わぁ~きれいって適当に写真を撮ってると、
どんどんたまる、たまる。
異教徒ゆえかイスラム建築はどれも同じに見えて、
どれがどれかも定かでなくなってくる。
でもここで発表するとなると、どこの何を見たのかは嘘っぱちを書くわけにはいかないし、調べました。
今回の旅はウズベキスタンの4つの世界遺産を廻る旅でした。
それまではヒヴァという街の名も、ホレズム王国という中世の国名も知らなかったし。
消え行くアラル海の下のほう、年間300日は雲ひとつないというホレズム州、しかしパミール高原に源をもつアムダリア川のおかげでオアシス都市ができます。
川はその時々で流れを変えたので、それに伴ってオアシス都市も移動してきたらしい。
キジルムク砂漠には点在する過去の街の遺跡群が1000箇所を超えるそうだ。
紀元前3000~4000年頃より農業による定住が始まった地域で、
現在のヒヴァの街はまた初期の頃の位置に戻って再建されたそうだ。
17世紀頃に今のような城市になり、
カラクム砂漠への出入り口として、また奴隷貿易の拠点として栄えました。
内の城壁イチャンカラはほぼ完全な形で残っています。
多くのモスクや神学校、宮殿、ハーレムがある博物館都市の様相。
今なお3000人ほどの人が住んでいて、自動車の走行が限られ歩道しかなくとても静かでした。
泊ったホテル前の南門入り口、朝の偵察散歩。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/19/9fd1a4c6bc8db8c382f1445191a364a0.jpg)
カメラを向けるとおっちゃんは手を振って答えてくれました。
観光バスは西門にとまるのでだいたいそこから入場観光するようです。
カメラ持込撮影料として7000スム支払いました。
西門入ってすぐにカルタ・ミナルという高さ26mの短い塔があります。
未完成だし、凝った装飾が施されているし、印象的な建造物建物ゆえ、様々な伝説が残っています。
メドレセ(神学校)やモスク、ミナレットなどどれもタイルできれいな装飾が施されています。
釉薬で絵が描かれたものを繋げて一つの大きな作品にするために、それぞれのタイルを貼り付ける位置を示すアラビア文字の数字が表面に書かれています。
昔のタイルか修復後のタイルかはこれで見分けることができます。
また日干し煉瓦が、地下水などの水分が上に吸い上げられ崩れるのを防ぐため、下から1mほどの高さで何枚もの重ねた紙が境界線を作ります。
様々な工夫があちこちで見られました。
イチャンカラ内部で暮らす人の民家建築中
東門には大きなバザールがありましたが、これはコンビニ?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/28/2cdf6b8775ec80df43853646b85d0527.jpg)
店番は誰もいなかった。