極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

世界展開する"クール"

2014年03月13日 | 環境学・環境思想

 


 

 

やっとのこと、体制が整った感じ。適宜、時宜を得て考察を進めることに。取り敢えずは環境
の影響からはじめた。


【遺伝子組み換え食品のリスク】

 (4)環境への影響

 
  ① 生態系のバランスを乱す

  作物に組みこまれた新たな遺伝子が、複雑な生態系の中で他の生物に転移していくと、
 連鎖反応
を引き起こして、予想もつかなければ制御することもできない影響をもたらすだ
 ろう。具体的には
次のような可能性がある。(197)
  遺伝子組み換え作物の遺伝子が野生種の植物に転移し、しかもその遺伝子がウィルス耐
 性遺伝子
や窒素内定遺伝子、あるいは限界条件でも生存できるような遺伝子の場合、その
 野生種は生命力が
強くなり、他の野生種にとって代ることになるだろう。その結果、生物
 の多様性を減少させ、生物間
の相互作用を破壊し、連鎖反応を起こして予想もつかないよ
 うな悲惨な結果を生む可能性がある。

  土壌の中が、遺伝子汚染によって突然変異を起こす場所(ホットスポット)になる可能
 性があるの
だ。DNAの専門家アランークーパー教授(オックスフォード大学)は、「遺
 伝子組み換え作物や動物
を野外に開放すれば、すぐにそうした事態が起こりえる」と警告
 する。遺伝子組み換えの推進派は
これまで、―DNAは野外ですぐに分解する―と主張し
 てきたが、最新の研究によれば、ある種の土壌
の中でDNAは四〇万年も生き残ってきた
 ことがわかっている。(198)

  事実、遺伝子操作されたDNAが土壌の申で少なくとも二年問も生き残り、その間、複
 製を続け
ていたことも確認されている。(199)  我々が知るレベルの微生物学では、人工
 的な細菌が土壌の中でどの
ように変化するのか予測できないのだ。
  この問題は、バイオエタノールの濃度を高めるために遺伝子操作した土壌菌クレブシエ
 ラの事例
でも検証されている(遺伝子操作した土壌菌クレブシエラを使って、木材や農産
 物の残滓を分解させ、エタノー
ルを生産しようとしたのである)、ところが遺伝子操作さ
 れたクレブシエラ菌は土壌の中で優勢となり、
土壌を肥沃にする自然の微生物を減少させ
 た。さらにこの菌は、他の微生物にとって有毒なエタ
ノールを生産して、土壌の化学組成
 も変化させたのである。実験によれば、この遺伝子操作された
クレブシエラ菌を土壌に入
 れたら麦を枯らしてしまった(遺伝手操作をしていない一般の菌が麦に影響を与えるこ

 はなかった)。もしもこうした菌を野外に放出したら、他の植物を死滅させる可能性もあ
 る
だろう。そうした事態が起きた後になって、菌を除去するのはほとんど不可能である。
  土壌の中で問題が起きる可能性はこの他にもある。たとえば遺伝子組み換えナタネを栽
 培した土
壌と一般のナタネを栽培した土壌とを比べると、土壌中の徹生物の生態系に違い
 があることが発見
された。あるいは、Bt毒素をもつ遺伝子組み換え作物の綴の周辺では、
 土壌の中にBt毒素が集積
されるため、その殺虫成分が少なくとも半年は持続する。その
 結果、土壌を肥沃にする徹生物の
活勣にも悪影響を及ぼしている可能性があるのだ。

  ② Bt作用の毒性

  害虫に抵抗性をもつ遺伝子組み換え作物には、Bt毒素の遺伝子が組み込まれている。
 遺伝子操作していない一般のBt毒素は有機農業の殺虫剤としても使用されており、作物
 に散布してもその
効力は一時的だが、遺伝子組み換え作物の中に組みこまれたBt毒素は
 常時、殺虫効力を発揮し
ているという違いがある。そのため、様々な調査・研究から、B
 t作物は益虫に対しても悪影響を
もたらすことがわかっている。
 
 ・害虫を捕食するクサカゲロウヘの影響を調査したところ、Btトウモロコシはその成長
  を妨げ
致乾季を高めた。
 ・Bt作物は、ミツバチなどの受粉を媒介する昆虫に対して、予測できない影響を与える
  可能性
がある、害虫抵抗性ナタネの成分をミツバチに給田したところ、花の香りを識別
  できなくなっ
たという研究報告がある。
 ・害虫抵抗性ジャガイモを琵べたアブラムシをテントウムシに給餌したところ、産卵数が
  少なく
なり、寿命も短くなった。
 ・コーネル大学のジョン・口ージー教授か1999年に発表した研究によれば、遺に子組
  み換
えトウモロコシの花粉がついたトウワタの葉を、オオカバマダラ蝶の幼虫に食べさ
  せたところ
その多くが死んでしまった。約半数の幼虫が4日目以内早死に、残りの半数
  も半分程度の大きさ
にしか成長しなかったのである二般のトウモロコシの花粉を良べた
  幼虫が死ぬことはなかった)。

  ③ 増加する除草剤の使用量

  先に述べたように、チャールズ・ペンブロック博士が2003年11月に発表した報告
 書によれば
、遺伝子組み換え作物の商業栽培が始まったことで、米国における農薬の使
 用量は増えている。
おもな原因は、除草剤耐性大豆などに使用する除草剤の使用量が増え
 たことにある。農家が除草剤
を散布すればするほど、雑草は除草剤に枯れにくくなり、除
 草剤に耐性をもつ雑草が増えている。

  そのため私たちが目にする食べ物や水、環境全般にわたって除草剤が残留することにな
 る。
また米国では、グリホサート農薬が過度に使用されたことで、ヒ四種類の植物が絶滅
 の危機にある
魚類も10ppm濃度で死ぬ可能性があり、ミミズの死亡率も高まる。

※ 脚注

(197Dr. Jhon Fagan, NLP Policy statement on Genetic Engineering,1995,pp.110-112
(198Alan Cooper,"Persistence of ancient DNA in soil has implications for GE',Royal Society New
     Zealand

(199)  Gebhard and Smalla, 'Monitoring field releas of genetically modified suger beets for persistence 
            of transgenic plant DNA and horizontal gene transfer'
,FEMS Microbiology Ecology,1999,vol.28,
            no.3,1999,pp.261-272
(201)   Anderson, Genetic Engineering, Food, and Our Environment

                       
                                          アンディ・リース著『遺伝子組み換え食品の真実』,pp.149-152
 

   1999.09

【全球に波及展開する"クール"】

この章では、マクルーハンが使った言葉、"
クール"について、高度あるいは超高度消費社会の
構造の解析を平易に語っている。そして、-世界のこれからの産業未来像を考える場合、こう
いう事態は勘定に入れておいた方がいいと思います。文明はそういうふうにいくか、そうでな
くて、十九世紀にマルクスが言ったように、世界同時革命で、同時にひっくり返して再編成す
る以上に、平等なやり方はないわけです。マルクス主義の試みが現実性がなくなった現在では
贈与による平等化を考えて、産業分担するという方法は一考に価します-と政策提案している
が、1995年に幻として消えた、記念講演企画の大本がこの章で語られ、また、アベノミクスの
第三の矢のコア理念である(
べき)贈与による平等化」が見事に語られている。




 ●目に見えないものを相手にする産業

  地方は変りばえがしないじゃないかと言う場合、以前はどこでも、農業とか漁業とか、
 自然を相手にする仕事をしているところというイメージで考えました。
  例えば農業を例にすれば、春に種を蒔いて、秋になったら収穫する。途中で雑草を取っ
 たりして手入れをよくする。冬には土を耕してひっくり返して春に備える。同じ季節の同
 じころにまた種を蒔いてという、そういう繰り返しで、一年間の変化は春夏秋冬、それだ
 けしかない。それだけを何年も何年もやって、東洋では数千年以上同じようにそれをやっ
 てきました。人間の気持も社会の環境も変化のしようがない。変化はただ春夏秋冬だけだ
 と、そういうことになります。

  ところが、都会の暮らしは、地方から人が来たり、また出て行ったりして、産業にして
 も、昔は手織物とか、家内工業的なもので、製品ができるたびに気持も変化するというこ
 とになりますから、もともと都会のほうが変化しやすいわけです。
  今は農業がすっかり少なくなって、日本では農業人口7、8%ぐらいになってしまった。
 昔なら都会の主要な産業だった工業、製造業も今は30%ぐらいです。そして残る60~
 70%は情報産業も含めたサービス業、第三次産業になっています。これは、例えばお医
 者さんだったら、病気だとなると薬を出して、治った治ったと、そういうことですから、
 別に季節が決まっている製品をつくる仕事というわけでもない。そういう産業が主になっ
 てきました。しかも、これだけの材料でこれだけのものができたと、製造業はそうですけ
 れども、それさえも30%ぐらいになっちやった。つまりもう大部分が、目に見えないも
 のを相手にする職業になってしまっています

  都会の変化は、少し前の、農村と都市といったときの、製造業を主体とした都市近郊型
 の産業とかいった時代と比べても、ずっと早く大きくなっています。今はそのころと違っ
 てハイテクのデカイ装置などないんだけど、実は産業はさらに進んでいるというところで
 大部分の人が働いています。そして、その人たちの感覚が、限りなく早い人と、限りなく
 遅いような人というように千差万別に多様化してしまって、そこにもものすごい変化とい
 うか、格差がある。都市と農村といった時代、あるいは、製造業と農業、漁業といった時
 代よりも、もっと変化が大きいわけです。しかも、都市の中でも昔ながらの製造業をやっ
 ているところと、最先端を行くハイテク都市になっているところとの開きもできているか
 ら、格差がなおさら大きく見えてしまうということは言えるんじゃないでしょうか。
 情報化産業が高度だと言っても、別にびっくりすることもないと思いますが、オフィス
 でハイテクの情報化装置を日常的に使っていて、産業の手段がどんどん高度になっていっ
 たということで、それ以上の意味合いはないと考えれば、それでいいんだと思います。
 情報化、ハイテク化が進んで、特別、人間の精神とか思想に変化が起きたなんていうこ
 とはありません。感覚は高度情報化に助けられて拡大してゆくでしょう。しかし、それは
 直接精神が発達することではありません。たしかに、大部分が製造業という時代よりも感
 覚が敏感になって、変化も多くはなっているでしょう。しかし人間の精神自体はこの感覚
 というものでだけで発達する部分もありますが、そうじゃなくて、例えばギリシャ、ロー 
 マ時代からそんなに人間の心は変ってないじゃないかという部分もあります。

 ●人間関係は、これからもっと冷たくなる

  情報装置の発達で家族関係とか、職業における人間関係もずいぶん違ってきたと思いま
 す。インターネットのような高度な情報化装置と、次元の違う別の情報化装置がつなげる
 ようになると、産業はますます高度化、立体化して、広がりをもつようになる。それは大
 脳がつかさどる部分だけがそういうふうに発達していって、製造業の時代のように目に見
 えての成果がどう、ということに関係が薄くなる。目に見える成果はなくても、産業とし
 て成り立っていくし、さらに進んでいきます。人もまた、そういうところに従事している
 から、形に変化はなくても、その仕事内容は日に日に高度になっていく。まるで違った世
 界になってしまったわけです
  人間関係もそうです。いちいちデパートまで出かけていかなくても、インターネットと
 か電子メールで注文すれば、品物が送られてくるようになっていく。今はまだそこまでい
 ってないでしょうけど、家にいて、何々をどこそこに注文する、ということをインターネ
 ットでやれば、百貨店から持ってきてくれるとか、そういうふうになるから、直接的な人

 間関係はますます希薄になっていくでしょう。これは避けがたいから、人間関係が冷たい、
 温かいという言い方をすれば、だんだん冷えてきて、氷点下に冷えるかどうかは別として、
 とにかく冷えっきり、というふうになって、人と人とのつきあいも間に合っちゃうという
 ことになるでしょう。
  電話なんかでも、テレビ電話とかで、映像が出るようになれば、出かけていって会わな
 くたって、顔を見ながら話ができる。だから、人間関係が疎遠になるというようも、高度
 に複雑になるんだけど冷たくなる、という感じじゃないでしょうか。

 ●地域の差と年代の差 

  都会と田舎の差ということで言えば、それは年代の差ということじゃないでしょうか。
 農業、漁業と、第一次産業が多かった時代に生まれて、一年の変化を四季だけで感じてい
 るような暮らしをしてきた人たちが多い田舎での伝統的な生活と、めまぐるしく変化する
 都会の暮らし方をしているところとでは、人間の感覚にズレができてきます。そうはいっ
 ても、別な面では農村といえども、交通は発達して、テレビもあるしファックスもある。
 都会と地方を均質にしてゆく作用も、負けず劣らず拡大しています・都会の後を追いかけ
 ている部分も多いんです。

  世代感覚で言えば、前の時代に育った人と後の時代に育った人の落差のほうが、都市と
 農村を対比させてみるよりも、もっと大きくなっているんじゃないでしょうか。産業の落
 差、そこから起こる人間関係の落差自体が、世代の落差に呑み込まれてしまう。親の世代
 と子どもの世代、のんびりしていた時代に育った人と、その後に来た人たちと、一世代違
 ったらまるで違っちゃうこの世代間の差は、都会と農村の差どころじゃなく大きくて、建
 設的な楽天性をあまり発揮したくないですが、こうなってくると地域や年代によって、ま
 た、文化装置の発達によって「変るもの」と「変らないもの」をはっきり洞察することが
 必要になります。都会と地方を均質にしてゆく作用も、負けず劣らず拡大しています。
  都会と田舎というような場所の落差、産業の落差とかが、世代の落差に移行しちゃうみ
 たいなことです。都会に出て自由を味わって、地元に帰ってみると、田舎はうるさいなあ、
 と感じることだってあるんでしょう。田舎もおいおい都会を後追いしていくはずです。で
 も、世代間の問題というのは、田舎と都会とはまるで違うよっていうくらい大きく響いち
 ゃうことがあるんじゃないでしょうか。
  そういうことで、田舎でも世代が変っていけば、新しい考え方の人も増えてきて、三十
 歳になったら女の人は結婚してるのは当たり前だなんていうことはなくなっていくでしょ
 。都会の変化は速いから、田舎でそういうふうになるころには、都会では、女の人は三
 十歳になったら、もう五回ぐらい結婚してる、なんていうことになるかもしれない。落差
 はなかなか埋まらないかもしれません。

 ●農業の国、ハイテク産業の国・・・、役割分担の時代 

  今、日本の産業でいえば、農業人口は7%ぐらい。そして、東京の農家は人口の0.2
 ぐらいと思います。だから、ゆくゆくは他のところもそうなる可能性があるわけです。

 どのくらい時間がかかるかは別として、地方もみんなそうなっていく。農業はなくなっち
 ゃいます。いまだって、農業をやるより、他人を雇って土地を耕してもらい、自分は勤め
 に出る農家も多くなりました。農業人口は、日本でいえば東京の0.2%くらいに、イギ
 スでいえば同じくロソドンぐらいまでは減っていくと思ったほうがいいわけですね。

  世界的にみても、農業は企業化されて、商社というか、大資本が農業経営をするように
 なるでしょう。東南アジアは農業を専門にして、ョーロッパとか日本とかに農産物を輸出
 する。遂にこちら(一地域)はハイテク化した第三次産業が大部分になります。そういう
 面の分担がひとりでに出来てくるんじゃないですか。

  例ば、米だって日本の米が特別じゃなくなるかもしれない。知り合いが言ってましたよ、
 「アメリカでつくっているという日本酒を飲んだけど、うまかったよ」って。だったら、
 アメリカで米をつくるということは、十分ありえるわけです。寿司なんかもうまいってい
 う。そういう時代なんだと言われれば、そのとおりですよ。
  極端にいうと、そうやって地方は地域分担でそれぞれの産業を担って行くことになるで
 しょうね。気候もあるし、発達・未発達もあるでしょう。農業や漁業は後進地域といわれ
 ているところが最後まで残るでしょう。それは分担になりますよね。ハイテクのところは
 ハイテクだけをやる。農業、漁業をやるところはここ、というふうになって、不均衡は贈
 与によって均すみたいなことになると思います。こういうことをすいすいと心安く考える
 ことは決して愉快なことではありませんが、世界のこれからの産業未来像を考える場合、
 こういう事態は勘定に入れておいた方がいいと思います。
  文明はそういうふうにいくか、そうでなくて、十九世紀にマルクスが言ったように、世
 界同時革命で、同時にひっくり返して再編成する以上に、平等なやり方はないわけです。
 マルクス主義の試みが現実性がなくなった現在では贈与による平等化を考えて、産業分担
 するという方法は一考に価します

  日本のことを考えても、東京と同じようなところまで、農業、漁業は少なくなるという
 ふうに思ったほうがいいわけです。いま農業は、日本は七%ぐらいで、イギリスとアメリ
 カも二%ぐらいです。国家としてはそこまで行くでしょうし、都市と農村という意味でい
 ったら、都市は農業○・何%まで行っちゃうわけですね。そして、農業をまだたくさんや
 っている、産業的にいえば後進地帯の国、地域が、農業担当、食料担当地域ということに
 なるんじゃないでしょうか。それでは俺たちは損をするという声には、先進国側から贈与
 という形で何らかの援助をする。そういう形になるんじゃないですか。
  これが、一種のわかりやすい未来像です。そうなるだろうと思います。
  そういうモデルを考えればいいわけで、世界中でどうなるか、というのなら、東京と鹿
 児島を考えてみるといい。鹿児島とか岩手の農業は2、30%で、東京は0.何%ですか
 ら、この差をどうしたらいいんだっていうことです。すると、東京のほうは食料を鹿児島
 から買って、鹿児島に過剰なお金を払って、不平等にはしないというやり方以外にないと
 思います。
  日本の中ではそうだし、これは世界中でも同じで、そういうふうに考えられるはずです。
 農業や漁業のように天然自然を相手とする産業は、単純に見えて手を加えればどこまでも  
 切りがないほど、奥深い改良の余地がでてきます。だから手を加えれば加えるほど利潤か
 らは遠ざかってしまう、割の合わない産業です。後進地域がこれを担当するとすれば、貨
 幣経済では割損になるに決っています。これを平等化するには贈与以外に考えられそうも
 ありません。
  現に先進地域から後進地域に貸与された資金は、回収不可能になっている部分も多いの
 で、実質上贈与と同じことになっています。

 ●日本人は哲学が苦手

  予想される情報化社会は、誰にとってもありがたいことです。好き嫌いは別にして、交
 通は便利になる点でいいに決っています。今から三十年くらい前までは、食べていくこと
 が大変だったわけだけど、今はたぶん、飢えて食べることが大変だという人はそんなにい
 ないんですよね。食べることの欠乏がなくなっちゃってからの社会的な倫理、何がよくて、
 何が悪いんだというところは、それ以前の時代とはちょっと違ってるんじゃないですかね。
  現在先進国といわれる国々は、三十年ほど前にそういう社会を実現しました。それが実
 現したところで、本当はもう資本主義じゃなくなってきたのかな、と言ってもいいのかも
 しれません。でも、先進的なところは、明日食べるものがないということはなくて、漬物
 だけでご飯を食べていたという人と、肉を食べていたという差は昔はあったろうけど、今
 は肉を食べようと思えば、まあどんな人でも肉ぐらい食べられるというふうになっていま
 す。そういう意味での格差の縮まりということもあるでしょう。そうなったときに、一体
 なんのために生きているんだとか、生きてるかぎりどうすればいいんだとか、そういうこ
 とを考える必要なんかないと思うようになった。目標自体が浮遊しはじめています。

  日本人は特にそういうことを考えるのが苦手です。役に立つこととか、効果が形になる
 ことはよくやります。例えば壁や陶土から美的な茶碗をつくる。芸術的といえるような家
 具とか小道具をつくる、ということをやらせれば、日本人はそうとうなことまでできる。
 だけど、二たす二はどうして四なんだというような抽象的で日常生活にかかおりの薄いこ
 とをつきつめることにかけては日本人は苦手で、二たす二は四なんだから、何でかなんて、
 どうたっていいじゃないかって考えるタイプです。
  なぜ苦手なのか。それは不思議なところで、いろんな考え方があるでしょうけど、そこ
 が日本人の特徴だといえば特徴なんですね。あるところである部分の思考が止まるわけで
 すよ。思考が止まるし、言葉も止まる。そこから先は具体的なものを手掛りにしないと考  
 えられない。逆に言えば、具体的なイメージが与えられているものを修得するのはうまい
 んですよ。だから、思考が止まるから野蛮だという意味ではなくて、ただ、それが特色な
 んですね。日本をはじめ東洋はみなそうですけど、長いこと、それこそ何千年も農業ばか
 りやってきたでしょう。農業をやるには道具として、鍬ぐらいあれば間に合っちゃうわけ
 だから、そういうところで工業とか製造業が発達するはずがないんですよ。
  ヨーロッパのように、土地がやせて欠乏しているところで、農業地域だったという時代
 を速やかに通ったところは、工業生産が発達して、思考をめぐらして工夫することが得意
 になります。そして、二たす二はどうして四になるんだろうか、ということばかり考えて
 一生を送る人も出てくるわけです。日本にはそういう人は昔からないんですよ。その代り、
 一生懸命に苦労して美的にいい茶碗や道具をつくって、名人とか、これはすごい茶碗だ、
 と言われる人はいるんですね。

 ●西欧を追いかけることの勘違い

  自然が豊富で環境に恵まれて、争いごとの少ない温和な気侯だったということもあるん
 です。東北、北海道を例外とすれば、島国でヨーロッパのように寒く、厳しくないですか
 ら、そういう特色があるわけです。


  だから、ヨーロッパのほうが発達して、日本とか東洋は遅れてるんだ、と考えると間違
 っちゃうところはあります。文明開化についてはその通りで、ヨーロッパにはとても及ば
 ない工業や産業の発達の遅れがあり、その点については模倣し、追従するほかありません。
 けれど文明開化が人類歴史の全体的なモチーフと考えると間違うかも知れません。そうで
 はなくて、質が違うんだと言った方がいい面があります。
  明治以降、ヨーロッパを追いかけてきた人たちは、まだ発達してないんだと思って、追
 いつけ、追い越せでやったんだけど、それで本当にいいのかなってことは別問題なんです。
 しかし、そういうことは考えるゆとりもなくやっていた。ところがそこには質の違いとい
 うのもあるんです。近代・現代の文明開花はヨーロッパが先遣の役を果たしたが、現代以
 後も歴史はそうなるかどうかは、まだ誰も知らないところです

  これはそうとうな人でも間違えるんですね。例えばおサルさんの頭蓋骨は扁平で、それ
 が文明の発達につれてだんだん頭蓋骨が立ってきて、ヨーロッパ人はいちばん文明人なの
 で頭蓋が立って鼻が高くなっているんだ。日本人はその中間ぐらいで、サルとヨーロッパ
 人の中間でしかない。だから駄目なんだなんて、そうとうの考古学者でも、そういうこと                                           
 を真に受ける人がいるんです。でも、アフリカ人もアジア人も、もちろん日本人だって、
 感覚的なことを日常の調度品とか道具にまで及ぼして、美的に考えるということだったら、
 ヨーロッパ人より断然すごいと思いますよ。
 アイヌの人でも、沖縄の人でも、「純粋のアイヌ人だ」「純粋の琉球人だ」という人は立
 派ですからね。琉球、沖縄の人でも、九州人と似ている長い顔の人もいるけど、生粋な沖
 縄の人は立派な頭蓋を持っています。純粋な沖縄の人は丸顔で、横顔が立体的で立派で、
 眉も濃くてはっきりしています。でも、だからといって発違しているということでもない
 んで、それは特色の問題です、比べてみてどうこうという問題ではないです。そこを勘違
 いしてはいけないと思います。

                          「第10章 情報化社会が人間関係を冷たくする」P.173-186

                                                                吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』

              
                                                                 この項つづく


【新弥生時代:大阪府大が閉鎖型植物工場建設】


フィリップスエレクトロニクスジャパンは、大阪府立大学の新植物工場に、フィリップスの植
物育成用LED照明「Philips GreenPower LED Production Module(フィリップス グリーンパワ
ーLEDプロダクションモジュール)」が1万3,000本採用されたことを発表。
本LED照明は、赤・
青・白の光の中から用途によって最適な光の組み合わせを選ぶことができる。熱放射量の低いL
EDの特性により近接照射を可能とし、省スペースを実現できる。
植物育成に最適な光の波長と
遠赤色を採用したLED照明を使用すると、消費電力量あたりHf蛍光灯と比べて2倍以上の収量
得られることがわかっており、さらに、生育スピードが加速し、最大20%の栽培収量の増加ま
たは栽培時間の短縮が期待されている。さらに、従来の蛍光灯と比較して最大55%の消費電力
を削減できるという。

 

 サーフボード型カヤック

 

 

 

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最新量子スケール光電変換素子技術

2014年03月12日 | デジタル革命渦論


  




日経ビジネスで、「太陽光発電は年金の代わりになる!」がまたちがったかたちで問題となっている。
利殖目当てが目的化していくことに対する警戒からだが、再生可能エネルギー普及のインセンティブ手
段としては洋の東西を問わず共通問題で程度ものとして議論を注視しておけばと考えているが、その批
判の中に気象の極端化による豪雪や強風対策だがこれは重要な改良要因となる。環境省などはもう考
ているだろうが早いところ事例研究した方が良いだろう。それにしても、上のグラフをみて、
ドイツの
先行は段突だ。非石油国にして戦車燃料で石炭合成油を採用、高をくくっていた連合国側を驚ろかせた
国柄はいまもかわりませんねぇ~~。

 



【最新量子スケール光電変換素子技術】

ついでというわけではないが、今夜は量子スケール電子デバイス技術開発の最新情報を掲載してみよう。
と、言ってもこれは、『量子スケールデバイス工学(6)』の続編、シリーズでポストメガソーラを主
題にしていることを確認しておこう。まず、1件めは、有機-無機ハイブリッド接合型の光電変換素子
について(下図参照)。(1)有機半導体薄膜によるEL発光素子の進展に伴い、有機半導体薄膜の合
成や薄膜形成技術の高度化はめざましいが、この背景に有機半導体薄膜でのホール輸送型または電子輸
送型の伝導型制御が着実に進展していることがある。なお、ホール輸送型の有機半導体薄膜を「p*型」、
電子輸送型の有機半導体薄膜を「n*型」と記載することが定着している。(2)有機-無機ハイブリッ
ド構造の光起電力型素子の開発は、有機太陽電池や全有機半導体薄膜の受光素子の研究が進展している。
一方、有機-無機ハイブリッド接合型素子の研究は基礎研究段階。これらの従来の有機-無機半導体複
合素子では、有機半導体薄膜の役割は、半導体機能より透明な有機導電薄膜として利用、無機半導体と
のショットキー接合が多く使用される(半導体用語が多用されるので初めての方には荷の重い話になる
がそこは何とかご辛抱のほど)。つまり有機-無機複合素子は、有機薄膜の役割は窓層としての優れた
透過性と無機半導体との良好なショットキー接合の役割を果たしている。実際、近年、紫外―可視域で
透明な有機導電性薄膜とワイドギャップ化合物半導体との接触による良好なショットキー接触(整流性
)が発見され、
これを利用したZnO(酸化亜鉛)などの有機半導体―無機ワイドギャップ半導体のショッ
トキー接合型
・紫外受光素子も東北大学の研究グループなどから提案されている(例えば、特開2008-2
11203
参照。)。上記の有機-無機半導体のショットキー接合を原理として動作させる半導体受光素子は
吸収損失の大きい無機半導体窓層、例えばp+窓層を吸収損失の少ない有機半導体薄膜で置き換え、外部
からのバイアス印加で形成されるショットキー接合界面に形成される高電界・空乏層領域を利用し動作
させる。

 
JP 2014-42077 A 2014.3.6

現在までに提案されている有機-無機半導体によるショットキー接合型受光素子の問題点は、電流の信
号利得Gが発生しないこと
。つまりは、従来の無機半導体で構成しているp-i-n型受光素子などと同様
に、ショットキー接合
型の有機-無機複合型受光素子の受光感度を支配する外部量子効率ηexの限界値
は、有機窓層の吸収や反射損失を
完全に制御してもηex<百%であり、この制限のために飛躍的な高感
度化に限界がある。


●信号利得を有する従来の半導体受光素子 原理と課題

受光感度の飛躍的な向上には、量子効率の上限である百%を超える信号増倍型の受光素子が要求される
が、この信号利得Gを発現する光起電力型の半導体受光素子には、Si(ケイ素)、Ge(ゲリマニウム)
などの無機半導体で構成したp-n-p型やn-p-n型のフォトトランジスタ素子や雪崩増倍型のAPD素子があ
る。Siなどによるフォトトランジスタ型の受光ダイオードの接合構造は、p-n-p接合あるいはn-p-n接
合である。その動作原理は、n-p-n型では、素子外部から入射した光によりベース領域に微小な少数キ
ャリアである電子が注入され、これらの電子が拡散効果によりベース層からエミッタ側へ流入し、それ
と同
時に、増倍された正孔電流がエミッタからベースに流入し、ベース層を拡散しながら通過し、コレ
クタへ向かう大
きな電流を生じる、バイポーラトランジスタの電流増倍動作を利用するものである。
ところで、"デジタル革命渦論"に位置つけるなら、このアバランシェフォトダイオードは、フォトダイ
オードの価格が数百円程度に対し、従来は百万円していたものが現在では数千円とすさましいまでのダ
ウンサイジングとデフレーションの象徴的なデバイスになる。



しかし、これらの SiやGeなどのフォトトランジスタ型の受光素子は、信号利得Gは発生するが、最大
の欠点は、動作速度が遅いことである。また、暗電流が大きく、高速応答でのS/N比が小さいなどの
欠点もある。素子応答速度がp-i-nやショットキー型と比較して極
めて遅いことは、フォトトランジスタ素子
の動作メカニズムに起因しており、本質的な欠点となっており、それらの応用は狭い範囲に限定されて
いる
。周知のように、例えば n-p-n型フォトトランジスタの応答速度を決定する最大の要因は、光によ
る励起によってベース層で発生した電子などのキャリアがエミッタ層へ移動する移動速度や、また、そ

れが増倍され、エミッタ層からベース層を通過してコレクタ層へ流入する正孔の移動速度が、ベース層
の拡散速度で限定されることによる。この問題を少しでも低減するためにベース層を、極力、薄く設
計したり、ま
た不純物濃度に勾配をつけたりするなどの工夫がされているが、それらの改良においても
数MHz程度が限界
点とされている。また、受光素子のS/Nを支配する暗電流が大きいという課題も
克服されていない。


●APD型の半導体受光素子

信号利得を発現するもう一つの光起電力型の半導体受光素子として、Si、GeなどのAAPD素子。この
素子は 200V以上の直流バイアスを印加し、光電変換層の電界強度をアバランシェ増倍が生じる電界強
度(>106/cm)まで高め、光電流信号をアバランシェ増倍させることにより2~3桁増倍して動作させ
るが、この増倍機能をもつのAPD素子の課題は、
数V~数10Vで動作させるp-i-n素子やショットキ
ー素子と比較し高い動作電圧であり、またAPD素子の製作工程で、放電や暗電流を阻止に、埋め込み

型ガードリングの形成など複雑なプロセスが必要であり、素子の集積化が容易でなく
、コストも高いく、
APD素
子の応用範囲は光通信システムの一部や科学光計測分野などの特殊な用途に限定されている。
上図の新規考
案はこのことを踏まえ、信号利得Gを有しかつ、p-i-nやショットキー型のような優れた
応答性と低い暗電流性を備えた可視-紫外光波帯の高感度の有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素
子を提供である。

●課題を解決するための手段

有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子は、基本接合構造を、素子上部から、ホールのエミッタ層
兼窓層として機能する正孔輸送型の有機半導体薄膜である p*型有機半導体薄膜と、低キャリア濃度で、
高抵抗の無機半導体層であるi型無機半導体光電変換層と、p型無機半導体コレクタ層とからなるp*-i
-p対称接合構造として、数Vから数十Vの直流あるいは交流のバイアス電圧を印加することにより、光
電流の信号利得をえることとし、このの有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子では、基本接合構
造を、素子上部から、電子のエミッタ層と窓層として機能する電子輸送型の有機半導体薄膜であるn*
有機半導体薄膜と、低キャリア濃度と高抵抗の無機半導体層のi型無機半導体光電変換層と、n型無機半
導体コレクタ層により n*-i-n 対称接合構造とし、数Vから数十Vの直流あるいは交流のバイアス電
圧を印加し光電流の信号利得を得る。さらに、有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子では、バイ
アス電
圧の印加方向を変えることで、光電流の信号利得を発生する信号増倍型の受光特性モードと、信
号利得を発生
しない、通常のPIN型の受光特性モードを選択可能にする特徴をもつ。

また、この有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子は、基本接合構造を、素子上部から、正孔輸送
型の有機半導体薄膜である透明 p*型有機半導体薄膜と、低キャリア濃度且つ高抵抗のi型ワイドギャッ
プ無機半導体層と、n 型ワイドギャップ無機半導体層のp*-i-n接合、あるいは、電子輸送型の有機半導
体薄膜の透明 n* 型有機半導体薄膜と、キャリア濃度と高抵抗のi型ワイドギャップ無機半導体層と、p

型ワイドギャップ無機半導体層としたn*-i-p接合とし、この基本接合構造への直流バイアス電圧の印加
よりキャリアの雪崩増倍型の信号利得を発現させる。また、基本接合構造を、素子上部から、電子のエミッタ
層と窓層の機能とした電子輸送型の有機半導体薄膜であるn*型有機半導体薄膜と、低キャリア濃度と高抵
抗の無機半導体層のi型無機半導体光電変換層と、n型無機半導体コレクタ層で構成する n*-i-n対称接
合構造として、数Vから数十Vの直流あるいは交流のバイアス電圧を印加して、光電流の信号利得を発
現する。さらに、本発明の有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子では、バイアス電圧の印加方向
を変えて、光電流の信号利得を発生する信号増倍型の受光特性モードと、信号利得を発生しない通常の
IN型の受光特性モードを選択可能としていることにも特徴を有す。また、本発明の有機-無機ハイ
ブリッド接合型光電変換素子では、基本接合構造を、素子上部から、正孔輸送型の有機半導体薄膜であ
る透明 p*型有機半導体薄膜と低キャリア濃度と高抵抗のi型ワイドギャップ無機半導体層と、n型ワイ
ドギャップ無機半導体層としたp*-i-n接合、あるいは、電子輸送型の有機半導体薄膜である透明 n*
有機半導体薄膜と、キャリア濃度と高抵抗のi型ワイドギャップ無機半導体層と、p型ワイドギャップ
無機半導体層としたn*-i-p 接合とし、この基本接合構造への直流バイアス電圧の印加によりキャリア
の雪崩増倍型の信号利得を発現させる。
さらに、この有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子を同
一半導体基板上に、所定間隔で線状あるいは面状に複数個形成し、全体を反射
防止膜や保護膜などで被
覆して集積型受光素子とし、また、上記有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子または上記集積型
受光素子と、深紫外線や、X線、ガンマ線などの高エネルギー放射線を紫外域や可視光域へ変換する高
効率シンチレーション材料とを組み合わせて構成した光電子増倍管を使用しない全固体型の深紫外や放
射線の高速・高感度の検出装置とする(と、以上はこの新規考案の記載文を恣意的にコピペしたもので
だが、これを理解するにはチョット骨が折れます)。



●量子ドット太陽電池とその製造方法

下図は、多層型化合物半導体系の光電変換素子で、形成した量子ドット層の面内密度が3.0×1011cm-2
5×1011cm-2、高さが1.5~2.0nmの量子ドットとを含むことで、量子効率の向上とキャリアの長寿命化が
実現可能な太陽電池の提案である(「特開2014-041913 太陽電池およびその製造方法」)。


【符号の説明】

11 GaAs基板 12 n+GaAs層(n型半導体層) 13 n型GaAs層(n型半導体層)
14 GaAs層(ノンドープまたはn型半導体層) 15 GaAsSb障壁層 16 InAs量子
ドット 17 GaAsSb障壁(キャップ)層 18 GaAs層 19 p+GaAs層(p型半導体
層) 21 Type-I量子ドット層 22 Type-II量子ドット層 23、24 半導体領域 26 電極 
28 p+AlGaAs窓層(p型半導体層) 29 透明電極 30A,30B 太陽電池

周知のごとく自己形成量子ドット(QDs)を用いた中間バンド型太陽電池により、高い変換効率の実
現が期待されている。従来の量子ドットを用いた中間バンド型太陽電池は、主として量子ドット層を成
長方向に近接して積層(多重化)した、いわゆる縦型構造のものが開発されてきているが、縦型構造の
太陽電池には、以下の問題がある。

(1)多数の量子ドット層を近接して積層方向に積み上げ、量子ドット内の電子を基板と垂直方向に結
  合させてバンド化を実現するため、量子ドット層間を隔てるスペーサ層の膜厚を薄くする必要があ
  る。また歪補償層を必要とするなど、技術的に難しい構造である。
(2)積層方向の中間バンド化の場合、pn接合内の電界効果により量子ドット層間で準位ずれが生じ、
  量子ドット層同士の量子準位を整合させることが難しい。
(3)pn接合に沿ったキャリアの流れ方向と積層化による中間バンドの形成方向が同じであり、キャ
  リア分離効果が得られない。また、積層方向にType-IIバンド構造を導入してキャリア分離効果を高
  める構成を採用した場合でも、キャリアの流れる方向と中間バンドの形成方向が同じであるためキ
  ャリア分離効果は不十分であり、長寿命化の実現が困難である。

※1 A. Luque and A. Marti, "Increasing the Efficiency of Ideal Solar Cells by Photon Induced Transitions at
    Intermediate Levels", Phys. Rev. Lett. 78, 5014 (1997)

※2 N. Kakuda, et al, "Sb-mediated growth of high-density InAs quantum dots and GaAsSb embedding growth
    by MBE", Applied Surface Science 254 (2008) 8050-8053"

このため、量子ドットの面内密度を高めると、量子ドット内電子の波動関数が基板と平行な面内で結合
して重なり合い、量子ドットの伝導帯と価電子帯の中に中間バンドが形成される。面内(基板)と平行
な方向に結合した中間バンドを利用することで、量子ドット層を比較的厚いスペーサ層を介して複数層
積み上げて、実用的な太陽電池を実現できる。面内結合型の太陽電池は製造が容易であり、従来の縦
型構造の太陽電池よりもはるかに少ない積層数で高い変換効率を実現することができる。

量子ドットの面内密度を高めると、量子ドット内電子の波動関数が基板と平行な面内で結合して重なり
合い、量子ドットの伝導帯と価電子帯の中に中間バンドが形成される。面内(基板)と平行な方向に結
合した中間バンドを利用することで、量子ドット層を比較的厚いスペーサ層を介して複数層積み上げて、
実用的な太陽電池を実現できる。面内結合型の太陽電池は製造が容易であり、従来の縦型構造の太陽電
池よりもはるかに少ない積層数で高い変換効率を実現することができる。また、量子ドットの面内密度
と高さを制御することによって、キャリアの長寿命化を実現することができる。

具体的には、太陽電池は、

1.第1の導電型の半導体層と、第2の導電型の半導体層と、この第1及び第2の導電型の半導体層の
 間に配置される半導体領域と、を含み、
2.この半導体領域は、 第1の導電型の半導体層に隣接する第1半導体層と、第1半導体層上に形成さ
 れる量子ドット層を含み、
3.この量子ドット層は、第1障壁層と、第1障壁層上に形成され面内密度が3.0×1011cm-2~5×1011cm-2
  高さが1.5~2.0nmである量子ドットとを含むことを特徴とする。構成例として、量子ドット層はType-I
  バンド構造を有するものであってもよいし、Type-IIバンド構造を有するものであってもよい。Type-II
  バンド構造とする場合は、量子ドット上に第2障壁層を配置して、第1障壁層と第2障壁層で量子ドッ
  トを挟み込む。Type-Iバンド構造の量子ドット層を配置した場合、量子ドットからの発光の減衰時間
  (注入されるキャリアの寿命)は波長1,000nm以上の光に対して3~6nsある。Type-IIバンド構造の
  量子ドット層を配置した場合、量子ドットからの発光の減衰時間(注入されるキャリアの寿命)は波
  長1000nm以上の光に対して3~10nsである。

この提案により、太陽電池に高密度かつ一定の高さ範囲の量子ドットを用いることによって、面内方向
に中間バンドを形成し、量子効率の向上とキャリアの長寿命化を実現
することができるという。

 JP 2014-41913 A 2014.3.6

以上、今夜は、特開2014-042077 有機-無機ハイブリッド接合型光電変換素子 国立大学法人鳥取大学
特開2014-041913 太陽電池およびその製造方法 国立大学法人電気通信大学の2件を掲載してきたが
紙面の都合上、下記に今夜の作業背景の資料を参考に掲載してみた。このことから、時代はメガソーラ
ーから→ポスト・メガソーラに着実に移行してきていることの、またこの先端技術の研究と開発のトッ
プランナーに日本に位置していることのご理解の一助になれば幸甚の至りと思う次第である。
る。


●出典(参考)


 

 


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養鶏の二重化

2014年03月10日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

【養鶏の二重化】

英米でペットとしてのニワトリが人気だというテレビ映像が印象的だった。元々、19世紀に日
本や中国らから観賞用のニワトリが米国に輸
入さてていたからリバイバルなのかなとも思える。
養鶏とは、鶏(にわとり)を飼育することだが、農業分野の畜産の一種であり、採卵(鶏卵)
や食用(鶏肉)とする目的で鶏を飼うことをさす。大多数の肉用の鶏はブロイラーと呼ばれる
限られた特定の品種であり、採卵用の鶏をレイヤー
呼び区別するが、愛玩鶏の繁殖・飼育も
養鶏の扱いになるというから観賞用もまた養鶏に入ることになる。ところで、ひよこの雌雄の
選別は人手により行なわれている。このブログでも養鶏のことを書いた記憶があるが、小学校
の頃田舎に帰るとニワトリの鳴き声で起こされ、籾殻に入れておいた取れ玉子を朝食のご飯に
入れ醤油をかけいただく。なんとも贅沢な瞬間を思い起こしている。あの頃の玉子は、濃厚だ
ったんだねぇ~~。もっとも鶏肉も同様にもちもちコリコリとし美味かったものだった。

それにしても、ツィード・ジャケットを着たニワトリには驚いたが、そんなことがはやってい
るのかと感心もする。産卵量はは約40週間から60週間を過ぎると減衰するが殺処分しなければ
20年は共に生きることができる。そこで、ネット検索した程度だから誤解があるかもしれない
が、備品販売や愛玩方法に対する指導などあるが、治療や殺処分(葬送・食肉加工)などの総
合サービスをビジネス・プラットフォーム化できていないのではと考えた。なければ構築→事
業展開してはどうだろう。つまり本来的な養鶏(畜養生産)→大規模・集約養鶏(畜養生産)
から、先進諸国から超消費資本主義社会に突入し、愛玩(観賞)的養鶏(養鶏の二重化)→高
度分散型養鶏産業の創成に移行させようと言ってみせたわけだ。そう考えると実に面白い。

 

 

※ 参考情報リスト(クリック↓) 

 

 1999.09


さて、今夜は「「第8章 一夫一婦制がいいなんて、うそだよ」のお復習いだ。吉本自身、略
奪婚を経験しているので、この領域もかなりラジカルなヒントが埋め込まれている。わたし自
身は結構保守的だと思っているし、彼女の"一夫一婦制"の考えも相当保守的だ。


 ●
浮気も家庭内暴力も、自然なことだよ

 
  こういう男女関係のさまざまな形は、たぶん過渡的なものだと思うんですね。その次に
 来るのは、ほとんど大部分、半分以上が、男も女も、経済的にも独立して住んでいて、気
 が合ったら何カ月か何年か同棲して、また元に戻るとかいう形になっていくような気がし
 ます。
  その過渡期としてさまざまな形態があると思うんです。それにも関らず、結婚してその  
 まま一夫一婦制を守って年をとるまでそうするという人たちも、またなくならないと思い
 ます。そうすると、何がいい悪いって言ったらおかしいですけど、いまの段階でどれがい
 いのかっていったら、男女問題について、いい悪いは言うべきことでないかもしれないん
 です。

  
ただ、強いてどれが自然かといったら、今だったら、そういうさまざまな形態で、結婚
 したけど離婚して、また違う人と結婚して、それを何回もやったというパターソが一方に
 あります。また他方では一夫一婦制を守っているようだけど本当は双方が我慢に我慢を重
 ねて耐えている人たちも沢山います。どれが自然かといえば、何回も相手を取っかえたと
 か、浮気したとか、援助交際でときどきインチキしてとか、つまり一夫一婦というのは守
 り難いというところが、現在の日本の社会様態では自然だと思うんです。
  それをもっとはっきりした言葉で言ってしまえば、家族でいえば、親が家庭内暴力をす
 るか、子どもが家庭内暴力をするか、夫婦が家庭内暴力するかどれかであるというのが、
 今の目本の家族の普通の状態じやないでしょうか。
  それは潜在的であるか、顕在的であるかまではわかりません。それから、家庭内暴力と
 言ってもいろいろあって、本当に暴力っていうのもあるけど、精神的な家庭内暴力で、子
 どもをいつもいじめてるとか、勉強しろとかうるさいことばかり言ってるとか、あれだっ
 て精神的暴力です。遂に、親に対して子どもが、うるせえな、そんなうるさく言うともう
 学校行かねえぞ、みたいに言う。そういう精神的な暴力も含めていえば、親か子か、夫か
 妻かどちらかの家庭内暴力というのはごく自然、今の普通の状態じゃないかって思うんで
 すよ。


 ●一夫一婦制のただひとつのメリット

 
  そうすると、一夫一婦を守ってる人はどうなんだっていうことです。たぶんいまでも六

 割以上はそうだと思いますけど、それがいいっていう人もいるだろうし、悪いっていう人
 もいるだろうけど、僕はいい悪いは何にもないと思うんです。どういうところに特徴があ
 るかというと、これをいい点と言ってもいいんですけど、一夫一婦制を守っている人たち
 はいろいろ我慢していると思います。実際問題として精神的にも経済的もいろいろ不自由
 を我慢しています。家庭内暴力が普通になっている社会で、きっとどこかで自分を抑圧し
 て年をとるまで一夫一婦制を貫いている。
  となると、それこそユートピアなんだけど、ユート
ピア、つまり理想の社会が来たとき
 には、自由恋愛でこの人と一緒にいようと思って一緒に暮して、そのままずっと終りまで
 
全うするということが、狂いなくできるでしょう。
  つまり、理想の社会だから、相手を選ぶときから生活条件などを考えないで自由に選べ
 る。ほかの条件は考えないで、ただ人間的にこの人が自分にいいって選んで、向こうも選
 んでくれて、それで一緒になってという形で結婚しても、本当にいい人を選んだというこ
 とになるのも、理想の社会だったら可能です。だから、そういうふうに選んで一生そのま
 ま一夫一婦でいけるというのが理想の社会の状態と言えます。
  どう考えたってそうだと思いますから、それだったら、今のこういう社会で一夫一婦が
 実現してるというのは、とにかくやってるんだから、理想の社会を二重に背負っていると
 いうことを意味することになるでしょう。だけど現実には、こういう社会で一夫一婦制を
 やってる人は必ずどこかで我慢しています。どちらかが我慢してる。我慢をし切った、あ
 るいはほかの事情で我慢する以外になかった、ということで、一夫一婦の人は、いいこと
 だっていう意味は何もないんです。道徳的にいいこともへちまもない。いいことだという
 のは嘘であって、放蕩しようが何しようが、そんなことは道徳的に問われる問題じゃない
 と思います。そうすると、何がいいのかというと、理想社会の写しを自分の中に持ってい
 るということ。これだけです。
  だけど、現実にはちっとも理想ではないですよ。理想じゃないっていうことは、そうい
 う人たちに聞いてみればすぐわかります。本当に満足してるのかって聞いてみると、うち
 の亭主、しゃくにさわって殺してやりたいから一緒にいるんだなんて言うかもしれません。
  徹底してそう考えたほうがいい。一夫一婦制についてそれ以外の幻想を描くと間違えち
 ゃいます。
  相手を何人も取り替えていくのが悪いのかっていうと、そんなこともないです。その人
 はその人なりに心から好きになって結婚したけど、ちょっとそうじゃなかった、また違う
 入って思うようになったということで、決してそれを悪いことだとは言えません。


 ●性愛の極限を知る人とは


  もう一つ、放蕩する人とか、援助交際をする人みたいなのは、どこがいいんだってこと

 があるわけです。
  昔流にいえば、京の祇園で芸妓さんを自分なりに"女"にするという、彼女たちが一本
 ちのプロになるとき、これを水揚げというんですけど、それを得意とする放蕩旦那がい
 ぱいいた。そういう連中はどこがいいんだってことになると、僕はいい悪いはないと思
 ます。一夫一婦制を守った人には決してわからないような性愛の深さが本当にわかるのは、
 そういう人じゃないと駄目かもしれないです。一夫一婦を通した人は、本当には性っ
ても
 のをわからないで過ぎちゃうかもしれないです。

  だけど、思う存分に放蕩したっていう連中は、少なくとも、それだけはわかったって言
 えるかもしれません。ほかにはいいことなんてないです、これは一夫一婦制の人も同じで、
 えてして、一夫一婦制の人はいまでも多数ですから、いいと思われてるかもしれないけど、
 それは道徳の先生が言うことで、そんなの嘘だよっていうのはすぐにわかります。そうい
 う人はちゃんと辛抱してるんです。
  でなければ、事情があってそうしているということがあって、我慢してI生そいとげた
 みたいなことになるんですね。だから、これがいいっていうことを言う人は、それはそれ
 でおかしいんで、そんなことは決してないんです。
  本当の理想社会になれば、ある男にとってある女が一生の間一緒にいれるような人かど
 うかを、見間違えたり、評価のし連えみたいなことはないと考えたらいいんです。生活状
 態とか環境とか、容姿とか、そんなことは何も考えなくていい。理想社会では、選んだら
 そのまま死ぬまで行けるってことになると思います。
  しかし、それは理想社会の問題だといえば、その通りです。今の現実は最悪に近いとこ
 ろです。これで家庭崩壊、解体までいっちゃえば、男女が経済的にも別々にやっていく形
 になって、ときどき会うとか、何年同棲してまた別れるとかいうふうになっていくことは、
 十分にありえるでしょう。

 
 ●家庭崩壊後、子どもはどうなるか

  その場合に問題になるのは、子どもって何なんだということです。これはとても難しい
 問題だけど、難しさの芽生えは今でもすでにあるわけです。人工受精や胎外受精は是か非
 とかいう論議があります。あれはその徴候です。
  子どもとは何なんだ、子どもはどうするのがいいんだと、男女の性愛のはざまに、そう
 いう異世代問題が出てきました。それは人間の性愛が世代継承と分離して、男女の同時代
 愛が主なモチーフになってしまった人間の性愛の反自然性の成行きです。それはそれとし
 て、子どもの問題はどうするのがいちばんいいか、いずれ解決していくと思いますけど、
 さし当たって問題が起こるとしたら、それですね。
  今の状態はそこまではまだ行っていない。そこに行く途中のさまざまな形態が出てきて
 います。ただ、女の人が子どもを生むことにあんまり積極的じゃないということ。これは、
 出生率が下ってるという事実、特に日本は急速に下ってるわけですけど、あれは2.1
 下になったら人口は減るとされているのに、日本の場合は1.5を割り込んでいます。

  それほど急速に下っているわけで、子どもを生むことを女の人が躊躇することがある
 ということと、もう一つは、女の人が男なんて駄目なんだと馬鹿にするというか、一緒に
 なんか住んでいられないや、というふうになってくる。そういう傾向はもちろんあります。
 それは家庭が完全に解体する途中ですよね。だから、さまざまな形態でそういう徴候は今
 でもあるんじゃないですか。
  今いちばん普通なのはどういう家庭かというと、実際的か精神的家庭内暴力がある、こ
 れが今の家庭のいちばん自然な形だっていうのが僕の考え方です。放蕩するのは悪いかと
 いうと、それはちょっと悪いとはいえないよって、僕はそうなると思いますが、それと同
 じです。
  少しでも家庭内暴力があるのをいけないというのはおかしいと思います。それは国家の
 法律とか、人間を規制している社会道徳みたいなものが、社会の現状からはるかに遅れて
 いるんですね。それが今の混乱の状態を招いているのだし、また異常な出来事が起こっち
 ゃう根拠になっているんじゃないでしょうか。
  僕の考え方では、自由恋愛になったとしても、一夫一婦というのは守られていくだろう
 な、それが少なくとも最後まで残るだろうなっていうことです。今はいろいろな形態が出
 てきているけれど、結局は一夫一婦制だけになっていくだろうというのが、僕の考えるユートピアで
 す。
  自由奔放になっていくというふうには少しも思っていません。理想社会は、なってみな
 くちゃわからないけれど、今はまだ過渡期で、もう少し経つと、家族解体の形がそうとう 
 はっきりしちゃうんじゃないでしょうか
  それから子どもの問題です。僕は実際に親父にそう言って、あっ、いけないこと言った
 なと思ったことがあったんです。俺は生んでくれって言った覚えはないぞ、と言ったらぶ
 ん殴られるかと思ったら、そうじゃないんです。親父はものすごく悲しい顔、さびしそう
 な顔をして黙りこくっちゃったんです。それで、しまった、こんなこと言うべきじゃなか
 ったと思った。

  なぜ、そういうことがあるかっていうと、子どものほうからいえば、生んでくれって言
 ったわけじゃない、親のほうから言えば、お前なんか生もうと思ったわけじゃない、もっ
 といい子がほしかったんだとか、その程度のことしかお互いに言えないわけですよ。そこ
 だけはどうしようもないわけです。いろいろ親子の問題を生じる根本原因のところには、
 いつもその問題が存在しています。
  これは親が生もうとして子を生んでも同じです。これはいろいろな言い方があるんです
 けど、片方だけに義務、責任があって、片方には責任はないんだけど、そうなっちゃった
 という問題ですよね。片務的と言いますか。これは親と子の問題を難しくしているところ
 じゃないでしょうか。
  この問題をもう少しあばいちゃえば、大正から昭和の初年にかけて、辻潤というアナー
 キズム系の文士で、面白い人がいたんです。この人は、自分勝手の。いろはかる
た″をつ
 くって、「子はサンガーのミステイク」って、避妊するつもりだったんだけ
ど、ミステイ
 クしてできちゃったのが子どもなんだって言えば、これは少しうがった言い
方になるけど
 言えるかもしれません。
  つまり人間の性愛は子孫を生むためという自熱性に反して、男女の性愛の問題が前面に
 でてくる方向にすすんできたということです。


 ●人工受精でもクローン人間でも、親子の問題は変わらない

  現在はさらに人工受精とか、旦那さんに精子がなかったらほかの人の精子をもらってま
 でというのは、言ってみれば、子どもがほしいということで先に責任を持とうと思って生
 んでいるといえば、そうも言える。だけど、後でしまったと思うかどうかは別なんです。
 それでも片務的であるという点は同じで、子どもにしてみれば、お前たちがそんなことま
 でしたとしても、やっぱり俺は生んでくれと頼んだ覚えはないということになる。
  この理屈は理屈であるけれども、親子問題のいちばんの弱点ですよね。生むつもりじゃ
 なかったんだけどっていう場合もあるし、お前みたいな変な子どもを生むはずじゃなかっ
 たのに、お前みたいなのができちゃったという言い分もあるわけで、これはちょっと困っ
 ちゃうんですが、その問題の延長線で、人工受精とか、体外受精とか、もっと発達すれば、
 胎内と同じ条件を人工的につくれるとすればそこでつくっちゃうということもあるでしょ
 う。クローソ人間みたいにつくるとか、そういうことが問題になってるわけで、それは、
 そういうことが科学的にはできるということを意味してます。人間なんてつくろうと思え
 ば人工的につ
くれるんだっていうことです。そういうことは、医学的に、科学的に、ある
 いは生物学的にはっきりし
てきちゃったよ、という問題です。
  こういう、子どもとは何なんだという問題は、解決はなかなか難しいことで、ずっと続
 いていくんじゃないですかね。
  人工受精になっても続いていくし、もしかして体外受精になっても、人工胎内をつくっ
 てそこでっていうふうになっても、そういう問題は出てくる。もちろん、クローン人間が
 できるようになって、実際につくっちゃっても、その問題は残ることになってくるんじゃ
 ないでしょうか。当分の間ずっと尾を引いていくと思います。
  人工胎内がうまくできて、プロ野球の選手を1チーム分つくっちゃうとか、そういうこ
 とだってありえるわけですよ。
  これらの問題は将来起りうるとしても、現在は空想、あるいは架空のイメージに属しま
 す。思考を費やすことは悪くありませんが、中途半端に倫理感を導入したりせずに、とこ
 とんまで考えたうえで胸のなかに収めておくのがいいと思います。


             「第8章 一夫一婦制がいいなんて、うそだよ」PP.147-158

                                                               吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』
             
                                                                  この項つづく


いまのわたしの生活状態なら、一夫一婦制を必要としているというしかないわけで、まして、夫婦別姓
といわれても戸惑いうだけで首肯しないまでも、「中途半端に倫理感を導入したりせずに、とことんま
で考えたうえで胸のなかに収めておくのがいいと思います。
」の最後の括りのところがすんなりと
する。

 

 

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砂漠とコーヒーメーカ

2014年03月08日 | 日々草々

 

 

  

ネスレネスプレッソ株式会社のCMのテレビ放送で気になることがあったが、今夜はそれを突き止めてみた。
CMシーン上の女性がスペイン語の "George Clooney está lá dentro!”という字幕で話す会話箇所は英
語展開となっているが、ヒアリングでは "George Clooney is the inside!”に翻訳されるがどうもその
ように聞き取れないので、YouTubeで確認する。慣れてくると間違いなく、そのように発音してい
ることに納得する。"必要は発明の母"ではないが、"必要は語学力の母" と腑に落とす。ところで、
ネスレのカプセル式のコーヒーメーカーは特許でがっちりと守られ、初期の特許が切れても、時間
差で複数の特許出願をしているため、他社の参入は困難だといわれている(やはりそういものです
ね)。


 




ここでは特許のあれこれという関心より、圧倒する的なジョージ・クルーニの男前イメージにあり
日本の斉藤工とクルーニーは彼女のお気に入りで、イケメンで声が良いというのが、二人の共通の
感想なのだ。ケンタッキー州レキシントンで生まれで、父のニック・クルーニーは映画評論家兼ニ
ュースキャスター、クルーニーの祖先はアイルランド系、ドイツ系、イングランド系。父方の曾々
祖父母はアイルランドから米国に移住した。また母方の曾々々々祖母は、エイブラハム・リンカー
ンの母親であり、ナンシー・ハンクスと異父姉妹。義叔父は俳優でアカデミー主演男優賞受賞者の
ホセ・フェラー、叔母は歌手のローズマリー・クルーニー。1994年から1999年までは医療ドラマ
『ER緊急救命室』で主要キャラクターのダグ・ロス医師役でレギュラー出演したとき以来だから、
今年で20年近くのファンということになるが、米国の俳優だけにとどまらず、映画監督、脚本家、
映画プロデューサーとマルチを発揮。俳優4回、監督として1回、脚本家として2回、製作として
1回アカデミー賞にノミネートされ、アカデミー助演男優賞、アカデミー作品賞、ヴェネツィア国
際映画祭脚本賞などを受賞しているし、政治的活動を熱心に行い、2008年1月31日より国連ピース・
メッセンジャーを務めるマルチ・タレントだというから羨ましい限りの才能と容姿の持ち主である。
また、クルーニーのメインホームはロサンゼルスにある。1995年に7,354平方フィート (683.2 m²)
の家を購入した。イタリアのコモ湖のラーリオの村に別荘を所有し、その近所には作家のエイダ・
ネグリ
の旧家があるといわれる。

 

 

※ 因みに、原題の”leatherheads” を訳すとお馬鹿さんたち、ということになる?

 

ネッスルのコーヒーメーカからジョージ・クルーニーを連想していると何故か、砂漠の世界のイメ
ージが湧き、それがピーター・オトゥール主演の映画『アラビアのローレンズ』にイメージを連想
展開する。何故、そのような展開になったのか分からないが、この間に病院で診察を受けに出かけ
ていた。朝のテレビ番組で(チャンネルはわからないが)、サハラ砂漠の観光シーンを見た所為か
もしれない。なぜなら、そのとき、砂漠への郷愁のようなものが心に湧いていたからだろう。さて、
この映画は中学生のときと高校生のときの二度観賞しているが、実在のイギリス陸軍将校のトマス・
エドワード・ロレンスが率いた、オスマン帝国からのアラブ独立闘争(アラブ反乱)を描いた歴史
映画で、日本での公開は1963年12月。
上映時間は227分。主人公の交通事故死で幕が開く衝撃的な
冒頭から、彼が失意の内にアラビアを離れる余りに悲痛な終局までを、雄大に描く。その中でも、ロ
レンスがマッチの火を吹き消した後に砂漠に大きな太陽が昇る場面や、地平線の彼方の蜃気楼が次第
に黒い人影となるまでの3分間、敵の要塞を陥落したロレンスが、ラクダに乗って夕日が照らす海
岸を悠々と歩く場面、そして延々と続く広大な白い砂漠と地平線を背景にロレンスが跨ったラクダ
が駆ける場面等が名シーンとされる、兎に角、スケールの大きい作品。
冒頭と休憩と終わりの黒画
面に音楽が流れるところは、当時の映画では一般的であった 序曲、休憩、終曲である。 オリジナ
ル版制作から実に四半世紀以上が経過した1988年に、再編集を行って完全版が制作され、オリジナ
ル版の上映時間は、207分だったといわれている。

 

このアラビアのローレンスだけかというと、砂漠のイメージは、映画『イングリッシュ・ペイシェ
ント』も二重に思い浮かびだしていた。もっとも、この映画を鑑賞したのは17年前の話になる。体
調も回復に向かいつつあり、なんとなく毎日の作業の切迫感から逃れたかったかもしれないが、今
夜はそんな体験をブログに反映した具合になっている。

 

 

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マグロ・GMC・ラッピング・トリチウム

2014年03月07日 | 時事書評

 

 



【脅威のクロマグロ生態】

バーバラ・ブロック(Barbara Block)スタンフォード大教授らはクロマグロの生態を解明したと、
ナショナル・ジオグラフィッ・ニュースが報道した。カジキ類では、眼球運動に関わる筋肉の一部
が進化の過程で改良され、筋肉中のミトコンドリアが熱を生み出 すことができる。つまり、これ
は「非ふるえ熱産生(NST)」と呼ばれる現象で、カジキはこの発 熱器官で、日の当たる海面から
冷たい海の底まで自由に移動し、眼や脳を温かく保ち、効率よく働かせ ることができるのだが、
マグロではさらに優れた対向流熱交換システムで、体全体を温めることができるデザインになって
いる。マグロはある種の内温動物のようなもので、アオザメやネズミザメと同じく温血性だ。これ
らの生物は「驚異的な網」を意味する奇網(rete mirabile)という構造を持ち、動脈と静脈が互
に近接し絡み合い→動脈の熱が静脈に伝えられ→再循環する。カジキの場合は部分的で、尾側は
温性だが、前方の眼と脳は内温性になっている。




要するに、鳥や哺乳類が体温を維持にし、体温を保つことで、自由にに動き回れる。人間と同じで
周りの温度に制限されない。また体内を温めることで代謝機能を向上させる。温度が高ければ、筋
肉の働きも効率が良くなり、鳥であっ ても哺乳類であっても、マグロであっても同じ。とはいえ、
全てのマグロがクロマグロほど温かくなく、クロマグロはマグロ科魚類の中で最も体温が高いとい
う。その実証実験は、30年間に渡り、アーカイバ ル・タグ(archival tag:記録保存標識)、と
いう、外科的に魚の体内に埋め込むタグの開発し、内側の末端では、腹腔内の温度と魚が泳いでい
る水深が計測するが、タグの柄は体外に突き出し、周囲の 水温と照度を測るセンサーとなる。また
搭載された小型コンピューターは数年間にわたり、2分ごとに測定値データを取り込みそのデータ
解析で1日の動きや季節的移動が、水平方向、垂直方向などの動きが解析し、捕食の習性や生理学
的な情報が得られる。
さらに、心収縮が細胞内の筋小胞体に蓄えられたカルシウムイオンに依存し
ていることも判明。また、マグロの中で試験温度でもクロマグロはカルシウムの取り込み速度がマ
グロ科最大であった(ビンナガの2倍、キハダやメバチの3倍もの効率を誇る)。


※ブロック教授はマッカーサー財団の「天才賞」を受賞し、スタンフォード大学の教授職を得、ク
ロマグロの生態のトップレベルの研究者として有名。彼女の研究室は、カリフォルニア州モントレ
ーのキャナリー・ロウ沿い(『スタインベックと花粉』)のホプキンス海洋研究所にある。

 

【遺伝子組み換え食品のリスク】

1996年に始まった遺伝子組換え作物商業栽培面積は、当初の170万haから2012年にはその百倍の
億7,030万haに達し、2010年を境に発展途上国でのその作物商業栽培面積は、全体の52%を占め
上のグラフのように先進国のそれを超える事態になる。2012年に遺伝子組換え作物を栽培した28
カ国のうち、20カ国は発展途国で、8カ国が先進工業国であった。2011年は、19カ国が発展途上
国で、10カ国が先進工業国であつた。2012年の遺伝子組換え作物栽培農家数は、1,730万戸で、前
年対比で60万戸の増加、これらの農家の90%以上、1,500万戸は、発展途上国の小規模なリソース
不足の農家であった。農家はリスクの回避について精通しており、2012年、中国では720万戸の小
規模農家、インドでも同じく720万戸の農家が、得られるベネフィットが極めて大きいとの理由で、
Bt(遺伝子組み換え)ワタを選択し、1,500万haで栽培が行われている。


 



問題は手放しこれを迎合して良いのかということだが、 現在多く作られている組み換え食品は大
豆やトウ
モロコシなどの作物は、草剤耐性や害虫抵抗性を持たせて農薬をまく回数を減らし、農
作業の負担を軽く
し、生産コストを下げることが狙い。(1) 除草剤耐性を目的とした遺伝子組
み換え品種の代表とい
えるのが、米国モンサント社が開発した除草剤「ラウンドアップ」とそれ
に耐性がある大豆の組み合わ
だが、「ラウンドアップ」は必須アミノ酸の一種を合成する酵素の
働きを阻害するため、全ての植物がこの
必須アミノ酸を作れなくなって枯れてしまうが、「耐性
大豆」には、細菌から取り出した必須アミノ酸を作る
ことができる別の酵素の遺伝子が組み込ま
れており、「ラウンドアップ」がかかっても必須アミノ酸が作られ、
枯れずに収穫することがで
きる。大豆の大規模栽培では数種の農薬をまくのが普通だったのが、この「耐性大豆」を育成に

は「ラウンドアップ」1種ですむため、農薬の使用量を減らせる。(2)害虫抵抗性で実用化さ
れているのは、土壌細菌の殺虫性タンパク質の遺伝子が導入されている綿やトウモロコシ。この
細菌が生産する物質(Bt-トキシン)はチョウやガなどの幼虫の消化器にはいると毒物となって幼虫
を殺す。作物中でこのBt-トキシンを作らせるので、その作物をかじった害虫は死ぬ。人間が食べ
たときの心配は、幼虫の消化管内はアルカリ性であり、その環境で消化管の特定の部分と結びつ
いて初めて毒性が出てくる。人間などの哺乳動物の場合はチ化管内が酸性で結合する特定部位もな
いので、毒性が出ないまま排泄される。(3)米国では、野菜や果物の流通期間が長いので、保
存性(日持ち)を上げる研究が進められている。その一つがトマトの遺伝子組み換えです。トマト
は成熟すると果肉が酵素によって分解されて軟らかくなる。この酵素が働かないように遺伝子組
み換えをし、日持ちを向上させたトマトが販売されているなどあるが、(1)人体への悪影響、
(2)生態系への影響、(3)一部企業の食糧支配などの点から組み換え食品の問題点が指摘し
されているが、(1)は、経口消化の危険性、タンパク質への影響、予期しないタンパク質を導
出する危険性の3点に集約することもできる。

安全性(安全神話)に対する懐疑根拠の例には次のようなものがある。

Bt遺伝子組み換えトウモロコシは害虫が食べると毒となるタンパク質を作り出すが、これまで遺
伝子組み換え企業は遺伝子組み換え作物が作り出す殺虫性のタンパクなどの有毒成分は腸で破壊
され、体外に排出されるので無害であると説明してきたが、2011年、カナダはシェルブルック大
学病院センターの産婦人科の医師らのグループ調査結果”Bt toxin found in human blood is not
harmless
”によると、妊娠した女性の93%、80%の胎児からこの有毒成分(Cry1Ab)が検出され
たという(Tomo's blog)。因みに、この毒素は遺伝子組み換えトウモロコシを飼料とした家畜の
肉や牛乳、卵などを食べた結果と考えられる。遺伝子組み換え関連の有害物質が妊娠した女性、
胎児、妊娠していない女性の血の中に存在していることをこの調査は初めてという。

※ カルタへナ議定書 
※ 農業生物資源研究所 NIA遺伝子組換え情報提供

というわけいろいろ調べ行く中に、この問題も中途半端にできない緊急性を帯びていることが感じ
たので、早速、ワンクリックで白水社の『遺伝子組み換え食品の真実』を注文した。この件はまた
あらためブログテーマとして掲載していく。 



【軍師官兵衛 ラッピング車両で大返し】

JR西日本が、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送に合わせ、6日から「黒田官兵衛ラッピン
グ列車」の運行を始め、滋賀県長浜市のJR長浜駅では、観光関係者が出迎え、乗降客に市内で開
催中の黒田官兵衛博覧会をPR。
列車は8両編成で、官兵衛役の俳優岡田准一さんや竹生島、賤ケ
岳古戦場などの写真をあしらい「官兵衛ゆかりの地、長浜へ」の文字が描かれている。新快速や快
速として9月まで運行され、官兵衛出生地である姫路市の姫路駅や、黒田家発祥の地と伝わる長浜
市の長浜駅間などを1日最大3往復するという。
長浜駅での出迎えには、ゆるキャラの三成くんや
官兵衛にふんした甲冑姿の武者、観光ボランティアガイドらが参加、乗降客に「官兵衛クッキー」
を配って同博覧会をPRしていた。最近は、大画面でカラフルで高精細なラッピングしたカー・バ
ス・電車が目を惹くように走るようになった。これもインクジェットやラッピングフィルムなどの
技術進歩によるものなんだろうと感心する。




【トリチウム水タスクフォースも走る】

これは、こじつけだが、走り出しているものは、ラッピング車両だけではなく、福島原発のトリチ
ウム対策も動
き出した。昨年12月25日をかわきりに、先月27日、東京電力福島第1原発の汚
染水問題で、経済産業省
の専門部会が、多核種除去装置「ALPS(アルプス)」を使っても除去
できない放射性トリチウム(三重水素)
の対策案を示した。海洋放出を含む7項目ある。各項目に
ついて、環境や健康への影響、実現性などを議
論し、年度内に報告書をまとめるということだ。
思えば、"転んだら起きなはれ”は、松下幸之助の銘言、世界の最先端技術をまた1つこれで確立す
ることは間違いない。



 

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フェミニズムの現在

2014年03月06日 | 時事書評

 

 

   1999.09

 


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】


 ●日本の会社はどうして休暇がとりにくいんだろう

  会社のほうはできるだけいっぱい働いてくれたほうがいいっていうことでしょうけれど
 も、先ほども言いました労働基準法に則って、ここにこう書いてありますって言ったら、
 一も二もなく、休暇は取らせなきやいけないし、取らなきやいけないみたいなことになっ
 てるんだけど、実際問題としてはなかなかそうはいかないです。
  僕らも勤めたときはそうでしたけど、有給休暇っていうのは全部余っちゃって、そのぶ
 ん金でくれよって言うんだけど、そんなことはぜんぜんしないで、みだりに休むこともで
 きないしってことにどうしてもなっていましたよ。
  宮沢賢治の童話で「猫の事務所」っていうのが僕は好きなんで、先にもあげておきまし
 た。これは一日、二日風邪で事務所を休むとほかの猫が机を占領しちゃってて、休んだ猫
 の仕事も分担してやってしまっていたという話です。
  二、三日して出てくると、自分のいる場所がなくなってるんですよ。それで、同僚の猫
 も知らんぷりしててかまってくれない。しまいにしくしく泣きだす。事務所長が、同僚か
 ら「あなたの地位をいつでもうかがって乗っ取ろうとしている猫ですよ」なんて聞かされ
 て、その話を信用した所長もあんまりかまってくれないわけです。そこに窓から獅子、つ
 まりライオンが首を出して「お前ら、何してるんだ、そんなけちな意地悪をするような根
 性で歴史も地理もへちまもないじゃないか」って怒るんです。
  あれはそっくり会社の産休や有給休暇の問題ですよね。宮沢賢治も農業学校の先生をし
 ていたとき、そんな陰微な意地悪を経験したんです。二、三日も会社を休んで出て行くと、
 なんかみんな疎遠な雰囲気になっちゃってて、なんとなく居づらい。それを回復するには
 二、三日かかる。勝手に休んで……、という感じになるんです。その雰囲気は誰がつくる
 んだっていうと、上のほうが強制するわけじゃないんだろうけど、一生懸命に働いて、有

 給休暇なんか取らないほうがいい社員なんだって考えがどこかにあるんでしょう。だから、
 同僚たちまでそういう雰囲気になっちゃって、ということを体験しますよね。
  実際にそういうことでお産の休暇が取れないのなら、強い組合でもあって、労働基準法
 ではこうたって頑張れば、それはちゃんと取れるところまで主張できるでしょうが、そう
 いうのが無力な現在では、大変やりにくいし、みんなで共同してやっても、言い出しっぺ
 は責任をとらされる。風当たりが強くなって「リストラ」されやすいということにどうし
 てもなりますから、きついなってことで躊躇してしまうでしょう
  でも、そこは面倒なところですけど、本当言うと、労働法規を見れば、産休か有給休暇
 は取らなきやいけないし、取らせなきやいけないというふうになっています。ところが実
 際は、子どもを産んでるんだからって言ってみても、なんとなく取りにくいな、みたいな
 ことになっちゃうんです。また子どもを産みおえ、託児所などにあずけてまた職場復帰を
 望んでも、働き方がにぶくなるし、扶養家族もふえるということで、そのまま会社を辞め
 てくれることを、上司は内心で希望している。それが日本の社会です。
  だからもう、なんと言われたっていいや、と産休を取っちゃうし、職場復帰もしちゃう
 しかないというのは、はっきりしてるでしょう。日本の社会ではなかなかそういう飛び出
 し方はできないから、そこのところはあいまいなままどうしても残っちゃう。これこそ法  
 規に照らせば非常に簡単なことで、それを通さなきや嘘だよ、通らなきや嘘だよっていう
 ことになっているわけですね。だけど、それじゃあそれはどこから糸口を探して直せばい
 いか。
  こういうことは上の、例えば労働省のほうから直す以外に直らないんですね。休暇は必
 ず取らなきやいけない、職場復帰は歓迎されなければいけないって、上から言ってくれれ
 ば、すぐにそうなりますけど、そうじゃないと、下から同僚同士でっていうのは、なかな
 かやりにくいですね。

                   「第7章 子どもを産んでも働きたい貴女へ」


村社会秩序(封建遺制)の残渣があり西欧の人権意識の醸成の遅れ、さらに官尊民卑や営利組
織への帰属意識の強さもあり、勤労庶民の生活水準の引き上げは資本主義や家族主義の許容内
に留め置かれ、そこには、三島由紀夫の『絹と明察』(『ヘルダーリンと琵琶湖』)の世界が
展開されていたわけだが、資本主義の高度化と欧米化の進展とともに女性の就労機会が改善さ
れ、産後の再就職の機会も改善されつつあったが、90年代に入ると新自由主義(新保守主義)
の権力形成(『新自由主義論Ⅰ』)に伴い所得格差の拡大とデフレーションという生活苦を
いる不況に喘ぐ時代に突入する。それでもリマーショック以前は業種や個別企業においては活
況を呈する職域がありそのような職域では就労条件も良かったと考える。

尚、育児休業は、1991年に制定された「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労
働者の福祉に関する法律」にその基準を下に就労規則などで独自の上乗せ規定されている。




 ●会社にとって、惜しい人材なんていないよ

  やっぱり女性のほうが不利ですよね。一年間なら一年間はどうしたって育児期間がなけ
 ればいけないわけですから
  前に、関西のほうに学問好きの女性がいて、アメリカかどこかに留学して妊娠して帰っ
 てきたけれども、お産なんかしてたら勉強が遅れちゃうからって堕しちゃったので、旦那
 と諍いになったという話がありました。僕は、一年ぐらいお前が勉強をやめたってどうっ

 てことないんだ、それより、一年ぐらい学問から離れて子育てに専念したら得るところは
 多いんだよって言いたくなったことがありました。そういうことを言うと、フェミニスト
 たちに怒られて、目の仇にされるわけだけど、これは本当だと思います。
  産休も育児休暇も取りにくくて、子どもができたら辞めていっちゃう。せっかくの人材、
 キャリアがもったいないじゃないかという声もありますけど、お前じゃなくてもそんなの
 いくらでも代る人はいるぞっていうのが本音のところでしょう。
  僕の職とする文学の世界でいうと、原稿料いくらじゃないと書かないなんて言ったら、
 じゃあ、いいですって言われます。もっと優秀でタダでも書きますっていう人がいますか
 らってことになり、会社よりもっとひどいです。
  世の中には頭のいいやつも能力のあるやつもいくらでもいるけど、虚業の中核は魂の問
 題だ。頭がいいと言ったって、秀才と競り合ってそこで勝てなきや本当の優等生じゃない。
 だから頭がいいなんて、そんなこと夢にも自慢するなよってことです。僕は日本国には
 この人材がいなくなったら惜しいなんていうのはどこの分野でもないんじゃないか、と思
 っています。いくらでも代りはいるんですよ。
  特にひどいのはヽ文芸とか文学、いわゆる虚業の世界です・政治家も虚業ですけど、虚
 業っていうのは、タダでもやりますっていう人間がいくらでもいるわけです。タダでもお                                            
 前よりいいのを書くぞとか、いい政治をするぞって言って、本当にできてしまういいのが
 いるんですよ。
  だから、いくら威張ったって、物書きの組合をつくって、原稿料を一斉値上げしようじ
 ゃないか、とやっても絶対駄目です。文芸家協会は1つしかないけど、そういうことで、
 なかなかやってくれないです。保険とかはやるけど、協会として原稿料の一斉値上げなん
 ていうことはしないですね。これこそひどい世界といえばひどい世界で、そういうので連
 帯性なんか毛ほどもない。きっと政治家の世界もそうじゃないかと思います。インチキし
 て株をどうしたとか、企業から不正に献金してもらってとか、そんなことをやらないでも
 政治的業績をあげられる人は、本当はいっぱいいるんじゃないかと思います。

                   「第7章 子どもを産んでも働きたい貴女へ」  


就労時、リストラで誰を残し誰を希望退職させるかのノルマを課かされたある上司の話で、残
したい部下ほど、目先が利き、また就労当てがあるのか辞めると聞かされたことが思い出され
吉本がいう「会社にとって、惜しい人材なんていないよ」とはこのケースは当てはまらない。
もっとも、世界一と思える企業内労働組合があっての話だから、個別企業の経営手腕の有り様
は複雑で難しいというのがわたしの実感である。
                        



 ●産休を気持ちよくとる方法

  女性の産休のことに話を戻せば、同じように自分たちで何とかするのは、なかなか難し
 い。労働省の婦人局長とか、今は女性の局長がいますから、それにかけ合うのがいちばん
 いいんですね。それとも、田中角栄の娘さんの田中真紀子なんか言いたいこと言ってるじ
 ゃないですか。ああいう人にそういう問題についておしゃべりしてほしいって頼む。原則
 は簡単なことで、ああいう人たちがしゃべりに行くと、いくら取るか知らないけど、例え
 ば竹村健一とか堺屋太一なんかは百万円単位で出すと来るんだそうです。僕らなら十五万
 か二十万円くれれば、すいすいとお喋りに行きます
  だから、会社の女性一同でそれだけのものを出して呼べば、必ず来てくれますから、そ
 こで、私たちはこういう問題で困っているんです、ひっかかっているんですって質問して
 みる。田中真紀子か、労働省の女性の局長に、女性の労働問題についておしゃべりしてく
 ださいって頼む。
  ああいう人はあんまりお金を取ると収賄だなんて言われるから、きっと十万円やそこら
 で来ると思いますから、そうやって来てもらうと、ああ、そうか、これは大変だって少し
 は考えるでしょう。そういうふうに上から行くよりしょうがないでしょう。
  上から行くよりしょうがないことってあるんですよ。教育問題もそうで、上から行くよ
 りしょうがない。
  僕はよく言うんだけど、東京大学の教授が亜細亜大学に行って四年間なら四年間、学生
 が入学から卒業するまで面倒をみる。四年以上はそこで働かなければいけないということ
 にして、出張手当は出す。亜細亜大学の先生は東京大学に行って、必ず四年間は学生を引  
 き受ける。そういうふうにしてごちゃまぜにすれば、受験地獄なんてなくなるんですよ、
 すぐに。
  下からは駄目です。下からいくら変えようとしても、頭のいい子はいい学校へとか考え
 て、それほどじやない子もその次とかなっちゃって、ちっともよくならないですから。
 からやればすぐなんです。それは女性問題も同じだと思います。上から変えればすぐ変わ
 る、いちばんいい例だと思いますね
  それこそこれは、国民一般とか、民主主義一般とか考えなくていい問題なんです。特定
 のところだけ考えればいい。税金の問題とか、「リストラ」問題とか、年金・保険なんて
 いうのは国民一般の利益を基準にしないといけない問題ですが、それとは違います。
  この問題はほんとに簡単で、職場の女性が集まってお金を出しあって、よその手当より
 も少しだけ多く出して、婦人問題について話してくれないかといって来てもらって、話を
 してもらう。あとで職場の現状を訴える。それだけ啓蒙すれば、響かないはずはないんで
 すね。それをいろんな会社でやったら、女性局長が必ず動き出すきっかけの一助となるこ
 とは、ほとんど間違いないです。

                   「第7章 子どもを産んでも働きたい貴女へ」

 ●制度を変えるときの最低条件は

  僕も人におしゃべりを頼んだことがあるんです。そういうときは、僕みたいな下っ端だ
 と、例えば公立図書館は五万円くらいしか出さないで俺に話させるつもりか、ずうずうし
 いもんだねと思うけれども、行くわけですよ。志に感じればタダでも行くことがあります。
  だいたい、普通の文学者だったら、十五万円か二十万円出すと、どんなところでも来て
 くれますよ。偉い人は百万単位でくれって言うかもしれないけど、普通はそのくらいで来
 るんです。だから、僕が頼んだときは、普通の額に上乗せしたくらいの条件で、それから、
 車で完全に送り迎えしますということで頼んだ覚えがあります。
  昔、学生運動をやってた僕らのよく知ってる人が、僕の名前をつけて集会を開いて、聞
 いてみたら、来てくれた講師の人に一銭も払ってないようなことがありました。当然、冗
 談じゃないって話になるんです。僕は絶対そんなことはしないです。金銭的にも資本主義
 社会以上のことができないなら、やるなっていう考え方です。だから、僕は自分でやった
 ら絶対に払うべきものは払います。それができないならやらないです。これはとても重要
 なことで、特別な場合は別ですけど、一般的に偉い人、上の人に動いてもらうときにはそ
 れが条件なんです。


 ●吉本家の子育て、実情と意見

  子どもができたら仕事を辞めてほしいという男性が今も多いかどうか、僕はよく知りま
 せん。
  僕なんかはそんなこと言いそうなクチですね。ただ、子どもが小さいとき医者から、奥
 さん身体が弱いから、旦那さんが育児の手助けをしなければ、子どもを育てるのは難しい
 ですよ、と釘をさされました。そんなこともあって、育児と炊事当番は我ながらよくやっ
 たほうだと思います。でも、そういう必然があったから、できるだけ回避すまいと思った
 という言い方がいいのかもしれません。
  どんな物臭な男でも、必然がどこかにあれば、やることはやるものだと思います。
 三十代の後半ころから、物書きは生活のための職業になってしまいました。しかし文学、
 芸術が虚業であることに変わりありません。このジレンマや矛盾にはずいぶん考えさせら
 れました。日常生活と生活費のための虚業と、どちらに重さをかけるのかという課題は、
 女性にとって育児と自分のやりたい仕事や勉強と、どちらに重さをかけるのかという課題
 と同じで、永久に解決はないのかもしれません。自分の意志と配慮とが最後まで角逐する
 でしょう。
  ただ社会はこの難しい課題を緩和するために、社会的条件を整えるべきだと思います。
 産休もその一つですが、外堀を埋めるのは社会公共の仕事で、少しでも個々人の負担を軽
 くする義務があります。
  子どもが生まれたら、少なくとも一年は仕事を辞めて、子育てに専念してくれっていう
 男はいると思います。僕もどちらかといえばそうです。専念するって言っても、最初の一
 年間でいいんです。つまり片言をしゃべり、よちよち歩きできるまで本当に心からゆった
 り丁寧に育てられたら、後は働きたければまた働けばいい。胎児期も含めて、一歳まで非
 常によく育てたら、まず間違いないはずです。そうしたら、悪くなるはずないんですよ。
 何か面倒なことが起こっても、家庭内暴力を起こしたり、神戸の少年みたいに仲間の子ど
 もの首を切っちゃったとか、そんなことすることはまずないですね。
  一年ぐらい子育てに専念しても決して損はしません。そこがよくできたら、子どもはま
 ず、これはとんでもないっていうことにはならない。職場も社会もこの一年の大切さを知
 って、ゆったりした休暇と経済的なゆとりを女性に提供すべきです
  もう一つカギがあって、それは十二、三歳の異性に目ざめるころです。そのときに、叔
 母さんとか、あるいは昔でいえば子守さんやお手伝いさん、そういう人たちから性的に深
 刻ないたずらをされると、これはまた第二次的にそうとう響くはずですよ。だけど、それ
 がない限りは、変てこりんな子になったとか、家庭内暴力をふるうとか、そんなことは絶
 対ないと思いますね。僕らは立派な父親だとは一度も思いませんけど、家庭内暴力は起こ
 さないかも知れないところまではやれたような気がしています。
  でもあてにはなりません。潜在的には、暴力を起こしたくてしょうがない、と思ってい
 るかもしれない。僕のところは子ども二人で、二人ともそうなのだろうけど、まあまあ我
 慢してるというところでしょうか。一年間の産休がいかに大切か、また最小限そこが心の
 底からできていたら、という話からこんなところに来てしまいました。

                   「第7章 子どもを産んでも働きたい貴女へ」

 

 ●「子どもを産んだら仕事は辞めろ」という男の真意 

  女性は子どもが生まれた一年ぐらいは、産休をとって子育てにゆっくり専念して、会社
 のこと、社会的なこと、自分のやりたいこともすべて忘れて、生まれた子を真正面からか
 わいがってあげたらいいよって思います。
  それでまた、会社はそれを承認して、環境を整えてくれるべきです。そして、極端なこ
 とを言えば、一歳を過ぎたら、託児所にあずけて夕方受け取ろうが何しようが、それはほ
 とんどその子の将来に響かないですね。それからはいくらむちゃくちゃしても構わないで
 すけど、そこのところ、ほんとに最初の一年間だけ心から子どもに向き合ってちゃんと育
 てたらいいと思います。それは女の人にとっても損にならないと思いますし、のちのち苦
 労しないで済むと思います。そうすれば、後は何をやっても大丈夫というふうになるでし
 う。

  もっと言うと、一歳までと、さっき言った十二、三歳のころ、この二つがうまくいった
 ら子どもは大丈夫です。後はどんな悲惨な目に会おうとどうしようと、まず大丈夫だと僕
 は思いますね。だけど、そこが駄目だったら、これはいくらやっても、学校の先生が命の
 大切さを知らなきや駄目だ、なんて言っても知ったこっちやないっていうか、そんなこと
 は役立つはずがなく、問題にならないですよ。中学の校長がお説教したり、高校で命を尊
 重しようなんて教えたって、そんなのは遅すぎるんですよ。
  そんなことは何も言わなくたって、一歳までをきちっと向き合って育てる。それから、
 そういう子はめったにないけれども、性にめざめるころに近親の人から性的な悪どいいた
 ずらをされなかったら、もうそれで十分。命も尊重しますし、大丈夫なんです。そこは重  
 要だと思いますし、えてして女の人が誤解しているところじゃないんでしょうか。
  ここで産休の意味をもう少し掘り下げてみたいです。
 産休は妊娠から出産まで、そして出産から一年くらいの間の育児期間をゆったりと取れ
 また職場に復帰することが、スムーズにゆくことが必須条件です。そして精神的に言えば、
 なぜ女性だけが自分の責任でもなく、偶然と言ってもいい契機から、子どもを生むという
 難行を引受けねばならないのかという疑念に、応えなくてはならないことになっています。
 それは人間の性愛から子どもを産むことが自然とすれば、ますます反自然的な愛情の方向
 に分岐しつつあるからだと思います。これは人間の性がその人間の選択で自由に変化でき
 ないため解決しないからです。さしあたり解決不可能な問題と言えます。産休の問題はそ
 こまで踏み込むことになると思います。
  一方で、そうじゃないんだというのがフェミニストたちの考え方ですね。だから、僕な
 んか「よくやりましたよ」と言ってもぜんぜんカウントしてもらえない。そんなの問題じ
 ゃないわよって言われちゃって、しようがないなっていう感じなんですけどね。
  だけど、勤めに出て僅かな金をもらってくるより、一年だけは子どもと一緒にいてやれ
 よって旦那が言うのは、悪くないと思ってます。それから、女の人にとっても一年ぐらい
 休むのも悪いことじゃない。それ以外は働きに行っても何してもいいから、そこだけはや
 ったほうがいいぞっていうことは、僕は言えそうな気がする。男の人はそういうことを言
 おうとしているのに、違うように受け取られてるっていうことも僕はあるような気がしま
 す。それは考えるべきことのように思います。それをやることは、決して女の人の不利益、
 損にならないと思います。その間、世間から遠ざかっちゃうし、子どもの世話だけってい
 うのも息苦しいですけど、何とかどこかで息抜きをして、本当にやったよなあっていうよ
 うにできたら、文句なし。あとは開放されたも同然だと思いますね。
  よく考えてみれば、旦那はそういうことか、それに近いことを言ってる場合もありうる
 わけですね。
  また、女の人自身が、育てている間に、これは大切なことだって思って、会社に行って
 働いて給料をもらうより、こっちのほうがいいやって思って会社を辞めることもあるかも
 しれない。それはありうることのように思います。一年間さえ産休と育児休暇がとれれば、
 あとは復帰してもいいし、何してもいいんだけど、同じ職場に行こうが、違う職場に行こ
 うが、また違うことをしようがいいと思います。最初の一年だけじゃないでしょうか、本
 当に大切なのは。そこを抜かしたら、後から何をやっても駄目だよって思いますね。
  たいていの女の人はあんまり十分にできなかった、まあ、いろんな事情はあるんでしょ
 うけど、できなかったもんだから、子どもが受験生時代になってから、しっかり勉強して
 いい学校に行け、とか言うでしょう。つまり教育ママみたいになる。あれは僕に言わせれ
 ば、一歳までの育て方がまずかったっていうことを自分で知っていて、ここで取り返そう
 と思ってるんだって確信して疑わないですね。
  だから、そこは男のほうから言えば、誤解なきようにって言いたいところですね。
  フェミニズムの女の人の主張はもっとラジカルかも知れませんが、子どもを育てること
 についてラジカルなのではなくて、自己拡大についてラジカルなんだと思います
  でもそこは矛盾だらけです。経済的に男性から完全独立せずに、男女平等を主張したり、 
 男に押されたら、直接的に押し返すくせに、男に優しくあつかってもらいたいと願望した
 り、およそ男のほうからは見ていられないです。
  夫婦間で男のほうの暴力沙汰がふえたり、女のほうの夫殺しがふえたりという話題が多
 くなったのは、そのためではないでしょうか。    

  
              「第7章 子どもを産んでも働きたい貴女へ」
PP.131-146


経済活性化の起爆剤に「女性力」は欠かせない。これは、アベノミクスの第三の矢でも同じ扱
いになる。商業施設ゾーンや第三次産業での消費拡大はひとえに集客する女子力に依存する。
そのチカラを存分に発揮するには、回り回って男子の所得増→格差縮小という方向に政策をチェ
ンジ→新自由主義の矛盾克服→超消費資本主義社会の実現と目標設定したのは他ならぬ吉本で
なかったのかと考える。その具体例の1つとして、この章では「産休」をめぐる考え方とその
権利拡充の方法論が平易に語られていたと位置づけたい。

ところで、フェミニズム全体に共通する見解はないに等しいとされる中、日本のフェミニスト

運動の現状ってどうなっているのだろかと、ふとそんなことを思ってみた。男女平等は法的手
段や社会改革を通して実現可能であり、集団としての男性と闘う必要はないと主張するリベラ
ル・フェミニズムに親和力を感じるのだが、ゴミ出しの役割を果たせていないわたしなのだが
今時の若い家庭では男性がゴミ出しをしないと、すぐに離婚されるのよと彼女がそう話すぐら
いだから、フェミニズム云々依然のこと。当番スケジュールが書斎のコルクボードに彼女が確
かに貼り付けてくれているが、何故か忘れてしまっているから、この項は締まりが悪くて当然
ということに。



                                                  吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』

                
                                                  この項つづく

 

 

 

 

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不安な夢見月の夜

2014年03月05日 | 時事書評

 

 

【今夜もニュースがてんこ盛り】

●「ロシア・トゥデイ」のキャスターが異例の政府批判

さる3日、ユーチューブでロシア政府が運営するテレビ局「ロシア・トゥデイ」のキャスターの政府
批判のビデオが掲載された。海外でロシア政府を代弁するテレビ局であるが、米国で放送された番組
の最後で、キャスターが、「ここで働いているからといって、編集権の独立がないわけではありませ
ん。私はいかなる国の主権への介入にも強く反対します。ロシアがやったことは間違いです。軍事介
入は決して解決にはなりません」とウクライナ情勢をめぐる報道の状況について「落胆している」と
苦言を呈し、欧米メディアも含め「どのメディアの報道も虚報だらけ」「私たちに今できることは、
平和的な解決を願い、大国間の本格的な冷戦を防ぐことです。その時まで私は真実を伝えます。」だ
と述べている。
 

「ロシア・トゥデイ」はロシア政府の百%の資金で運営され、世界百か国以上で放送されている外国
語チャンネルで、プーチン政権寄りの放送をしているというが、彼女の良心と勇気ある行動に拍手だ。




ビットコイン 海外業者にもサイバー攻撃

東京に拠点を置く仮想通貨「ビットコイン」の取引仲介会社「マウントゴックス」が経営破綻し波紋
が広がるなか、ビットコインを扱う海外の2つの業者が相次いでサイバー攻撃を受け、利用者から預
かったビットコインを失っているという。4日カナダを拠点にビットコインの保管などを手がける「
フレックスコイン」が、外部からのサイバー攻撃のため利用者が預けていたビットコインがすべて無
くなったと公表。被害額はビットコインで896ビットコイン、この日の取引価格で換算した場合、
およそ60万ドル(日本円で6100万円)に相当。さらに、インターネット上でビットコインの取
引を仲介する「ポロニエックス」もこの日、保管していたビットコインの12%余りがサイバー攻撃
を受けて無くなったと公表している。

 

昨年の12月04日のNHKのビットコインを特集、欧州経済危機を契機に、現実の通貨不信から仮想通
貨に乗り換えが拡大、格闘技の授業料15万円を130ビットコインに換金したが、ビットコインの高騰で
1ビットコイン\107,021までに跳ね上がったことに戸惑いを隠せぬ教師をインタビューしていた。公
共トランザクションログ利用のオープンソースプロトコルに基づくPeer to Peer型の決済網及び暗号
通貨、あるいはデジタル通貨のビットコイン(『ビットコインに信用不安』)。今回は意図的にター
ゲットとした攻撃に曝されたということになるが、犯罪検知とセキュリティ機能アルゴリズムや身元
証明・確認システム付加などの改良される見通しあるわけで、今後も目が離されない状態が続くこと
になる。さて、わたしたちは、或る意味「デジタル技術本位制」、言葉をかえれば「先端技術本位制」
の側面を見ているかも知れないし、デジタル革命の基本特性の第6則の未体験ゾーンの拡大→信用創
造という機能的側面を見ているかも知れない。



ところで、ハイパーテクストとハイパーメディア、トランスクルージョン、トランスクルージョンな
どの用語の親であるデッド・ネルソンによるとビットコインの創立者(ペパー上ではサトシ・ナカモ
ト)は京都大数理解析研究所の望月新一教授だとはなしているが、その望月新一は2012年に ABC予想
を証明する論文をインターネット上で発表。証明に350年程掛かったフェルマーの最終定理も、ABC予
想を使えば一気に証明が可能となるため、マスメディアも「驚異的な偉業になるだろう」と伝えてお
り、イギリスの科学誌ネイチャーによると、望月は新たな数学的手法を開発し、それを駆使して証明
を展開し、これが正しければ数学者によると、即座に300の数式が成立するというわけでこちらの方
も目が離せない。

 

 【進化する有機EL素子最新事情】

先月28日、九州大学は有機EL発光材料と目される熱活性化遅延蛍光材料を利用した高効率で小さな
ロールオフ(電圧波形のシャープさ)特性を示す青色発光有機EELL素子開発に成功したことを公表。
フルカラー有機ELディスプレイや白色有機EL照明などの普及に向けて、これまでの発光材料では解決
できなかった課題を解消し、有機EL発光材料に求められている低材料コストかつ高効率発光の実現が
期待される。

 

また、今月4日には、コニカミノルタが、発光面積15平方センチメートルの白色有機EL照明パネル
で、世界最高の発光効率 131lm/W を達成したと発表。131lm/Wは一般的なLED照明器具の発光効
率を上回る数値であり、同社では有機EL照明の可能性を広げる。同社は
2010年からは、NEDO(新エ
ネルギー・産業技術総合開発機構)が実施する「次世代高効率・高品質照明の基盤技術開発」プロジ
ェクトの有機EL照明の委託先の一つとして選ばれている。
今回開発した発光効率 131lm/W の有機
EL照明パネルは、発効率 103lm/W のパネルでも採用した以下の技術の最適化の
追求で達成した。

(1)独自開発の新規青色りん光発光材料の活用による内部量子効率向上
(2)
光学シミュレーションで有機層構成技術と内部光取り出し技術による光取り出し効率向上

同社は今後も、有機EL照明において、発光効率や発光寿命といった基本特性を向上させる基盤技
開発を推進するとともに、フレキシブル化などの応用技術開発に注力し、有機EL照明における「新し
い価値の創造」を目指していくという。



調子が今ひとつ、睡眠不足も極限に。不安が過ぎる。しかし、心は前向きに。
 

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身近になった立体スキャナとプリンタ

2014年03月04日 | 時事書評

 

 

 

株式会社オープンキューブという横浜市の企業が、卓上型3Dプリンターの上級機「SCOO
VO X9(
スクーボ エックスナイン)」を14日に発売する。最小の積層厚さ(ピッチ)
を0・05ミリメートルと、同社
従来機比の半分に高精細化。造形物の最大高さは240ミリ
メートルと同65ミリメートル拡張し、大きな造
形物を製作できるようにし、価格は消費税抜
きで21万円。製造業の設計・試作部門や教育機関を対象に販売予定。ところで、公式ホーム
ページをみると「SCOOVO C170は、当社のスタッフによって設計され、国内の製造工場で日本
人によって生産されています。ご購入後のお問い合わせに対するご回答やアフターサポートが
迅速かつ的確に行なえる理由もここにあります」と記載されているのですべて国産なのかと考
えてみたが、特許申請データの検索ではヒットしなかったので、企業技術のみで生産されてい
るようだとこの件は棚上げにする。



この会社は、植物由来のプラスチック粘土「フリプラ」も販売していて、下図のような造形物
をつくれる
。使い方は紙粘土(懐かしい!)のようだがプラスチックのため耐久性。耐食性に
優れ、お湯で
柔らかくし、水で固まる。一度固まってしまってもお湯に入れることで繰り返し
使うことができるという。立体プリンタとこのフリプラのコンビネーションで自由自在に造形
してくださいということなんだろうか?現物を見ていないので評価できないが、それにしても
20万円で立体印刷できるって凄いことじゃないかな。教育・趣味・娯楽・様々な試作開発の
モデリングとして使えそうだ。産業需要というより民間需要向け、つまりは、消費活動に貢献
するのではと思える。それでは、フリプラで試作したものを量産するための立体スキャナは?
ということで、またまた下調べすることに。




上図の日本バイナリー株式会社が販売する MakerBot社の3次元スキャナはCADソフトは経験
不要で、操作は簡単という。それでいて価格は16,9000円(税別)だという。個人で買いそろえ
ば 40万円以下でスキャナとプリンタ+αが揃うことになる。これでビジネスするには、パソ
コンそれもアニメータ用ソフトハードがは欲しいとなるとギリギリだが、これだとクリエイテ
ィブな商品がスモール・オフィスで量産できるだろう。フィギア販売だと腕に自信があれば1
ヶ月後には回転できる?だろう。

 

   スキャナー「Photon」だと約4万円


※ 関連特許(参考)

・特開2012-177954 三次元面フィギュア製作方法  株式会社ワンフェイス
・特開2012-096426 三次元造形装置用の設定データ作成装置、三次元造形装置用の設定データ
 作成方法及び三次元造形装置用の設定データ作成プログラム並びにコンピュータで読み取り
 可能な記録媒体  株式会社キーエンス


※ スリーディーシステムズ特許(参考)

・US8,418,622 Shaped charge jet disruptor 

・US8,377,073 Method of designing orthopedic implants using in vivo data 
・US8,324,100 Methods of forming conductive vias 
・US8,294,273 Methods for fabricating and filling conductive vias and conductive vi-
 as so formed 

・US8,236,418 Methods and systems for fabricating fire retardant materials 
・US8,114,579 Manufacturing data-storage media using light-curable material 
・US7,963,020 Apparatus and method for manufacturing foam parts 
・US7,521,296 Methods of fabricating a microlens including selectively curing flowa-
  ble, uncured optically trasmissive material

・US7,488,618 Microlenses including a plurality of mutually adhered layers of optic-
 
ally transmissive material and systems including the same 
・US7,442,643 Methods of forming conductive elements using organometallic layers and
  flowable, curable conductive materials 

・US7,235,431 Methods for packaging a plurality of semiconductor dice using a flowa-
 
ble dielectric material



このように立体スキャナが簡単に手に入る時代となったが、上図の内部構造につかわれている
医療用用白色LEDを光源にした産業需要向け立体スキャナ上位機種などは人物あるいは頭部
のスキャニングができ再犯防止用画像ファイル(人権保護上、要秘密扱い措置)やイベント向
けなどに使っえるだろう(要注意肖像権)。以前ブログ掲載した、靴のオーダーメイド販売が
可能となるので新たな商業プラットフォーム形成できるから実に面白い!

※ 立体スキャナを宅配→専用スキャニングポートでスキャニング→データをネット送信(メ
  モリにストレイジ→宅配返却注文→製作→出荷宅配。
  尚、スキャナは要コンパクト・軽量化。

  1999.09


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】


 
 ●原始社会は、贈与制で成り立っていた

  談合や賄賂などの腐敗は、つきものというか、もっと極端なことを言うと、ある意味で
 必要であると考えたほうがいいのかな、という気もします。
  つまり簡単に自分を棚上げして、法律を盾にとる検察や警察に出張ってもらうようなこ
 とには、したくないですね。
  日本だけでなく、アジアやアフリカは今も贈与制や貢納制の名残りをたくさん引きずっ
 ています。そんなに合理的にいかない難しさをよく見極めないと、建て前だけ清潔で底の
 ほうはどろどろした泥沼である、現在のような日本社会ができ上ってしまいます。
  腐敗という言葉を使わないとすれば、一種の贈与関係だと思いますね。これを悪く言え
 ば賄賂、賄賂は腐敗だ、ということになるわけです。
  だけど、腐敗であるかないかを抜きにしても、本質的に言うと、贈与経済というのは、
 未開社会から原始、それから古代に至るその中間にアジアにおいて成り立っていたのです。
 それは、贈与経済に近い経済関係が、腐敗でも何でもなくて、正規に成り立っていた社会
 だと見ればいいと思いますね。
  例えば未開の社会では、王様は、自分の支配している民衆に対してモノをタダでやった
 り、田畑の水利や、河川の工事などを無償でやったりする。それは何と交換されるかとい
 うと、いちばん極端な未開社会では、民衆の命が交換されちゃうわけですよ。
  つまり、王様が、民衆の生活から生きることから何から何まで、全部自分の財産とか持
 ちものにしてしまう。
  命までも所有されちゃうということは、例えば極端な場合には、奴隷みたいに人身売買
 で売られちゃったりしても、民衆は運命だと思って文句は言わない。それで未開社会は成
 り立っていました。
  未開社会から原始社会までそういうふうになっていて、それからもっと進んで、アジア
 の社会では貢納制になって、王様から何かしてもうらう代わりに、農作物や織物を献上し
 てきたわけです。
  これは、農民とか漁民とかが、それぞれ自分たちが収穫したものを王様の倉に納める。
 そのかわり、王様のほうは日本の場合だったら、大規模じゃないですけど、池を掘って潅
 漑用水にするとか、あるいは低い山の斜面に堰をつくって雨水がたまるようにして、それ
 を流して田圃や何かに引くとか、そういう農業に必要な工事みたいなものを、王様のほう
 がやった。
  王様の共同体が、直に自分たちの使える人たちを使って、そういうものや自然産業を農
 民のためにつくってやる。農民のほうはその代わり、土地の税金として、農産物のうち、
 お米何束とか、お芋いくつとかを納める。そういう制度が、アジア的な社会の貢納制です。
  近代社会ではどうなるかというと、ヨーロッパの資本主義が入ってきて、等価交換とい
 う原則の貨幣経済ができ、市場が開かれました
 ある価値物とある価値物が等価であるような物々交換をするとか、あるいは貨幣が万能

 あって、貨幣いくらと織物いくらとは等価であるからといって、貨幣でもって織物を買う
 とか、そういう形の経済です。
  それが近代経済で今も続いているわけで、重たいもんだから貨幣の代わりに紙の手形に
 するとか、カードで買うとか、今ならパソコンみたいなので取り引きするとか、そういう
 ふうに変わってますけど、いずれにせよ貨幣と同じですね。普遍的に何にでも使えるもの
 と、ある具体的なものとを等価、同じ価値で交換する形になっているわけです。

 ●賄賂を糾弾することの浅はかさ
 
  それで、これから後はどうなるかと考えると、もっと新しい次元の贈与制が成り立ちそ
 うに思えます。
  それは原始状態の再現のように見えるけど、そうじゃなくて、近代資本主義を超えた贈
 与制みたいなものがある広域と広域のあいだに成り立って、生産物や通貨の、地域、バラ
 ンスがとられるような気がします。
  現在すでに、貨幣の価値、モノの価値といった「価値」が実際の市場でのモノの「価格」
 とは、あまり関係がないということになりつつあります。
  これだけの価値があるものは、市場でもちゃんとそれに見合った値段で取引されるんだ、
 というのが資本主義の等価交換が正規に成り立っていたときの話ですけど、今のように高
 度の資本主義、消費過剰になった資本主義では、価値と無関係に価格が市場で人工的につ
 くられることが有りえます。
  例えば、いくつかの企業が談合して、価格をこう決めようじゃないかというふうに決め
 たら、価値とは関係なく、市場価格がある時間通用してしまう。これは交換価値に基くよ
 りも、人工価格に基く状態で、新しい贈与制だと言えば、言えると思います。
  現代は、まさにそういう段階に入ろうとしています。
  名義的な贈与制で明らかなように、この制度を等価交換と見なすためには、結果的に価
 値賦与できるものを探さなくてはならないわけです。
  でも市場では、価値あるものほど価格は大きく取り引きされる。それは原則じゃないか、
 ということなんですけど、原則を破って、談合によって価格を勝手に設定して通用させる
 ことができる、というふうに現在はなっている。これは、費資本主義になってからそう
 なったわけです
  例えば産油国が、石油をあんまり掘らないようにして、石油の価格を釣り上げようじゃ
 ないかと談合すれば、生産を一斉に落として、石油の需要供給から来るはずの価値と無関
 係に価格を釣り上げちゃうということができる。ある期間、例えば一年とか一年半なら可
 能なわけです。そうすると、先進国では大恐慌を来たすということが、つい二十年ほど前
 にあって、トイレットペーパーを買い溜めした人もいたくらいでした。そういうことは人
 為的に起こりうるようになってしまっています。
  つまり、今の社会は原則をしっかり守っているとは言えないわけです。そんな世の中で
 賄賂が腐敗だなんて、果たして言い切ることができるのか、僕には疑問です。  

 ●盆暮れの贈り物と不正融資、線引きをどこでするか

  たいていの経済行為の中で、談合さえできちゃえば、公然と価格の大小は価値と関わり
 なく成り立たせることができます。日本みたいに、まだ未開の原始の時代の贈与制や貢納
 制の遺制が残されているアジア的な国家では、盆暮れには品物を贈答しあうことが、美徳
 として通用しています。
  あるいは、便宜を図ってもらいたかったら菓子折を持って行く。そういうことは、日本
 あるいは、アジア的な社会では、まだ収賄と贈賄と区別する境界がすこぶるあいまいです。
 これはきちんと考慮に入れなければならないはずです。
  自分自身の風俗習慣を棚上げして、法規だけで摘発しようとすると間違うかも知れませ
 ん。だから、アメリカやヨーロッパが日本に要求する経済的整理でも、そこが難しく感じ
 られます。
  何ではっきりしないんだ、合理的にやらないんだ、とアメリカや欧州の経済観念ではそ
 うなるし、日本の観念で行くと、いやあ、そういうことはなかなかできなくて、グズグズ
 やるよりしょうがない、という限界にもなっているわけです
  そこは日本の金融機関、企業体、政治家の隠れ簑になりやすいし、追及する方の過剰
 心情ずくめの倫理感にもなります。
  ここには本当に解明しなくてはいけない問題がありそうな気がします。

 ●接待なんかほとんど無罪だ

  日本で今、収賄、贈賄とか不正融資で背任に問われ、金融、企業の首脳が検挙されてい
 ますね。
  あれは、脅しだけだと思います。
  つまり、精神的にショックを与えるというだけで、裁判やったらほとんど全部無罪だと  
 思い
いますね。裁判で、ああだこうだとやってるうちに、一年もたつと無罪になっている
 と思います。
  あれで実刑をくらうということは、見せしめのためとかいうんじゃなきや、滅多にない
 と思います。検挙したり、起訴はするでしょうけど、裁判では、結果として有罪には、よ
 っぽどヘマしなきや、ならないでしょう。贈賄のほうも一定額以上の不正な融資とか、贈
 収賄とか背任にたいして、個人個人を刑事上の犯罪行為に結びつけて処罰するよりも、民
 事上の膨大罰金刑を、機構上関係のある者すべてに課する他に術がありません。盆暮れの
 贈答に類するものと、贈収賄に類するものとを、精神上も金額上も区別できていない社会
 習慣の中で、個人を犯罪者に仕立てるなど無意味です。
  アジア的、あるいはプレ・アジア的な遺制に由来する違反行為に対しては、何が等価な
 罰に該当するかを見極めた方がいいのです。またそうすべきだとも思います。

 ●日本社会から贈収賄はなくならない

  これは日本より中国の方が本場でしょうが、贈与制や貢納制が遺制としてたくさん風習
 の中に残っている社会では、収賄、贈賄を風俗習慣と区別することが難しい。
 ロシアもまたマルクス流にいえば半アジア的ですから同様です。
  さしあたり、金額で境界線を引くか、頻度で境界を設けて、一定回数以上を処罰の対象
 にするか、または社会の風俗習慣と明白な精神上の違法行為の意識とを区別するために、
 個々人ではなく機構上の犯罪を摘出する方法を見つけるか。
  はたまた早急に欧米法に切り換えるか、その遂に一人の違反は機構全体に及ぶものとす
 るか、どうやってもさし当たり矛盾は起こるでしょう。

 ●問題は、不透明さのなくし方だ

  つまるところ「腐敗」儀礼的な贈答とか接待の域を越えた不正や不祥事が、日本の社会
 でなくなる日は来るのか。そのためにはどうしたらいいのか。
  それは上から下に向って「開く」ことだと思います。
  政治の世界で言えば政府がこういう政策をやるつもりだということを、国会でだけでは
 なく、国民一般に直接公開して民衆的な了解を得るようにする。例えば、これこれの派閥
 のこういう人物に大蔵大臣をやらせるとした場合、政府がその人物の力量や人柄や性格を
  国民に知らせるようにするわけです。
  今も昔も、日本政府も国会議員も選挙で選ばれたのを理由に、人事から政策まで何でも
 国民に内密に運んでしまう。少しも「開かれ」ていません
  医療の世界をとってみても同じです。病院の理事会は医者に知らせずに、勝手に値上げ
 などを決めてしまう。医者は自分の治療方針を看護婦さんに知らせずに、ただ命令し、こ
 き使うだけ。看護婦さんは義務的に動きまわり、患者の状態も立場も生活習慣の違いも考
 慮しない画一的な振舞いしかしない。つまり「開かれ」ていないのです。
  教育も同じです。学生はどんな学校のどんな先生に教わってもいい。単位が合えば卒業
 できるようにすればいいのに、セクトを作って威張り合っているだけです。保守も進歩も
 全部「開かれ」ていない。
  こんな社会の密閉性はぜひとも壊さなければ、誰が何をどうやっても同じです
  これができたら、収賄、贈賄みたいなことを強いてやらなくてもいいようになるんじゃ
 ないですか。それ以外には、ちょっとやめようがない、という気がするんです。すぐにそ
 うならないでしょうが、自分だけは「開かれた」振舞い方をできるだけしようと思います。

 ●ふぬけた日本人が経済を滅ぼす

  現在、深刻な不況とサラリーマンや労働者の深刻な「リストラ」失業に直面して気がつ
 いたり、判ったりしたことが大きく言うと二つあります。
 一つは日本のマルクス主義者や進歩主義者のあいだに、国民一般(民衆)が衣食住のぜ
 いたくを覚えたことが、日本の経済破壊の原因になったと思っている連中がたくさんいる
 ことです。空怖ろしいことです。
  民衆が着たいものを着たり、食べたい物を食べたり、進んだり休んだり自由にでぎるよ
 うになることは、歴史の主要な目的なんです。
  けれどこの連中は、清貧の思想を教えたり、ぜいたくは敵だと言いふらして、いいこと
 を説いているつもりになっています。
  僕は間違ってもこんな連中に権力を与えてはいけないと思いますね。スターリン、強い
 て言えばレーニン以後のロシア・マルクス主義と同じことをするに決まってい
ます。
  もう一つは、逆に、金融機関や大企業体の首脳たちがヽ途方もない膨大な資金を貸借し
 て収拾がつかない破目に陥っていることでした。
  中小企業や一般国民には、ローソの返済から取立てまで厳しく規定し実行させながら、
 自らは一般の人たちの考えも及ばないような膨大な資金を流出して、回収が不可能な時期
 に突入してしまったという事実が、明らさまになりました。
  彼らは実感では、自分の隣りには、ただのどうにもならない無能な性格破産的な愚か者
 しかいないことに愕然としながら、かといって「俺やめた」とも言えずに、建前上、未来
 も何もないこんな集団を赦してしまうのです。資本主義以下のことしかできない輩は、み
 んな駄目です。
  政府は不況対策として不良債権をかかえた金融機関にも公共資金(税金)で援助し、国
 民一般には「リストラ」を喰わせて、不況から脱しようなどとしています。こんなひどい
 話はありません
  これで易々諾々としているのは日本人だけです。
  不況を脱する方途は、誰がどう考えても不良な金融機関の改廃を含めた、これらの機関
 の改正統合を断行すること、第二次産業(建設業・製造業・工業)を主体としないこと、
 それからいちばん大切なのは国民一般の個人消費を増大させること、です。
  だけど政府を先頭に報道機関、経済専門家、世論を形成する知識人、仕方なしに内心で
 首を傾げながらも、それらを常識なのかも知れないと思い込もうとしている一般の国民の
 大部分まで、声を揃えてやろうとしていることはまったく逆の順序です。
  まず不良金融機関や企業体の首脳に公共資金を投入して援助しようとしつつ、下級サラ
 リーマソや中小企業や労働者を「リストラ」し、建設業や製造業など第二次産業を支援し、
 最後にその効果が国民一般の個人消費を増大することを願望する政策を取っている。
  個人消費が増大する効果がなくても、金融、産業、その首脳が安泰であればいいという、
 こんな間抜けな時代おくれが通用するのは日本国だけです。

 ●「市民主義者の追及」のデメリット

  以前に田原総一郎が田中角栄にインタビューした記事が雑誌に出たことがあります。そ
 れを読んでいたら、田原総一郎は、お前は収賄贈賄などを含む金権政治で派閥の親
分とい
 う地位を保ってるんじゃないのか、と追及したいらしいのです。

  戦後市民主義者の、馬鹿さ加減がよく出ていると思って読んでいました
  田中角栄は何と答えていたかというと、俺の存在理由はそういうことじゃないんだ。自
 分は、例えば大蔵省の頭のいい役人がいろいろ企画して、財政についての法律をこういう  
 ふうにしようと思う、こういう法律をつくってこう規制したらどういう効果があるだろう
 か、と聞きに来たとする。すると、向こうは経済の専門家で頭のいい人たちだけど、俺は
 即座に、それはこうだ、こういう効果がこういうふうになるはずだから、これはやらない
 ほうがいいとか、これはこういう好影響があるはずだからやったほうがいいとか、即座に
 答えられる。
  つまり、専門家ではないけど、自分はそういうことは長年の経験でわかるからすぐに答
 えられる。つまり、私が多少の重きを置かれているところがあるとしたら、そういうとこ
 ろなんだと言っていました。
  頭のいい人で、緻密な計画を立てる、そんなのはいくらでもいるんだ、と言うんですね。
 だけど、それを実施したらどういうことになるのかということについて、明瞭に、こうな
 るということを即座に言える人はいないから、それがやっぱり自分が重んじられてる理由
 だ、と答えてるんですよ。田原総一郎なんて、もうお話にならない。聞いてると、格も見
 識も段違いなんです。
  そういうことは田中角栄なんかよく知ってて、能力のある人です。
  何で五億円ぐらいで文句言うんだ、ということを大っぴらに言うのは、ものすごく抵抗
 が多いわけですけど、利口ぶった愚か者の餌食にするには惜しい政治家でした。つまり、
 贈賄収賄という意味じゃなくて、なぜこういう金が仲介に挾まるかということについての
 特性は、日本だけじゃなくて東洋の特性なんです。それについて、ちゃんとした理屈がで
 きたらいいと思いますね。
  僕らのようなただの物書きが言えるのは唯一、「開かれた」社会にしちゃえばいいんだ
 よということだけしかない。あとは、発言すれば言ってみるだけということになって、為
 政者を図に乗らせるだけです。
  話を拡げてしまいましたが、原点に戻れば不況にどう対応したらいいかということです
 よね。三月(一九九九年)の総務庁の発表では、大学卒の未就職者は三〇万人、失業率は
 たちまちちのように四・六%から四・八%にハネ上って先進国で最悪です。三十代、四十
 代の働き盛りだけとれば、五・〇%まで増大しています。
  こんなときに日本の首相(小淵)はアメリカで演説して、失業率が最悪になったのは改
 革努力の結果のやむをえない犠牲だから、改革には付きものだなどと平気で言いふらして
 います。凡人の顔をした悪党ですね
  冗談ではない。自分の無能、国民一般の痛みを無視した最悪の愚図が何を言うか、と言  
 いたいですね。
  僕は太平洋戦争の敗戦のとき、国家も政府も不在になって、国民の一人一人がただ自分
 たちだけで食糧を得て、生き継ぐという体験をしましたから、別に政府首脳や公認政党な
 ど信じられないし、それでも生きなくては、という思いをしてきました
  現在の「不況」や「リストラ」の嵐も、当てにならない為政者など不在と同様であって
 も、生き抜いてみせるというところまで覚悟を定めれば、必ずやっていけると思います
 「リストラ」されて「自害」したサラリーマンや、倒産した中小企業や、不良融資の責任
 を問われた金融機関の副社長で自殺した人いましたね。もう少し覚悟を下の方におくべき
 だったとおもいます。でも、それなりに彼は良心の痛みを知っている人です。
  僕らはこうしたらいいという方策を知っていても、それを行うべきどんな立場も地位も
 ありません。ただ政府政党、識者などみんな逃げていなくなっても、なお生きなければな
 らないんだよ、また生きられるんだよ、という体験だけはあります。だからその覚悟のほ
 どを話しても嘘にならないと思いますから、ここで述べたわけです。


          「第6章 不正、腐敗って、ひとくくりに言えないぜPP.113-128

                             吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』


田中角栄の金権政治負の部分についての実体をわたしなりの体験として指摘することはいくら
でもできるが、ここでは吉本の「資本主義社会を踏まえた人工価格に基く状態で、新しい贈与
」という発想について注目した。また、ビット・コイン問題で話題となって言いる仮想通貨
に対するアプローチについてもたぶんわたし(たち)と同様な見識を披露していたに違いない
と改めて彼の偉大さを再認識することになった。

                                   この項つづく

 

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ベットで煙草を吸わないで

2014年03月03日 | 時事書評

 

 

 

 【波に乗った太陽電池】


昨夜につづいて(『爆問に誘われ菌神社』)、今夜は上図の図書に触発され太陽光発電技術と
その市場動向を考えてみる。まず世界の総エネルギー見通しは、新興国・発展途上国で増大に
より2015年には573、2035年には770(単位:quadrillion Btu = 1.05505585 × 1018 joules)
と予測されている。また、世界の年間発電量は、
2050年で50(PWh)と予測され、これを再生可
能エネルギー導入で
二酸化炭素排出量半減させ、42(PWh)にもっていこうと計画している(国
際エネルギー機関:IEA)。


図 再生可能エネルギー見積もり

※ 実際に人類が地上で収集可能な太陽エネルギー: (2007年) 約1×1015W = 1000TW (世界
のエネルギー需要量の数10倍)、因みに、2007年の消費エネルギー 約16TW(テラワット)

図 太陽光発電モジュールの価格の変化
  半世紀にわたって1つの経験曲線上に乗っている。
  出典:Solar Photovoltaics: Competing in the Energy Sector, EPIA

当初、変換効率が10数%そこそこだったのが、変換効率20数%時代に突入している。それにと
もない発電コストも大きく逓減してきており、ドイツでは平均導入コストが日本の約1/3(約
22万円/kW)まで安くなっている。また、下図のように、モジュール(パネル)の製造費は、
発電コストの2割程度に過ぎない。さらに、パネル以外のコスト逓減が加速、現時点で既にド
イツでは日本の1/3ぐらいの値段で設備が導入できている。パワコンは従来のシリコンに代わ
り、SiCやGaNを用いたパワーデバイスの実用化が既に始まっている。これらが普及するとパワ
コンの体積が1/10ぐらいになり、価格も数分の1になると見込まれている。これから積極的な
再生可能エネルギーへの転換は必至。わけても、デジタル技術革命渦論のコア的デジタルデバ
イスである太陽電池(および蓄電池)の市場はと雇用規模は逓増していくことも約束されてい
る。波に乗ったにっぽんの太陽電池と言える昨今の状況にあるといえるのではないだろうか。





●最新色素増感型太陽電池技術:光吸収特性の改良(参考)

従来、色素増感型太陽電池としては、TiO2上に吸着した有機色素の光吸収特性にしたがっ
て、太陽
光を吸収し、光電流が得られるものが提案されているが、変換効率をより向上のため
に、太陽光に
対し長波長側の分光感度特性が不十分であり、(1)長波長側の光吸収特性をよ
り拡張した有機色素
を用いる方法や(2)電子受容部位を有する有機色素とCu(銅)を含む
Cu系材料とを含有した複合体を備
えた方法が提案されているが、(1)の光吸収特性改良の
有機色素の実現は困難であり、(2)についてはさらなる改良を必要としていた。このため豊
田中央研究所らの「特開2014-032847 複合体、光電極、色素増感型太陽電池及び色素増感型太
陽電池モジュール」では、下図のように、色素増感型太陽電池40は、透明導電膜12と透明
基板11とを有する透明導電性基板14とこれに隣接して設けられている多孔質半導体層24
と、これに形成されている複合体28と、を備えた光電極40を構成。この複合体28は、S
(硫黄)とN(窒素)のうち少なくとも一方を含む電子受容部位を有する有機色素分子と、第
1族元素及び第2族元素のうち1以上を含むアルカリ系材料と、1以上の遷移金属を含む遷移
金属材料と、を含有している。この遷移金属材料は、Cuを含む半導体及びCuを含む導電体
のうち少なくとも一方を含むCu系材料と、Cu以外の遷移金属を含む非Cu系材料と、を含
んでいることことで、有機色素の光吸収特性をより向上する太陽電池モジュールが提案されて
いる。

 

【符号の説明】

10 色素増感型太陽電池モジュール、11 透明基板、12 透明導電膜、13 受光面、
14 透明導電性基板、15 受光面、16,17 集電電極、18 溝、20 光電極、21 接続部 
22 下地層、23 受光面、24 多孔質半導体層、25 裏面、26 正孔輸送層、27 裏面、28
複合体、29 セパレータ、30 対極、32 シール材、34 保護部材、40 色素増感型太陽電池。

 

  1999.09


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】



 ●公務員が怠け者な理由

  今みたいに、廃止した方がいいような金融機関に、税金である公共資金を何十兆円も投
 入してしまい、政府が赤字で首が回らなくなって、ついに次の内閣に持ち越すこともでき
 なくなり、そこで責任をとらなきやならない、みたいなことになったら、官庁を少人数に
 する以外にないですね。
  そうなったら公務員のリストラもありえますし、事実そうしたことははじまってますよ
 ね。そうは言っても、民間に比べたら、はるかに後から生じてくるし、特定のところであ
 っても、官庁全般の雇用は国家が存続するかぎり大丈夫だということが建前ですから、よ
 ほどのことがなければそうはならない。これは年金生活者や金利生活者と同じ、またはそ
 れ以上の安全度といえるでしょう。お役所は民間に比べたらはるかにいいんじゃないです
 か。だから、若い人が就職したがるという一因はそこにあると思いますね。
  公務員の場合は、仕事を一生懸命にやって、同期の人間と比べて頭ひとつ上に出ちゃっ
 たら、官庁だったらむちゃくちゃ叩かれてしまうから、それもやらないで、全力で働かな
 い、頭を出さない、先走らない、体を丈夫にするように、とそうしてるのがいいんですよ。
  公務員の場合は、上のポストに行っても、民間企業の優秀な、望ましい経営者というの
 とは、ちょっと違うと思います。民間の経営者はそれなりの手腕とそれなりの能力を全開
 していかないとうまく抜け出られないんでしょうけど、官庁の場合は最初からある程度位
 階制が決まっていて、年数で上がっていくようになっている。そういかないときもあるで
 しょうけど、民間よりはっきりしていますから、公務員にはそういう意味合いでのゆとり、
 余裕はあるんじゃないですか。
 今、若い人が公務員になりたがるのは、「不況」に対して強いからでしょう。「不況」で
 ないときは、僕みたいななまけ者が、仕事が楽で、創意工夫などなくても年功でそこそこ
 に昇給し、波乱も少なく、勤務が楽だというイメージを持つから、公務員になりたがるの
 だと思います。
  もちろん法学部の秀才は、官僚として次官や大臣になる直線策として官庁に勤めるのか
 も知れません。その世界は、学者の世界と同じで、はかり知れぬところがあるのでしょう。
 しかし、僕には関心がない。それは僕みたいななまけ者には縁遠いです。  

 
 ●お役所は理想の職場か

  その一方で官庁や学校は秀才たちが思う存分勉強できる環境でもあります。
  自然に生えている木の実をとって食べたり、自然の動物や魚をとって食べていた未開の
 時代には「労働」(働くこと)という概念はなかったと思います。遊ぶこと、儀式をする
 こと、食べることの区別もいらない社会です。たぶん土地を耕やして農作物をつくったり、
 果実の茂る樹木を集めて植えたりしはじめてから「労働」という機会がはっきりしてきた
 に違いない。それまでは遊び、休息、空腹を満たすことと「労働」とは区別されなかった
 でしょう。また次に頭を働かせて工夫するものと、手足を動かして作業するものとが分担
 されたとき「精神労働」と「肉体労働」とが区別されたでしょう。
  そうだとすれば理想の仕事環境は、この二つの段階を気持よく満たすところにあるに違
 いありません。
  「精神労働」と「肉体労働」とをいつ切り替えても快適な環境、そして食べることと遊
 ぶことが環境のなかで揃っていること。明るい便利な、精神的な仕事にも身体を動かす仕
 事にも、簡単に切替えができる職場ということになります。
  官庁や学校は、その意味でかなり恵まれた職場ということになりそうです。


 ●サラリーマンの幸せが日本を救う

  企業としても利益を生みつつ、それが社員にも還元されて、しかも、快適で苦労のない
 労働の場を確保できる理想の企業体というのはできるものでしょうか。
  簡単なことと言えば簡単なことだとも思います。例えば具体的に、雇用問題、経済問題、
 人事問題なんかもそうです。それを考える場合に、何を基準にするかということです。
  資本制度が始まった十八世紀の中頃をとってくれば、企業家が自分の企業の利益を増大
 させるために労働者を便いつぶして、結核のような病気になろうとどうなろうと、企業が
 大きくなりさえすればいいと考えてやってきた。そうすることで、資本主義が大きくなっ
 て隆盛に向かっていきました。
  だけど、労働者のほうは職業病、当時は肺結核ですけど、それが蔓延した。それでマル
 クスみたいな初期の社会主義者が、これはいかん、これはおかしい、と言うようになって、
 資本制度は根本的に検討しないといけない、みたいになっていった。労働はモノを生み出
 す源泉なんだということが理論として出てきて、そこのところで労働者の福祉とか保険と
 いう問題が提出されてきました。
  マックス・ウェーバーが言うように資本主義は、プロテスタントの倫理観までなら受
 入れることができます

  現在はどうかというと-現在の日本のような先進的な、発達した資本主義、あるいは
 消費資本主義の段階になったら、何を基準にして考えたらいいか。企業でも国家でも政治
 の諸々でもそうですけど、企業だったらサラリーマソ層を基準にしてどういう形がいいの
 かということを考えるべきなんです。国家だったら国民一般の利益、福祉を第一に考え、
 政治はそこに向かってゆく方向を明示するということで、それがいちばんうまくいってい
 るところが理想的だということになります。
  企業家に都合がいいようにと考える時代は、先進的な資本主義国ではもう終ったと僕に
 は思えます。
  日本とか、アメリカとか、ドイツ、フランス、イギリスといった国々では、国家でいえ
 ば、一般的な国民の利益はどうあるのがいいのか、不況を脱するというのはどういうこと
 なんだといったら、その人たちの暮らしが今よりもよくなって、消費もしやすくなったら、
 それがいちばんいいんです。それには企業家はどうしたらいいのかとか、金融機関はどう
 したらいいのかというのは、その問題から出てくる副次的なことだという考え方が、僕は
 本当だと思います。
  企業だったら、一般のサラリーマン、働いている人がどうやったらよくなるかというこ
 とを基準にして企業を考える。銀行、大蔵省は、同じようにどういうのが国民にとってい
 ちばんいい金融制度なのかという視点で、金融問題を考える。そういうふうな考え方をす
 れば、いちばんいい、現在の理想の状態だと思います。
  何を基準にするかということは、それぞれの時代で違いますけど、今の時代の日本国だ
 ったら、歴然とそうだと思うんですね。アメリカという国はそういうことがとてもよくわ
 かっているように僕には思えますね。だから、企業家の責任を厳しく追及するところがあ
 るわけです。
  だからこそ、アメリカが日本に要求しているのは、不良債権を抱えた下手な銀行の首脳 
 部を「リストラ」しちゃえってことなんですよ。なにも一般の銀行員を「リストラ」しろ
 なんて言ってないんですよ。連中の言動をよくよく読めば、それがわかります。無能な銀
 行はつぶして、有能な銀行だけ残せ。それから、企業家、あるいは銀行家でも、つまらな
 いことをやってきた首脳部を「リストラ」しろ、と言っているわけです。歴然とそういう
 ふうに言っています。
  アメリカっていうのは、割合そういうのがわかっているんですね。だから、金融制度も、
 社会制度も、企業制度も、日本なんかよりもゆとりがある、余裕を持っているわけです。
 日本に対しても、とても婉曲な言い方をしているけれども、本当はそういうことを要求し
 ていますね。


 ●ビッグバンが「第三の開国」なんて冗談じやない

  日本の企業家も、金融機関も、政府も、まだ古典時代そのままで、企業、金融機関、政
 府があるからこそ、雇われている国民の生活は成り立っているんだ、みたいに思っていま
 す。つまりまだ資本主義の隆盛期の意識なんです。それは大間違いで、すでにそういう段
 階は、日本のような先進的な社会では終ってしまっているんです。
  いまの段階は一般国民がどういうふうになるのが最もいいのかということを基準に、あ
 らゆる問題を考えないと駄目だという段階になっていて、アメリカは日本にそういうこと
 を要求しているのですが、日本の企業家も、経済の専門家、エコノミストや、経済学者た
 ちも、日本は第三の開国に当たっているとか言っている。冗談じゃないぞと僕らは思うわ
 けです。アメリカはそんなこと言ってないですよ。
  アメリカは、日本に対して第二の敗戦だよと言っているんです。
  だから、お前ら自力で不況を脱し、金融機関の整理ができないのならば、自分たちは資
 金の援助もするけど、人を派遣して日本の経済を立て直すと言っているのは、つまり、経
 済的に占領するぞ、と言っているわけですよ。専門家を連れてきて、金も出すかわりに、
 こうせい、ああせいと首脳部を動かしてそういうふうに要求するぞ、ということを言って
 るんです。
  だから、日本が失敗すればアメリカ自らが出張ってくる位のことはありうる。彼らには
 そういうことがわかってない。それだけの徹底した情勢判断をもつ見識がない連中が言う
 第三の開国だなんて、噴飯ものです。


 ●アメリカは、日本庶民の味方

  先にも言ったように近代日本で起きた基本的な改革は、2つありました。
  1つは明治維新です。明治維新というのは、今で言うと「リストラ」されちゃった人、
 つまり失業している浪人とか下級武士、それから飢饉にさらされた農民とか都市の庶民の
 「ええじゃないか」みたいなデモが、食えないから暴動を起こすとか騒いで、それがもと
 になって起こったわけです。
  そして、どこが維新の締めくくりなんだって言ったら、明治六年に地租改正があって、
 農地の税金を物納制からお金で納めていいってことにした。それで農業市場を初めてつく
 って、日本の農業をアジア的な貢納制から近代資本主義化したわけです。
  それが地租改正です。これは誰がやったかというと、日本の初期の農業経済学者、柳田
 国男とか、そういう人の先生筋に当たる松崎謙之介などが下働きで、明治政府がヨーロッ
 パから顧問として呼んだ農業経済の専門家であるマイエットのような人たちが、実質指導
 したんです。
  そしてもう1つの改革が、戦後の農地改革です。大地主の土地を取り上げて小作人に分
 け与えた。アメリカの占領軍が主導でやったんです。日本の政党なんか自民から共産まで、
 そんなことしたらたちまち袋叩きになっちゃうと思うから、絶対にやらない。今度も日本
 が失敗したら、必ずそういうふうになってきます。
  でも、アメリカの言ったり、やったりしたことは、日本の一般国民にとっては悪くない
 んですよ。それは前からそうなんです。自民から共産まで、日本の政党が、困るなと思っ
 ているだけでね。
 戦後の占領軍軍政局による農地改革の下地は、五・一五事件や二・二六事件を経て太平洋
 戦争の敗戦に至る青年軍人の貧民救済と、氏族主義をスローガンとする日本人による後進
 地域特有(マルクス)の運動にあったとする見解は、当然起こりえます。でも僕には、軍
 人たちやそのイデオローグたち(北一輝のような)に近代主義的な農業改革の理念があっ
 たとは思えないのです。アジア的専制の共同主義や貢納制に逆転する傾向のほうが大きか
 ったと思います。
  ここで経済の立て直しに失敗して、世界の市場の三分の一を占める日本が駄目になりそ
 うとなったら、アメリカは必ず援助に乗り出してきます。金だけじゃなくて、人も送って
 くるでしょう。戦後、ドッジラインとかシャウプ勧告とかで日本の経済を立て直したのと
 同じようなことをやるでしょう。今のままではうまくいかないでしょうからね。 
  つまり、僕が繰り返し言いたいことは、日本のあらゆる近代的な改革のいちばんの根本
 のところは、日本の政府、政党がやったんじゃないってことです。今回ももしかしたら、
 そういうことになるんですよ。
 「第三の開国論」の佐和隆光なんか、京大なんかクビになってもいいって覚悟で、本当の
 ことを言えばいいんですよ。企業のシンクタンク、三菱総研とか野村総研とかいうところ
 にも罪がありますね。彼らは現在、まさに生涯のうちで最大の出番なのに、ここで、経済
 の超近代的な救民の課題について何も提起できなかったら、一生何もできませんょ。
 企業の利益を優先するから、本当のことは何も言わないでやっているうちに、グズグズす
 るなって、アメリカが出て来たら、日本の金融主導権はそこでおしまいです。おしまいと
 いうか、敗戦と同じです。
  でも、国民はそのほうがいいやってことでもあるんですよ。ただ、影響は受けますから、
 自分も「リストラ」にさらされることは間違いないことだから、それだけは何かうまいこ
 とを考えたりして個々に生活を防衛しないといけない。それ以外に方法はないんですね。
 自術策さえ何とかできたら、アメリカに出張ってきてもらったほうがいいって言ったほう
 がいいくらいです。
  アメリカはピシッとした、道理に合ったまともなことを言ってますよ。現在要求されて
 いる金融、産業、その他の改革は、ロシア・マルクス主義の誤謬から抜けきらない政党や
 知識人や、ロシア・マルクス主義のシンパから抜けきらない戦後市民主義者は、社会主義
 への移行のように錯覚しているのでしょうが、そうではないんです。超(消費)資本主義
 に即応する金融産業構造への、改廃を含む転換です。この連中の寝ぼけ加減もみな同じで
 す。必ず改革への反動に転落します


 ●超(消費)資本主義がくる

  消費が所得の中で半分以上を必然的に占めてしまう産業社会は、消費の種類と消費の理
 由が何であっても、消費を主な要因と見なければ成り立だない社会です。制度としては資
 本主義の延長であり高度化でありながら、資本主義の本来的性格である利潤、その蓄積の
 増大ということを超えて、超えた部分で消費過剰の社会になっています。世界経済の先進
 的な地域経済がそうなってしまった社会を超資本主義とか消費資本主義と呼んでいます。
 これはある角度からいえば、剰余価値を消費に代えてしまう社会システムで、古典的な資
 本主義とか社会主義とは違うものです
  この経済と産業の仕組みを何と呼ぶのが安全なのか、現在ではまだ言いようが見つから
 ないと思います
  もし先進的な資本主義を「消費」を特徴とする第三次産業主体の経済として捉えた場合、
 これに見合った政治制度は、国民一般のリコール権を含んだ議会制ということになります。
 通常のときは国会において議員たちの賛否で充足されるべきものを、特定の条件を満たす
 ときは国民一般の直接的無記名投票で決定することです。これは個人消費が最大の割合を
 占める消費(超)資本主義に移行できる最少限の改革です。
  先進的な超(消費)資本主義が主導する経済段階に、アメリカ、欧州共同体、日本など
 が入っていて、それに即応する金融産業の体制が整えられるべきだというところまでは、
 アメリカの日本に対する経済要求には妥当性があると思います。
 逆な言い方をすれば妥当性があるのはそこまでです。 

            
             「第5章 お役所がつぶれる日、日本が沈む日」PP.98-109

                            吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』

 


理想的な職場とは、「精神労働」と「肉体労働」とをいつ切り替えても快適な環境、そして食
べることと遊 ぶことが環境のなかで揃っていること。明るい便利な、精神的な仕事にも身体
を動かす仕事にも、簡単に切替えができることだといっているが、そこから比べれば、民間
非正規の派遣労働者の多くは、何ともみじめな環境におかれていることが
容易に想像できる
この様な民間企業の職場環境の具体例を列記すればいくらでも書くことができる。また、
「ア
メリカは、日本庶民の味方」の項でいえば、"日米半導体不平等条約"のように、日本の良
いと
取りと半導体製造メーカの競争力を弱体化の
例(ブログ『原理と現場』参照)があるよう
に、
そこは注意して考えおく必要はある。また、「消費が所得の中で半分以上を必然的に占めて

まう産業社会の仕組みを何と呼ぶのが安全なのか、現在ではまだ言いようが見つからないと

います」というもの言いは、その後ITバブル、リーマンショック、欧州金融危機を経験し

わたしたちに投げかけられた問題であることを改め思い知らされるものである。

                                   この項つづく



【ベッドで煙草を吸わないで】

 





   ベッドで煙草を吸わないで
   私を好きなら火を消して
   瞳をとじてやさしい夢を
   甘いシャネルのためいきが
   今夜も貴方をまっているのよ

   ベッドで煙草を吸わないでね
   ベッドで煙草を吸わないで
   ゆうべの約束わすれたの
   こっちを向いて愛の言葉を
   髪をほといた首すじに
   なぜか煙がくすぐったいわ

   ベッドで煙草を吸わないでね
   こっちを向いて愛の言葉を
   髪をほといた首すじに
   なぜか煙がくすぐったいわ
   ベッドで煙草を吸わないでね
   ベッドで煙草を吸わないでね

                                作詞/作曲 : 岩谷時子/いずみたく 


テレビから沢たまきの「ベッドで煙草を吸わないで」の映像と歌がに触れたとき、昔の故人と
の或るシー
ンの思い出が懐かしくフラッシュバックし暫く、喪失と郷愁の思いに浸っていた。
岩谷時子のセクシュアル・ワー
ルドに聴き惚れていたが、煙草と情事を思い出す体験は皆無。
寧ろ、♪ ベッドで煙草を吸わないで/吸
い殻の火は/火事となるから... というリアルな体験
が思い出されるのだが、この歌を耳にするだけで
大人しい男女の恋愛遊戯の抒情シーンへと変
化するから、歌の力(チカラ)って凄いと二度驚くこととな
る。

 

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爆問に誘われ菌神社

2014年03月02日 | 滋賀のパワースポット

 

 




真夜中に、ひどい咳込みで寝室を離れ階下での書斎でテレビをつけると爆笑問題が長野県の「
きのこ総合研究所」を訪れ、世界初の純白エノキタケなどを生み出したきのこ総合メーカー「
ホクト」の心臓部で、現在は世界初の「松茸人工栽培」に挑戦している現場に潜入し番組シー
ンが飛び込んできた。14日間かけて生育されている
エリンギ生産工場には14の部屋にそれぞれ
に9
万本の「培地ボトル」が並んでいる。高い湿度と温度が保たれた「秋の森のなか」のよう
な室内では、工場作業員が微妙な温度と湿度のバランスを制御するしている。ドク
ターきのこ
LOVEこと大内謙二氏の研究室の場面で、これまで1万枚以上のきのこの写真を撮ってきた、マ
イタケやハナビラダケ、チシオタケなどの写真を見せてもらっていたが、きのこ博士のベスト
1のタマゴタケ(たまごのような白い殻が割れてきのこが生えてくると)などを紹介していた。
ところで、その研究所に日本で唯一きのこを祀っている滋賀県は東市中沢にある菌(くさびら
)
神社の御札がはられていたことに関心を惹いた。

 

神社に残る滋賀の湖魚文化」(滋賀大 堀越昌子教授)では、「昔は琵琶湖の魚は川を上り
ましたか
ら、川筋は奥まで湖魚文化が広がっています。山の奥の伊香郡の余呉の丹生神社とか
湖岸だけで
はなく、ふなずしが神社の神饌、直会に出てくるところは滋賀県中たくさんありま
す。ふなずしだけではなくて、ぼてじゃこ、どじょう、もろこ、はす、うぐい、雑魚(じゃこ
ずし)、琵琶湖の魚はなんでも漬け物にします。まず全部塩漬けにして、米で魚を漬けちゃう
のです。そうすると乳酸菌が繁殖してくれて、生でほっといたら一週間持たないものが、ご飯
につけることで二年も三年も持つのですね。 琵琶湖があり、淡水魚が抱負に獲れるからこそ
発達した文化なのです。だから滋賀県の神社では、五穀豊穣を願う年頭のあいさつや春祭りに
ふな
やじゃこのなれずしを供える風習が多いのです。 守山の幸津川や、草津の津田江とか、
いろんなとこ
ろにすし切りする神社があります。栗東市には菌(くさびら)神社があるのです
菌の神社というのは、
茸の神様、微生物の神様、漬け物の神社なのですね。この菌の「くさ」
とか、草津の「くさ」、もともとこの
へんは滋賀県でも一番菜っ葉類を生産している地域です
し、湖魚のなれずし類なんかもたくさん漬けま
す。そういう歴史のあるところだからこそ、こ
ういう菌神社があるのですね
。そのすぐ横に三輪神社があ
ります。これも「どじょう」と「な
まず」を漬けてなれずしにしちゃうのですね。ふなずしと違ってもっと癖は
ありますけれども、
毎年神事のときに漬けられるのですね。そういう文化が滋賀県にはあって、それが
神社の行事
の中で残ってきている マキノなんかでも「はす」が出てくる。「うぐい」が出てくる。非常
に面
白い文化があります」と紹介されている。

草津市の東の郊外にある「菌神社」。“菌”は「クサビラ」と読み、キノコを意味する。630
年頃この付近でひどい飢饉があり、住民は餓死寸前に追い込まれた。その時、森やその周辺一
帯にそれまで無かったキノコが大発生しこのキノコを食べ飢餓の難をまぬがれたと言う伝承か
らされたという。祭神は、大戸道命(おおとのじのみこと)と大戸辺命(おおとのべのみこと)
の二神であるが、古事記の神代七代の五代、富斗能地神(おおとのじのかみ)と対偶の女神の
大斗乃弁神(おおとのべのかみ)にあたる。舒明天が皇九年勧請する所と伝えられ、初めは口
狭比良大明神と称えたが、室町時代には草平大明神となり、明治初年現社名に改めている。    

「茸」と「菌」とは、同じく「クサビラ」と読めるが、両者は意味が異なる。前者は、柄のな
い木耳(きくらげ)のようなものを指し、後者は、柄と笠のある松茸とか椎茸などを指す とい
う。「むしと菌(くさびら)」(柱碕一著)によれば、滋賀大学の本郷次雄氏の見解では、住
民を救った 「菌神社」の「くさびら」は、「おそらくヒラタケであろう」と推定しているとか。


 

ということで、なるほどと感心し外出する機会があれば、立ち寄ってみようと決めた。

 

 1999.09


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】

 

  マーラー交響曲第5番アダージェット

 

 

 ●年寄り寄りにとって天国社会とは

  定年延長と年金の充実は、老齢者にとっては最上の福祉です。大学を出て、会社で重役
 になれば定年は廷長されます。同級生に三人ぐらいいますが、老齢年金はいくらもらえる
 んだって聞くと月七十何万円とか言うんです。いろいろ含めると百万円近くもらえるって
 言うから、彼らはおとなしくしていれば生活できます。
  老人が一律にそこまでとはいかなくても、じたばたしないで食べていけるだけのものは
 支給してほしい。子どもの世話にならないでも、炊事のパートの人くらいは雇えて、食べ
 て行かれるということは、高齢者にとって社会的な条件では天国と同じなんです。その上
 に病気したときのために少しは蓄えがあるとか、ヘルパーさんに来てもらって世話をして
 もらえる。その程度のことが自力でできたら、老人としては外側の条件としては万全で、
 大国なんです。条件としてはもう文句ない。家庭の事情や近親間の問題、精神生活の苦痛
 などあるでしょうが、それは個々の人の問題ですから、そこまでいけばもう政治にしても
 らいたいことは終りだよっていうぐらいです。
  統計によると日本のご老人の理想の生活は、親子、孫三代の同居する生活だということ
 です。そんな家に住むのは望み薄ですが、保育園、幼稚園、小学校の隣接地に老人ホーム
 をつくることは可能です。これなら三代同居と同じ生活が老人と孫の両方でできます。
 このあいだ、ある人とそんなユートピアの話をしました。
  恵まれている人は、聞いてみると、少数ですがちゃんといるんです。老若というものは、
 本当に向き合えば、財産、過去の社会的地位、また充実して年来生ぎてきた達成感など、
 すべてをあげても代替できない孤独だったり、絶望だったりがあるものです。トマス・マ
 ンの『ヴェニスに死す』はそれを描いているでしょう。今のところ生の領域を死の彼方ま
 で拡張し延長しようとる宗教の存在で、このことに対抗しているのが一般的な状態です。
 この問題はまだまだ解決するところまで人間は到達していないと思います。

 

 ●実力主義と年功序列、どちらがよいか

 「リストラ」ってレうのは、昔の言葉でいうと首切り、ってことでしょう。「リストラ」

 っていうとなんとなくかっこよくごまかせるけど、本当はそうでしょう。あるときは戦争
 の空爆で製造工場、工業地帯が焼野原で、復興している工業設備はなく、学業成績優秀な
 学生は、まだ少しは就職できたが、僕らみたいな劣等生は、はじめから雇ってくれるとこ
 ろはなく、町工場の雇用広告で、転々と右往左往していました。現在の「リストラ」は
 「不況」によるもので、経済的眼鏡をかけると、設備はあるのに経済の焼野原。言ってみ
 れば金融、第三次産業は、経済の焼野原にたとえればいい第二の敗戦期です。
  僕らが太平洋戦争の後、職を探していたのとは、今はちょっと違います。「不況」リス
 トラの直接被害者、経済敗戦の負傷者、死者が下の方にシワ寄せされる情況をみると我慢
 の糸が切れそうになりますが、誤解をさけるために言いますと、その出血の現場のすぐ隣
 りで、お笑いや遊びや遊民生活者がのほほんとしている光景があるのは、決して悪くない
 と思っています。これは一途にのめりこむ日本的、東洋的、半アジア的、旧ソ連の駄目
 加減を第一次の敗戦までにしこたま経験したからです。
  ここで少しのんびりした「リストラ」の周辺の話をしましょう。
  金利生活者と年金生活者を合わせると日本国中で千五百万くらいになると言う人もいま
 す。繰り返し言いますが、その千五百万人は、金利と年金が十分とは言えないまでも、不
 況とかリストラとか、そんなことに直接の関係がない人です。この千五百万人という数字
 は誇張があるかも知れませんから、僕自身まるまる信じているわけでも、確かめたわけで
 もありません。しかし年金や金利が生活の部分を担っているのは高齢化社会の特徴でもあ
 りますから、お笑いや遊民のほうに入れておきましょう。
  日本の社会は庶民から知識人エリートまで余りにひどい付和雷同というか、過剰倫理性
 というか、易同調性というか、エゴがなさすぎるというか、それが特色であるとともに、
 みじめな欠陥でもあります。自分自身にもそれがありますから、何とかならないものかと
 思うのです。
  悲惨のなかで平気で遊べるとか、遊びのなかにいても即座に悲惨のなかにとび込めると
 かいうことに憧れをもちます。これをもうひとつの社会的な余裕になっている要因に数え
 られるようになりたいものです。ただ国民に対する責任を持っている内閣の責任者が、愚
 図なおじさんとして人気を博するなどは、赦せないですけどね。
  そういうゆとりの上で、さっきの年俸制とか契約制なんていうものも何となく通しちゃ
 うような世の中だ、とも言えます。
  この一連の論議は、そこのゆとり、余裕ということを前提にした感じ方のように思いま
 す。こういうやり方が通っちゃってて、かえっていいやり方だ、みたいに受けとられてい
 る。やった分だけちゃんと評価されるなんていうのは、実力、能力のある人間にはいいか
 もしれないけれども、学校時代も社会に出てからも、あんまりパッとしないような人間、
 それが世の中の大勢を占めてるわけですから、そういう人間にとっては、実力主義はやめ
 てくれってことになるでしょう。年功序列でやってほしいということでしょう。年齢、勤
 続年数、扶養家族、この三つで平等にやってくれ、その上でなら上司が主観的にこいつは
 いいとか駄目だとか評価するのなら、僕は嫌われてるんだ、とか思い込むから仕方がない
 と諦めることもできます。
  つまり、平等な基礎部分があって、その上のプラス部分についての実力主義でなければ
 全体としては認め難いでしょう。僕はそうですね。終身雇用が崩れてる、この会社で一生
 やっていかなければいけないっていうことからすると、「自由度が増した」という考えも、
 どうかなと思います。別に終身雇用制が前提であっても、どうしても一つの会社でやって
 いかなければいけないというわけでもないでしょう。仕方がないからいるというだけであ
 って、終身雇用が足かせになっているわけではありませんよ
  宮沢賢治の「猫の事務所」ではありませんが、長期の産休や有給休暇をもらって、久し
 ぶりに出勤したら、周囲の同僚の冷たい視線を感じて居ずらくなった、といった精神的な
 風土を少しずつ自分たちの中から破っていかないといけないです。

 ●いい経営者、いい会社の条件

  僕が考える「いい経営者」っていうのは、自分の経営方針とか、資本金の額とかその行
 方とかを、首脳陣の間でオープンにできていることだと思います。そして、首脳陣が社員
 に、これこれこういう事情でこうなっている、こういうことで賞与が少なくならざるをえ
 ないけれども了解してくれるか、みたいなことを言って、社員が、いや、それは承知でき
 ないとか言えるような、十分オープソに論議できるようになっている会社が理想ですね。
 それで、大事なことは社員がところんまで論議して、その上で納得するところで決める。
 さし当たって、オープンにしているところがいいと言うより仕方がないんじゃないですか。
  それ以上言うなら、平等な賃金体系にしろということになります。そして、もっと言う
 なら、重役に向かって「お前、威張るな」とか、私生活に話が及ぶようになると、それは
 人格的な問題であって、そこまでは会社の問題じゃないって言えとか。
  その点、べyチヤー企業で、数人で始めたことがうまくいって、社員が何百人になった
 というようなところの場合はあまり上下関係がない。出版社なんか、それに類していて、
 偉いとか偉くないとかいうことはたいした差はないじゃないか、というところがあります。
 会社というのは位階制があって、課長、係長、主任とかいう役職があって、それはどうし
 ようもないから、直属の部下にはオープンになっている。その下もまたそのドにオープン
 になっている。こういうことならまず、いい会社ということになると思います。
  現実問題として、自分がどうだったかなんて言っても、僕は社屋がよくて、話が通じる
 同僚かいて、一緒に遊ぶことができるようだったらいいし、そのうえ上からの締めつけが
 なかったら、もうそれでよしとしますね。僕には、給料のいい悪いはその次に来る問題
 なります。最初はそれだけ揃っていたらいいというふうになると思います。上司の評価で
 給料が違っちゃうという部分があっても、それは仕方のないことです。
  ある一部分だけをそうしておくべきで、それ以外の大部分のところは基本的に上司の好
 き謙いや評価などでは動かない、これは誰も同じという体系になっていたらいいんじゃな
 いですか。
  僕も経験あるけど、同じ時期に入って同じ年数働いて、あいつは給料が上がってたくさ
 んもらっている。こちらは上がらないということだと、何も欲しいわけじゃないけど、面
 白くないっていうことがあるわけです。人間ていうのはおかしなものだと思います。そん
 なこと関係ないや、こっちもそこそこ上がるんだからいいや、と思えばいいのに「あの野
 郎、けしからん」みたいに思ったりするから、そういう部分というのはあってもいいけど、
 そうじゃない部分できちんと体系として決まっていて、上司の評価とは関係ないというこ
 とがあるべきです。
  下に対してオープソだったら、いい会社ということはできるでしょうね。だけど、今で
 も昔ながらの考え方で、社員は俺が使ってやってるんだという意識の経営者が、まだまだ
 いますからね。
  公務員の場合には、遅れず、休まず、働かずで、仕事をしているふりをしていれば、社
 会保険なんかの年金なんかより、ずっといい恩給がつくわけです。年俸制、契約制がそん
 なにいいものだとは、僕にはとても思えませんね

 
                「第4章 サラリーマンを蝕む危ない常識」PP.89-96

                                            吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』

 
「平等な基礎部分があって、その上のプラス部分についての実力主義でなければ全体としては
認め難
いでしょう」という議論はすでにくぐり抜けてきている。寧ろ、都市部より農村部の方
の仕事仲間方が、彼此の査定額を巡る差異に過敏で、いまふうに言うといじめの様な陰湿なこ
とを体験したことがあり、すべての査定を廃止してはどうかという運動を職域で経験があるが、
わたしが低く評価されたことに対して上司に抗議したことは一度もなかった。つまり、騒ぐほ
どの金額ではないこと、そして、なりより職場の生産性(活力)の向上の方が大事という価値
判断であり価値観の違と割り切って乗り越えているが、民間の職場での人間関係は自社業績と
生活環境により、大きく作用されるというのが実感(リアリティ)である。次回は「第5章 
お役所がつぶれる日、日本が沈む日」のお温習いに移る。

                                   この項つづく


【化合物半導体系タンデム型太陽電池で変換効率23.2%】


   

2月18日、米国はカリフォルニア州サンノゼに本社置く、大手太陽電池製造メーカのテオン
社が、23.2%という高変換効率の化合物半導体のタンデム型CIGS太陽電池の試作モジュール
を開発したニースを入手。裏付け情報を検索し、関連特許などを入手した
(下図、2つの特許
説明
図参照)。


※ 8,642,361 Method and system for large scale manufacture of thin film photovoltaic
   devices using multi-chamber configuration


扁桃腺が腫れ上がる中、不十分ながらやっとこさの思いでブログに打ち込んでみた。早く治さないと焦
るものの身体がついて行かぬ。

 

 

 

コメント
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超小型宇宙衛星時代

2014年03月01日 | デジタル革命渦論

 

 

 

 

                                                 ほら おかあさんが ことしも また

                                                 てんぷら ぴりぴり あげだした

                                                 みんなが まってた シソの実の

                                                 てんぷら ぴりぴり あげだした





                                                
                              詩集『てんぷらぴりぴり』

                              石田道雄    享年百四歳

                                       合掌

 

 

 

 

【超小型宇宙衛星時代】 



大雨や大雪の防災に役立つ日米の降水観測衛星を搭載したH2Aロケット23号機が28日午前3時
37分、鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げられた。降水観測衛星は約16分後に高度約
四百キロの地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功。降水観測衛星は「全球降水観測(GPM)
計画」の主衛星。日米欧などが運用中の衛星十数基の観測データと合わせ、地球全体の雨や
雪の状況が約3時間で分かる。データは半年後から世界に公開され、天気予報の精度向上をは
じめ台風や集中豪雨、干ばつなどの防災、気候変動の解明に貢献が期待される。



降水観測衛星は米航空宇宙局(NASA)が本体のほか、雨や雪から放射される電磁波を捉える「
マイクロ波放射計」を担当。宇宙航空研究開発機構(JAXA)と情報通信研究機構は、高・低
周波の電波を発射して雨や雪の粒からの反射を捉える「二周波降水レーダー」を開発した。

南北両極域を除く、地表の9割をカバー。観測が難しかった弱い雨や雪も把握でき、台風や集
中豪雨の立体構造も分かる。日本では太平洋沿岸を進む「南岸低気圧」で2回も記録的大雪と
なったばかりだが、このレーダーは雨と雪を判別できるため、予報がより正確になるという。

AXAの奥村直樹理事長は記者会見で「水循環のメカニズムの理解が格段に進むのではないか。
非常に大きな意義がある」と述べている。
 



全球降水観測計画(GPM 計画、Global Precipitation Measurement)とは、地球大気中の降水
を高頻度(3時間ごと)で観測する、NASA、JAXA ならびにその他国際機関による共同ミッショ
ン。
当計画は NASA の Earth Systematic Missions (ESM) 計画の一部であり、ほぼすべての
地球上をカバーする予定である。プロジェクトオフィスは NASA ゴダード宇宙飛行センター
(GSFC)によって管理され、研究者による全地球気候データの研究を支援するため全地球規模の
「雨」の地図を提供する。
また、熱帯降雨観測衛星(TRMM)の成果を引き継ぎ、新たに(1)観測
精度の向上、(2)観測領域の拡大、(3)観測頻度の増大、の3点が実現可能となるよう計画され
ている。

関連企業新規技術群

・特開2014-006166 超撥水性面発光センサー 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構
・特開2012-233823 マイクロ波放射計用高温校正源の温度制御方法  三菱電機株式会社 他
・特開2011-240719 パネル型衛星及びこれを用いた衛星システム 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 他
・特開2009-133633 時系列の物理量データの間において、特定の現象に対応して変化する物理量のみを抽出
 するために、当該特定 の現象の発生する範囲の大きさを決定する方法  独立行政法人 宇宙航空研究開発
 機構
・特開2008-092845 熱帯低気圧の制御システム 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構
・特開2007-315976 微小液滴・気泡・粒子の位置・粒径・速度測定の方法と装置  独立行政法人 宇宙航空
 研究開発機構 他



今回の超小型の宇宙天体及び地球観測あるいは監視衛星と打ち上げロケットの情報を知り2つ

の点で興味を惹いた。1つは急速に進む宇宙ビジネスの進展とそれを担うロケット及び搭載機
材のダウンサイジングとデフレーションの進展であり、それらは"デジタル革命渦論"での情報
通信技術とロケット及び観測・制御技術、あるいはマテリアル・イノベーションの進展ぶりで
あり、それを担う日米をはじめとする技術力の進展である。2つめは、今年12月打ち上げ予
定の「はやぶさ2」への相乗り小型副ペイロードでありその超小型化の進展と宇宙衛星づくり
が非常に身近なものとなってきていることだ(この項の書籍写真参照ワンクリック)。

小型の人工衛星として一辺が10cmの立方体であるキューブサット(CubeSat)が知られている。
このような小型の人工衛星に搭載するアンテナは設計に困難を伴う。例えば、145MHz帯のアン
テナをダイポールアンテナなどの線状アンテナで構成する場合、少なくとも半波長の約1メー
トルの長さが必要となる。すなわち、人工衛星本体の全長より長いアンテナを搭載する必要が
あるため、打ち上げ時のアンテナの収納や宇宙空間でのアンテナの展開などが困難である。ま
た、小型の人工衛星には姿勢制御装置やアンテナ指向制御装置を搭載できない。そのため、小
型の人工衛星にロッドアンテナなどの指向性の高いアンテナを搭載する場合には、複数本のロ
ッドアンテナを異なる方向に展開することにより、無指向性とすることが行われる。さらに、
複数の周波数帯の電波を送受信するためには、各周波数に対応した長さを有する複数のアンテ
ナを搭載する必要がある。このように、小型の人工衛星に複数のアンテナを搭載する場合には
その収納や展開がさらに困難となる。
 

図によると、フィルムアンテナ3と、太陽電池パネル4が設けられた一対のパドル部2、2と
を備え、一
対のパドル部2、2は人工衛星本体1に対して互いに対称に揺動可能に設けられて
おり、フィルムアン
テナ3は一対のパドル部2、2の間に架け渡されており、一対のパドル部
2、2を揺動して収納すると人
衛星本体1に巻回されて収納され、一対のパドル部2、2を
揺動して展開すると人工衛星本体1か
ら離間して展開される。フィルムアンテナ3であるので、
自在に変形させることができ打ち上げ時の収
納が容易である。収納状態を解除するだけで自ら
元の形状に戻るので宇宙空間での展開が容易にすることで、アンテナの収納や展開が容易な人
衛星を提案している。そのように考えていくと、覇権大国主義の象徴のようなミサイル、ロ
ケットや宇宙衛星が急速に、ボーダレスに、シームレスに、ダウンサイジングし汎用化してい
ることは確かだ。

 特開2014-019238

 

 1999.09


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】

 ●年俸制、契約制に用心しろ

  年俸制とか契約制という話は、アメリカー辺倒の経営者とか資本家とか企業家とか経営
 コンサルタントの世界では、自明の承認済み常識のように話されているかもしれません。
 また実際これからそうなるかもしれないけど、僕はまだ日本社会の一般的な了解事項では
 ないと考えています。
  だから、既成の事実として認めたくないな、と思っているのです。経営関係者の自分た
 ちだけの合意事項であって、臓われているほうのサラリーマンも含めた合意はちっとも入
 っていない。
  雇われているほうは、雇うほうの言うとおりにせい、という意味にしかとれないですか
 らね。それはちょっと認めがたいというか、保留なしに、そのまま、事実そうなったんだ
 として語りたくないです。今、かりにサラリーマンや労働者だけの合意事項というのを想
 定して言ってみましょうか。
  第一に六十歳ないし六十五歳の定年制を早急に七十歳ないし七十五歳に延長することで
 す。第二に老齢年金を現在の三倍ないし五倍に増額することです。さし当ってこの二つの
 制度的な変革ができると、サラリーマンや労働者、つまり雇われる側の不安の半分は解消
 されます。
  定年延長は経営者、年金増額は政治の責任です。すべての人間が快適な条件で生活でき
 るようになるのが人間の歴史の行くべき方向だとすれば、現在の日本の社会でこの二つの
 制度的な変革をないがしろにしたり、これから後退したりすることは許されないことです。
  このことは経営者、企業家であるものの前提条件で、これがない経営者や企業家は、は
 じめから居ない方がいい失格者なんです。
  その理由は、くどいほど繰り返していますが、超資本主義(消費資本主義)の本質は、
 国民一般(サラリーマソなど労働者)の個人消費の増大が最大かつ第一義の課題であり、
 政治、金融、産業経済はこれを基本点として考える段階に来たことを意味しているからで
 す。それを自覚しない政府や政党は必ず存在理由を失う、そのときがさし追っています。
  どうかこれを前提とした上で、年俸制や契約制の論議をやってください、と言っておき
 ます。
 もっと言いますと、労働基準法があって、この法律は、各条項で括ると、とてもよくでき
 ている理想的な法律なんです。
  年俸制だ契約制だと、そんなことを企業家が言っても、労働基準法の何条、何条という
 のを盾にとって、労働基準法に違反していないか、というふうに照らし合わせていくと、
 あたかも既成事実みたいに実施しているところは、違法行為だということになる可能性が
 あると思いますね。僕はそういうことを会社でやっていたことがあるから、労働基準法は
 よく知っているんですけど、その通りに実施できたら、これはすばらしい法律です。
  企業家の利益にとって理想的かどうかわからないけど、一般的にサラリーマンとか労働
 者とか、雇用されている人にとってはかなりいいもので、これを全部実行しなさいと言っ
 たら、日本で成り立つ企業はないんじゃないかというぐらいによく出来ているものです。
 それが改正、改悪されているという事実はいまだにないわけですから、既成事実として企
 業や官庁や経営コンサルタントから出てくる一見モダンに見えて、実は保守的な考え方を
 認めたくないと思います。
  年俸制、契約制といった給与の体系は、保留しないといけない問題じゃないでしょうか。
 これは経済的な問題だけじゃなくて、全般を論議している経済専門家、つまりエコノミス
 トと経済学者とその周辺にいる人たちの発言を聞いていても、なんかすっ飛んじゃってる
 ように見えますね。
  情勢次第で経営者に都合がいい経済専門家が動員されて出てくる。どんな見解の専門家
 がいてもいいはずですから文句を言う筋合はないのですが、日本というのは、一個の独立
 した専門家として日ごろの研讃を述べられるという人物は存在しないし、しえないのです。
  まあ、僕らもそうやってもいいんだけど、それをやっちゃうと、企業家とか資本家とか
 銀行とか、あるいは政府とかがそういうふうに言ったことが、もう既成事実のようになっ
 ちゃって、異論があれば、その内側で意見を言うことになってしまって、僕にはちょっと
 馬鹿らしい。
  だから労働基準法に照らしてみて、被雇用者全体の合意を得ているか、しかもそれは法
 律化されているかということが前提にない限りは、そういう論議はしたくない、保留した  
 いなということですね。

  

 ●70歳定退職のすすめ

  現在の定年は六十歳から六十五歳の会社が多いでしょうが、これに相当するのは一昔前
 の四十五歳か五十歳くらいでしょう。実態的に言っても、もう一山越えなければ、年寄だ
 という気がしないでしょう。
  年俸制も契約制も結構ですが、身体の動きから言っても、生活費の問題から言っても今
 の定年で孫の世話とか盆栽いじりとかで日を暮せといっても無理な話です。
 また老齢年金の支給額は余りに少ない。平均でいって、老齢者が夫婦二人でそこそこに
 生活でき、足腰が不自由になった場合、炊事や掃除の通いの人を雇うくらいはできる額が
 あればいちおうは理想的です。
  僕はあまりいい雇われ方をして来なかったので、僕の場合は隔月で二十四万円ちょっと
 なんですね。月割にすれば十二万円ちょっと。これで食べて行けというのかということな
 んです。足しにはなっても、これだけで食べて行くことはできません。ですからこれを、
 じたばたしなければ、年金だけで食べて行けるように増額すべきだということです。
  僕だったら、この二つがとても重要なことだと思います。つまり、雇用の延長、七十歳
 から七十五歳まで定年を延ばせということと、年金の増額、少なくとも、誰でもぜいたく
 をいわなければ、一応は食べられるように、物価にスライドした年金が月々払われるよう
 にすることです。
  これができたら、ご老人にはさまざまな家庭事情がありますから、万々歳ではないんで
 すけど、人間はいつか死ぬんだぞ、みたいな俗な言い方を使えば、人間が死ぬということ
 に対する少なくとも外堀は、これで埋められたということになるんですね。それは人類の
 歴史の半分が完成されたことを意味します。
 後は死をどう考えるか。怖いと考えるかどうか。病気で苦しんで死ぬ人もいるだろうし、
 すうっと眠るように死んでいく人もいるだろうし、それは個々別々だし、病気によって違
 いますから、個々のご老人の問題、家族の問題になります。
  そこまで踏み入ることはできないでしょうから、老人が生活していけるだけ年金が支給
 されることと、定年を延長すること。この二つができたらいちおう高齢社会の外堀は固め
 られたと言っていいと思います。
  能力があって独立して自分でやっていく人とか、ベソチャーで新しいことをやっていく  
 人とかを除いて、コツコツ働いて、ほかにこれといった趣味もなければ能力もないという
 人の場合は、七十歳まで定年が延びるようにする。
  つまり、どこを基準にするかといったら、才気のある人を基準にしてはいけないのであ
 って、そうじゃない、普通の人を基準に考えると、定年を七十歳か七十末まで延ばすこと
 が必要だと思います。

 ●「有識者」の話にのせられるな

  定年延長と年金の充実。この二つができたら、高齢社会に向けて政治としてやることは
 もう無いと言ってもいいぐらいです。これはどこの政党がやってもいいけれども、この二
 つがとても肝要なことで、これができたら、政治はそれでたくさんだよ、というぐらい
 万々歳だと思いますね。
  だけど、年俸制とか契約制というと、何だか用語はかっこいいけれど、昔流に言えば要
 は「臨時雇い」なんです。終身雇用ではないんですから。企業家なり政府なりがそうした
 いのなら、国民投票かなんかで大方の賛成を得て労働基準法の改正をまずやってくれ、そ
 でなければ、そういう論議は成り立たないぜ、と差し当たりは言いたいです。
  こういうことは、以前なら、総評とか連合などの労働組合とか、社会党とか共産党が強
 いときには、個々人の代わりに彼らが要求してくれたけれども、今は共産 党も社民党も
 弱いからそんなことちゃんとやってくれない。対企業では個人は言いなりになってしまい
 ます
  それも、承知の上で言いなりになるならいいけど、何も承認しないうちに向こうの言い
 なりにさせられる。それで仕方ないと、最初から諦めている。今は全部そうですよね。進
 歩的な識者の話を聞いていると、半年前まで何言ってたんだ、もう忘れたのかと言いたく
 なってしまいますよ。
  すべて既成の事実、今の現状はこうだと言うことが前提で、その前提の内側で論議して
 いるんですね。その中で進歩的なことを言うか、保守的なことを言うかという差だけのこ
 とで、僕らに言わせれば、そんなことは問題にならない。
  考え方に普遍性というものがないんです。つまり、その前提たる労働基準法から変えて
 くれ。変えることについて、サラリーマンや労働者の承認を得てくれ、そんなこと勝手に
 やったらいけないんだぜってことなんですよ。

  それを、いけないんだぜって言う労働組合、政党もなくなっちゃったというのが今の現
 状です。だからといって、日本の雇用体系を年俸制、契約制にするなんていうことは、高
 度消費社会における消費資本主義をこれ以外に理想の社会機構はないと、過半数のサラリ
 ーマンがしかたがないや、と認めた場合はそういうこともあり得るけれども、そういうこ
 とははっきり決めてくれ、と思うんですね。
  多数決で決められたら、まあ、文句は言っても、それは通らないから仕方ないなってい
 うことになるわけですけど、それもしないうちから、まるで既成事実のようなふりをされ
 ては、たまりません。
  高度な消費資本主義ということは、銀行家、企業体の首脳資本家がますます有利になる
 社会のことではなく、国民一般の個人消費が増大し、第一義の社会になるということです
 勘違いしては困ります
  前提として通らないよ、ということをいちおう言わないと、どんどんそんなふうになっ
 ていっちゃうような気がするんですね。だから、このことはまず言っておきます。
  アメリカのシステムの模倣で、当然のようにやられはじめているけれども、それは違い
 ますよ。法律から検討して、法改正をしてからにしてくれ、と言わないといけないと思い
 ます。
  
            

                  「第4章 サラリーマンを蝕む危ない常識」PP.80-89
                                                             
                                            吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』


以上、要約すれば、高度な消費資本主義の社会は、単に英米経済主義(グローバリズム、新自
由主義、英米流金融資本主義)の政策を密
輸して良い格好し罪なことをしてもらってはこまる、
自分の頭で考え、自分で行動
するのが筋だと言っているにすぎない。わたしも職域の労働条件
は世界一だといって良い程の職場だったが、総労働と総資本との関係でいうと、自分でも頑張
ったつもりだったが、労働者派遣法の導入などで結果として負けたと総括している。それでも
折角、民主党政権が誕生したものの自滅し、安倍政権に移行し不況を脱出しつつあるものの、
古色蒼然の後戻りにあるが(兎に角、考え方が古くさい!)、吉本隆明の主張をさらに読み進
め「僕ならこうするぞ!」の考えをとりまとめていくことにする。
 

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