サッカーボールを追いかける子供たち。
世界遺産を傷つけたらどうすんの、
写真撮っとこうと近づくと集まったきてポーズをとった。
ウズベキスタンの人たちは写真撮ってもらうのが好きな人が多かった。
少年達はスペースを見つけるとサッカーに興じているのをあちこちで見かけました。
ウルベク・メドレセで

ティムールの孫のウルグベクが、真の教育施設にしたいと願って1418年に建てた、現存する中央アジアで最古の神学校

カラクム砂漠は黒く、キジルクム砂漠は赤いという。
このキジルクム砂漠を南へ下るのに、陸路バスだと7~8時間かかるのを飛行機で約1時間。
私が座った飛行機の座席は左側だったので、ずっとキジルクムが見えていたということになる。
アムダリア川の両側で沙漠の性質が異なり、
西南側がカラクム(黒い沙漠)東北側がキジルクム(赤い沙漠)

白い部分がみえることもあって、それは塩の白。
塩害で土を変えないと植物は育たない不毛の地です。
ブハラはシルクロード交易によって古代から栄えた古都で2500年以上も歴史があります。
ブハラの最初の黄金期は9世紀サーマーン朝時代に始まり、
イスラム神学の聖地として偉大な学者が集まりここから各地に巣立っていったそうだ。
ブハラの黄金期の第2期は16世紀後半、
今残っている建造物はそれ以降のものがほとんどで、茶色いイメージの街でした。
カラーン・モスクから右奥にカラーン・ミナレット

ブハラの旧市街で一番高く砂漠の灯台と言われる町のどこからでも見えるブハラのシンボル
1127年建造、チンギスハーンが壊さなかった唯一の塔です。
18、19世紀には死刑場として袋詰した受刑者をミナレットの屋根から投げ落としたので、
「死の塔」とも呼ばれるようになった。
最後の死刑は1884年。
これを知ると塔に登る気は失せた。
ミル・アラブ・メドレセ

カラーンモスクに面して建ち、巨大なアーチの両脇の2つの青いドームがきれいです。
青と白のモザイクタイルからなる植物文様と文字文様を組み合わせた装飾は、末期ティムール様式の典型例だそうだ。
ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた数少ない神学校で、ここから多くのイスラム原理主義者が輩出しました。
アルク城

この城の辺りが古代プハラ発祥の地で、2000年以上前に遡るといわれるが、最初の城砦がいつ築かれたのかは定かではない
今残っている城は18世紀のもの。
ラビ・ハウズは旧市街にある元キャラバンサライの池
前に修復中のメドレセ
公園内でゲームを楽しむ人たち