日本三景・天橋立、ちなみにあと二つ、ご存知ですか?
江戸時代に日本全国の名所旧蹟を歩いて廻った林羅山の子が「日本事蹟考」という本を書いて、
そのなかに、丹後の天橋立・陸奥の松島・安芸の宮島、
この3つを日本の三景だといって大いにほめあげたのが「日本三景」のはじまりだそうです。
百人一首だったかに、こんな歌ありました。
大江山いく野の道の遠ければ 未だふみも見ず天の橋立
舞鶴若狭道が出来たおかげで来やすくなりましたが、昭和になっても大阪からは遠かった。
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天橋立が天に舞い上がる龍のように見えることから「飛龍観」といわれます。
クロマツにおおわれたグリーンベルト橋立を挟んで
内海側を阿蘇海、外海側を与謝海と呼びます。
室町時代の雪舟『天橋立図』(京都国立博物館蔵)
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当時の天の橋立は、湾口が完全にふさがれていない状態で、今の橋立明神あたりで終る砂嘴でした。
文殊さんにお参りして、橋を渡るとすぐ左手に「はしだて茶屋」があります。
ここであさり丼(1000円)を食べました。
内海・阿蘇海でとれたあさりをたっぷり使った丼とあさりの味噌汁。
あさり尽くしでとても美味しくて、ベストチョイスでした。
ここからさらに10分ぐらい(700mほど)歩くと、橋立明神があります。
北端の籠神社まで歩くとさらに2500mあるので、
車を文殊地域に停めて観光遊覧船を利用する人も多いようです。
この橋立明神は、第1鳥居が海に面して建てられていて本来は海からお詣りしたのでしょう。
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向こうに見える山は、笹野山か大江山か
この橋立明神の左手に磯清水があります。
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海に囲まれているのに真水って不思議です。
701年に丹後半島で大きな地震が3日間続いたようで、
大きな津波が眞名井神社の階段下まで押し寄せたそうです。
きっとこの津波で、橋立は壊滅的被害を受けたはず。
橋立砂嘴はもととなる岩石とか岩礁があるのかもしれません。
そして年月とともに砂が堆積し、このような立派な砂嘴に成長していくのでしょう。