戦後生まれの人は「海ゆかば」を知らないかもしれない。
30年以上も前に1回だけ聞いたことあります。
あの美しく物悲しい調べがとても印象に残りました。
でも最初のフレーズしか歌えません。
♪う~み~ゆ~かば~ みづく~かば~ね~
知覧特攻平和会館へ行った時、
この歌がBGMのごとく心の中で低く流れました。
海ゆかば水漬く屍(かばね)
山ゆかば草むす屍
大君の辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
「海ゆかば」はいわゆる軍歌とは異なり、
大伴家持の万葉集長歌から一部抜粋した詞に曲をつけたものだそうです。
「丈夫の清きその名を、古よ今の現に、流へる祖の子等ぞ」と続きます。
国民の戦闘意欲を昂揚させるために作られた曲で、
太平洋戦争末期の大本営による戦地玉砕のラジオ発表の際に、
テーマ音楽として用いられたことで国民に強く印象付けられたそうです。
しかし「海ゆかば」は、
壮行の歌というより鎮魂の歌のような気がします。
知覧特攻平和会館は、
沖縄特攻で命を落とした1036柱の隊員の遺影が飾られています。
お母さんや愛する人に送った手紙が遺されています。
遺書や最後の詩なども展示されています。
館内は撮影禁止です。
昭和20年6/22戦死された原田少尉の遺書を書き留めてきました。
出るときと引っ込むときが最も大切だと誰かが言った。
皇国に生れ君のために地獄に生く。何たる極楽ぞ。
たかが五尺の体を、それを五万トンの棺桶に休む。
どうして永遠たらざるを得よう。
吾人のささやかな力、
それが大君を、そして祖国を無窮に生かす一粒の仁丹ともなるなら薬屋の光栄これに過ぐるものやあるばじる。
征くものは風の如く気易い
されど残る物の心情には不帰鳥の慟哭がある。
情は涙である。
そして愛はせつない。
されど忠は更に至上だ。
天皇陛下万歳
祖国よ。トワニ幸あれ。幸あれ。幸あれ。
実際戦地で「天皇陛下万歳」と死んでいった人は少ないのではないでしょうか。
最後には愛する家族の名前や「お母さん」と息絶えたのかもしれません。
それでも最後に愛する家族とともに祖国に幸あれと願った気持ちが切ない。
戦争に命をかけて戦い、今の国を創った英霊たちに
尊敬の意を表すのは国民として当然ではないかと。
記念物を展示するだけでなく、
どこかに手を合わせる鎮魂の場があればいいのにと残念に思いました。