秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

2011-09-11 11:32:19

2011-09-11 | ケータイ・スマホから
地車まつりパレード

ココからPCで追加

アイフォーンで撮影した画像をブログに送る設定が違ってたのに気づいた。
以前のアドレスに戻してみたら、ちゃんと届いてました。
けどタイトルが送信日時になってます。
1回目なので記念にこのまま変更しないでおきます。

守口市だんじりまつり5回目は、11台が参加しました。
大枝公園から守口駅タクシーブースまでパレードし、12時から催しがスタート。


たぶん日本の他地域では、東日本大震災半年経過した9月11日。
正午には黙祷をささげているであろう同じ時間に、守口駅前ではクラッカー鳴らしてた。

全景を撮影するのにちょうどよい陸橋は立ち入り禁止だった。


11台の地車紹介で大枝神社地車隊


ものすごく暑くて、ただただまわりに立ってただけでも疲れました。

袖振り合うも多生の縁

2011-09-09 | 日々是好日
2週間前に蓮の実の数珠の話を書きました。

きっかけは杭州旅行で蓮の実を食されたTMさんのブログを読んで、
我が家には蓮の実の数珠があるのでそれを紹介し、
それを読まれた通りすがりさんがコメントを残してくださった。

隣町の門真ではバンチョという蓮の実のお菓子がありますよと。

その数日後、門真には立派な大楠があるので見に行った。
大阪みどり百選No1に薫蓋樟という大楠が選ばれたのには、
その通りすがりさんたちのご努力があったと、これもコメントで教えていただいたのだった。

そして昨日、その通りすがりさんが来店されて、
蓮の実と
蓮の実から作られた蓮甘納豆の自然菓「バンチョの実」を持ってきてくださったのです。
珍しいものをありがとうございました。


ヒヨコ豆より少し大きくて、
砂糖漬けされているのでやっぱり甘納豆ですが、
栗のようにホクホクとしていてとても美味しかった。

生の実を取り出して固くなった皮を剥いて食べてみると、これも好みの味でした。
ただし中に緑色した小さな胚芽がすでにできていて、それが少し苦味となる。

バンチョの実の説明書にも「実の中の黒いのは胚芽です」と記載されてた。


そして思い出したことわざ「袖振り合うも多生の縁」
正確をきすために念のためネット検索した。

他生の縁でも可だけど、ホントは「多生の縁」だった。
多少の縁とは思ってなかったけど。

確かに多くの生きる縁って、今生まだ出会っていない多くのご縁にも繋がる深い言葉ですね。


これもまた、あるご縁で頂戴しためずらしい「らっきょう飴」です。

自分ひとりだけでなら、とても出会えなかった蓮の実やらお菓子やら。
いろんなご縁をいただけて感謝します。

偉大な同級生の「原発 私はこう思う」

2011-09-07 | 世情雑感
昨夜たまたまTVみてたら同級生がでてました。

9/6「報道ステーション」のなかの「原発 私はこう思う」
日本で唯一の原発差し止め判決を出した、井戸謙一元裁判長。
高校3年生のとき同じクラスの同窓生でした。

高校のときからガリ勉でなくて文武両道で優秀でした。
性格も温厚で誠実で謙虚でした。
体育会系クラブ活動(バレー部だったかな?)も頑張ってたのに、確かストレートに東大進学。
そして3年ぐらいの現役で司法試験に合格したと聞いたように思います。

10年以上前の同窓会で見かけました。
今年9月24日にも同窓会ありますが、きっと今は超売れっ子で来れないかもしれません。




2006年3月、金沢地裁で北陸電力・志賀原発2号機の運転差し止めを命じる判決を出しました。

去年、志賀原発の差し止め訴訟は控訴審で逆転判決が出され最高裁で確定。
井戸君はこの春退官し、現在、彦根で弁護士として原発再稼働の差し止め訴訟などを担当しているようです。



判決文には、福島第一原発の事故を予言するかのようなくだりがあるそうです。
「可能性として、外部電源の喪失、常用電源の喪失、さまざまな故障が同時に・・・多重防護が有効に機能するとは考えられない」

311東日本大震災あとの福島原発事故で、日本中が原発について考えるようになり、
2006年、すでに5年も前のこの判決があちこちで取り上げられるようになりました。


「電力会社は危険をできるだけ小さく見積もって、それに見合う安いコストで何とか収めたい、
そういう姿勢が(志賀原発)事件の審理の中でも感じたし、その点は非常に危惧していました。
活断層の評価とかどれだけの地震が起こるかという評価についても、できるだけそれを小さく見積もろうと、そういう姿勢というのは一事が万事だと思うんですけど。
耐震設計審査指針が改定されたりとか、前進した面もありましたけれども、
基本的な電力会社の姿勢自身はその後も変わっていないと思うので、いずれこういう深刻な事故が起こるのではないかとずっと危惧していました」

「日本の経済が何とか成り立っていけるだけの電力供給ができるのかどうかという問題がありますので、全面的に(原発を)止めるというのは少し難しいかもしれませんが。
今回の福島原発事故で何が起こったのか、何が原因だったのか、
その単なる津波だけの問題ではないと思いますので、
それをすべてきっちりと明らかにした上で、改めて安全審査指針を作り直して、
必要な補強工事をして、その上で動かすということでないと。
地震というのは本当にいつどこで起こるか分からないわけですから。
“第二の福島”が起こってしまったら、日本の国は崩壊しかねないことになると思うので。
ドイツもイタリアもはっきりと脱原発というふうに方向転換しましたけれども、結局、何がそうさせたかといったら、国民の世論だと思うんです。
今の政治には相当今回落胆しましたが、
やはりそれを変えていくのは、国民一人一人がしっかりと考えて、世論を形成していくという、そこに鍵があるんじゃないかと思います」


エスニック焼きそば?

2011-09-05 | スピードクッキング
昨日道の駅しらとりの里でグリーンアスパラを買った。
これを使って新しい焼きそばにチャレンジしてみました。

フライパンにオリーブオイルでにんにくと人参とを先に炒めた。
焼きそばを作るんだったら、オリーブオイルはまずかったと
続いてアスパラと舞茸を追加するときにごま油を追加した。
さらにベーコン、そして最後に焼きそば麺。
黒胡椒だけ振りかけて、味付けは何にしようかちょっと迷った。

しょうゆ味だけでは物足りないような気がして、
フンドーキンのカボスポン酢を回しかけて仕上げた。

これがなんともいえない食感と風味でエスニック、
いけてます。
焼きそばというよりもイタリアンパスタみたいでした。


恐ろしい被害を出した台風12号の雲がやっと切れた夕方。
明日は晴れそうです。

二礼四拍手一礼

2011-09-04 | 古代史のミステリー
あちこちに大雨被害を残した台風12号。
紀伊半島では特に激しく降ったようで被害も大きく、心よりお見舞い申し上げます。

大阪でも午前中はまだ雨は残っていましたが、
母の見舞いを兼ねて、今一度美具久留御魂神社で確かめたいことがありました。

車で移動中や母の見舞いを終えたあともまだ雨が降ってたのに、
神社に着いたら雨が上がっててうれしかった。

前は気づかなかったけれど、車を停めたすぐわき、鳥居左側に隠れるように石碑が目に留まりました。


今日は、神主さんが車のお祓いをしておられるのを見かけました。


8月14日に初めてお参りしたときの記録は→みぐくるみたま

あの日、家に帰ってから、とても安堵した気分で、
神社参りしてこんなに穏やかな気分になったのは初めてやなぁと感慨深いものがありました。

日記を読まれた吉田さんが、神霊界からの考察を教えてくださいました。

①白雲宮の祠から参道中央の光の輝線は神霊に呼ばれて参拝するときに良く表われるものであること。

②美具久留御魂神社の主神が大國主命であれば、相殿は少彦名神であるのが当然であるのに、それが隠されていることが神霊界的な秩序に沿っていない

③美具久留御魂神社の白雲宮も水の女神の氣が漂う
水の女神の唯一神格である少彦名神の名で祭祀するようにという啓示のように捉えられる
まちがいなくここが産土神なので、今後産土神社として大切にしてください。

今日またまた白雲宮でシャッター押したら、見事ピンボケで

でもなんか白い大きなオーブのようなものが写りこんでました。

撮りなおしものは


1回目の参拝では気づかなかったのに、
2回目で目に留まったものが他にもありました。


やはり後ろの山は眞名井ヶ原は神奈備でした。


敷石として埋まってる角の石は、どう見ても石狗や狛犬の頭みたいに見えます。

  
下拝殿の右板戸に貼紙がありそこに書かれていました。
ここ美具久留御魂神社も出雲と一緒だった。

ふつう神社での拝礼は「二礼、二拍手、一礼」で、
出雲大社や宇佐八幡宮では二拍手が「四拍手」になります。
他には天理教や金光教は二礼四拍手一礼だそうです。

四回の拍手によって、四方位の神さまへの崇拝を表わしているのでしょうか。
古代出雲は「方系墳」でもあるし、4というのがキーワードかも。




日本書紀祟神天皇条に、天皇が出雲の神宝を召す段があるそうです。
そのお宝は『玉も鎮石』と呼ばれていました。

丹波の国氷上郡の氷香戸辺が神懸かりして
「玉もの鎮石。出雲人の祭る。真種の甘美鏡。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝主。山河の水泳る御魂。静挂かる甘美御神、底宝御宝主。」

水泳る御魂、ここで「みくくるみたま」が登場します。

<崇神天皇60(紀元前38)年>
 7月、出雲国の神宝が大和朝廷に献上される。

崇神天皇紀における出雲振根征伐詳しくは→こちら

出雲大神に関係する神宝が、崇神天皇の勅命によって大和国に運ばれ、
出雲では内紛が勃発し、遂には大和朝廷の軍事力によって制圧されるという物語です。

そして振根が討伐された後、出雲国では大和朝廷を畏れ出雲大神を祀らなくなった。
そのために崇神天皇の勅命が出され、再び祭祀が行われるようになったと伝えられます。


振根が弟の飯入根を殺害した後に、
出雲国の人々は飯入根の死を哀みよんだ歌
『や雲立つ 出雲梟帥が 佩ける太刀 黒葛多巻き さ身無しに あはれ』


古事記では、倭建命が討伐した出雲建に対して手向けた歌
『やつめさす 出雲建が 佩ける刀 黒葛多纒き さ身無しに あはれ』

ほぼ一緒です。
そしてストーリーもよく似ていて、古事記の景行天皇紀ででてきます。
倭建命は、熊襲討伐後、出雲に入り出雲建と親交を結ぶ。
ある日、出雲建の太刀を偽物と交換した上で、太刀あわせを申し込み殺してしまう。

ヤマトタケルは、古事記では倭建命、日本書紀では日本武尊と表記されます。

日本書紀では、日本武尊の話としては出雲の話は全く語られていない。
熊襲討伐後は吉備や難波の邪神を退治して、水陸の道を開き、天皇の賞賛と寵愛を受ける。

弁天島

2011-09-03 | 旅・中国&四国地方
瀬戸内海に浮かぶ小豆島は池田湾の落日です。

チャンスがなくてアップできなかった写真ですが、
あまりにいい雰囲気なので、この夏の思い出に記事にしておきます。

前に見える小さな二こぶの様に見える島は弁天島と呼ばれているようです。
島には弁天様が祭られていると聞きました。


小豆島町の海の駅から、シーカヤック弁天島周回コースが開催されてました。




ちょうど島が目の前に見えるこちら側の砂浜


その浜の上のテラスでBBQ






小豆島には応神天皇に関する伝説が数多く残されているそうだ。
例えば「寒霞渓」
応神天皇が、この山を登るのに鉤をかけて登ったことから『鉤かけ山』と名付けられ、やがて「かんかけい」と呼ばれるようになった。

「鬼ケ崎」は、応神天皇が上陸する際に荷物を乗せた小船が天皇より先に着いた所なので「お荷が先」と呼ばれるようになった。

「馬木」の地名は、この地を訪れた応神天皇の仮宿を作った場所が、バベの木(馬目の木)のそばだったことから。


醤油やそうめんの産地は、何かあると、以前からそう思ってます。


こんなトンデモ説見つけました。

小豆島は、海部族からは「塩土島(しおどしま)」と呼ばれ、
安曇族からは「安曇島(あづみじま)」と呼ばれていたのではないだろうか?
そして島の東側は海部族国に、西側は安曇族国に所属していたのではないだろうか?

詳しくは→こちら


台風12号の進路と、室戸台風

2011-09-02 | 世情雑感
今のところ、3日の早ければ朝にも四国から紀伊半島に上陸する恐れと報道されてる台風12号。

台風の国際名タラスってどこかで聞いたことがあると思い、
タラスで検索したら、製紙技術が西へ伝播したタラスの戦いでした。

タラスは、、カザフスタンの国境に近くキルギス共和国北西部にある都市。
751年にこの地の近くでタラス河畔の戦いが起こり、アッバース朝に唐の節度使である高仙芝が敗れた。
総勢10万人にも及ぶ戦いは、わずか5日間で唐軍の敗退、
唐の西方における勢力は後退し、以降イスラムの勢力が東に及んだ。
その時連行された捕虜の中に紙漉職人がいたため、製紙法がイスラーム世界にもたらされたとされる。


話は台風に戻りますが、この台風12号の進路の先にあるのは室戸岬。
となると室戸台風が思い出されます。



西日本を中心に大きな被害を及ぼした室戸台風は二つあります。

枕崎台風、伊勢湾台風と並んで「昭和の三大台風」のひとつに数えられる、
1934年(昭和9年)9月21日の室戸第1は、室戸岬上陸時の中心気圧は911.6hPa/ヘクトパスカル
日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風です。

子供たちが卒業した守口市三郷小学校も、この台風で南側8教室、北側10教室倒壊し
児童25名、教師1名殉難したとPTAの会議室だったかに記されてました。

先週の日曜、門真市の三ツ島神社で大楠を見てきました。
そこの看板にも昭和9年の台風で枝が折れて被害を受けたとかかれてありました。

大阪の四天王寺では1812年(文化9)に建てられた五重塔が木っ端微塵になりました。

20人ほどが塔の下敷きになり、3名が死亡。


大阪と神戸の間に午前8時頃、再上陸時には満潮を過ぎていたがまだ潮位は高かったことと最大瞬間風速60m/sという強風により、4メートルを超える高潮が発生。
大阪城付近まで湛水し、あまりの急な水位の上昇に避難が間に合わず、大阪湾一帯で溺死した者は1,900名以上と推定されている。
津波高潮ステーションでそのときの被害の写真などじっくり見学しました。


この1934年の第1室戸台風から今年2011年で77年。

このときはまだ生まれてなくて体験してませんが、
次の第2室戸台風は小学校1年生だったのでよ~く覚えてます。



1961年(昭和36年)なので早50年。
台風18号で国際名はナンシー〔Nancy〕

9月16日は日曜日でした。
9時過ぎ室戸岬上陸時、中心気圧925hPa、最大風速66.7m/s
室戸岬での最大瞬間風速84.5m/s以上、風速計の振り切れにより測定不能だったという。

13時過ぎ大阪湾の兵庫県尼崎市と西宮市の間に再上陸。
台風の東側が風がきついといわれます。
大阪南部にあった実家では、南の中庭に面した2間の雨戸が風で押されるのではなくて持っていかれそうになりました。
外側には雨戸に桟をさしてありましたが、内側から家族皆でで引っ張ってました。

床下から入った風が畳を持ち上げてバンバンなってました。
今でもあのときの恐怖をまざまざと思い出します。

その後、日本海沿岸を北北東進し、台風一過後外に出たら、隣の家のガレージは倒れてました。
翌朝学校への登校途上、屋根が飛ばされた民家も見ました。

死者194人、行方不明者8人、負傷者4972人、被害家屋98万戸を数えたほか、農作物の損害も甚大。
近畿地方を中心に大きな被害をもたらしました。


今回の台風12号、今は嵐の前の静けさです。
以前の室戸台風二つに比べれば、大型で強い台風といえども
中心気圧 965hPa 最大風速 35m/s(65kt)
少しは安心ですが、十分準備しとかないと、ね。