山の上に津和野城の堅固な石垣が残っているのが見えます。
その右手に、津和野城の守り神とともいわれる太皷谷稲成神社があり、そこまで連なる赤い鳥居が目を惹きました。
この鳥居は津和野町のサイトトップページにも使われています。
ものすごく暑いけど、その太皷谷稲成(たいこだにいなり)神社へ行くことにした。
表参道の263段の石段には、朱色のトンネルのように続く「千本鳥居」が並んでいます。
特に商売繁盛の神様として信仰されていて、お礼やらお願いやらで奉納された鳥居、その数実に千本。
ふぅふぅ言いながらやっと上までたどり着くと、予想以上に立派なお社に度肝を抜かれた感じ。
お金持ちの神社と見えて、津和野の町並とは風情が異なり豪華です。
おいなりさんの赤が映えて夏の日差しを受けて輝いていました。
ちなみにこの太皷谷稲成神社は、日本五大稲荷の一つだそうだ。
他の4つは、伏見稲荷大社(京都市伏見区)・笠間稲荷神社(茨城県笠間市)
竹駒神社(宮城県岩沼市)・祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)
豊川稲荷は仏教系で、伏見稲荷などの神道系と稲荷神社には二つの系統があるんだって。
日本全国数万ある稲荷神社で、唯一「いなり」を「稲成」と表記する太皷谷稲成神社。
願望成就の「成る」をもって「稲成」らしいけど、
「こんにちは」とご挨拶してきただけで、特に何かをお願いはしなかった。
でもおみくじひいたら、久々に大吉がでて気分は上々。
社殿は何度も建て直されているそうで、新殿のはす向かい、参道の階段上がって右手に元宮がありました。
太皷谷稲成神社のサイトにはこう書かれています。
「元宮は昔、御殿様の崇敬神社であった為、城に向かって建てられてあり、城内地である為、庶民は参拝出来ませんでした。
明治になり一般庶民も参拝できるようになりました。
新社殿は津和野町内に向いています」
この元宮でもご挨拶をしていると、右手奥からなんとも涼しい心地よい風が吹いてきた。
その風に誘われるがごとく、どなたかがお呼びになられたような気がして旧社殿の裏にまわってみました。
なんとなく写真におさめるのがためらわれたので、この画像は神社のサイトからもらってきました。
命婦社(みょうぶしゃ)、稲成さまの使いであるお狐さまが祀られているんだそうです。
「命婦」、うろ覚えですが清少納言や紫式部の文章にもでてきましたね。
命婦の女官は朝廷で大きな勢力を持っていて、天皇の政が円滑にすすめられるように扶助していました。
どうしてこんな名前がついているのだろうと調べてみました。
命婦とは本来、女性(女官、婦人)が内助の功で主人(天皇、夫)を扶助するの意味です。
稲荷大神様をお助けする眷族(けんぞく)の「白狐」をそれにたとえて「命婦」の位を授位されました。
眷族とはその祭神に縁故ある鳥や獣のことで、
八幡宮の鳩、春日大社の鹿、諏訪神社の鷺、日吉神社の猿、熊野神社の烏など。