ハリー・ウィンストンの手によってデザインされたティアラです。
イランのパーレビ国王3回目の結婚式の時の、Farahファラフ王妃の王冠だそうです。
世界で二番目に大きい60カラットのピンクダイヤモンドが中央で存在感あります。
このピンクダイヤの名前は、
ヌール・ウル・エイン/ヌーロルエインThe Nur-Ul-Ain
さらにこれよりも大きいピンクダイヤモンドが、
ダリャ・イ・ヌール/ダルヤーイェ・ヌールThe Darya-i-Nur(ペルシア語 光の海)
世界で一番大きなピンクダイヤモンドで182カラット(36.4g)
色は淡いピンクで、青ざめたピンク色に見えるそうです。
1848年腕輪に取り付けられ、その後ブローチとなり現在に至っています。
この世界1と2はもとは400ctもある一つの大きなダイヤモンドで
その名はディアマンタ・グランデ・テーブルDiamanta Grande Table
1642年旅行家で宝石商を営んでいたフランス人のタベルニエが、インドを訪れた際見せてもらったと旅行記に記しています。
あのタージマハルを建造した、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハンは
稀代の宝石コレクターで素晴らしい目利きであったようだ。
先の記事のコイヌールもコレクションしていました。
それから約100年の月日が流れ、
1739年第12代皇帝ムハンマド・シャーの時
ナディル・シャー率いるアフシャール朝に攻められてムガル帝国は滅亡。
シャー・ジャハンの頃より受け継いできた多くの財宝は、戦利品としてインドから持ち出されたのでした。
タージマハルを訪れた時、シャー・ジャハンがこんな立派な宝石のコレクターであったことは説明受けなかったと思う。
そしてインドでこれほど巨大なダイヤが産出していたことも知らなかった…
イランのパーレビ国王3回目の結婚式の時の、Farahファラフ王妃の王冠だそうです。
世界で二番目に大きい60カラットのピンクダイヤモンドが中央で存在感あります。
このピンクダイヤの名前は、
ヌール・ウル・エイン/ヌーロルエインThe Nur-Ul-Ain
さらにこれよりも大きいピンクダイヤモンドが、
ダリャ・イ・ヌール/ダルヤーイェ・ヌールThe Darya-i-Nur(ペルシア語 光の海)
世界で一番大きなピンクダイヤモンドで182カラット(36.4g)
色は淡いピンクで、青ざめたピンク色に見えるそうです。
1848年腕輪に取り付けられ、その後ブローチとなり現在に至っています。
この世界1と2はもとは400ctもある一つの大きなダイヤモンドで
その名はディアマンタ・グランデ・テーブルDiamanta Grande Table
1642年旅行家で宝石商を営んでいたフランス人のタベルニエが、インドを訪れた際見せてもらったと旅行記に記しています。
あのタージマハルを建造した、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハンは
稀代の宝石コレクターで素晴らしい目利きであったようだ。
先の記事のコイヌールもコレクションしていました。
それから約100年の月日が流れ、
1739年第12代皇帝ムハンマド・シャーの時
ナディル・シャー率いるアフシャール朝に攻められてムガル帝国は滅亡。
シャー・ジャハンの頃より受け継いできた多くの財宝は、戦利品としてインドから持ち出されたのでした。
タージマハルを訪れた時、シャー・ジャハンがこんな立派な宝石のコレクターであったことは説明受けなかったと思う。
そしてインドでこれほど巨大なダイヤが産出していたことも知らなかった…
これを手にする方は、「ダイヤ欲しいぃぃぃ」って我がままの言える方なんでしょうね。
一瞬だけ、そんな身分もいいかなと思いましたが、拘束を受ける生活は、現世の私には耐えられないでしょうから、せめて宝くじで夢を買いましょうか。
でもサマー・ジャンボで、運を使い切るより、余力を全て年末ジャンボに回そうかしら。
そんなちーちゃい私です(滝汗)。
巨大で力持ちのうららさんにキャー!ビックリ!! (*゜ロ゜)ノミ☆(;>_<) バシバシ
でもその実は、動機に大きな影響あったかもしれませんね。
この前の記事のコイヌールダイヤモンドも多くの支配者の手を転々と渡り男を破滅させる石という伝説があります。
昨晩「日本人の知らない日本語」のドラマ見ましたよ~
やっぱり想像通りドタバタ仕立でしたわ。
これなら日本語学ぶ外国人を集めて、面白い司会者が日本語の疑問を引き出してくれたほうが・・・
デジカメにたいそう興味深々で持ち逃げされたらどうしようとちょっと心配でしたけど。
こんな立派な霊廟を王妃のために建造したシャー・ジャハンは、この対岸にあるアグラ城に幽閉されてたんですよ。
宝石といいスケールの大きい話でしょう。
ダイアモンドは人の心を惑わす魔力があるのでしょう。私のような宝石とは無縁の者でも、その妖しいまでの輝きには魅入ってしまいますわ。
でもこれほどのダイヤモンドになると、どんなクィーンでも貴婦人でも、負けてしまうのかもしれません。ダイアモンドが「ナンバー1は私よ」と言っているような気がします。
ブローチになったダリャ・イ・ヌールはイラン博物館にあるようです。
でもテイアラになったヌール・ウル・エインはどこにあるのか書かれてませんでした。
ところで、ファラフ王妃(元皇后)はNHKからの取材を受け「忘れられし王妃~イラン革命30年ふたりの女性の人生の空白~」BSドキュメンタリー番組2009年3/30放送で、厳重な警備の中、パリ等で慈善活動を行いながら余生を送っている姿を見せたそうです。
いつか再放送されたら見たいと思います。
1979年イラン革命で国外に逃れたパーレヴィ国王夫妻の米国入国を認めたことをきっかけに,テヘランでアメリカ大使館人質事件が起きました。
この事件の発生を受けてパーレヴィ国王はアメリカを離れ、翌1980年亡命先のエジプトのカイロで失意の中死去。
その後王妃はパリなどで暮らされてたのですね。
繋がった言葉で検索を重ねていくと、いままで見過ごしてきた歴史がわかり大変興味深いです。
素晴らしいダイヤは、シンデレラ達の人生の高価な代償みたいですね。
結婚式は1959年と書かれてましたから、TVでご覧になられたのは他の方かも。
たぶん1963年のケネディ大統領の暗殺がTV中継の最初ではなかったでしょうか。
ファラー ディバ王妃で検索したら、デビ婦人のブログがヒットし、マルコス元大統領夫人イメルダと3人で並んで写真写ってました。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10290499481.html
こうした激動の人生と引き換えなのかぁ~
ものすごいダイヤは博物館とかで見るだけでいいですね。
「ファラ王妃」という語句で検索したら、他の方の「イランという国で」というブログがあって、そこの「ファラ王妃と宝石博物館」という代の文章にも詳しく書かれていました。イランに住んでおられる方のようですね。
しかしグーグルは便利ですね。書物の大切さ・書物から資料をこつこつ探すことが大事だと教えていた私も、寄る年波からか、つい使ってしまいます。
知り合いにコイノールという中古の宝飾店あり普段お世話になっています。
今回コイヌールダイヤモンドで、そこの店名がここから来てたのかと納得しました。
それにしてもネット検索でほとんど辞書使うことなくなりました。
最近は年配者がipadの使い方を学ぶ教室が大盛況とか。
アメリカ在住の拳士が先週まで夏休みで帰国してました。
向こうの小学生も使いこなしていると話してました。