小林一三物語のオンライン講談よりスクショいただきました。
著作権とかでクレームついたら、この記事削除するかも。
小林一三氏が作成したパンフレットです。
おそらく前代未聞、世界で最初かもらしいです。
明治6年(1873)1月3日生まれの一三さんは、
明治21年2月に上京し慶應義塾に入学されてます。
文学青年で文学の道を志す。
当時、新聞連載小説の執筆は記者の領分だったので、新聞記者を目指すも叶わず、三井銀行へ。
やがて大阪に来て、箕面有馬電気鉄道会社を興されます。
北摂の池田の田園地帯に住宅地造成を思い付かれる。
サラリーマンが電車で大阪市内へ通う通勤電車の始まり。
宣伝するにあたり、パンフレット制作されたのでした。
明治41年10月、『最も有望なる電車』という冊子を一万冊大阪市内で配布。
問答形式で編まれたもので、文筆得意のなせる技。
人生無駄なことってないのですね。
キャッチコピーもすらすら。
銀行マンとして経済にも長けて資金も集め上手。
そして、電気鉄道のため沿線に発電所もつくられた。
その池田の街は瀟洒な住宅街となり、
ご本人も暮らされたお屋敷は現在小林一三記念館となってます。
梅田のターミナルには百貨店を建てる。
宝塚は昔は大人の男性の遊興温泉だったそうで、それを家族が集える場へ。
うちの子供たちが幼少の頃、宝塚遊園地よく行きました。
既に閉園なりましたが、宝塚歌劇場は今なおファンを集めてます。
こうした現代では当たり前の私鉄経営。
日本で、いや世界で最初を築かれたのが、阪急創始者の小林一三さんでした。
「日本で最も独創的な経営者」阪急電鉄創業者・小林一三が日本で最初に配った"あるもの" 広く社会に事業を公表する
阪急電鉄をはじめとする阪急阪神東宝グループの創始者、小林一三は独創的な経営者として知られる。作家の福田和也さんは「阪急電鉄の前身である鉄道会社の経営を委ねられた...
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