秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

おみくじ「凶後吉」

2012-01-04 | おでかけ・近畿
伏見稲荷へ初詣いっておみくじひいたら、なんと「凶後吉」
こんなん初めてで、ざっと読んだら、
旅立ち:いけば帰らず だったか、いきて帰らず だったか
怖すぎる。

ほどけんようにきっちり結んで帰りました。

「凶後吉」で調べてみたら伏見稲荷のおみくじは32番まであり吉凶は17種類あるそうです。
ちゃんと調べられたかたおられました→こちら
32本中の吉凶一覧は
6本 大吉
4  凶後吉
3  末大吉 / 末吉
2  大大吉 / 向大吉 / 吉
1  中吉 / 小凶後吉 / 小吉 /後吉 / 凶後大吉 / 吉凶未分末大吉
吉凶不分末吉(きちきょうわかたずすえきち)
吉凶相半(きちきょうあいなかばす)
吉凶相交末吉(きちきょうあいまじわりすえきち)
吉凶相央(きちきょうあいなかばす)

いろいろあるのを知り、ちょっと安心しました。

そしておみくじの読み方というサイトによれば
先凶後吉は苦労があるが良い結果が期待できる場合。
後吉は困難なようでも意外な良い結果が得られる場合。



伏見はものすごい人出で超混んでて、お参りするまで30分以上並びました。

伏見稲荷にお参りしてから、鳥居前のJRに一駅乗って藤森へ。
藤森神社は閑散としていて、とてもお正月とは思えないほど。


藤森神社の祭りで神輿がでると、なんと伏見稲荷の鳥居をくぐり、
「土地返して~」
すると伏見は「今、神さん留守」って答える神事が毎年行なわれているそうです。
これをネット検索で知り、藤森神社に行ってみたくなったのでした。

現在の藤森神社の場所には、かつて城南宮があり、藤森神社は伏見稲荷の場所にあった。
それが秦氏により伏見稲荷が祀られ、トコロテン式に追い出されたのですって。

9 コメント

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Unknown (アズキ)
2012-01-04 22:31:10
見たときはびっくりでしたね。
でも調べた人も凄いです。
でもおみくじも占いもみんな自分への注意事項だと思います。
今はあまり派手に出歩かず ふつうの日常で
良いのでは 注意していいことだと。
また行きましょうね。私となら大丈夫だよ。
中吉だから良いも悪いもないのが良いね。
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明けましておめでとうございます (ミミー)
2012-01-04 23:49:57
遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。母の入院と毎日の通院、退院後も病院通いで、コメントの余裕がなくご無沙汰しておりました。おざささんは可愛いお孫さんも増えて、おめでとうございます。
藤森神社に今日行かれたのですか。私は昨日行ったので惜しかったですね。お会いできてたら、きっとわかったと思います。うちは藤森神社が氏神さんで、何かにつけてお詣りします。私も藤森さんとお稲荷さんの確執について親から聞いていて、興味を持っておりました。が、それならどうして今も藤森神社の境内の中に、お稲荷さんのお社があるのでしょうね。藤森神社は、お稲荷さんの他にも、本殿横に、神功皇后ゆかりの大木の根を祭り、本殿裏には多数の神々のお社(分社というのですか)があり、七福神や神馬の像まで全部お詣りするのは大変です(が、お詣りしています)。
私は風邪薬を飲んでいて頭がぼーっとしていたのか、年のせいか、お詣りしながら3つもミスしてしまいました。ここではおみくじは買っていません。ずっとお詣りしているお不動さんのお寺でおみくじを買って、それを持ち続けます。ここは凶はないのか、当たらないのかわかりませんが、今まで末吉~大吉の範囲です。今年のくじの内容は書けませんが、笑ってしまうくらい、私にぴったりの内容でした。
おみくじは、アズキさんの書いておられる通りに受け止めたらいいのでしょうね。またはいいくじが出るまでひいてみる、他のよくお詣りする寺社で引き直す…これも、自分の運勢は自分で決めるという生き方を示していていいんじゃないかなと思います。
稲荷大社は、私の中学時代から、お正月はあんなに混んでいましたよ。
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アズキさんへ (おざさ)
2012-01-05 19:17:06
連日お疲れ様でした。
びっくり仰天のおみくじでしたが、一人ぼっちで見てたらもっと怖かったと思います。
今年は遠出しないようにしますわ。
で、次は9日が宵戎ですので、よろしくお願いしますね。
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ミミーさんへ (おざさ)
2012-01-05 19:29:52
おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
お母様のお世話等お忙しい日々をお過ごしのことと存じます。
これから寒さ一段と厳しくなりますから十分気をつけてください。

藤森神社の氏子さんだったのですか。
歴史のある神社のようですね。

伏見稲荷大社が建つ稲荷山周辺は、元は藤森神社の社地で、山背国に帰化した渡来人の秦氏が自分たちの神を祭祀する土地を貸して欲しいと、藤森神社側に頼んだそうです。
その時「俵ひとつ分の土地」の貸与を願い出たので、藤森神社はその程度のる土地で良いのならと許可した。
ところが秦氏は、俵をほどき稲藁1本ずつを繋ぎ広大な面積を囲い込み占有したという伝承。

実はチュニジアへ行った時、カルタゴの土地をフェニキア人の女王が、現地人に土地を分けてもらった話ととても似ています。
皮1枚で許可を得たのに、その皮を細く裂いて長い長い紐にしてそれで囲った土地をゲットした。
俵と動物の皮と異なるだけで、行為は同じですので、北アフリカと日本、遠く離れてますけど不思議ですね。
北アフリカはマグレブ日の沈む国、日本は日が昇る国。
なんか秦氏って繋がる歴史があるのかもしれませんね。
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秦氏 (ミミー)
2012-01-06 12:56:05
秦氏については「日ユ同祖論」という説とかあって、秦氏はユダヤ人だという人もいるそうですね。それだったら、おざささんがチュニジアに行かれて聞かれた話とつながってきますね。日本は多種多様な民族が伝来し、定着した土地だと思いますので、「日ユ同祖論」も否定できない面がありますね…と書きつつ、実は私はいつも表面的にしか知識がなく浅学非才なので、詳しいことはわからず、勉強家で博識なおざささんにコメント書いていて恥ずかしいですけど。
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ミミーさんへ (おざさ)
2012-01-07 00:39:02
学生時代に世界史で、キリスト教のエフェソス公会議とか習ったような。
こうした公会議で異端を排斥していった歴史があるようで、このエフェソスでネストリウス派が追いやられます。
この宗派に秦氏が属していたのではないかと言う説があります。
日ユ同祖論と秦氏への繋がりよりは、こちらの方がありえるかなと思っています。
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藤森神社の不思議 (おざさ)
2012-01-11 09:14:29
★住吉っさんの市えびすのコメントで、ミミーさんから教えていただいたサイトで知った内容です。
藤森神社に関心持って検索される方もおられるかもしれませんので、こちらにもコピーしておきます。

江戸時代の後期の京都及び山城国を記した地誌 都名所図会には
「藤社(フジモリ)のやしろは墨染の北にあり。本殿の中央は舎人親王、東は早良親王、西は伊豫親王を祀る。また本朝武功の神を配祀し奉る。神武天皇・神功皇后・日本武尊・武内宿禰等なり。かるがゆえに弓兵政所と号す」
とあり、主祭神は舎人親王で、神功皇后以下は配祀神としている。
特に中座を中心とする由緒に諸説があり混乱しているのと同じように、祭神についても混乱・輻輳がみられ、すっきりしない。
当社では、武神的性格の強い神社というが、東西二社の祭神からみると御霊神的神格が強いとの印象が強い。

拝殿左前に大きな石碑が建ち、「日本最古の学者・学問の祖神 舎人親王御神前 追贈 崇道盡敬天皇」ことからしても、藤森神社の主祭神は舎人親王ともとれます。

西座の祭神三座/早良親王(750--85)伊豫親王(783--807)井上内親王(717--75)ともに、朝廷・貴族内部の政争・内紛に巻き込まれ、無実の罪によって非業の死を遂げた人物で祟りをなす御霊として畏れられた。

本殿裏の摂末社もあちこちから集めらたこの藤森に押しやられた印象があります。

八幡神社:真幡寸神社が西方に移った後その分霊を祀ったということにしても、それを八幡宮と称する理由は不明。

大将軍社:王城鎮護のために都の四方南方に祀られた方除神であるが、祭神はイワナガヒメ(コノハナサクヤヒメの姉神で、長寿の女神として崇拝される)というがこれは珍しい。

末社である七宮社:豊臣秀吉が伏見城を築城するとき、その地に祀られていた七社を遷して祀った。
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おみくじって (りひと)
2017-01-12 10:47:00
凄い、そんな種類いっぱいあるんですね。びっくり。おみくじは神様からのメッセージで一般の評価カテゴリーとは別に考えて今の自分にとってどうかで判断していいのでは?って思いますね。
おみくじでビクビクしたらちょっと変な方向に無意識に行きかねないですからね。そこは人間も訓練しないといけませんね。人間って意思と思っても結構裏に動かされている事多いですから。

藤森さんのお話興味深いですね。私も榎本の二つ目だと思って調べてみて祭神見てあ、ここ私行ったらやばいって思いましたよ。宿禰さんは超苦手なので。うららさんの元の神様の候補は当たってるように思いまいした。実際誰も分からないのでそれぞれ心にしまってお参りすればいい事なんですけどそれによってきっと身体への影響やトラブルは回避出来ますからね、知識は大事です。
2012年ですか、その頃の私じゃ理解出来なかったでしょうね。そう八幡の件ですが、今の時点では私この地稲荷山に関係がいるように思いますよ、だからこそいれたと。伊豫親王はこの豫が実生活で出会った名字の方でも2年前くらいから気になってますけど八幡とは関係ありそうに考えています。人間ウォッチからですけど。この親王の事は調べてみる時期にきたかもしれませんね。象が付くのもなんだか普賢菩薩的で筋はいいのですけどどうも背後に恵まれていないというかアウェイで辛い方だったんでは?とも妄想しています。

秦さんは以前は憧れて伊雑宮も選択したけどどうもいい導きでない場合も多くて四国同様苦手です。これは個人的で皆さんではないと思いますので読者さまも各個人で独自で解釈してほしいですね。たまたま伊雑宮が出てきたけど若宮にこちらからベクトルが向いてきちゃってますね。

また手法の点ですけど、まさに歴史は繰り返されています。なので歴史を学ぶとそこに真実がどのくらい入っているかはさておき手法は見抜けます。ちょっとだけは全部オッケーと思っている方がいる事だけは学ばないといけませんね。ただはっきりしているのはお金に換算する利益が全ての考えを持っているからの手法なのでそこにめんどくささや管理やルールなどを同時に義務付ければ面倒だからそこのターゲットから一目散に逃げて行くはずです。

という事で今後、明確なルールなりしきたり、風習祭りを簡素にしたがるのは怪しいと思って思いっきり過酷ルールを言ってみたらスムーズに撃退出来るでしょう。これは歴史から今の現世でも役立つ方法ですね、見極めにも。

祭りの中にいろいろな過去を折り込む事や歌や舞に織り込む事も大事でだからこそ今に感じる方がいる事になる、伏見の方も頑張ったんでしょうね。

人間は理解を深め二度と過ちを犯さないこと、神が意思があれば人間を動かすでしょうしそれぞれの人間に出来る事出来ない事を判断して与えるはず。むしろ意思を持たずに流されていけばスムーズな過去の解決になるとも思いますね。行かされるところに行き、各自の試練(お試し)にどう応えるかはその方の力量で無理したらすぐ身体にくるのでこちらからは求めず行けばいいのでは?と思っています。

磐長姫の件も私も深読みしています。
平行で頼朝と北条の件や曽我兄弟の辺りと時代はかなり違いますが同じ案件が、並行調べています。お邪魔がない所で無難に時間の拘束で煽られずに着実に真実に近づいたらみんな幸せになるんだろうと思っています。近江にも山伝いには近いことと田村麻呂の墓が近くにあるのも今後面白くなりそうです。

ところてん式ってうららさまの特許撮りたいですね、凄い的を得たことばですね。そう近くに押し出されていますが、それなりの対応はして供養しているはずです、ところてんピッタリです。3246
2845、うずめと卑弥呼が応援してそうな番号です。
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りひとさんへ (ulala)
2017-01-13 07:53:13
祭神や名称は変わっても、不思議な伝承やしきたりが綿々と受け継がれるって、きっと何かありますよね。
この土地の取り合いもそうですが、仁徳天皇と宇治の皇子と皇位継承で譲りあいあったことになってますけど、夜中にする神事、どこだったか忘れましたけど、あれも真実を秘めてるんじゃないかと思いました。
近つ飛鳥遠つ飛鳥の記事エントリーしたときのことなのでずいぶん前で、あちこちミステリーだらけで、日々の情報過多に溺れ沈殿してしまってました。

このたびりひとさんが、伊豫親王と磐長姫にスポット当ててくださって、やっと目にとまりました。
不思議ですね。
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