、以前と同じ
 五人単位に笑った(もちろん誰かに用事があって全員が揃わないときには、三人か四人になっ
 たわけだが)。地元に残った四人は、時間の中断などなかったようにすんなりとつくるを受け
 入れてくれた。前とはどこか微妙に空気が違うとか、目に見えない隙間が生じていたとか、そ
 ういう感覚は少なくともつくるの側にはまるでなかった。彼はそのことを嬉しく思った。だか
 ら東京に一人の友人もいないことも、さして気にならなかった。
  沙羅は目を細めてつくるの韻を見た。そして言った。「あなたは東京で一人も友だちを作ら
 なかったの?」

 「うまく友だちが作れなかったんだ。どうしてか」とつくるは言った。「僕はもともとが社交
 的なタイプじゃない。でも、閉じこもっていたとか、そういうことじゃないんだ。僕にとって
 は生まれて初めての一人暮らしだったし、何をするのも自由だった。それなりに楽しく日々を
 送っていた。東京には鉄道が網の目のように張り巡らされ、無数の駅があったし、見て回るだ
 けで時間がつぶれた。いろんな駅に行って、その構造を調べ、簡単なスケッチをし、気がつい
 たところをノートにメモした」
 「とても楽しそう」と沙羅は言った。

  しかし大学での日々はとくに面白いものではなかった。一般教養課程では専門分野の講義は
 少なかったし 大方の授業は凡庸で退屈だった。それでもせっかく苦労して入った大学なのだ
 からと思って、授業にはほぼすべて出席した。ドイツ語とフランス語も熱心に勉強した。英会
 話のラボにも通った。自分が語学の習得に向いているというのも、彼にとっては新しい発見だ
 った。しかしつくるのまわりには、個人的に興味を惹かれる人物が一人も見当たらなかった。
 高校時代に彼が巡り合ったカラフルで刺激的な四人の男女に比べれば、誰も彼も活気を欠き、
 平板で無個性に見えた。深くつきあいたい、もっと話をしたいと思う相手には一度も出会えな
 かった。だから東京では大方の時間を一人で過ごした。そのおかげで前より多く本を読むよう
 になった。
 「淋しいとは思わなかったの?」と沙羅は尋ねた。



 「孤独だとは思ったよ。でもとくに淋しくはなかったな。というか、そのときの僕にはむしろ
 そういうのが当たり前の状態に思えたんだ」
  彼はまだ若く、世の中の成り立ちについて多くを知らなかった。また東京という新しい場所
 は、それまで彼が生活を送っていた環境とは、いろんなことがあまりに違っていた。その違い
 は彼が前もって予測した以上のものだった。規模が大きすぎたし、その内容も桁違いに多様だ
 った。何をするにも選択肢が多すぎたし、人々は奇妙な話し方をしたし、時間の進み方が速す
 ぎた。だから自分とまわりの世界とのバランスがうまくつかめなかった。そして何より、その
 ときの彼にはまだ戻れる場所があった。東京駅から新幹線に乗って一時間半ほどすれば、「乱
 れなく調和する親密な場所」に帰り着くことができた。そこでは穏やかに時間が流れ、心を許
 せる友人たちが彼を待っていてくれた。
  沙羅は尋ねた。「それで今のあなたはどうなの? あなた自身とまわりの世界とのバランス
 はうまくつかめている?」

 「今の会社に十四年間勤めている。職場にとくに不満はないし、仕事の内容も気に入っている
 同僚ともうまくやっている。これまで何人かの女性と交際した。どれも結局実を結はなかった
 けれど、それにはまあいろんな事情もある。僕のせいばかりじゃない」
 「そして孤独だけど、とくに淋しくはない」
  時間はまだ早く、二人の他に客はいなかった。小さな音でピアノ・トリオのジャズがかかっ
 ている。
 「たぶん」とつくるは少し迷ってから言った。
 「でも戻るべき場所はもうないのね? あなたにとっての乱れなく調和する親密な場所は」
  彼はそのことについて考えてみた。あらためて考える必要もなかったのだけれど。「もうそ
 れはない」と彼は静かな声で言った。

  その場所が消え失せてしまったことを知ったのは、大学二年生の夏休みだった。


                                      PP.20-28                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』




 

 

   

 

 
特開2013-080928 マルチセンサの太陽光収集システム


【符号の説明】

100 太陽光収集システム 110 集束要素 120 光ビーム 130a 太陽電池の組 130b
太陽電池の組 
130c 太陽電池の組 130d 太陽電池の組 130e 太陽電池の組 130f
太陽電池の組 
130g 太陽電池の組 130h 太陽電池の組 130i 太陽電池の組 140
マルチセンサの太陽電池 
150 平面状の取付け台 160 光 170 光源 180 太陽追跡装
置 190 容器 400 太陽光収集システム 
410 集束要素 430a 太陽電池の組 430b
太陽電池の組 430c 太陽電池の組 430d 太陽電池の組 
430e 太陽電池の組 430f
太陽電池の組 430g 太陽電池の組 430h 太陽電池の組 430i 太陽電池
組 440 マ
ルチセンサの太陽電池 450 平面状の取付け台 480 太陽追跡装置 490 容器


高性能(量子ドット)太陽電池の研究作業が遅れている中、ネット検索していると、ボーイング社
から変わっ
た新規考案が公開されていたので掲載した。来週あたりからスパートする。週末は長野
の予定である。

 


   遠くひろがる湖面には
   帆影に起る喜悦の波
   払暁の町はかなたに
   今花ひらき明るみかける
            
   
                        ヘルダーリン『帰郷』

 

松岡正剛が「千夜千冊」で、『省察』を訳した武田竜弥の言葉引用して、ヘルダーリンには言葉を
『原・分割』する才能があって、そこからパラタクシスが発しているらしい。それをヘルダーリン
自身は「最も深い親密性」とか「聖なる精神の生きた可能性」というふうに感じていたらしい。そ
うだとしたら、これはやっぱりたいへんな才能だと感想を書いている。そして「言葉を書きつけな
がら、言葉が言葉を自己編集するように書けるということですからね。それにしてもヘルダーリン
は、どうしてこんな才能をもてたのか。どうしてあんなふうに詩が書けたのか。ちょっと考えてし
まうよね」とも書いている。


こんなことをかいたのも、彦根城が世界文化遺産としての登録申請していることを思い出してのこ
と。正直言って姫路城ほどのスケールもないし、県下の第二都心の夢も絶たれたし、「彦にゃん」
は「くまもん」に、観光客数でも長浜にも及ばず、中途半端な感じをもつのはわたしだけではない
だろうし、ここは、戦国歴史街道とか日本の城郭田園都市として仕切り直した方が良いのでは?

 

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ダイズ工場巡礼の明日

2013年05月07日 | 開発企画

 

 

 

 

  ただひとつ趣味といえばいいのだろうか、多崎つくるが何より好きなのは鉄道駅を眺めるこ
 とだった。なぜかはわからないが、物心ついてから今に至るまで、彼は一貫して鉄道駅に魅了
 されてきた。新幹線の巨大な駅であれ、田舎の小さな単線駅であれ、実用一筋の貨物集積駅で
 あれ、それが鉄道駅でありさえすればよかった。駅に関連するすべての事物が彼の心を強く惹
 きつけた。
 
  小さい頃はみんなと同じように鉄道模型に夢中になったが、彼が実際に興味を惹かれたのは、
 精巧に造られた機関車や車両ではなく、複雑に交差しながら延びる線路でもなく、趣向を凝ら
 したジオラマでもなく、そこに添え物のように置かれた普通の駅の模型だった。そのような駅
 を電車が通過し、あるいは徐々に速度を落としてプラットフォームにぴたりと停止するのを見
 るのが好きだった。行き来する乗客たちの姿を想像し、構内放送や発車ベルの音を聞き取り、
 駅員たちのきびきびとした動作を思い浮かべた。現実と空想が頭の中で入り混じり、興奮のあ
 まり体が震え出すことさえあった。しかしなぜ自分が鉄道駅にそれほど心を引きつけられるの
 か、まわりの人々に筋道立てて説明することはできなかった。それにもし仮に説明できたとし
 ても、変わった子供だと思われるのがおちだろう。そしてつくる自身、自分にはひょっとして
 何かまともではない部分があるのかもしれないと考えることもあった。

 
  目立った個性や特質を持ち合わせないにもかかわらず、そして常に中庸を志向する傾向があ
 るにもかかわらず、周囲の人々とは少し連う、あまり普通とは言えない部分が自分にはある
(らしい)。そのような矛盾を舎んだ自己認識は、少年時代から三十六歳の現在に至るまで、人
 生のあちこちで彼に戸惑いと混乱をもたらすことになった。あるときには微妙に、あるときに
 はそれなりに深く強く。自分がその友人グループに加えられている理由が、つくるには時々よ
 くわからなくなった。
 自分は本当の意味でみんなに必要とされているのだろうか? むしろ自分かいない方が、あと
 の四人は心置きなく楽しくやっていけるんじやないか? 彼らはたまたまそのことにまだ気づ
 いていないだけではないのか? それに思い至るのは時間の問題ではないのか? 考えれば考
 えるほど、多崎つくるにはわけがわからなくなった。自分自身の価値を追求することは、単位
 を持だない物質を計量するのに似ていた。針がかちんと音を立ててひとつの場所に収まること
 がない。

  しかし彼以外の四人は、そんなことは気にかけてもいないようだった。つくるの目には、彼
 らは五人全員で集まり、共に行動することを心から楽しんでいるように映った。これはちょう
 ど五人でなくてはならないのだ。それ以上であっても、それ以下であってもならない。正五角
 形が長さの等しい五辺によって成立しているのと同じように。彼らの顔は明らかにそう語って
 いた。
  そしてもちろん多崎つくるも、自分かひとつの不可欠なピースとしてその五角形に組み込ま
 れていることを、嬉しく、また誇らしく思った。彼は他の四人のことが心から好きだったし、
 そこにある一体感を何より愛した。若木が地中から養分を吸い上げるように、思春期に必要と
 される滋養をつくるはそのグループから受け取り、成長のための大事な糧とし、あるいは取り
 置いて、非常用熱源として体内に蓄えた。しかしそれでも、自分がいつかその親密な共同体か
 らこぼれ落ち、あるいははじき出され、一人あとに取り残されるのではないかという怯えを、
 彼は常に心の底に持っていた。みんなと別れて一人になると、暗い不吉な岩が、引き潮で海面
 に姿を現すように、そんな不安がよく頭をもたげた。

 「そんな小さな頃から駅が好きだったのね」と木元沙羅は感心したように言った。
  つくるは肯いた。いくぶん用心深く。彼は自分のことを、工科系の学校や職場でしばしば見
 かける専門馬鹿のおたくだと彼女に思ってほしくなかった。でも結局はそういうことになるの
 かもしれない。「うん、小さい頃からなぜか駅が好きだった」と彼は認めた。
 「かなり一貫した人生みたいね」と彼女は言った。いくぶん面白がってはいるものの、そこに
 否定的な響きは聞き取れなかった。

 「なぜそれが駅なのか、駅でなくちゃいけないのか、うまく説明できないんだけど」
  沙羅は微笑んだ。「それがきっと天職というものなんでしょう」
 「そうかもしれない」とつくるは言った。
 どうしてこんな話になってしまったのだろう、とつくるは思う。それが起こったのはもう大昔
 のことだし、できることならそんな記憶は消し去ってしまいたかった。でも沙羅はなぜかつ
 くるの高校時代の話を間きたがった。どんな高校生で、どんなことをしていたのか? そして
 気がついたときには、話の自然な流れとして、彼はその五人の親密なグループについて語って
 いた。カラフルな四人と、色を持たない多崎つくる。



  
  二人は恵比寿の外れにある小さなバーにいた。彼女が知っている小さな日本料理の店で夕食
 をとる予定だったのだが、遅い昼食をとったせいであまり食欲がないと沙羅が言うので、予約
 をキャンセルし、どこかでカクテルを飲みながらとりあえずチーズかナッツでもつまもうとい
 うことになった。つくるもとくに空腹は感じなかったから、異議はなかった。もともとが小食
 なのだ。

  沙羅はつくるより二歳年上で、大手の旅行会社に勤務していた。海外パッケージ旅行のプラ
 ンニングが専門だ。当然のことながら海外出張が多い。つくるは西関東地域をカバーする鉄道
 会社の、駅舎を設計管理する部署に勤務していた(天職だ)。直接の関わりはないが、どちら
 も運輸に関連した専門職ということになる。つくるの上司の新築祝いのホームパーティーで紹
 介され、そこでメールアドレスを交換し、これが四度目のデートだった。三度目に会ったとき、
 食事のあと彼の部屋に行ってセックスをした。そこまではごく自然な流れだった。そして今日
 がその一週間後。微妙な段階だ。このまま進めば、二人の関係は更に深いものになっていくだ
 ろう。彼は三十六歳で、彼女は三十八歳。当たり前のことだが、高校生の恋愛とはわけが違う。
 最初に会ったときから、つくるは彼女の顔立ちが不思議に気に入っていた。標準的な意味での
 美人ではない。頬骨が前に突き出したところがいかにも強情そうに見えるし、鼻も薄く少し
 尖っていた。しかしその顔立ちには何かしら生き生きしたものがあり、それが彼の注意を引い
 た。目は普段は細かったが、何かを見ようとすると急に大きく見聞かれた。そして決して臆す
 るところのない、好奇心に満ちた一対の黒い瞳がそこに現れた。

  普段意識することはないのだが、つくるの身体にはひどく繊細な感覚を持つ箇所がひとつあ
 る。それは背中のどこかに存在している。自分では手の届かない柔らかく微妙な部分で、普段
 は何かに覆われ、外からは見えないようになっている。しかしまったく予期していないときに、
 ふとした加減でその箇所が露出し、誰かの指先で押さえられる。すると彼の内部で何かが作動
 を始め、特別な物質が体内に分泌される。その物質は血液に混じり、身体の隅々にまで送り届
 けられる。そこで生み出される刺激の感覚は、肉体的なものであると同時に心象的なものでも
 ある。
 
  最初に沙羅に会ったとき、どこかから延びてきた匿名の指先によって、その背中のスイッチ
 がしっかり押し込まれた感触があった。知り合った日、二人でけっこう長く語り合ったのだが、
 どんな話をしたのかろくに覚えていない。覚えているのは背中のはっとする感触と、それが彼
 の心身にもたらした、言葉ではうまく表現できない不思議な刺激だけだ。ある部分が緩み、あ
 る部分が締め付けられる。そういう感じだ。それはいったい何を意味するのだろう? 多岐つ
 くるはその意味について何日か考え続けた。しかし形を持たないものごとに考えを巡らすこと
 は、彼のもともと不得手とするところだった。つくるはメールを送り、彼女を食事に誘った。
 その感触と刺激の意味を確かめるために。

  沙羅の外見が気に入ったのと同じように、彼女の身につけている服にも好感が持てた。飾り
 が少なく、カットが自然で美しい。そして身体にいかにも心地よさそうにフィットしている。
 印象はシンプルだが、選択にけっこうな時間がかけられ、少なからぬ対価がその衣服に支払わ
 れたらしいことは、彼にも容易に想像できた。それに合わせるようにアクセサリーも化粧も上
 品で控えめだった。つくる自身は服装にあまりこだわる方ではないが、着こなしの上手な女性
 を見るのは昔から好きだった。美しい音楽を鑑賞するのと同じように。
  
  二人の姉も洋服が好きで、彼女たちはデートの前によくまだ小さなつくるをつかまえて、着
 こなしについての意見を求めたものだ。なぜかはわからないが、かなり真剣に。ねえ、これど
 う思う? この組み合わせでいいかしら? そして彼はそのたびに、人の男として、自分の意
 見を率直に述べた。姉たちは多くの場合弟の意見を尊重してくれたし、彼はそのことを嬉しく
 思った。そういう習慣がいつの間にか身についてしまった。




  つくるは薄いハイボールを静かにすすりながら、沙羅の着ているワンピースを脱がせるとこ
 ろを頭の中にひそかに思い浮かべた。フックを外し、ジッパーをそっとおろす。まだ一度の体
 験しかないが、彼女とのセックスは心地良く充実したものだった。服を着ているときも服を脱
 いだときも、彼女は実際の年齢より五歳は若く見えた。肌は色白で、乳房は大きくはないがき
 れいな丸い形をしていた。時間をかけて彼女の肌を撫でるのは素敵だったし、射精を終えたあ
 と、その身体を抱きながら優しい気持ちになれた。でももちろんそれだけでは済まない。その
 ことはわかっていた。人と人との結びつきなのだ。受け取るものがあれば、差し出すものがな
 くてはならない。


                                      PP.14-20                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 


【太陽光か人工光か】

昨夜のダイズ工場構想のつづき

 従来、屋内で水耕栽培などの人工的な植物栽培には、植物は光合成による成長に、植物の地上部(茎
と葉)に、太陽光または太陽光に代わる人工光を照射する。人工光を用いる場合、その光源としては、電
熱灯、放電ランプ、蛍光灯、発光ダイオード(LED)などが用いられるが、植物が生育するのに必要な波
長の光のみを放射する、消費電力が小さくかつ電力、光変換効率がよく、寿命が長い、小型の特徴をもつ
LEDが好適とされる。植物の生育には、波長400~500nmの青色系の光と、波長600~700nmの赤
色系の光が
必要であることが知られている。そこで、LEDを用いた植物の栽培の照明板に、赤色系の光
を発光するLED(赤色系LED)と青色系の光を発光するLED(青色系LED)を複数配設し、赤色系LED
と青色系LEDを同時または交互に点灯することにより、植物の地上部に、赤色系の光と青色系の光を照
射する例もある。しかし、植物の生育促進には顕著な効果が得られていなかった。水耕栽培などの人工
栽培での生育を促進する方法が課題だった。

そこで、培養液を用いた水耕栽培による植物の栽培方法で、可視域の波長範囲にある光を照射す
ることを特徴とした場合
、波長が600~750nm範囲にある赤色系の光α、波長が435~500nmの範囲
にある青色系の光βや570~600の範囲にある黄色系の光γが最適であるという。下図の新規考案
の光αの光合成有効光量子束密度[μmol/m2/s]が1~200の範囲にあり、光合成有効光量子束
密度が1未満であれば、根域への光照射効果に乏しく、200を超えると植物の生育が阻害されるこ
とがある。また、
光βの光合成有効光量子束密度[μmol/m2/s]が、同様に1~200の範囲にある。
さらに、光γの光合成有効光量子束密度[μmol/m2/s]も同じである。尚、栽培種は、野菜類、
花卉類および穀類、
葉菜類、根菜類および果菜類、小松菜、ホウレン草、レタス、ミツバ、ねぎ、
ニラ、サラダ菜、パセリ、青梗菜、春菊、ペパーミント、甘草およびバジル、また
根菜類には、
大根、二十日大根、人参、朝鮮人参、わさび、じゃがいも、サツマイモ、カブおよび生姜、さら
果菜類は、トマト、イチゴ、胡瓜、メロン、茄子、ピーマン、記花卉類には、バラ、シクラメ
ン、チューリップ、キンギョソウ、ダリア、キク、ガーベラ、ラン、
穀類には、イネ、コムギ、
オオムギ、トウモロコシ、マメおよび雑穀が可能であり
植物の根域に可視域の波長範囲の光を照
射手段を備えたことを特徴としている。
 特開2012-196202

【符号の説明】

10植物の栽培装置、11第一空間、12容器、13仕切部材、14第一光源、15第一遮光部材、16第二空
間、17第二光源、18第二遮光部材、19基板、20光源、40植物、41根域、42地上部、50培養液。

 




このように人工光の電源にLEDを採用することで多種類の「植物工場」による生育が可能とな
るととも、太陽光との最適化を測りながらコストと収率と品質の最適化が実現できるようになっ
てきている。

さらに、下表は大豆栽培方法で、粒肥大始期、粒肥大盛期あるいは成熟始期の発育時期に、0.04
~3質量%のグルタミン酸カリウムと水を含む液体肥料を、1回につき10アール当たり30~500
リットルの散布量で、葉面散布し、原料として使用した豆乳、豆腐、がんもどき、油揚げ、湯葉
等の大豆加工食品で味の良好な大豆加工食品を得ることができる大豆加工食品提供の新規考案で
ある。
 

   特開2011-200155

これまで、大豆を原料とする豆乳、豆腐、油揚げ等の大豆加工食品の風味を改善のため、例えば
豆乳の製造工程では、グルコース、グルコースオキシターゼ、及びカタラーゼを添加して風味の
良い豆乳を製造、豆腐の場合、豆腐の製造工程において、片栗粉、トウモロコシ、苦汁、及びグ
ルコノデルタラクトンを添加して風味の良い豆腐を製造あいている。
大豆加工食品の製造工程に
おいて何らかの物質を添加する方法は多く開発されていたものの、大豆の育成過程で与える肥料を改良
して大豆を栽培し、かかる栽培により得られた大豆を使用することで、大豆加工食品の風味を改善すると
いうことはあまりなかったという。

一方で、植物の育成過程において各種肥料を与えることで、病気を予防して植物の育成を促進し
たり、得
られる葉や果実等の栄養素を改善(→炭酸カルシウムまたは炭酸マグネシウム1に対し
てグルタミン酸
を2~3の割合で混合した植物散布用組成物や、茶葉中のテアニンの含有量を増
加させるために、テア
ニン、グルタミン、グルタミン酸等のアミノ酸を有効成分を含有する葉面
散布剤や、農作物のアミノ酸類を
増加させて味覚を向上させるグルタミン酸に対してイノシン酸
ナトリウム及びグアニル酸ナトリウムを特
定量配合した肥料)開発されてきた。これに対し上表
の考案は、特定量のグルタミン酸カリウムを葉面散
布することで風味の良好な大豆加工食品が得
られるという。




「ダイズ工場」構想を考察のため作業を終えてみて、初期投資政策さえ確立させてしまえば、連
作可能
であることが理解できた。コスト削減も継続生産していくなか実績を得ることができるだ
ろう。これは大変
面白いことだ。従って、この残件は今夜解消した。
 

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ダイズとニンニク

2013年05月06日 | 開発企画

 

 

 

 【新麺文化の創生とその事業】 

ニンニク(学名をアリウム サチバム エル(Allium sativum L))の考察をはじめて1ヶ月
経過するだろうか。ところで、このニンニクには食用(薬用)部分は鱗茎であり、有効成

分としてアリシンは元来含まれているアリインが酵素のアリイナーゼの働きにより変化を
けて生じたもので、ニンニク特有の強烈な臭いを放つ物質で、古来、ニンニクはスタミ
ナ増強に強い効果のある食品として幅広く用いられてきた。近年、ニンニクの食効につい
て科学的な検討が加えられ、抗疲労や抗ストレス効果は勿論のこと、高い抗酸化作用に基
づく生活習慣病の予防効果、免疫賦活、抗ウイルス、抗菌作用による感染症予防効果、肝
臓保護効果、老化防止効果など多様な効果が認められている。特に、米国のデザイナーフ
ーズプログラムでは、抗ガン効果が最も高い食品素材としてリストアップされるなど、有
用食品の代表格だ。これほど有用なニンニクの有効成分アリシンの強い臭いや、特に摂取
後に吐息と共に戻ってくる強烈な不快臭のために食材として敬遠される。
そのため、従来、
このような臭い問題解決のために、、酵母発酵を利用して製造する食後無臭ニンニク、生
ニンニクを超高圧で処理し、アリイナーゼを不活性化する無臭ニンニクの製造方法、蒸煮
にんにくと練りゴマを混合し、該混合物に黄な粉及び蜂蜜を混合してなるペースト状無臭
にんにく加工食品、ニンニクの亜種を原料とするもの等多くの提案があり、これまでに市
場には、無臭ニンニクと称する商品が数多く出回るようになり、一般食品や健康食品分野
で幅広く採用されてきている。

 

しかし、従来の多くの無臭ニンニクは、摂取後に呼気から臭ってくるニンニク臭の除去が
不十分であったり、無臭化加工によりニンニクの有効性が損なわれてしまったりと、充分
に満足できるものが少ない。このような無臭ニンニクなるものを配合した食品についても、同様の
問題がある。また、ニンニクの有効成分を効果が期待できる程度の摂取には、現実的では
ない程の量のニンニクを摂取する必要があり、ニンニクの有用な成分を効率的に得る手段
が求められていた。そして、飲食物や医薬などに配合し易い醗酵黒ニンニクの加工物が望
まれていた。
摂取後の呼気にニンニク臭が発生しない上、優れた生理活性を効率的に得る
ことができ、飲食物
や医薬に配合し易い加工物で、生ニンニクを自己醗酵させた醗酵黒ニンニ
クの抽出物及び乾燥・粉砕物とこの製造方法やこれらを含む飲食品の提供が課題にあった
このため、生ニンニクを自己醗酵させた醗酵黒ニンニクの抽出物である醗酵黒ニンニク抽出液は
生ニンニクを自己醗酵させた醗酵黒ニンニクの乾燥・粉砕物後の醗酵黒ニンニクパウダー
は、温度が55~80℃、湿度が70~95%の範囲内で熟成し自己醗酵することが好ましく、

ニンニクを自己醗酵させる工程と、得られた醗酵黒ニンニクをペースト状にする工程と、
ペースト状の醗酵黒ニンニクを抽出する工程と抽出物を濃縮する工程からなる醗酵黒ニン
ニク抽出液の製造方法が下記のように提案されている。

これらの醗酵黒ニンニクは、温度が55~80℃、湿度が70~95%の範囲内で熟成し自己醗酵
させたものである醗酵黒ニンニク抽出液あるいは醗酵黒ニンニクパウダーであり、 生ニンニクの
自己醗酵工程と、この醗酵黒ニンニクをペースト状にする工程と、ペースト状の醗酵黒ニ
ンニクを抽出する工程と、抽出物を濃縮工程からなる醗酵黒ニンニク抽出液の製造方法で、
生ニンニクを自己醗酵させた摂取後の呼気にニンニク臭が発生しない、生理活性に優れる
醗酵黒ニンニクの加工物、製造方法及びこれらを含む飲食品である(特開2007-151436 )。

 

この黒ニンニクの効能(『花水木一輪』)は、Sーアリルシステインが生ニンニクの4倍
抗酸化活性化力は10数倍と言われているが、これ以外の方法として次のようなものが提案
されている。

(1)生ニンニク球をまるごと120~150℃の低温でゆっくり油揚げ、ニンニクのアリイナ
-ゼ酵素を失活させ無臭化処理した皮付きのニンニク球を、粗砕し機械的微粉砕装置に投
入し、原料に対して0.5
~1.5倍のpH4.0~7.0の温水と植物組織崩壊・繊維素分解混合酵
素を添加して酵素反応を施し、上記酵素分解反応条件は、添加量0.1~1.0%重量、反応温
度406~60℃、反応時間60~120分間とし、平均粒径を百mesh pass 以下のまるごとニンニ
クペースト及びパウダーを生成する。

(2)生ニンニク球をまるごと電子レンジで瞬間的に高温加熱してニンニクのアリイナ-
ゼ酵素を失活し無臭化処理した皮付きのニンニク球を、粗砕して粉砕装置に投入し、原料
に対し0.5~1.5倍の温水50℃と植物組織崩壊・繊維素分解混合酵素を添加して酵素反応を
施し、かつ上記酵素分解反応条件は、添加量0.1~1.0%重量、反応温度40~60℃、反応時
間60~120分間とし、平均粒径を百mesh pass以下のまるごとニンニクペースト及びパウダ
ーを生成。

(3)生ニンニクを醗酵により無臭化処理した皮付きのニンニク球を、粗砕して粉砕装置
に投入し、原料に対して0.51.5倍の温水50℃と植物組織崩壊・繊維素分解混合酵素を添加
して酵素反応を施し、かつ上記酵素分解反応条件は、添加量0.1~1.0%重量、反応温度40
~60℃、反応時間60~120分間とし、平均粒径を百mesh pass以下のまるごとニンニクペー
スト及びパウダーを生成。

(4)無臭化処理され皮付きニンニク球を粗砕してバイオミルリアクターに投入し、原料
に対して0.5~1.5倍の温水75℃と澱粉液化酵素を添加混合して糖質を液化し、続いて、温
度を50℃に調整して植物組織崩壊・繊維素分解混合酵素を添加して酵素反応を施し、かつ
上記酵素分解反応条件は、添加量0.1~1.0%重量、反応温度40~60℃、反応時間60~120分
間とし、平均粒径を百mesh pass以下のまるごとニンニクペースト及びパウダーを生成する。

(5)澱粉質液化酵素はBacillus subtilis属菌株の産生するα-アミラーゼを用いてpH
4.0~7.0、温度65~80℃、添加量0.05~1.0%重量でニンニクの糖質を液化してオリゴ糖と
デキストリンを生成し、粘度の低下と品質の向上を図るまるごとニンニクペースト及びパ
ウダーを生成する。

(6)皮付きニンニク球を低分子にする植物組織崩壊酵素・繊維素分解混合酵素はRhizop-
us sp.属菌株の産生するペクチナーゼ、ヘミセルラーゼとTricoderma viride属菌株及び
Aspergillus nigerの産生するセルラーゼ、ヘミセルラーゼの混合酵素で高力価を含有し、
pH4.0~7.0%重量、反応温度40~60℃でニンニクの植物組織を崩壊し、硬い繊維素を分
解してニンニクペースト及びパウダーを生成する。

(7)まるごとニンニクペーストのタンパク質変性、油脂の変敗、及び離水を防止し、ま
た、冷凍耐性、矯味、矯臭作用を有する糖類トレハロースを用いて品質の保全と優良化を
図り、かつ0.5~5.0%重量のトレハロースを添加混合してまるごとニンニクペースト及び
パウダーを生成する。

(8)まるごとニンニクを生成する過程に於いてクラスターデキストリンを10.0~40.0%
重量を添加して矯臭、矯味を包接し、スプレードライヤー,または、フリズドライヤーで
乾燥する乾燥賦形剤としてパウダーの品質の保全と優良化を図りまるごとニンニクペース
ト及びパウダーを生成する。

にんにくの効能向上方法や粉体化については以上のように実用化出来るとして、次にこれ
を練り込む麺の選択となるが、そこに大豆(ダイズ)の製粉化を行いこれに副素材を混合
し麺に仕上げようとようのが今回の提案・企画ということになる。もうここでおわかりだ
と思うが、脂質を出来るだけ排除することで、成人病の要因の1つである糖尿病などのデ
ンプンからダイズ蛋白に置き換え、パスタ、うどん、中華麺の代替品をつくるというもの
である。 

 

例えば、上表の新規考案によると、従来の麺類の主原料は小麦粉やそば粉がほとんどであ
り、中には、小麦粉に大麦粉、米粉、芋粉などを少量加えた麺もあるが、栄養的には炭水
化物含量が高い食品である。然るに、近年、従来のカロリー摂取量の制限をベースにした
低脂肪ダイエットに代えて、低炭水化物ダイエットが注目されている。これは、従来の低
脂肪ダイエットでは、脂肪の摂取カロリー比は確かに低下するが、低脂肪食は高炭水化物
食であるため、すでに肥満のある人がインシュリン分泌を高める高炭水化物食にするとイ
ンシュリンが余計な炭水化物を脂肪へと変換するのを助けることになり、結果としてダイ
エットの成果は必ずしも十分ではなかった。一方、大豆は、栄養成分、機能性に優れた食
品素材として、さまざまな食品に活用されているが、麺類への積極的活用の例は少ない。
例えば小麦粉に全粒豆腐を混入して麺を製造する方法が記載されているが、豆腐の水分含
量は85%程度と高水分なので、小麦粉と同程度の水分になるように換算すると、大豆と
しての配合量は小麦粉100重量部に対し7重量部となり、明らかに大豆配合量は低い。
また、大豆粉に黄麹菌を接種培養したものを麺状に成形することによる大豆を主原料とし
た麺状食品の製造法が記載されているが、製法が特殊であるために産業上の利用可能性が
著しく狭ばめられているという欠点を有する。

これに対しこの考案に従えば、小麦粉100重量部、大豆粉60~500重量部、大豆粉
100重量部当り、活性グルテン3~15重量部及び、大豆粉100重量部当り、グアガ
ム、キサンタンガム、カラギーナン、ペクチン、ローカストビーンガム、タマリンドガム、
アルギン酸及びサイリウムシードガムから選ばれた少なくとも一種の水溶性食物繊維2~
12重量部を含む混合原料粉を製麺してなる製麺により、小麦粉、大豆粉及び活性グルテ
ンを含む原料粉に、グアガム、キサンタンガム、カラギーナン、ペクチン、ローカストビ
ーンガム、タマリンドガム、アルギン酸及びサイリウムシードガムから選ばれた少なくと
も一種の水溶性食物繊維を配合し、これに全混合原料粉100重量部当り、水28~38
重量部を加えて製麺する麺の製造方法が提供されている。

さらに、下図の新規考案では、大豆は、「畑の肉」と称されほど栄養価が高いことから、
通常の食事に加え、微粒子化して他の食品の補助材料や添加材料として使用されている。
しかしながら、生の大豆は、油脂分を15~20%含むため、ミルなどにより圧砕して微
粒子化すると、その油脂が湿潤することによって団子状に固まったり、フィルターが目詰
まりし、ふるい分けすることが困難となるなどの理由から、微粒子化が困難であった。ま
た、粉砕の過程で発生する熱によって油脂が酸化し、本来の風味を大きく損なうものとな
っていた。このため、大豆を微粒子化する場合は、例えば、きな粉を製造する場合のよう
に、生の大豆を焙煎して熱化学反応を起こさせ、微粒子化を阻害しないように変性させた
後、粉砕するようにしている。このような現状に対して、生の大豆から大豆粉を得ること
ができるならば、新たな食品材料を提供することができるため、生の大豆を粉砕すること
が研究されている。例えば、砥石ローラを収容部のフィルター部材内で回転させ、フィル
ター部材と回転する砥石ローラとの間で生の大豆を磨砕し粉化させることが提案されてい
るが、重くて
長尺な砥石ローラを必要とするため、取り扱いに難がある他、油脂分の分離を避
けることができないことから、経時使用によってフィルターが目詰まりし、定期的なフィルターの洗
浄作業が必要となることから、作業が煩雑となる欠点があるため、この考案では、構造が簡単で、
安価に製造することができるとともに、煩雑な作業を必要とすることなく容易に原料粒の粉体を得
ることのできる大豆などの製粉装置が提供できるという。

 


【符号の説明】

1 製粉装置 2 粉砕装置 22 ケーシング 24 回転盤 25 粉砕刃 27 吸気管 
3 供給装置 31 供給ホッパー 32 ロータリーバルブ 33 排出管 4 分級筒 5
貯蔵ホッパー 6 空気輸送装置 62 吸引パイプ 63 ブロアー 64 フィルター 
65 吹上パイプ 66 空気供給パイプ 

以上、食感や調理性、演色性という側面から課題は残るが、高付加価値(健康増進・体力強化)
な麺加工品による21世紀型加工食品の中核にこの製品を世界に普及させる事業がまた誕生す
ることになる。そのためには、小さなプロジェクトは残件するものの、『ニンニク工場』の構想立案し
ているから、大きなプロジェクトとして、『ダイズ工場』構想が残件することとなる。これは日を改め
て考察する。

※ こういったことは突然考えついたというわけではない。2000年に入って、事業計画として「
納豆のシート化」(海苔巻き用の海苔と考えれば分かりやすい)を考案した経験があって
のこと。「考えて、考えて、考え抜く」というのがその時分のわたし信条だったことを思
い出した。その思いはいまもかわらない。
 


【実需という話】

親父の月命日に出かけ、母親を見舞い、ランチは橘菖(きつしょう)で「赤備え」を頂く。
いつものよ
うに彼女が「徴兵制」「少子化」について質問する。そしていつものように「
戦わずして勝つ孫子に
習い、外交で対応、いまのままの傭兵制でよい」「わたしの2000年
当時の試算では、2100年には日本列島から人がいなくなる」という簡単な答えで応じ、「
それにしても、介護支援の弱体化のように実需と営利追求とはき違えた政府政策は可笑し
いのでは」と質問を切り返す。「これは断じて可笑しい」と。

 

 

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ネオコン分水嶺

2013年05月04日 | 時事書評



  

 

 

 

ボストン爆破テロ事件について、作家の村上春樹は、3日付の米ニューヨーカー誌寄稿した。ラ
ンナーの一人としてボストン・マラソンへの愛を語った上で、この傷を癒やすには、報復を企て
るのではなく、誠実に静かに時を積み重ねる必要があると語りかけたという。それによると、

件による深い傷をどう癒やすかを問い、1995年の地下鉄サリン事件被害者にインタビューした自著「
アンダーグラウンド」に触れ、
時間の経過は、いくつかの痛みを遠ざけるが、新しい痛みもまた
引き起こすと精神的外傷がいかに人生を一変させ、
傷を隠そうとしても、また報復を考えても決して救
いにはならない、この傷を記憶し、痛みから目をそらさずに誠実に静かに時を積み重ねる必要がある。毎
日走り続けることを通し、傷つき、命を失った人たちを悼むと表明し、ボストン・マラソンが傷を癒やし、再
び復活することを願うと寄稿をまとめてあるという。

  もちろんいちばん地下鉄サリン事件を惹き起した重要な要因はオウム真理教の理念のなか
 にあるというべきだ。しかし地下鉄サリン事件が世界史的な大都市における大量殺傷の次元
 を産み出すのには、戦後のすべての過激な、政治体制に抗議し、反抗する運動と社会にたい
 する異議申し立ての方法と、もうひとつ時代の流れの偶然が(必然
がといってもおなじだ)
 加担することが必須の条件だったとおもっている。仮りにオウム
真理教に地下鉄サリン事件
 をもう一度やってみろといったとしても、偶然(必然)の条件
が加担しないかぎりできない
 とおもう。それほど稀有な世界史的な大量殺傷が大都市で実
行されたものだった。

 
しかしわたしたちは、オウム真理教と教祖麻原彰晃を殺人集団と殺人鬼教祖とするような『
 世論』を造り上げるのは誤りだ、教祖麻原彰晃の宗教家としての理念と力量を解明し、オウ
 ム真理教の教義がどこにあるかをそれ自体として評価し、なぜ「地下鉄サリン散布」のよう
 な、オウムと何の関わりもなく、憎悪や対立もなかった偶然の市民を狙った未曾有の殺傷行
 為を実行したのかを明確に解明しないままに、殺人(鬼)集団として抹殺しようとする『世
 論』を、検察、政党、新聞、テレビ、週刊誌、曲学阿世の知識人と結びついて造り上げた、
 中村弁護士らの行為は、法曹家として不当なものだと主張し、表現しただけで、オウムの麻
 原彰晃を擁護するものだと故意の曲解をでっちあげられ、村上春樹の言い方では『袋叩き』
 にあった。わたしは中村弁護士らの仕事は、法曹家としての範囲を逸脱して、『世論』操作
 に手を出した不当なものであり、オウム真理教の事件が何を意味するかについて誤った『世
 論』造り上げるの寄与したと評価している。

 たとえば千代田線の実行者は林郁夫で運転手役は新実智光であるというように。このサリン
 撒布の実行者とその運転手のペアーの紹介と解説の文章の全部に共通している村上春樹の記
 述の特徴がひとつある。それは地下鉄サリン撒布の実行者と運転手の背後に、〈それを指令、
 指示した麻原彰晃〉の影を無意識のうちに実体化して存在させていることだ。あるいは裁判
 が現在(一九九七年四月下旬)より進行してゆくと村上春樹の無作為の前提が立証されるこ
 とがあるのかもしれない。しかし村上春樹とはまったく別なやり方でオウム真理教とくに教
 祖麻原彰晃の宗教家としての力量と理念の方に重点をおいた視線で、わたしなりの関心を払
 って、それを文章にしてきたかぎりにおいて、地下鉄にサリンを撒布する指示、または指令
 が麻原彰晃からなされたという証言も証拠も提出されていない。また決定されてもいない。

 だがオウム真理教が差出した物語が馬鹿げていて、荒唐無稽で麻原彰晃や信者たちをあざ笑
 うことができたが、『こちら側の私たち』はそれに対置させ、『麻原の荒唐無稽な物語を放
 逐できるだけのまっとうな力を持つ物語』を手にしていない。実のところそんな物語を造り
 上げたいというのが、小説家として長いあいだじぶん(村上春樹)のよろうとしてきたこと
 だと述べているあとがきの『目じるしのない悪夢』の言葉は、半分しか信用する気になれな
 い。麻原の宗教的理念を荒唐無稽だと言いきる思想的力量をわたしはもっていないからだ。
 ただどちら側でもない場所がありうることを言うためにこの書評を書いた。


                       
             「どちら側でもない:村上春樹『アンダーグラウンド』を読む」
                       吉本隆明 『群像』1997.06 PP.366-377





 

  アカは成績が図抜けて優秀だった。とくに身を入れて勉強をしているようにも見えないが、
 すべての科目でトップクラスだった。でもそれを鼻に掛けるでもなく、一歩後ろに引いて周囲
 に気を配るところがあった。まるで自分の頭脳が優秀であることを恥じるみたいに。ただ小柄
 な人によく見られるように(身長は最後まで百六十センチを超えなかった)、いったんこうと
 決めたら、たとえそれが些細なことであっても簡単には譲らない傾向があった。理屈の通らな
 い規則や、能力に問題のある教師に対して真剣に腹を立てることもよくあった。生来の負けず
 嫌いで、テニスの試合で負けると不機嫌になった。負けっぷりが悪いというのでもないのだが、
 明らかに口数が少なくなった。他の四人はそのような彼の短気をおかしがって、よくからか
 たものだ。そして最後にはアカ自身も笑い出した。父親は名古屋大学経済学部の教授だっ
た。

  アオはラグビー部のフォワードで、体格は申し分なかった。三年生のときにはチームのキャ
 プテンをつとめた。肩幅があって胸がぶ厚く、額が広く、口が大きく、鼻がどっしりとしてい
 た。ハッスル≒フレーヤーで、生傷が絶え間なかった。地道な勉学にはあまり向かないが、性
 格が明るく、多くの人に好かれた。まっすぐ人の目を見て、よくとおる声で話をした。驚くほ
 どの大食漢で、なんでも実にうまそうに食べた。悪口は滅多に口にせず、人の名前と顔をすぐ
 に覚えた。よく人の話を聞き、場をまとめるのが得意だった。つくるは彼がラグビーの試合前
 に円陣を組んで、仲間の選手たちに檄を飛ばしていた光景を今でもよく覚えている。

  彼は叫んだ。「いいか、これからおれたちは勝つ。おれたちにとっての問題はどのようにし
 て勝つか、どれくらい勝つかだ。負けるという選択肢はおれたちにない。いいか、負けるとい
 う選択肢は、おれたちにはない!」
 「おれたちにはない!」と選手たちは大声で叫び、フィールドに散っていった。
  しかし彼らの高校のラグビー・チームはとくに強いわけではなかった。アオ自身は運動能力
 
に恵まれた、クレバーな選手だったが、チーム全体のレベルはまずまずというところだった。
 奨学金を出して全国から優秀な選手を集めてくる私立高校の強豪チームには、しばしばあっけ
 なく敗北を喫した。しかし試合がいったん終わってしまえば、アオは勝敗のことはそれほど気
 にしなかった。「大事なのは勝とうという意志そのものなんだ」と彼はよく言ったものだ。「
 実
際の人生で、おれたちはずっと勝ち続けることなんてできない。勝つこともあれば、負ける
 こ
ともある」
 「そして雨天順延もある」と皮肉屋のクロが言った。

  アオは哀しそうに首を振った。「君はラグビーを野球やテニスと混同している。ラグビーに
 は雨天順延はない」
 「雨が降っても試合をするの?」とシロは驚いたように討った。彼女はすべてのスポーツに対
 して興味と知識をほとんど持ち合わせなかった。
 「本当だよ」とアカがもっともらしく□を挟んだ.「ラグビーの試合はどんなに雨が降っても
 中止にならない。だから毎年多くの選手が競技中に溺れて死ぬ」
 「なんてひどい!」とシロが言った。
 「馬鹿ね、もう。そんなの冗談に決まってるでしょうが」とクロがあきれたように言った。

 「話が逸れてしまったけど」とアオが言った。「おれが言いたいのは、上手な負けっぷりも運
 動能力のひとつだということだよ」

 「そして君は日々その練習に励んでいる」とクロが言った。




  
シロは古い日本人形を思わせる端正な顔立ちで、長身でほっそりして、モデルのような体型
 だった。髪は長く美しく、艶のある漆黒だ。通りですれ違った多くの人が、思わず振り返って
 彼女を見た。しかし彼女白身にはどことなく自分の美しさを持て余しているような印象があっ
 た。生真面目な性格で、何によらず人の注目を引くことが苦手だった。美しく巧みにピアノを
 弾いたが、知らない人がいる前でその腕を披露することはまずなかった。ただアフタースクー
 ルで子供たちに辛抱強くピアノを教えているとき、彼女はことのほか幸福そうに見えた。それ
 ほど明るくのびやかな顔をしたシロを、つくるは他の場所で目にしたことがなかった。何人か
 の子供たちは、通常の勉強には向いていないかもしれないけど、自然な音楽の才能を持ってい
 るし、このまま埋もれさせてしまうのは惜しい、と彼女は言った。しかしそのスクールには骨
 董品に近いアップライト・ピアノしかなかった。だから五人は新品のピアノを手に入れるため
 に、熱心に募金活動をした。夏休みには全員でアルバイトをした。楽器会社にも足を運んで協
 力を仰いだ。そして長い努力の末にようやくグランド・ピアノを入手することができた。高校
 三年生の春のことだ。彼らのそのような地道な奉仕活動は注目され、新聞にも取り上げられた。

  シロは普段は無口だが、生き物が好きで、犬や猫の話になると顔つきががらりと変わり、夢
 中になって話し込んだ。獣医になるのが夢だと本人は言ったが、彼女が鋭いメスを手にラブラ
 ドルの腹を切り裂いたり、馬の肛門に手を突っ込んだりしている情景が、つくるにはどうして
 も想像できなかった。専門の学校に行けば、当然そういう実習は必要になる。父親は名古屋市
 内で産婦人科医院を経営していた。

  クロは容貌についていえば、十人並みよりはいくらか上というところだ。でも表情が生き生
 きとして、愛嬌があった。大柄で全体にふっくらとして、十六歳のときから既にしっかり胸が
 人きかった。自立心が強く、性格はタフで、早口で、頭の回転も同じくらい速かった。文系の
 科目の成績は優秀だったが、数学や物理はひどいものだった。父親は名古屋市内に税理事務所
 をかまえていたが、その手伝いはとてもできそうにない。つくるはよく彼女の数学の宿題を手
 伝ってやったものだ。クロはきつい皮肉をよく口にしたが、独特のさっぱりしたユーモアの感
 覚があり、彼女と話すのは楽しく刺激的だった。熱心な読書家でもあり、常に本を手にしてい
 た。

  シロとクロの二人は中学校の時にもクラスが同じで、五人がグループを形成する前から、お
 互いをよく知っていた。彼女たち二人が並んでいるところは、なかなか素敵な眺めだった。芸
 術的才能を具えた、しかし内気なとびっきりの美人と、聡明で皮肉屋のコメディアン。ユニー
 クな、そして魅力的な組み合わせだ。

  そう考えてみればグループの中で、多崎つくるだけがこれという特徴なり個性を持ちあわせ
 ない人間だった。成績も中の上というところだ,勉強をすることにさして興味は持てないが、
 ただ授業中は常に注意深く耳を澄ませ、最低限の予習と復習は欠かさなかった。小さいときか
 らなぜかそういう習慣が身についていた。食事の前に必ず手を洗い、食事のあとで必ず歯を磨
 くのと回しように。だからまわりから注目されるような成績を取ったことはないものの、どの
 科目も及第点は楽にクリアしていた。両親も、とくに問題がない限り、学校の成績についてう
 るさく言う人間ではなかったし、無理に塾に通わせたり、家庭教師をつけたりするようなこと
 もしなかった。
 
  運動は嫌いではないが、運動部に入って積極的に活動したりはせず、家族や友人たちととき
 どきテニスをし、ときどきスキーに行き、ときどきプールで泳ぐ。その程度だ。顔立ちは整っ
 ていたし、人からも時折そう言われたが、それは要するに「とりたてて破綻がない」というだ
 けのことだ。彼自身、鏡で自分の顔を眺めていて、そこに款いがたい退屈さを感じることがし
 ばしばあった。芸術方面に深い関心があるわけでもなく、これという趣味や特技もない。どち
 らかといえば□が重く、よく顔が赤くなり、社交が苦手で、初対面の人と一緒にいると落ちつ
 かなかった。

  あえて言うなら彼の特徴は、五人の中で家がおそらくいちばん裕福であることと、母方の叔
 母がベテランの女優として、地味ではあるけれど名前をまずまず広く世間に知られていること
 くらいだった。しかしつくる個人についていえば、人に誇れるような、あるいはこれと示せる
 ような特質はとくに具わっていない。少なくとも彼自身はそのように感じていた。すべてにお
 いて中庸なのだ。あるいは色彩が希薄なのだ。

                                       PP.9-13
                 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
                                                            

 
【反帝国主義という話】

彼女が例のように作業中にたずねる。憲法改定についてどう思うのかと。例の改定手続き論だろ
う。悩ましいね。しかし、手続き論より、改定後のこの国がどこに向かうかの議論をしなくちゃ
ね。安倍政権のバックグラウンドには、新保守主義(=ネオコン)があり、帝国主義への傾斜が
あるのなら、反帝国主義の立場で議論する必要がある。なので、先送りだと言い終えて、昨日の
疲れがどっと吹き出す気鬱で話を切り上げた。
 

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登頂を讃える方法

2013年05月03日 | 滋賀のパワースポット

 

 

 

山桜の季節が過ぎ、山ツツジや石楠花の季節に。急遽朝六時に起床し、北比良釈迦岳に向かう。
釈迦岳は、滋賀県大津市に位置し、琵琶湖の西岸の比良山地は、砂岩・泥岩、堆積岩の岩体と
そのなかに貫入した花崗岩の地域。この地域の山々が湖から急に高度を上げ、湖に対して急斜
面で対する琵琶湖西岸断層帯、湖岸に沿う何本かの断層が存在し、数10万年来、間欠的に活動
してきた。山地の上昇が急なため、斜面の崩壊も激しく、流出する土砂は扇状地を形成、人為
的に制御された川の流路は各所に天井川をつくっている。山頂部は隆起準平原で、八雲ヶ池や
子女郎ヶ池などの湿地が多数点在し、緩やかな傾斜地はスキー場として利用ている。この琵琶
湖西岸断層帯の断層は、活断層で近い将来の活動が心配される。このよう背景に、最高峰武

ヶ岳のある奥比良・北比良・南比良・リトル比良からなり北比良にあり
、古くから近江八景の
一つ「比良の暮雪」で知られる景勝地(別名「暮雪山」)と呼ばれている。山頂
から東側へ琵
琶湖の稜線が延び、稜道が整備され、ノタノホリ池にはモリアオガエルが生息。山頂
付近や北
側の金糞峠にかけ、尾根にはホンシャクナゲなど繁殖。

自宅から南回りで湖岸道路→守山の琵琶湖大橋→湖西道路を走らず国道(161号線)から比
良川から遡上(途中、セブンイレブンでお握りと伊藤園のカテキン緑茶など買い込み)。比良
とぴあ→湖西道路(高速無料)交差点→登山口(イン谷口)に8時過ぎ到着(神爾谷分岐前駐
車場)。比良マイクロ水力発電小屋がある旧リフト駅舎から入山→途中、ロープウェイ駅跡・
カラ岳分岐路(右折れ)→釈迦岳山頂(11時)→下山(イン谷口に13時30分到着)→帰宅 

 

比良山地一帯の植生は、山腹がアカマツ林やスギ・ヒノキ植林、山頂部はブナ林、ブナ・アシ
ウスギ混
交林、ミズナラやアズキナシ、リョウブなどからなる二次林によって占められ、地下
に不透水層のあると
ころでは八雲ヶ原やオトシ地域のように湿原を形成しているところでは、
貴重な湿地植生も見られる。また、
比良山ではシロヤシオやレンゲツツジ、ユキグニミツバツ
ツジ、ベニドウダンなどのツツジ科の植物が多く、春に花を咲かせます。夏は滝の周辺などで
はオタカラコウやイワタバコ、湿原ではヒツジグサやノハナショウブ、ミカヅキグサ、モウセ
ンゴケなどが花を咲かせます。秋はセンブリやリンドウ、アケボノソウなどリンドウ科の植物
やアキノキリンソウやシロヨメナなどのキク科の花が目をひきます。湿原ではウメバチソウや
サワギキョウなどが花を咲かせる。さらに、
貴重な植物(『滋賀県レッドデータブック2005年
版』)として絶滅危惧種のアキノハハコグサ、アスヒカズラ、ウチョウラン、カツラカワアザ
ミ、タヌキモ、ツレサギソウ、ノビネチドリ、ヒキヨモギ、ヒナラン、ヤシャビシャクなどや、
絶滅危機増大種のクサレダマ、セイタカスズムシソウ、トキソウ、トモエソウ、ヤマジソ、ヤ
マトキソウなど、多くの貴重種が生育するという。


途中、薄紫のヤマツツジは綺麗に咲いていたが、石楠花を観に入山したという高齢の男の方が
例年よ
り、気温が低いの花が咲いていないと話していた通り、つぼみも花も遅い。



釈迦岳の山頂はブナやアシウスギ混交林などで見晴らしはよくない、小松・武奈ヶ岳方面の稜
線に行くと見晴らしが良い。



登りはいつもなく厳しく、途中幾度か下山しようかという弱気に襲われるが辛うじて持ちこた
えた。途中、堂満岳を経由し下山するという高齢の女子グループと出くわしたが、下山時間が
17時前ていどになると推測できるがとてもじゃないがそこまでの健脚はないものの、それでも
自分を讃えために山頂で記念撮影を撮った。
 

 

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抗癌最終戦観戦記Ⅲ

2013年05月02日 | 医療健康術

 

 




【近江八幡水ヵ浜 シャーレ

正午過ぎ、彼女が外に出ましょうというので、手を止めひとつ返事で、水ヵ浜へ車を走らせる。コースは普段と
はことなる湖岸道路から長命寺廻りの北上コースをとる。湖岸を散策し写真を撮り、店内でコーヒーとオレンジ
ジュースを頼み休息、いつものように世間話をして帰路につく。





 

 

神戸大学大学院医学研究科分子生物学分野の片岡徹教授らの研究グループが、大腸がんやすい臓がん
などのがん発症に関わるがん遺伝子のたんぱく質 (Ras) の働きを止める物質を突き止めたという。
それによると、
Rasはその分子表面にポケット構造(薬剤を鍵とすると鍵穴に相当)を持たないため、
Rasに直接結合しその働きを止める物質の開発は不可能と思われてきたが、大型放射光施設SPring-8
協力下で、2005年に世界に先駆けてRasの分子表面にポケット構造を発見
したのを皮切りに、そのポケッ
トに特異的に結合することにより、Ras が引き起こす細胞がん化シグナルの伝達を遮断する3種類の
物質(低分子化合物)を、コンピュータシミュレーションと試験管内及び細胞レベルでの活性検定を
組み合わせた独自の手法を用いることで発見できたという。これらの物質(Kobeファミリー化合物
は、マウスに移植したヒト大腸がん細胞の腫瘍形成を抑制する顕著な抗がん作用を示すという。

抗癌剤の開発も、並み居る欧米を向こうに善戦していることが分かる。これで膵臓癌の脅威を克服できるたな
ら、強いストレス性労働による落命率がゼロの道が拓ける?! 

※ 特開2009-112203 ホスホリパーゼCεを分子標的とした新規抗炎症薬のスクリーニング方法、お
  よび尋常性乾癬様の慢性皮膚炎モデル動物 

※ 再表2011/007773 変異型Rasポリペプチドの結晶

 

【アンチエイジングに朗報か?!】

脳内視床下部に老化に関わる源泉機能を発見。この機能(部位)を制御することで全身の抗老化作用
を高めることができるかもしれない(下図クリック
)。

A Boy And His Atom: The World's Smallest Movie

 

IBMの科学者チームは、同社が開発した「走査型トンネル顕微鏡」の非常に鋭い探針を銅の表面に沿
って操作し、原子や分子を引き寄せて精密に動かすことによって映画を製作した。IBMによると、今
回製作された映画は、ギネス世界記録によって「世界一小さなストップモーション映画」に認定さ
れたという。すごいねぇ~~~、さよなら、バルク、時代は、量子ドット時代へ。





 

  時刻表どおり九時ちょうどに、松本行きの特急列車はプラットフォームを離れた。彼はベン
 チに座ったまま、その明かりが線路を遠ざかり、スピードを上げながら夏の夜の奥に消えてい
 くのを最後まで見届けた。最終列車の姿が見えなくなってしまうと、あたりは急にがらんとし
 た。街そのものが輝きを一段階落としたようにも見えた。芝居が終り、照明が落とされた後の
 舞台のようだ。彼はベンチから立ち上がり、ゆっくり階段を降りた。
  新宿駅を出て、近くにある小さなレストランに入り、カウンター常に座ってミートローフと
 ポテトサラダを頼んだ。そしてどちらも半分残した。まずかったわけではない。そこはミート
 ローフがうまいことで有名な店だった。ただ食欲がなかったのだ。ビールもいつものように半
 分だけ飲んで残した。

  それから電車に乗って自分の部屋に戻り、シャワーを浴びた。石鹸で丁寧に身体を洗い、身
 体の汗を落とした。そしてオリーブグリーンのバスローブを着て(かつてのガールフレンドが
 三十歳の誕生日にプレゼントしてくれたものだ)ベランダの椅子に座り、夜の風に吹かれなが
 ら、鈍くくぐもった街の騒音に耳を澄ませた。もう十一時近くになっていたが眠くはなかった。
  大学生のとき、死ぬことばかり考えていた日々のことを、つくるは思い起こした。もう十六
 年も前になる。その頃は、ただじっと深く自分の内奥を見つめていれば、心臓はやがて自然に
 停止してしまいそうに思えたものだ。精神を鋭く集中し、一か所にしっかり焦点を結んでいれ
 ば、レンズが陽光を集めて紙を発火させるのと同じように、心臓に致命傷を与えられるに違い
 ないと。彼はそうなることを心から期待していた。しかし彼の意に反して、何か月経っても心
 臓は停まらなかった。それほど簡単に心臓は停まらないものなのだ。

  遠くでヘリコプターの音が聞こえた。こちらに近づいてくるらしく、音はだんだん大きくな
 っていった。彼は空を見上げ、機影を求めた。それは何らかの大事なメッセージを持った使者
 の到来のように感じられた。しかしその姿はとうとう見えないまま、プロペラの音は遠ざかり、
 やがて西の方向に消えていった。あとには柔らかくとりとめのない、夜の都市のノイズだけが
 残った。

  シロがあのとき求めていたのは、五人のグループを解体してしまうことだったのかもしれな
 い。そういう可能性がつくるの頭にふと浮かんだ。彼はベランダの椅子に座り、その可能性に
 少しずつ具体的なかたちを与えていった。
  高校時代の五人はほとんど隙間なく、ぴたりと調和していた。彼らは互いをあるがままに受
 け入れ、理解し合った。一人ひとりがそこに深い幸福感を抱けた。しかしそんな至福が永遠に
 続くわけはない。楽園はいつしか失われるものだ。人はそれぞれに違った速度で成長していく
 し、進む方向も異なってくる。時が経つにつれ、そこには避けがたく違和が生じていっただろ
 う。微妙な亀裂も現れただろう。そしてそれはやがて微妙なというあたりでは収まらないもの
 になっていったはずだ。

  シロの精神はおそらく、そういう来るべきもの圧迫に耐えられなかったのだろう。今のう
 ちにそのグループとの精神的な連動を解いておかないことには、その崩壊の巻き添えになり、
 自分も致命的に損なわれてしまうと感じたのかもしれない。沈没する船の生む渦に呑まれ、海
 底に引きずり込まれる漂流者みたいに。
  その感覚はつくるにもある程度理解できるものだった。今では理解できるということだ。お
 そらくは性的な抑制がもたらす緊張が、そこで少なからぬ意味を持ち始めていたに違いない。
 つくるはそう想像する。生々しい性夢を後口抜にもたらすことになったのも、おそらくはその 
 緊張の延長線上にあるものだったのだろう。それはまた他の四人にも何かを--どんなものか
 は知れないが--もたらしていたかもしれない。
  
  シロはおそらくそんな状況から逃げ出したかったのだろう。感情のコントロールを絶え間な
 く要求する緊密な人間関係に、それ以上耐えられなくなったのかもしれない。シロは五人の中
 では疑いの余地なく、最も感受性の強い人間だった。そしておそらく誰よりも早く、その軋み
 を聞き取ったのだろう。しかし彼女には、自らの力でその輪の外に逃れることはできない。そ
 こまでの強さを彼女は具えていない。だからシロはつくるを背教者に仕立てる。つくるはその
 時点で、サークルの外に出て行った最初のメンバーとして、その共同体の最も弱いリンクにな
 っていた。言い換えれば、彼には罰される資格があった。そして彼女が誰かにレイプされたと
 き(誰がどのような状況で彼女を犯し妊娠させたのか、それはたぶん永遠に謎のままだろう)、
 ショックのもたらすヒステリックな混乱の中で、彼女は電車の非常停止装置を引くみたいに、
 渾身の力を込めてその弱いリンクを引きちぎったのだ。
  そう考えるといろんな筋が通るかもしれない。彼女はそのときおそらくは本能の命じるまま
 に、つくるを踏み台にして閉塞の壁を乗り越えようとした。多崎つくるならそんな立場に置か
 れても、それなりにうまく生き残っていけるはずだ、シロはそう直観したのだろう。エリが冷
 静にそういう結論に達したのと同じように。
  
  冷静でいつもクールに自分のペースを守る多崎つくるくん。

  つくるはベランダの椅子から立ち上がり、部屋に戻った。棚からカティーサークの瓶を出し
 てグラスに注ぎ、それを手に再びベランダに出た。そして椅子に腰を下ろし、右手の指先でし
 ばらくこめかみを押さえた。
  いや、おれは冷静でもなければ、常にクールに自分のペースを守っているわけでもない。そ
 れはだだバランスの問題に過ぎない。自分の抱える重みを支点の左右に、習慣的にうまく振り
 分けているだけだ。他人の目には涼しげに映るかもしれない。でもそれは決して簡単な作業で
 はない。見た目よりは手間がかかる。そして均衡がうまくとれているからといって、支点にか
 かる総重量が僅かでも軽くなるわけではないのだ。
 
  それでも彼はシロを--ユズを--赦すことができた。彼女は深い傷を負いながら、ただ自
 分を必死に護ろうとしていたのだ。彼女は弱い人間だった。自分を保護するための十分な堅い
 殼を身につけることができなかった。迫った危機を前にして、少しでも安全な場所を見つける
 のが精一杯で、そのための手段を選んでいる余裕はなかった。誰に彼女を貴められるだろう?
 しかし結局のところ、どれだけ遠くに逃げても、逃げ切ることはできなかった。暴力を忍ばせ
 た暗い影が、執拗に彼女のあとを追った。エリが「悪霊」と呼んだものだ。そして静かな冷た
 い雨の降る五月の夜に、それが彼女の部屋のドアをノックし、彼女の細く美しい喉を紐で絞め
 て殺した。おそらくは前もって決められていた場所で、前もって決められていた時刻に。




  つくるは部屋に戻り、受話器をとって、その意味を深く考えないまま短縮番号を押し、沙羅
 に電話をかけた。しかし三回コール音が聞こえたあとではっと我に返り、思い直して受話器を
 置いた。時刻はもう遅い。そして明日になれば彼女に会える。顔を合わせて話をすることがで 
 きる。その前に中途半端なかたちで話をするべきじゃない。それはよくわかっていた。しかし
 何はともあれ、彼は今すぐ沙羅の声を耳にしたかった。それは自然に内側から湧き起こってき
 た感情だった。その衝動をつくるは抑えることができなかった。
  彼はラザール・ベルマンの演奏する『巡礼の年』をターンテーブルに載せ、針を落とした。
 心を定め、その音楽に耳を澄ませた。ハメーンリンナの湖畔の風景が浮かんだ。窓の白いレー
 スのカーテンが風にそよぎ、小さなボートが波に揺られてかたかたという音を立てていた。林
 の中では親鳥が辛抱強く小鳥に啼き方を敦えていた。エリの髪には柑橘類のシャンプーの匂い
 が残っていた。彼女の乳房は柔らかく豊穣で、そこには生き続けることの密な重みがあった。
 道案内をしてくれた気むずかしそうな老人は夏草の中に硬い痰を吐いた。大は幸福そうに尻尾
 を振ってルノーの荷物席に飛び乗った。そんな情景の記憶を辿っているうちに、そこにあった
 胸の痛みが戻ってきた。



  つくるはカティーサークのグラスを傾け、スコッチ・ウィスキーの香りを昧わった。胃の奥
 加ほんのりと無くなった。.大学二年生の夏から冬にかけて、死ぬことばかり考えていた日々、
 毎晩こうして小さなグラスに一杯、ウィスキーを飲んだものだ。そうしないことにはうまく眠
 れなかった。
  唐突に電話のベルが鳴り出した。彼はソファから立ち、リフトでレコードの針を上げ、電話
 機の前に立った。それが沙羅からの電話であることはおそらく間違いない。こんな時刻に電話
 をかけてくる相手は彼女しかいない。つくる加電話をかけたことを知って、コールバックして 
 きたのだろう。受話器を取るべきかどうか、コールが十二回続くあいだ、つくるは迷っていた。
 唇を堅く結び、息をひそめ、電話機をじっと見ていた。黒板に書かれた長く難解な数式の手が
 かりを求めて、少し離れたところから細部を検分する人のように。しかし手がかりは得られな
 かった。ベルはやがて削み、沈黙があとに続いた。含みを持った深い沈黙だった。
  
  つくるはその沈黙を埋めるために、再びレコードに針を下ろし、ソファに戻って音楽の続き
 に耳を澄ませた。今度は具体的なことを何ひとつ考えないように努めた。目を閉じ、頭を空白
 にし音楽そのものに意識を集中した。やがてそのメロディーに誘い出されるように、瞼の裏側
 に様々なイメージが次々に浮かび、浮かんでは消えていった。具象性や意味を持だない一連の
 形象だった。それらは意識の暗い縁からぼんやりと現れ、可視領域を音もなく横切り別の縁に
 吸い込まれて消えていった。顕微鏡の円形の視野を横切っていく、謎めいた輪郭を持った徹生
 物のように。

  十五分後にまた電話のベルが鳴ったが、つくるはやはり受話器を取らなかった。今度は音楽
 も止めず、ソファに腰を下ろしたまま、その黒い受話器をただ注視していた。ベルの回数も数
 えなかった。そのうちにベルは止み、聞こえるのは音楽だけになった。
  沙羅、と彼は思った。君の声が聞きたい。他の何よりも聞きたい。でも今は話すことができ
 ないんだ。
  明日、沙羅はおれではなく、あのもう一人の男を選ぶかもしれない。彼はソファに横になり、
 目を閉じてそう思った。それは十分起こり得ることだし、彼女にとってはむしろそちらが正し
 い選択なのかもしれない。

  相手の男がどういう人間なのか、二人がどのような関係を結んでいるのか、どれくらい長く
 つき合ってきたのか、つくるには知りようがない。また知りたいという気持ちもない。ただひ
 とつ言えるのは、今の時点でつくるが沙羅に差し出せるものは、とても僅かしかないというこ
 とだ。限られた凱の、限られた種類のものだ。そして内容的に見れば、おおむね取るに足らな
 いものでしかない。そんなものを誰かが本気で欲しがるだろうか?
  沙羅はおれに好意を持っていると言う。それはおそらく本当だろう。しかし世の中には好意
 だけではまかないきれないものごとが数多くある。人生は長く、時として過酷なものだ。犠牲
 者が必要とされる場合もある。誰かがその役を務めなくてはならない。そして人の身体は脆く、 
 傷つきやすく、切れば血が流れるように作られている。

  いずれにせよもし明日、沙羅がおれを選ばなかったなら、おれは本当に死んでしまうだろう、
 と彼は思う。現実的に死ぬか、あるいは比喩的に死ぬか、どちらにしてもたいした変わりはな
 。でもたぶんおれは今度こそ、確実に息を引き取ることだろう。色彩を持たない多埼つくる
 は完全に色を失い、この世界から密やかに退場していくだろう。すべては無となり、あとに残
 るのは一握りの硬く凍った土塊だけ、ということになるかもしれない。
  たいしたことじゃない、と彼は自分に言い聞かせる。それはこれまでに幾度も起こりかけた
 ことだし、実際に起こっていたとして何の不思議もないことだった。ただの物理的な現象に過 
 ぎない。巻かれていた時計のねじがだんだん緩んで、モーメントが限りなくゼロに近くなり、
 やがて歯車が最後の動きを血め、針がひとつの位置にぴたりと停止する。沈黙が降りる。それ
 だけのことじやないか。

  日付が変わる前にベッドに入り、枕元の明かりを消した。沙羅が出てくる夢が見られるとい
 いのだが、とつくるは思った。エロテイックな夢でもいいし、そうでなくてもいい。しかしで
 きることなら、あまり哀しくない夢がいい。彼女の身体に手を触れられる夢なら言うことはな
 い。それは所詮夢なのだから。

  彼の心は沙羅を求めていた。そんな風に、心から誰かを求められるというのは、なんて素晴
 らしいことだろう。つくるはそのことを強く実感した。とても久しぶりに。あるいはそれは初
 めてのことかもしれない。もちろんすべてが素晴らしいわけではない。同時に胸の痛みがあり、
 息苦しさがある。恐れがあり、暗い揺れ戻しがある。しかしそのようなきつさでさえ、今は愛
 おしさの大事な一部となっている。彼は自分か今抱いているそのような気持ちを失いたくなか
 った、一度失ってしまえば、もう二度とその温かみには巡り合えないかもしれない。それをな
 くすくらいなら、まだ自分自身を失ってしまった方がいい。
 「ねえ、つくる、君は彼女を手に入れるべきだよ。どんな事情があろうと。もしここで彼女を
 離してしまったら、もう誰も手に入れられないかもしれないよ」

  エリはそう言った。彼女の言うとおりなのだろう。何があろうと沙羅を手に入れなくてはな
 らない。それは彼にもわかる。しかし言うまでもなく、彼一人で決められることではない。そ
 れは一人の心と、もう一人の心との間の問題なのだ。与えるべきものがあり、受け取るべきも
 のがある。いずれにせよすべては明日のことだ。もし沙羅がおれを選び、受け入れてくれるな
 ら、すぐにでも結婚を申し込もう。そして今の自分に差し出せるだけのものを、それが何であ
 れ、そっくり差し出そう。深い森に迷い込んで、悪いこびとたちにつかまらないうちに。




 「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」、それがつくるがフィンランドの湖
 の畔で、エリに別れ際に伝えるべきこと-でもそのときには言葉にできなかったことだった。
 「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。
 そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」
  彼は心を静め、目を閉じて眠りについた。意識の最後尾の明かりが、遠ざかっていく最終の

 特急列車のように、徐々にスピードを増しながら小さくなり、夜の奥に吸い込まれて消えた。
  あとには白樺の木立を抜ける風の音だけが残った。

 

                                     PP.361-370
                         
                村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 



  I once had a girl or should I say she once had me?
 She showed me her room "Isn't it good, Norwegian wood?"

 She asked me to stay
 And she told me to sit anywhere
 So I looked around
 And I noticed there wasn't a chair

 I sat on a rug, biding my time
 Drinking her wine
 We talked until two
 And then she said, "It's time for bed"

 She told me she worked in the morning
 And started to laugh
 I told her I didn't
 And crawled off to sleep in the bath

 And when I awoke I was alone
 This bird had flown
 So I lit a fire
 Isn't it good, Norwegian wood ?

 



 

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ポストメガソーラ巡礼の明日

2013年05月01日 | 日々草々

 



 

 

今日は、ポストメガソーラの製造装置システムについて考えてみた。注目しているのは島津製作所
の動向だ。新規考案をつなぎ合わせて見えてくるのは、実はわたし(たち)が考えている方法性と
一致しているのではないかという思いと、仮に一致しているとするなら、残りの課題は研究室段階
から量産段階での製造→販売→サービスのODIMS(開放型デジタル統合管理システム)という
資源環境(3R)を新たに加えたサプライ・チェーンを含めた複雑系5次元的マネイジメントシス
テムの設計段階への移行前段階ということあり、開発要素をすべて潰した上で、次世代型太陽電池
へ遷移するだろうという見通しである。先ずは研究室段階での減圧プロセス(=真空設備装置)系
を含む製造モデルのワンパッケージ化である。

※ 半導体素子の薄膜平坦化方法(P2008-16816)vs 半導体膜蒸着装置および半導体膜蒸着方法
  P2013-038320) 
※ ここでいう五次元とは従来の時空軸の四次元に加え、複雑系経済学で取り扱う「自己組織化」
  を加えたもの(過去には「アメーバー経営」など称されていたもののシステム化と考えて良い)。




 





  木元沙羅から携帯電話に連絡があったとき、つくるは机の上に積み上げられた書類を分類し、
 不要になったものを捨て、柚斗の中にたまった文具を整理することで時間を潰していた、沙羅
 にこの前会ってから五日後の木曜日のことだ,
 「今お話してもかまわないかしら?」
 「いいよ」とつくるは言った。「今のところ、珍しくのんびりした一日なんだ」
 「よかった」と彼女は言った。「今日、少しでいいからあなたと会えるかしら? 私は七時か
 ら会食の予定が入っているんだけど、その前だったら時間を空けられる。銀座まで出てきても
 らえるととてもありかたいんだけど」 
  つくるは時計を見た。「五時半に銀座に行くことはできると思う。場所を指定してくれない

 か」
  彼女は四丁目の交差点の近くにある喫茶店の名前をあげた。その喫茶店の場所はつくるも知
 っていた。
  五時前に仕事を切り上げ、会社を出て、新宿駅から丸ノ内線に乗って銀座まで行った。ちょ
 うどうまい具合に、彼はこの前沙羅からプレゼントされたブルーのネクタイを締めていた。
  喫茶店には沙羅が先に来て、コーヒーを飲みながら待っていた。つくるの締めているネクタ
 イを目にして、彼女はにっこりと笑った。笑うと唇のわきに小さな二本のチャーミングな皺が
 寄る。ウェイトレスがやってきて、彼もコーヒーを注文した。喫茶店は仕事帰りに待ち合わせ
 る人々で温み合っていた。     

 「遠くまで呼び出してごめんなさい」と沙羅は言った。
 「たまには銀座に出て来るのもいい」とつくるは言った。「ついでにどこかで一緒にゆっくり
 食事ができたらよかったんだけどね」
  沙羅は唇をすぼめ、ため息をついた。「そうできるとよかったんだけど、今日はビジネス・
 ディナーがあるの。フランスから来た偉い人を懐石料理の店に招いて、接待しなくちゃならな
 い。気が張るし、料理を味わう余裕だってないし、こういうのは苦手なんだけど」
  彼女はたしかに普段以上に気を配った服装をしていた。仕立ての良いコーヒーブラウンのス
 ーツを着て、襟元につけたブローチの中心には小粒のダイアモンドが眩しく光っていた。スカ
 ートは短く、その下にスーツと同色の、細かい模様の入ったストッキングが見えた。

  沙羅は膝に置いたえび茶色のエナメルのハンドバッグを開け、中から白い大きめの封筒を取
 り出した。封筒にはプリントアウトした紙が何枚か祈り畳まれて入っていた。それからかちん
 という音をたててハンドバッグを閉じた。まわりの人が思わず振り向きそうな小気味の良い音
 だった。
 
 「四人のお友だちの近況と居場所を調べておいたわ。この前約束したように」
  つくるはびっくりした。「だって、あれからまだ一週間も経っていないよ」
 「もともと私、仕事が手速いの。要領さえわかれば、それほど手間がかかることでもないし」
 「僕にはとてもできそうにない」
 「人にはそれぞれ得意分野があるのよ。私にはとても駅なんてつくれない」
 「製図もきっとできない」
  彼女は微笑んだ。「たとえ二百年生きたってそんなことできない」
 「それで四人の居場所はわかった?」とつくるは尋ねた。
 「ある意味では」と彼女は言った。

 「ある意味ではわかった」とつくるは反復した。そこには何かしら奇妙な響きがあった。「そ
 れはいったいどういうことなんだろう?」
  彼女はコーヒーを一目飲み、カップをソーサーに戻した。そして間を置くように、爪のエナ
 メルを点検した,爪はバッグと同じえび茶系の色(少しだけ淡い)に美しく塗られていた。そ
 れが偶然ではないことに、一か月分の給料を賭けてもいいとつくるは思った。
 「順番に話させて。そうしないとうまく話せそうにないから」と沙羅は言った。
  つくるは肯いた。「もちろん。君が話しやすいように話せばいい」
  沙羅は調査の方法について簡単に説明した。まずインターネットを活用した。フェイスブッ
 ク、グーグル、ツイッター、旺能な限りの検索手段を用いて、彼ら四人の人生の足取りを辿っ
 た。アオとアカの現在の状況はそれでおおむね把握できた。二人に関する情報を集めることは
 さしてむずかしくなかった。というかむしろ、彼らは自らに関する情報-その大部分は彼ら
 の従事しているビジネスに関連する情報だ-を進んで世間に明らかにしていた。
 「考えてみれば、なんだか不思議な話よね」と沙羅は言った。「そう思わない? 私たちは基
 本的に無関心の時代に生きていながら、これほど大量の、よその人々についての情報に囲まれ
 ている。その気になれば、それらの情報を簡単に取り込むことができる。それでいてなお、私
 たちは人々について本当にはほとんど何も知らない」
 「哲学的な省察は、君の今日の素敵な着こなしによく似合っている」とつくるは言った。
 「ありがとう」と沙羅は言って微笑んだ。

  クロに関しては検索はそれほど簡単ではなかった。アカやアオの場合とは連って、彼女は自 
 己関連の情報を世間に向けて開示するビジネス上の必要性を持たなかったからだ。それでも愛
 知県立芸術大学工芸科関連のサイトで、彼女の足取りをかろうじて辿ることができた。
  愛知県立芸術大学工芸科? 彼女は名古屋にある女子私立大学の英文科に入ったはずだ。し
 かしそのことについて、つくるはあえて口をはさまなかった、疑問符を頭にとどめただけだ。
 「それにしても、彼女についての情報量は限られたものだった」と沙羅は言った。「だからク
 ロさんの実家に電話をかけてみたの。彼女の高校時代のクラスメートだと嘘をついた。同窓会
 誌を編集しているので、できれば現住所を教えてもらいたいって言ったの。お母様は親切な方
 で、いろんなことを教えてくださった」
 
 「君の聞き方がきっとうまかったんだろう」とつくるは言った。
 「あるいはそういうこともあるかもしれない」と沙羅は控えめに言った。
  ウェイトレスがやってきて、沙羅のカップにコーヒーのお代わりを注ごうとしたが、彼女は
 手を上げて断った。ウェイトレスが去ると、彼女は目を開いた。
 「シロさんに関しては、情報の収集は困難であると同時に、容易くもあった。彼女の個人情報
 はまったく見当たらなかったけれど、そのかわり過去の新聞記事が必要な情報を提供してくれ
 た」
 「新聞記事?」とつくるは言った。
  沙羅は唇を賄んだ。「これはとても微妙な話なの。だからさっきも言ったように、私に順番
 に話させて」
 「悪かった」とつくるは謝った。
 「私がまず知っておきたいのは、四人の現在の居場所がわかって、彼らと対面する決心はあな
 たにできているかどうかということなの、これから知ることになる事実の中に、あまり好まし
 くない種類の、知らなければよかったとあなたが思うような事実がいくつか含まれているとし
 ても」 
  つくるは肯いた。「それがどんなことなのか予想もつかないけど、僕はあの四人に会うよ。
 決心はもうできている」
  沙羅はひとしきりつくるの顔を見つめていた。それから言った。
 「クロさんこと、黒埜恵理さんは現在フィンランドに住んでいる。日本にはほとんど戻ってこ
 ない」
 「フィンランド?」
 「フィンランド人のご主人と、二人の小さな娘と、ヘルシンキに住んでいる。だからもし彼女
 に会いたければ、そこまで出かけて行くしかないみたいね」
  つくるは頭の中にヨーロッパのおおまかな地図を思い浮かべた。そして言った。「考えてみ
 れば、これまで旅行というものをろくにしなかった。有給休暇も溜まっている。北欧の鉄道事
 情を見学するのも悪くないかもしれない」
  沙羅は微笑んだ。「ヘルシンキのアパートメントの住所と電話番号を書いておいた。なぜ彼
 女がフィンランド人男性と結婚して、ヘルシンキに住むことになったか、そのへんの事情はあ
 なたが自分で調べるか、それとも本人に尋ねるかして」
 「ありがとう。住所と電話番号がわかればそれで十分だ」
 「もしフィンランドまで行く気があなたにあるのなら、旅行の手配は手伝ってあげられると思
 う」
 「君はプロだから」 
 「おまけに有能で、手際もいい」
 「もちろん」とつくるは言った。



  沙羅は次のプリントアウトを開いた。「アオくんこと、青海悦夫くんは現在、名古屋市内の
 レクサスのディーラーでセールスマンをしている。ずいぶん有能らしく、ここのところ連続し
 て販売台数のトップ賞を手にしている。まだ若いけれど、セールス部門のチーフもつとめてい
 る。
 「レクサス」、つくるはその名前を自分に向かって呟いた。
  ビジネススーツに身を包んだアオが明るいショールームで、高級セダンの本革シートの触感
 や、塗装の摩さについてにこやかに顧客に説明している姿を、つくるは想像してみた。しかし
 そのイメージは簡単には浮かんでこなかった。浮かんでくるのは、ラグビーのジャージを着て
 汗だくになり、やかんからしかに麦茶を飲み、二人分の食事を平気でたいらげているアオの姿
 だ。
 「意外だった?」
 「ちょっと不思議な気がするな」とつくるは言った。「でもそう言われてみれば、アオの人柄
 はセールスに向いていたのかもしれない。基本的にまっすぐな性格だし、口はそれほど達若し
 やないけれど、人に自然な信頼感を持たれるタイプだ。小細工はできないが、長い目でみれば
 その方がうまくいくかもしれない」
 「そしてレクサスは信頼できる優秀な車だって聞いている」
  でも彼がそれほど優秀なセールスマンなら、会ったとたんに僕もレクサスを買わされること
 になるかもしれない」
  沙羅は笑った。「あるいは」

  つくるは父親が、大型のメルセデス・ベンツにしか乗らなかったことを思い出した。父親は
 正確に三年ごとに同じクラスの新車に乗り換えた。というか、黙っていても三年ごとにディー
 ラーがやってきて、車を最新のフル装備モデルと取り替えていった。車は疵ひとつなく、常に
 艶やかに輝いていた。父親が自分でその車を運転したことはない。いつも運転手がついていた、
 窓ガラスは濃い灰色にティントされ、中が見えないようになっていた。ホイールは鋳造された
 ばかりの銀貨みたいにまぶしく光っていた。ドアは金庫室並みの堅牢な音を立てて閉まり、車
 内はまさに密室だった。後部シートに座ると、雑然とした世間から遠く隔離されたような気が
 したものだ。つくるは子供の頃からその車に来るのが好きではなかった。あまりにも静かすぎ
 る。彼が好きなのはいつも変わらず、人々で賑やかに混み合った駅と電車だった。
 「彼は大学を出てから、ずっとトヨタのディーラーで働いていたんだけど、そこでも販売成績
 優秀で、二〇〇五年の日本川内でのレクサス・ブランドの立ち上げの時に抜擢され、そちらに
 移った。さよならカローラ、こんにちはレクサス」と沙羅は言った。そしてもう一度左手のマ
 ニキュアをちらりと点検した。「そういうわけで、あなたがアオくんに会うのはそれほどむず
 かしいことではない。レクサスのショールームに足を運べば、そこに彼はいる」
 「なるほど」とつくるは言った。沙羅は次のページを開いた。

 「その一方、アカくんこと、赤松慶くんはけっこう波瀾万丈な人生を歩んでいる。彼は名古屋
 大学経済学部を優秀な成績で卒業し、めでたく大手銀行に入行した。いわゆるメガバンク。と
 ころがそこをなぜか三年で退職し、中堅どころの金融会社に転職した。名古屋資本の会社で、
 早い話いささか荒っぽい噂のあるサラ金。意外な転身だけど、そこも二年半で辞め、今度はど
 こからか資金を集めてきて、自己啓発セミナーと企業研修センターを合体させたようなビジネ
 スを立ち上げた。彼はそれを〈クリエイティブ・ビジネスセミナー〉と呼んでいる。それが今
 では驚くほどの成功を収め、名古屋市内の中心地にある高層ビルにオフィスを構え、けっこう
 な数の社員を使っている。業務内容を詳しく知りたければ、インターネットで簡単に調べられ
 る。会社の名前はBEYOND。何となくニューエージっぼいでしょ」

 「クリエイティブ・ビジネスセミナー?」
 「名称は新しいけれど、基本は自己啓発セミナーとそれほど変わらない」と沙羅は言った。
 「要するに企業戦士を養成するための即席お手軽洗脳コース。教典のかわりにマニュアルブッ
 クを使用し、悟りや楽園のかわりに出世と高い年収を約束する。プラグマティズムの時代の新
 宗教ね。しかし宗教のような超越的要素はなく、すべては具体的に理論化、数値化されている。
 とてもクリーンで、わかりやすい。それでポジティブに鼓舞される人も少なからずいる。しか
 しそれが基本的に、都合の良い思考システムの催眠的注入であることに変わりはない。理論も
 数字も目的に沿ったものだけが巧妙に集められている。でも会社の評判は今のところ上々で、
 けっこう多くの地元企業がこの会社と契約を結んでいる。会社のウェブサイトを見ると、新人
 社員のブートキャンプ風集団研修から、避暑地の高級ホテルで行われる中堅社員を対象にした
 再教育サマー・セッション、上級職のための上品なパワー・ランチまで、幅広く斬新な、人目
  を惹くプログラムを展開している。少なくともパッケージはとても美しい。とくに若い社員に
  は社会常識に洽った礼儀作法と、正しい言葉遣いを徹底して教育する、とある。私個人として
  はこういうのはまったくごめんこうむりたいけれど、企業にとってはありかたいかもしれない。
  どういう感じのビジネスか、おおよそはわかってもらえたかしら?」

  「おおよそわかるよ」とつくるは言った。「でもビジネスをひとつ立ち上げるには、それなり
  の元手が必要なはずだ。そんな資金をアカはいったいどこで手に入れたんだろう? 父親は大
  学の先生でかなり堅い人だ。僕の知るかぎりそれほど経済的に余裕があるとは思えないし、だ
  いいちそういう冒険的なビジネスに進んで投資をするとも思えない」
  「そのへんは謎ね」と沙羅は言った。「でもそれはそれとして、この赤桧くんという人は高校
  時代から、そういうダルみたいなことに向いたタイプだったの?」

   つくるは首を振った。「いや、どちらかといえば穏やかで客観的な学究タイプだった。頭の
  回転も速いし、深い理解力も持っているし、いざとなれば弁も立つ。でも普段はできるだけそ
  ういうところを表に出さないようにしていた。言い方は良くないかもしれないけど、一歩下が
  って策を練るタイプだ。彼が大きな声を出して人を啓発したり、鼓舞したりしている姿は、う
  まく想像できないな」「人は変わるかもしれない」と沙羅は言った。
  「もちろん」と彼は言った。「人は変わるかもしれない。それに僕らはどれだけ親しくつきあ
  って、腹を割って率直に話し合っていたようでも、本当に大事なことはお互いよく知らなかっ
 たのかもしれない」




  
  沙羅はしばらくつくるの顔を見ていた。そして言った。「とにかく二人とも現在、名古屋市
 内に職場を持っている。どちらも生まれ落ちてから、基本的には一歩もその街を出ていない。
  学校もずっと名古屋、職場も名古屋。なんだかコナン・ドイルの『失われた世界』みたい。ね
 え、名古屋ってそんなに居心地の良いところなの?」
  つくるはその問いかけにはうまく答えられなかった。ただ不思議な気がしただけだった。少
 し事情が違えば、彼だって同じように名古屋から一歩も外に出ない人生を歩んで、それについ
 て何の疑問も感じずにいたかもしれないのだ。
  沙羅はそこでいったん話を切った。プリントアウトした紙を畳んで封筒にしまい、テーブル
 の端に置き、グラスの水を飲んだ。それからあらたまった声で言った。
 「それで残りの一人、シロさんこと、白根柚木さんについて言えば、彼女は残念ながら現住所
 を持っていない」
 「現住所を持っていない」とつくるはつぶやくように言った。
  それもまた奇妙な表現だった。現住所はわからないというのなら、まだ話はわかる。しかし
 現住所を持っていないという言い方は、どことなく不自然だ。彼はそれが意味するところにつ
 いて考えた。ひょっとして彼女は行方不明になっているのだろうか。まさかホームレスになっ
 ているわけではあるまい。
 「気の毒だけど、彼女はもうこの世界にはいない」と沙羅は言った。
 「この世県にいない?」
  なぜかはわからないが、シロがスペース・シャトルに乗って宇宙空間をさまよっている光景
 が一瞬つくるの頭に浮かんだ。
  沙羅は言った。「彼女は今から六年前に亡くなった。だから彼女の現住所はないの。名古屋
 市の郊外にお墓加あるだけ。あなたにこんなことを伝えなくてはならないのは、私としてもと
 てもつらいんだけど」

 
  つくるはしばらくのあいだ言葉を失っていた。袋に間いた小さな穴から水がこぼれるように、
 身体から力が抜け出ていった。まわりのざわめきが遠のき、沙羅の声だけ加加ろうじて耳に届
 いた。しかしそれもプールの水底で間いている声のように、意味をなさない遠いこだまでしか
 なかった。彼はなんとか力を振り絞って水底から腰を上げ、頭を水上に出した。それで耳がよ
 うやく聞こえるようになった。音声がいくらか意味を持つようになった。そこでは沙羅加佐に
 向かって話しかけていた。
 「……どのようにして彼女が亡くなったか、その詳しい事情はあえて書かなかった。あなたは
 たぶん、自分のやり方でそれを知った方加いいだろうと思ったから。たとえ時間がかかったと
 しても」 

  つくるは自動的に肯いた。
  六年前? 六年前といえば、彼女は三十歳だった。まだ三十歳だった。つくるは三十歳にな
 ったシロの姿を想像しようとした。でもできなかった。彼に思い浮かべられるのは、十六歳か
 十七歳のときの彼女の姿だけだった。そのことが彼をひどく悲しい気持ちにした。なんという
 ことだろう。おれは彼女と一緒に年齢を重ねることすらできなかったのだ。
  沙羅がテーブル越しに身を乗りだし、彼の手に手をそっと重ねた。温かい小さな手だった。
 つくるはその親密な接触を嬉しく思い、彼女に感謝したが、同時にまたそれは、遠い場所でた
 またま同時的に起こっている、まったく別の系統の出来事のようにも感じられた。
 「ごめんなさい。こんな結果になってしまって」と沙羅は言った。「でもこれは、誰かがいつ
 かはあなたに伝えなくてはならないことだった」
 「わかっているよ」とつくるは言った。彼にはもちろんそれはわかっていた。ただ、心がその
 事実に追いつくのにまだ少し時間がかかるだけだ。それは誰のせいでもない。
 「そろそろ行くわ」と彼女は腕時計を見て言った。そして封筒を彼に手渡した。「四人のお友
 だちについての資料は、ここにプリントアウトしてある。ただし最小限のことしか書いていな
 いごまずその人たちに会って話をすることが、あなたにとって大事だと思ったから。細かい情
 報はそこで明らかになっていくはずよ」
 「いろいろとありがとう」とつくるは言った。適切な言葉を探しあてて、それを声に出すのに
 少し時間がかかった、「近いうちに結果を連絡できると思う」
 「連絡を待っている。もし何か私にできそうなことがあったら、遠慮なく言って」
  つくるはもう一度彼女に礼を言った。

 
                                     PP.135-148

                         
                 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 

  孫悦

フジ放送系の『孫子<兵法>大伝』を観ながらチョットはやめの夕食をとることが続いている。中国
の俳優演技力のハイクオリティに驚いている。なかでも孫悦という女優に注目する。ちょっと喩えよ
うがないのだが、なんだろう、すべてに渡りスケールが大きいあるいは日本や欧米の女優とすべてに
渡り少し違うのだ。ドラマの終わりには答えが出ているだろうが、今夜はそれは無理だ。
 

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