鹿児島県鹿屋市にある鹿屋航空基地史料館へ土曜の15:40位に車で行って来ました♪
↑案内図
入場無料で、事前予約は不要でした。
この鹿屋航空基地史料館は、昭和11年(1936年)に海軍鹿屋航空隊が開隊して以来、現在の海上自衛隊鹿屋航空基地に至るまでの豊富な史料が展示され、特に第二次世界大戦時の史料やゼロ戦の実機の展示、戦後の海上自衛隊による災害派遣や海外派遣任務、そして屋外には航空機の実機が多数展示され、かなり充実しています!
閉館が17時なのであまり時間がなく、駆け足で主に以下を見学しました♪
・屋外で戦後の輸送機や練習機、ヘリコプターの実物展示
・屋外で旧日本海軍の魚雷3種
・屋外で二式大艇(唯一の残存機)
・空母赤城の模型
・真珠湾攻撃の詳細解説(鹿児島での真珠湾を模した訓練模様含む)
・鹿屋での海軍工廠(軍事工場)
・鹿屋への米軍空襲
・後に作家となった鹿屋での海軍報道班員
・鹿屋での第5航空艦隊司令部壕
・特攻隊員と市民の交流
・特攻隊員となり出撃するも不時着し帰還した俳優の西村晃氏
・掩体壕
・日本海軍の軌跡
・日露戦争での日本海海戦
・江田島海軍兵学校
・ゼロ戦の復元展示
・日本の航空母艦
・海軍航空隊の発展
・P-3Cなど対潜哨戒機
・ジプチ共和国での活動(ソマリア沖、アデン湾含む)
・東日本大震災での活動
・今日は何の日?
もっと時間に余裕を持って、じっくり見学したかったですね。
実際には上記以外にもたくさんの史料がありました。
まずは以下の通り屋外展示を見学しました!
↑屋外での航空機の実機展示
↑屋外での航空機の実機展示
↑屋外での航空機の実機展示
↑屋外での航空機の実機展示
↑T-34Aメンターの解説
魚雷の展示があるのには驚きましたね。
↑魚雷やエンジンの展示
↑魚雷の解説
↑実際の魚雷展示
↑実際の魚雷展示
実際には酸素魚雷ではなかったのは残念でした。
意外とスクリューは小さかったですね。
↑US-1A(おおとり)救難飛行艇
↑US-1A(おおとり)救難飛行艇の解説
救難飛行艇はさすが巨大で、これが救援に来るとかなり安心感がありますね。
後述の二式大艇はこれよりも大きく感じ、当時の二式大艇は凄かったんだなぁとも思いました。
↑史料館
↑総合案内
屋内展示入口では受付をし、近くの広い部屋で5分ほどの解説ビデオを観れたのは良かったです♪
遅い時間だったので貸切でした!
そして航空母艦「赤城」の説明がありました。
↑空母赤城の模型
↑空母赤城の説明
↑空母赤城の説明
赤城は模型ながら巨大さがよく分かりましたね。
また速力が31.2ノットもあったとは高速です。
それからかなり戦果があったハワイの真珠湾攻撃の解説がありました。
↑真珠湾攻撃の解説
↑真珠湾攻撃部隊編成
特に鹿屋会談の解説には興味深かったですね。
実際には昭和16年2月に真珠湾攻撃の検討が始まり、12月の攻撃に至ったようです。
↑鹿屋会談(日米開戦のための秘密会議)
↑鹿屋会談の内容
当時は真珠湾に似た鹿児島の地形を利用して猛訓練されたようです。
↑真珠湾攻撃のための鹿児島基地訓練地要図
真珠湾は水深が12mしかなく、通常の魚雷では地面に突き刺さって利用できなかったためギリギリまで改良され、現在の北方領土の単冠湾へ向かう船上で魚雷を改修したようです。(ちなみに単冠湾へ集合し、そこから艦隊はハワイへ向かいまいした。)
↑真珠湾攻撃に改良された九一式改造魚雷図
↑その魚雷改造の説明
↑当時の鹿児島湾での写真
↑当時の訓練詳細説明
↑空母赤城からハワイへ出撃する97式艦上攻撃機
それから鹿屋の海軍工廠の解説がありましたね。
学徒動員等で、最盛期は1万人以上も働いていたとは驚きです。
特攻兵器「桜花」は鹿屋でも製造されたとのことです。
↑鹿屋での海軍工廠(軍事工場)
戦争末期には、鹿屋飛行場等も次々と爆撃されたようです。
↑鹿屋への米軍空襲の記事
そして米軍の戦略爆撃機B29や、B29搭乗のクリス大尉のタコ爆弾による撃墜の証言もありました。
タコ爆弾とは海軍の三号爆弾で、黄燐等を利用したものですね。
↑クリス大尉の証言
↑B29
↑撃墜されたB29
↑鹿屋空襲
それから後に作家となった鹿屋での海軍報道班員の解説があり、川端康成や山岡荘八も鹿屋に在籍したんですね。
↑川端康成の説明
↑山岡荘八の説明
そして鹿屋での第5航空艦隊司令部壕の解説がありました。
戦争末期の昭和20年1月頃から突貫工事で地下防空壕が造られ、作戦電話室、電信室、暗号室、参謀室等があったようです。
↑鹿屋での第5航空艦隊司令部壕の解説
↑海軍司令部壕の写真など
また近くの高等女学校生も通信隊の仕事を支えたようです。
↑高等女学校学徒通信隊
それから特攻隊員と、市民の交流もあったようです。
↑特攻隊員と市民の交流
そして、特攻隊員となり出撃するも不時着し帰還した俳優の西村晃氏の説明もありましたね。
↑俳優の西村晃氏
↑海軍少尉時代の西村晃氏
それから航空機を隠した掩体壕(えんたいごう)の説明もありましたね。
ただ、当時の陸海軍では掩体壕という用語は使用していなかったとは驚きです。
↑掩体壕の全体説明
↑掩体壕の写真
↑掩体壕の説明
そして日本海軍の軌跡の説明がありました。
↑日本海軍の軌跡
日露戦争時のロシアのバルチック艦隊に完勝した日本海海戦の説明もありましたね。
↑日露戦争時の説明
↑日露戦争での日本海海戦の解説
それから広島の江田島海軍兵学校の説明もありました。
↑江田島海軍兵学校
そしてゼロ戦展示のフロアに進みますが、ゼロ戦はかなり勇壮で目立ちます!
↑ゼロ戦の復元展示
機銃の説明もあり、同じ20mm機銃でも型式により変化があるようです。
↑ゼロ戦52丙型の13mm機銃と20mm機銃
↑ゼロ戦21型20mm機銃
それから、この錦江湾から回収されたこのゼロ戦の復元等についての解説がありました。
↑ゼロ戦の復元
↑ゼロ戦の解説
↑ゼロ戦のエンジン
↑後ろからゼロ戦
そして日本の航空母艦の説明があり、世界で最初の航空母艦「鳳翔」の模型もありましたね。
↑鳳翔
↑鳳翔の解説
↑旧日本海軍の全航空母艦の説明
また海軍航空隊の発展の説明もありました。
↑海軍航空隊の発展
そして昭和19年にドイツから持ち帰ったロケット戦闘機の資料を基に戦争末期に開発された局地戦闘機「秋水」の説明もありましたね。
↑ロケット戦闘機「秋水」の説明
↑開発歴史
それから、戦後のP-3Cなど対潜哨戒機の説明もありました♪
↑P-3C対潜哨戒機の写真
↑P-3C型航空機の銘盤
↑P-2J哨戒機の操縦席
↑P-2J哨戒機の横から
そしてジプチ共和国での活動(ソマリア沖、アデン湾含む)について説明がありましたね♪
↑P-3Cの活動拠点:ジプチ共和国
↑ソマリア沖、アデン湾での活動
↑アデン湾における海賊対処活動
それから東日本大震災での活動の写真もありました。
この活動にはとても感謝したいと思います。
↑東日本大震災での活動
それから今日は何の日?の説明があり、この日は当時の南太平洋海戦と特攻出撃の説明もありました。合掌です。
↑10月26日の出来事
閉館間近だったので翌日のものに途中で差し替えられました。
↑10月27日の出来事
そして、屋外の道を隔てた所に大きな二式大艇がありました!
その巨大さには驚き、デザインが洗練されているとも思いました。
これは唯一の残存機とのことでしたね。
↑二式大艇
鹿児島県鹿屋市にある鹿屋航空基地史料館は、昭和11年に海軍基地として開隊して以来、現在の海上自衛隊に至るまでの豊富な史料が展示され、屋外にも多くの実物航空機等が展示されとてもオススメです!
鹿児島県肝属郡肝付町にあるJAXAの内之浦宇宙空間観測所へ土曜の13:50くらいに車で行って来ました♪
↑入口
↑地図
ロケット発射地としては種子島宇宙センターも有名ですが、この内之浦では、日本初の人工衛星「おおすみ」や小惑星探査機「はやぶさ」も打ち上げられています♪
この内之浦宇宙空間観測所は、かなり広大な敷地なので、車で移動しながら見学しました♪
まずは受付で地図等のパンフレットを受取り、許可証をもらって、車のハンドルの前辺りに置きます。
なお、入場料は無料となります。
主に以下を順に見学できました♪
・人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑、糸川英夫博士の像
・KSセンター(観測ロケット打ち上げ場)
・衛生追跡センター(直径34mパラボラアンテナ)
・衛生ヶ丘展望台(直径20mパラボラアンテナ)
・M(ミュー)センター(イプシロンロケット打ち上げ場)
・宇宙科学資料館
まとめると、特に以下が良かったですね♪
・いくつもの実物大のロケットが展示
・直径34mパラボラアンテナが巨大!
・衛生ヶ丘展望台からのイプシロンロケット打ち上げ場や直径34mパラボラアンテナ等の景色が素晴らしい!
・イプシロンロケット打ち上げ場はかなり施設も大きく感動ワクワク!
・宇宙科学資料館が想像以上に資料がかなり充実!
まずは人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑がありました♪
↑人工衛星「おおすみ」打ち上げ記念碑
1970年(昭和45年)に日本初の人工衛星が打ち上げられましたが、実はこの場所だったとは知りませんでしたね。
大隅半島から打ち上げられたので「おおすみ」なんですね。
どうして「おおすみ」なんだろうと?ずっと思っていましたが、現地に行って謎が解けました^_^)
そして当時ロケット第一人者の糸川英夫博士の像がありましたね。
↑糸川英夫博士の像
そして車でKSセンター(観測ロケット打ち上げ場)に進みます♪
確かここで「おおすみ」が打ち上げられ、今では主に観測ロケットが打ち上げられているのだと思います。
実物大のロケットがあるのにはワクワクしましたね。
↑KSセンター(観測ロケット打ち上げ場)やロケットと直径34mパラボラアンテナ
↑M-3S型ロケット
↑M-3S型ロケットの説明
↑観測ロケット打ち上げ場
そして、車で衛生追跡センター(直径34mパラボラアンテナ)へ向かいます♪
直径34mパラボラアンテナが想像以上にデカくてこれには感動でしたね!
探査機や人工衛星からの微弱な電波をこのアンテナで拾っているようです。
↑直径34mパラボラアンテナ
また、ここから先程見学したKSセンター(観測ロケット打ち上げ場)も見えましたね♪
↑KSセンター(観測ロケット打ち上げ場)
そして、車で衛生(ほし)ヶ丘展望台(直径20mパラボラアンテナ)へ向かいます♪
↑直径20mパラボラアンテナ
↑衛生ヶ丘展望台へ向かう
↑衛生ヶ丘展望台
そこからは、先程行った直径34mパラボラアンテナがさすが巨大に見え、そして観測ロケット打ち上げ場、そしてそのずっと左側にイプシロンロケット打ち上げ場が綺麗に見えていましたね♪
太平洋も見えています♪
これは壮観な景色でしたね♪
またボタンを押すと、約5分間、分かりやすい説明があったのは素晴らしかったです♪
約3分の英語バージョンもあるのも秀逸です!
↑直径34mパラボラアンテナや観測ロケット打ち上げ場
↑直径34mパラボラアンテナや観測ロケット打ち上げ場、イプシロンロケット打ち上げ場
もちろん間近の直径20mパラボラアンテナも巨大で素晴らしかったです♪
↑直径20mパラボラアンテナ
それからM(ミュー)センター(イプシロンロケット打ち上げ場)へ車で行くと、実物大模型のL-3H型ロケットがありました♪
このロケットで1970年に日本初(世界で4番目)の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功したとのことです。
↑実物大模型のL-3H型ロケット
↑L-3H型ロケットの解説
そしてM(ミュー)センター(イプシロンロケット打ち上げ場)はかなり大きな建物でこれにも感動でしたね♪
手前の白い大きな建物がロケット組み立て室で、奥の高い建物がロケット整備塔となります。
↑M(ミュー)センター(イプシロンロケット打ち上げ場)
↑イプシロンロケット打ち上げ場
↑イプシロンロケット打ち上げ場
↑イプシロンロケット打ち上げ場
そしてかなり大きな実物大のM-V型ロケットもありました♪
この巨大ロケットで4つの天文観測衛星と「はやぶさ」を含む2つの惑星探査気の打ち上げに成功したようです。
↑M-V型ロケット
↑M-V型ロケットの解説
また、火焔偏光板や整備塔旋回台車などもあり興味深かったですね♪
↑火焔偏光板
火焔偏光板は、ロケットの高熱のためか表面がボロボロでしたね。
↑整備塔旋回台車
↑火焔偏光板や整備塔旋回台車等の解説
そして5階建て?の宇宙科学資料館へ向かいましたが、資料が想像以上に充実していて素晴らしかったです!
以下では、ほんの一部を紹介します。
時代を感じるかなり古い資料も多かったですね。
↑宇宙科学資料館の建物
↑宇宙科学資料館の入口
↑↑宇宙科学資料館の玄関
最初に日本初の人工衛星「おおすみ」の実物大模型がありますが、全長1m、最大直径0.48mとは、かなり小さいです!
発射後14〜15時間の地球6周までは電波を受信したようですが、その後は予想以上の高温のため途絶したようです。
なお「おおすみ」は2003年8月2日午前5時45分(日本標準時)に大気圏に突入し北アフリカ(エジプトとリビアの国境あたり)の上空で消滅したようです。
↑「おおすみ」の解説
↑実物大「おおすみ」
それから内之浦宇宙空間観測所のあゆみもありました♪
↑内之浦宇宙空間観測所のあゆみ
そしてJAXA種子島宇宙センターの説明もありましたね。
種子島宇宙センターは大型の人工衛星を打ち上げるための施設のようです。
↑JAXA種子島宇宙センターの説明
そして、H3ロケットやH2B、H2Aのロケット比較もありましたね。
↑ロケット比較
↑H3ロケット解説
↑H3ロケット解説
↑H2Bロケット解説
↑H2Aロケット解説
また過去の記録写真等もありましたね。
↑過去の記録写真等
また各国の1号衛星の解説もあり興味深いです♪
↑各国の1号衛星の解説
↑各国の1号衛星の解説
そして東京大学を中心とした宇宙開発の歴史の説明もありました。
↑東京大学を中心とした宇宙開発の歴史
それからカラーで分かりやすく日本の宇宙開発の歩みもありましたね♪
↑日本の宇宙開発の歩み
↑日本の宇宙開発の歩み
↑日本の宇宙開発の歩みの近年の拡大
↑日本の宇宙開発の歩みの近年の拡大
そしてハレー彗星探査機「さきがけ」の展示もありましたね。
接近した1986年頃でしょうか。
次回地球にハレー彗星が近づくのは2061年頃ですね。(2023年に太陽からもっとも離れた所に到達し、今は太陽に近づいているようです)
↑ハレー彗星探査機「さきがけ」の展示
それから、多分古いと思いますが、探査機等からのデータの流れがありましたね。
↑データの流れ
そして各人工衛星の写真等もありました。古そうです。
↑各人工衛星
それから「おおすみ」打ち上げ当時の記録もあり興味深かったですね♪
当時の興奮が分かります。
↑「おおすみ」打ち上げ当時の記録
↑「おおすみ」打ち上げ当時の記録
↑「おおすみ」打ち上げ当時の記録
そしてX線天文学の解説もありました♪
↑X線天文学の解説
↑X線天文学の解説
それから当時の「おおすみ」打ち上げ時の発射指令管制装置の展示もあり、興味深いです。
↑当時の発射指令管制装置の展示
↑当時の発射指令管制装置の展示
鹿児島県肝属郡肝付町のJAXA内之浦宇宙空間観測所見学は、広大な敷地の中で、大きな発射台や実物大のロケット、かなり巨大なパラボラアンテナアンテナを見れ、また史料館もかなり充実し、とてもオススメです!
薩摩半島の鹿児島県指宿市の山川港と、大隅半島の鹿児島県肝属郡南大隅町の根占(ねじめ)港を結ぶ「フェリーなんきゅう」の土曜12時発に乗って来ました♪
↑フェリーなんきゅうと海上保安庁の船
↑フェリーなんきゅう
このカーフェリーは想像より小さく驚きましたが、全長約34m、幅約8.6mあり、航海速力は時速約20km、積載能力は普通乗用車だけなら18台程度積載可能な船となります。
意外と車を積めます♪
あらかじめ電話予約しておいたので乗れないリスクは無く、安心でした。
30分前には山川港に到着するように言われ、現地に到着して支払いを済ませると、出発の15分前には車に乗って待つように言われます。
そのため、出港を待つ間に、約200m先の道の駅に行って買い物をしたり、ランチを楽しみました♪
なお、長さ4m未満の車だったので、車と大人1名で2,900円税込でしたね。
大人1人だけだと800円税込となります。
支払いは、電子マネーやクレジットカードは利用できなかったので、現金決済となりますのでご注意下さい。
出発の17分ほど前にフェリーがやって来ました♪
近くには海上保安庁の船も係留されていましたね。
さっそく、係員の指示に従って、車をカーフェリーに入れます♪
そして停めると、輪止めをタイヤに付けられましたね。
そして階段を登って明るく綺麗な船室に入りました♪
↑船内
テレビもありましたね。
↑船内
↑船内
↑駐車
↑船内
この日は乗客は10名ほどだったでしょうか。
船内にはもちろん救命の案内板や、お願い事項、非常時の心得などが掲示されていましたね。
↑救命案内板
↑お願い事項
↑非常時の心得
この日は風が気持ち良かったので、デッキに出て船の旅を楽しみました♪
↑景色
↑山川港を離れる
↑山川港内
山川港を次第に離れて行き、左側には昨日泊まった大きな指宿フェニックスホテルも見えていましたね。
↑指宿フェニックスホテル
そして、開聞岳も少しずつ離れていきます。
↑開聞岳
開聞岳には雲がかかっていてあまり見えず残念でしたが、途中から雲が晴れて山頂も見えるようになってきましたね♪
↑雲が晴れた開聞岳
そして大隅半島に近づき、無事ほぼ予定通り12:50過ぎに根占港に到着しました♪
↑大隅半島
鹿児島県指宿市山川港から「フェリーなんきゅう」は、車を載せて、快適な50分の船旅を大隅半島の根占港まで楽しめとてもオススメです!
鹿児島県の薩摩半島(鹿児島県の西側の半島)最南端の長崎鼻へ土曜の9:30頃に車で行って来ました♪
長崎県ではないのに、どうして長崎鼻?と思いましたが、「長く先(崎)が伸びた鼻」のため長崎鼻のようです。
鼻というのは岬の基部が末広がりとなった三角形状の地形のことを言うようです。
その長崎鼻の手前約500m?でスクーターのおっちゃんに止まるように言われたのには驚きましたが、3台分の車を先導してくれ、長崎鼻近くの奥の駐車場に案内してくれました。
そのお店で買い物をして頂くためのパフォーマンスのようですね。
車を駐車して、5分も歩かないうちに赤いまさしく龍宮城のような龍宮神社へ到着しました♪
↑龍宮神社
↑龍宮神社等の解説
ここは浦島太郎が龍宮へ旅立った岬とのことで、龍宮神社は古事記、日本書紀にある豊玉姫(乙姫様)を祀っているとのことでした。
↑龍宮神社
↑正面
乙姫様と天照大御神等との分かりやすい関係図があるのも秀逸でしたね。
↑関係図
↑龍宮神社と長崎鼻の説明
また、浦島太郎はいじめられた亀を助けると、その亀は浦島太郎を龍宮城へ案内してくれますが、この地の砂浜にはたくさんのウミガメが産卵のために上陸するようです。
岬の白い灯台を目指して歩くと、右側には標高924mの美しい富士山のような開聞岳がそびえ立っていましたね♪
これは素晴らしい景色です♪
↑開聞岳
↑灯台方面
すると、道路の右側に浦島太郎と亀の石像がありましたね。
↑浦島太郎と亀の石像
男性は左側から2回、女性は右側から2回まわって亀を撫でると、願い事がかなうようです。
そして灯台へ到着すると、その先には遠くに大隅半島が見えました♪
↑大隅半島
また開聞岳も美しく見えます♪
↑開聞岳
それから昭和14年に高松宮殿下が訪れた石碑もありましたね。
↑高松宮殿下が訪れた石碑
↑灯台
また長崎鼻の説明板があり、天気が良ければ右側から以下の順で見えるようです♪
・開聞岳
・黒島
・硫黄島
・竹島
・屋久島
・佐多岬(本土最南端(大隅半島))
↑長崎鼻の説明板
↑黒島方面
↑佐多岬方面
↑大隅半島
現在のこの薩摩長崎鼻灯台は、昭和32年(1957年)に完成したようです。
約22km先から見える3,700カンデラの光の強さをもつようです。
↑灯台
↑灯台の説明
それからここはソテツ自生地でもありましたね。
↑ソテツ自生
ソテツは熱帯夜亜熱帯に生息するもので、日本における「ソテツ自生の北限地」となっているため、国の特別天然記念物に指定されています。
↑ソテツ自生地の説明
鹿児島県指宿市の長崎鼻は薩摩半島最南端で、竜宮伝説の龍宮神社があり、またそこから開聞岳が美しく見え、そして大隅半島の佐多岬方面も美しく、ソテツも自生しとてもオススメです!
鹿児島県指宿市のJR指宿駅から南へ約2.5kmの指宿フェニックスホテルへ宿泊し、念願の砂蒸し温泉を楽しめました♪
↑入口
このホテルを選んだのは、砂蒸し温泉が併設で、そのお値段込みのプランもあったためです♪
このホテルはかなり大きな敷地で、そして建物も広いホテルで、駐車場もたくさんあり、そして一人でも気楽に泊まれたのは良かったですね♪
2人以上の制限がある温泉ホテルもあるため助かります。
そのため私以外で女性一人客もいましたね。
ロビー等は明るく綺麗で、まずは受付でチェックインします。
↑ロビー
砂蒸し温泉や夕食、朝食について場説明を受け、夕食は18時と朝食は7時に頂くこととし、そしてpaypayで支払いをして、鍵を頂き3階の部屋に入室しました♪
↑案内
部屋は奥に6畳部屋があるため靴を脱いで入り、その先に2人席のテーブルがあり、奥の大きな窓からは海が見え、オーシャンビューとは嬉しかったです♪
しかもJR線も見えていましたね。
黄色のラッピングされた電車が通っていました。
↑部屋の入口
↑部屋
↑窓
↑海
部屋に入って左の押し入れにが浴衣やその上着、ハンガーがあり、さっそく着替えます。
↑押入れ
↑ハンガーなど
また部屋に入って右側奥には貴重品入れ用の金庫や小さな冷蔵庫、電気式ポットもありましたね。
↑金庫や冷蔵庫など
卓上には500mlのお水のペットボトルとともに、茶菓子やティーバッグ式の知覧茶もあり、電気ポットでお湯を沸かし、美味しくお茶をいただきました♪
↑卓上
↑卓上の蓋を開ける
もちろん洗面台やバス、トイレも別室であり、もちろんバスは温泉でしたね。
ただ温泉が出るには20分ほどお湯を出す必要があるようでした。
↑洗面台
↑風呂
↑トイレ
↑案内
それから、別室でのマッサージプランの案内もありましたが、これは女性専用で、男性単独で利用できなかったのは残念です。
ただ女性とのカップルや夫婦で利用の場合は男性も利用できましたね。
↑マッサージの案内
そして砂蒸し温泉へ向かいました♪
その受付で、砂蒸し用の浴衣を新たに頂き、温泉脱衣場でそれだけを着て砂蒸しへ向かいます。
↑砂蒸し温泉の案内
↑砂蒸し温泉の案内
せっかくなので顔パックのタラソパック1,400円税込も頼みましたね。
この日は雨だったのですが、この砂蒸し会場は屋根があるので、雨に濡れずに安心です!
砂蒸しはかなり広い空間にあり、20人以上がそれぞれ2列利用できるでしょうか。
↑砂蒸し温泉
↑砂蒸し温泉
白いタオルが置いてあるので、その上に頭を置いて寝ると、スコップで自分の体の上に次々と砂を掛けて頂きます。
砂の中はかなり温かく、あぁぁ気持ちいぃぃですね♪
結構砂は重みがあり、自由に動けません。
砂むし温泉は低温やけどの可能性もありますが、ここは程よい温度で、その心配はありませんでしたね。
逆にお腹が寒いと砂を掛けて頂く客もいました。
タラソパックは、顔にひんやりとした白いものを女性が塗ってくれ、これはかなり冷たく、これも気持ち良かったですね。
そして約5分後?に白いパックを取り除いて頂きます。
砂蒸し温泉は10分くらいが目安とのことでしたが、思わず20分ほどいてしまいました♪
一緒に到着した客たちはいなくなっていました。
起き上がって板の間で砂を落とし、そして部屋を出てすぐのシャワーで綺麗に砂を落として露天風呂の温泉に気持ち良く入りました♪
↑露天風呂
この砂むし風呂はきちんと温度管理されているようでデジタル計測機が6か所あるようで、40.1℃〜41.0℃でしたね。
さすがの温度管理です!
↑温度管理
なお温泉の源泉は66.4℃で、海に近いこともあり塩水のようでしたね。
↑温泉成分等
それから、ロビーには黒いカシオの電子ピアノがあり、ストリートピアノとして自由に弾けました♪
↑ロビー
↑ストリートピアノ
電子ピアノなのでタッチは軽く、ショパンの別れの曲と革命のエチュードを弾くと、他のお客さんたちが笑顔で素晴らしいと、相当喜んでくれたのは嬉しかったですね♪
温かい拍手を頂けました♪
そして、ロビーの隣は大きな土産物売り場で、せっかくなので鹿児島名物の「かるかん」や、お茶を買いました♪
↑土産品コーナー
↑土産品コーナー
↑かるかん
それから18時に、一番下のフロアのかなり広い夕食会場に行き食事を楽しみました♪
↑夕食会場
↑夕食会場
食事はノーマルプランでしたが、以下を美味しく頂きました♪
↑メニュー
さすがどれも上質で、そして特に黒豚のしゃぶしゃぶは美味しかったですね♪
・食前酒 梅酒
・先付け 焼きナス豆腐
・前菜 季節の5種盛り
・お造り キビナゴは酢味噌で、カンパチ、サーモンの刺身も
・焼き物 鶏野菜巻き
・コンロ 豚しゃぶしゃぶ
・煮物 黒豚とんこつ煮
・温物 萩饅頭
・酢物 盛合せ
・留椀 赤出汁仕立て
・ご飯 鹿児島県産いくひかり
・香物 山川漬け 他一種
・デザート 杏仁豆腐
↑夕食
↑豚しゃぶ
↑豚しゃぶ
↑ご飯
↑赤出汁
↑お茶
↑ご飯と赤出汁等
↑デザートの杏仁豆腐
ドリンクはセルフサービスで生ビールや焼酎、ワイン、ウイスキー、ソフトドリンク等が飲み放題というのは便利で良かったですね♪
生ビールは、最後に泡立たせる際は、反対側にバーを倒すと良いです。(他のお客さんに教えてもらえました)
↑生ビールを注ぐ
焼酎は鹿児島限定品など地元のこだわりの6本があり、飲み比べてその違いを楽しめるのも良かったです♪
↑焼酎
↑焼酎の説明
赤・白ワインはチリワインで飲みやすく良かったです♪
↑赤・白ワイン
それから希少なウイスキーもありましたね。
↑ウイスキー等
↑ソフトドリンク
それから朝食はロビー横の会場でした♪
↑朝食会場方面
なおその会場近くにはウェルカムドリンクコーナーがあり、以下の時間は自由にコーヒー等が飲めたのは良かったです♪
・夜 14時〜18時
・朝 7時〜11時(コーヒーのみ)
↑ウエルカムドリンクコーナー
↑朝食会場入口
朝食は食べ放題で、好きなものを選べたのは良かったですね♪
特に奄美大島名物の鶏めしを目の前で作って頂き、美味しく頂けたのは良かったです♪
以下を美味しく頂きました♪
・サラダ(キャベツやレタス、コーン、きゅうり、ミニトマト、ニンジン等)
・さつま揚げ
・サバ塩焼き
・温泉卵
・しゅうまい
・玉子焼き
・温泉卵
・かぼちゃ
・ひじき
・ポテサラ
・豚肉ナス炒め
・味噌汁
・ライチ
・オレンジ
・ホットコーヒー
↑頂いた朝食
↑奄美大島名物の鶏めし
↑ドリンクコーナー
↑ドリンクコーナー
鹿児島県指宿市の指宿フェニックスホテルは、指宿名物の砂蒸し温泉を屋根付きで楽しめるだけでなく、食事も美味しく、部屋もオーシャンビューでとてもオススメです!
20回以上訪れたという友人に勧められ、鹿児島県指宿市山川にある区営鰻温泉へ平日の15時過ぎに1人で行って来ました♪
↑区営鰻温泉
↑区営鰻温泉
その鰻温泉の場所は鰻池の東北側にあります。
↑鰻池
鰻池は、直径約1.3kmほどの円形の火口湖で、池田湖の約3km東にあります。
鰻池は、看板の説明によると約5700年前(wikiによると約6400年前)に、マグマ水蒸気爆発で形成された火口湖で、そのため池の周囲には高温の水蒸気が噴出する場所があり、そのため温泉にもなっているようです。
↑看板
その鰻温泉の泉質は、指宿市内では唯一の単純硫黄泉で、皮膚病によく効き、昔から多くの湯治客が訪れるようです。
また、鰻という独特の地名は、その昔、鰻池の水で水田を作ろうと、池を切り開く工事を始めたところ、池の底から大きなうなぎが姿を現し、水が流れ出るのを防いだという伝承があるためのようです。
なお、1912年頃からこの鰻池で、ウナギの養殖が行われていましたが、水質悪化や後継者不足などの問題によって1996年に終了しているようです。
そのため、現在ではこの鰻池では、ウナギ料理屋もなくなったとは残念です。
それから、この鰻温泉は、西郷隆盛と縁があるようです。
↑鰻温泉と西郷隆盛
というのは、征韓論に敗れ下野した西郷隆盛が、明治7年に従者2名と犬13頭を連れてこの鰻温泉へ泊まりに訪れ、開聞岳周辺でウサギ猟を楽しんだり、この鰻温泉で毎晩、湯治をしたようです。
そんな中、西郷の許に、不平士族たちによる佐賀の乱に敗れた江藤新平が援助を求めるためにやってきたようです。
その求めには西郷は断ったようですが、その約2年後には西郷は西南戦争を起こすこととなります。
車を区営鰻温泉の前の下った所へ駐車し、現金で300円税込を支払って温泉に入ります♪
↑受付
なお、温泉たまご2個120円税込も注文して支払い、入浴後に頂きます。
靴を脱いで、脱衣所に入ると、おぉぉさすが西郷隆盛の絵が飾られていましたね♪
↑西郷隆盛の絵
↑脱衣所
体を洗った後に、温泉に入ると、あぁぁ適度な少し熱めな温度で、これは気持ち良かったですね♪
↑温泉
なお、この脱衣所にも、西郷隆盛の逸話が貼られ、温泉の成分表などがありましたね。
↑西郷隆盛の逸話
↑西郷隆盛の逸話
↑平成9年の温泉成分表
↑平成30年の温泉成分表
↑分析試験結果報告書
↑レジオネラ属菌検査済証
平成9年は源泉の温度は88.8℃、平成30年は源泉の温度は82.3℃だったようです。
いずれにしろ高温で、後で頂いた温泉たまごがアツアツで、皮を剥くのが大変でしたね。
↑温泉たまごの案内
↑購入した温泉たまご
しかし、アツアツなので、かなり温泉たまご(ゆで玉子)は美味しかったです♪
塩を付けて美味しく、温泉たまごを頂きました♪
鹿児島県指宿市山川にある区営鰻温泉は、鰻池近くで西郷隆盛の逸話もあり、ゆったりと温泉を楽しめ、また温泉たまごもかなり美味しくとてもオススメです!
平日の昼の12:15くらいに鹿児島県南九州市知覧町にある知覧武家屋敷庭園群へ行ってみました♪
南九州市役所から徒歩3分ほどの所に庭園群の入口がありました。
↑入口
この知覧武家屋敷庭園群は、西暦1750年くらいに造られた外城の役割を果たすものだったようです。
というのは、江戸時代は一国一城制度のため、薩摩藩は鶴丸城しか城を造ることができず、そのため、鶴丸城を中心として当時は約113もの外城が造られ、この知覧武家屋敷庭園群はその1つのようです。
外城といっても、旧城の麓に「人をもって城とする」在郷氏族の集落を造ったものとなります。
↑解説
↑地図
また、この武家屋敷通りは、「日本の道100選」にも選ばれていましたね!
↑「日本の道100選」の石碑
この保存地区の知覧武家屋敷庭園群はは、東西約900m、南北約200mの間にあり、さすが、石垣がかなり素晴らしかったですね!
江戸時代を感じるかなり風情ある通りとなります。
↑武家屋敷通り
↑武家屋敷通り
↑解説
この日は雨模様でしかも時間がなかったので、この知覧武家屋敷庭園群にある7つの庭園を見学することはできませんでしたが、いくつか中に入って建物を見ることもできました。
↑旧高城家住宅入口
↑茅葺き屋根の家
↑解説
↑敷地内
↑ハート型
↑知覧型二ッ家
↑解説
鹿児島県南九州市知覧町にある知覧武家屋敷庭園群は、江戸時代当時の外城が残りとてもオススメです!
鹿児島県南九州市知覧町にある知覧特攻平和会館へ平日の午前9:30頃に行って来ました♪
↑入口
入館料は大人500円税込でしたね。
↑入館料の案内
この知覧特攻平和記念館は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期(昭和20年(西暦1945年)4月〜6月)の沖縄戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録など貴重な資料を収集・保存・展示して、当時の心情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものとなります。
この知覧は1941年(昭和16年)に福岡県の大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所として開校し、少年飛行兵や学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていましたが、戦況が緊迫し険悪となったことから、ついに1945年(昭和20年)に本土最南端の陸軍特攻基地となり、二十歳前後の若い隊員たちが、満州・日本内地から集結し、家族・国の将来を思いながら出撃した地となります。
↑パンフレット
↑パンフレット
館内は、残念ながら一部を除き写真撮影禁止で、その様子を写真で伝えることができないのは残念ですが、当時の特攻作戦で戦死した1,036名の顔写真や遺書、遺品、写真等が展示され、また当時の敵艦に突っ込む特攻隊の映像もふんだんに流され、また母が特攻隊員の身の回りの世話をしていたという男性語り部が、当時の様子を、当時の写真などで紙芝居風に熱く説明していましたね。
ただロビー内のものや、零式戦闘機(ゼロ戦)の展示は撮影できました。
↑ロビー
↑ロビーでの説明
ゼロ戦は海軍の飛行機のため、この陸軍基地の知覧からは飛び立っていませんが、鹿児島の海底から昭和55年(1980年)に引き揚げられ、ここで保存されているようです。
↑ゼロ戦
↑ゼロ戦の解説
それからロビー内には、黒いグランドピアノや絵が飾られ、当時出撃前に特攻隊員がベートーベンの月光を弾いた逸話が披露されていましたね。
それが学徒出陣した音楽大学生の最初で最後のリサイタルだったようです。
↑黒いグランドピアノ
↑解説
また、館前の庭には、特攻勇士の像「とこしえに」や、戦後、初等練習機として利用されたT-3という飛行機も飾られていましたね。
↑とこしえに
↑特攻勇士の像
↑解説
↑初等練習機T-3
↑解説
鹿児島県南九州市知覧町にある知覧特攻平和会館は、当時の特攻作戦で戦死した1,036名の顔写真や遺書、遺品、写真等が展示され、当時の映像も充実し、歴史を学べとてもオススメです!
福岡市営地下鉄「中洲川端駅」6番出口すぐのリバレインセンタービル7・8階にある福岡アジア美術館へ、日曜の15:15頃に行って来ました♪
隣のビルの博多座で「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」を鑑賞後に行って来ました♪
この福岡アジア美術館は1999年に開館し、2024年3月6日に25周年を迎える世界で初めて「アジアの近現代美術」に特化した美術館です♪
今回は2023年に引き続き、約5,000点に及ぶ所蔵作品からアジア現代アートの傑作を厳選して紹介する「ベストコレクション」の第2弾が開催されていましたね。
↑「ベストコレクション」の第2弾
↑ご挨拶
今回のタイトルは「しなやかな抵抗」で、既存の社会規範や美術の在り方などに対し鋭い批判精神を貫き、しなやかに抵抗してきたアジア美術のスターアーティスト8名による16点+通年1作品の作品紹介でした。
確かにどれも心を打つもので、特に以下については感銘を受けましたね。
↑ファン・リジュン(方力釣) シリーズ2 No.3(油彩・画布)
↑解説
↑ホアン・ヨンピン 駱駝(はく製、絨毯、針、紐)
↑解説
↑リー・ダラブー 伝令(写真 スピーカー)
↑解説
↑リン・エヒエンミャオ(林天苗) 卵#3(写真、綿布、糸玉)
↑解説
↑シルバ・グプタ 無題(インタラクティブ・ビデオ)
↑解説
↑ラシード・ラーナー 10の違い(ビデオ53秒)
↑解説
↑ラシード・ラーナー パレードの間、すべての目は空を仰ぐ(デジタルCタイププリント・紙・板)
↑ルー・ヤン(陸揚) 子宮戦士(アニメ)
↑解説
↑ホー・ズーニエン ウタマ−歴史に現れたる名はすべて我なり(転写インク、アクリル、画布、ビデオ21分)
↑同上
↑同上
↑解説
入館料は大人200円税込でpaypay等電子マネーが利用でき、現金不要で支払いが楽だったのも良かったです♪
その他に、以下も無料で開催されていて素晴らしかったです♪
↑福岡アジア文化賞受賞記念 キムスージャ展
↑展示内容
↑解説
↑福岡アジア文化賞の説明
↑キムスージャの解説
↑「如是我聞」鐘小敏現代アート展の展示物
↑上記の展示物
↑上記の展示物
↑上記の展示物
↑上記の展示物
↑上記の展示物
↑上記の解説
↑渓雪 墨の世界 with studentsの案内
↑書道家 渓雪の解説
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示(これらは中国では方角を表すとはなるほど)
↑上記の展示
↑Behind the humanityの案内
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の展示
↑上記の解説
↑上記の二宮佐和子さんの解説
この日は他にも以下が開催されていました。
・あじびレジデンスの部屋 2
「ミャンマーの美術作家たちはいま―アウンコー」
・2024星雲大師一筆字書道展
福岡市の「中洲川端駅」すぐのリバレインセンタービル7・8階にある福岡アジア美術館は、明るく広く綺麗な世界で初めて「アジアの近現代美術」に特化した美術館で展示もかなり充実しとてもオススメです!
かつて、東京とフランスのパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」は、福井県敦賀市の敦賀港を経由し、敦賀は日本でも有数の鉄道と港の町でした。
そのため、1999年に敦賀港開港100周年を記念して、敦賀市のイメージである「科学都市」「港」「駅」と敦賀市の将来像を重ね合わせて、JR敦賀駅前〜本町1丁目〜2丁目の氣比神宮までのシンボルロードのアーケード沿いに、松本零士氏の「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」のキャラクターのモニュメントが設置されていたので、それぞれ見てみました♪
↑モニュメントの案内
モニュメントにはそれぞれタイトルが付けられ、「港の町」「鉄道の町」を表現しているようです。
↑地図拡大
今回は氣比神宮の宇宙戦艦ヤマトのアナライザーから以下の順で楽しみました♪
↑アナライザー
↑英雄の丘
↑スターシャ
↑サーシャ
↑サーシャの最期
↑サーシャの最期
↑サーシャの最期
↑サーシャの最期の解説
↑スカルダートの罠
↑惑星デザリアム
↑雪とアルフォン
↑帰還
↑帰還拡大
↑信じ合う愛
↑細い雪を横から
↑佐渡酒造
↑佐渡酒造の説明
ただ、このモニュメントは私が知っている宇宙戦艦ヤマトとは若干違い、特に敵がガミラスやデスラー総統とは違うようでしたね。
しかしながら、アナライザーや佐渡先生は愛嬌があって嬉しく、また森雪の身体が細い!というのは素晴らしかったです(^_^)
そしてJR敦賀駅から銀河鉄道999を以下の順で楽しみました♪
最初の像にある白いボタンを何だろう?と思い押してみると、何と銀河鉄道999のゴダイゴのテーマソングがしかも3番の最後まで演奏されるとは驚きましたね♪
懐かしく、そして良いメロディで素晴らしいです♪
その演奏はこのリンク先のインスタでお聴き下さい♪
↑星野鉄郎とメーテル
↑星野鉄郎とメーテル
↑星野鉄郎とメーテル
↑銀河鉄道999
↑少年 星野鉄郎
↑少年 星野鉄郎
↑少年 星野鉄郎の説明
↑メーテルとの出会い
↑メーテルとの出会いの拡大
↑メーテルとの出会いの後ろから
↑母との記憶
↑ポケットパーク
↑ポケットパークの車掌さん拡大
↑ポケットパークの裏側
↑永遠の星の海へ
↑永遠の星の海への解説
↑ガラスのクレア
↑クレア拡大
↑エメラルダス
↑エメラルダス拡大
↑時間城
↑時間城説明
↑時間城の裏側
↑友の眠る星
↑友の眠る星の拡大
↑友の眠る星の説明
↑プロメジューム
↑プロメジュームの説明
↑限りある命の為の戦い
↑限りある命の為の戦い
↑別離
↑別離
↑別離
↑別離
↑別離
↑別離
↑青春の幻影
↑青春の幻影
↑青春の幻影
特に「メーテルとの出会い」のメーテル像は素晴らしすぎてヤバかったですね(^_^)
そして「別離」のメーテルと鉄郎が、ドアを前にして、それぞれの目線で別れを表現し、特に良かったと思います。
福井県敦賀市の敦賀シンボルロードの松本零士氏の「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」のキャラクターモニュメントは、「銀河鉄道999」のゴダイゴのテーマソングも聴けとてもオススメです!
福井県敦賀市の「人道の港 敦賀ムゼウム」へ平日の12:45頃にJR敦賀駅前で借りた電動レンタサイクルを利用して行って来ました♪
↑建物
このブログで紹介した金ヶ崎城跡の近くにあります。
敦賀港は明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点としての役割を担っていたことから、1920年代には700人以上のポーランド孤児、1940年代には「命のビザ」を携えた6,000人以上のユダヤ難民が上陸した日本の唯一の人道の港です。
この「敦賀ムゼウム」では、それら数々の苦難を乗り越えて敦賀に降り立ったポーランド孤児と、ユダヤ難民の史実を中心に、分かりやすい展示と、映像が提供されているもので素晴らしかったですね。
この日も、それら関係者らしき約30人の外国人客も見学に訪れていました。
この建物も、欧亜国際連絡列車が運行していた大正〜昭和初期にあった建物群(外観)を当時の位置に復元したものとは素晴らしいです。
↑建物の説明
「人道の港 敦賀ムゼウム」は、開館時間は9:00〜17:00で、大人500円、小学生以下300円でしたね。
↑案内
原則館内は撮影禁止だったのは残念でしたが、建物前にポーランド孤児やユダヤ難民が上陸した場所や、敦賀駅まで歩いたコース等の説明がありました。
↑上陸地点の解説
↑現在の地図
↑当時の地図
入館料を支払うと、パンフレットを頂けました♪
↑パンフレット表
↑パンフレット裏
また館内に入ると、それら敦賀港等や難民に関する本も置かれ、購入することができました。
↑本
それから無料のコインロッカー(100円玉を入れて荷物を入れ、荷物を取り出す際に100円が戻ってくる)が館内に入って奥の右側あり、荷物を預けて身軽に見学できたのは秀逸でしたね。
「人道の港 敦賀ムゼウム」は、以下の構成となっていました。
<1階>
・シアター(20分毎に約10分間、ポーランド孤児やユダヤ人難民について解説)
・通路横の壁に大陸への玄関「敦賀港」の説明
・ポーランド孤児の説明フロア
・ユダヤ難民の説明フロア
<2階>
・交流コーナー
・映像ライブラリー
・企画展示室(この日は緒方貞子展)
特に1階の説明フロアは内容が充実し、2階の映像ライブラリーは、孤児や難民本人たちや子孫たちの感謝のメッセージがたくさんかなりの時間紹介され、涙を流さずにはいられませんでしたね。
なお2階の交流コーナー等は写真撮影可能だったのは良かったです♪
ポーランドの民族衣装が展示され、ポーランド孤児やユダヤ難民たちや子孫たちのその後、交流の紹介などがありました。
↑ポーランド衣装
↑交流の紹介
また、イスラエル政府がホロコーストからユダヤ人を救った人々に顕彰する「諸国民の中の正義の人賞」では、2022年1月現在、合計28,217名が受賞していますが、日本人としては杉原千畝氏のみ受賞しているという掲示もありましたね。
↑受賞の解説
そしてポーランド孤児やユダヤ難民がウラジオストックから乗った船の模型もありましたね。
↑ポーランド孤児が乗船した船の模型
↑ユダヤ難民が乗船した船の模型
それから特別展は緒方貞子展で、その年表や、緒方貞子氏に関する著書があり、また2024年現在の難民やその救助活動に関する展示があるのは難民にかんする理解を深めることができ良かったです。
↑緒方貞子展
↑ごあいさつ
↑年表
↑フロア
↑著書
↑2024年現在の難民
↑2024年現在の難民救助活動
福井県敦賀市の「人道の港 敦賀ムゼウム」は、1920年代のポーランド孤児、1940年代のユダヤ難民受け入れについて資料が映像が充実し、改めて平和について考えさせられとてもオススメです!
日本三大松原の1つと言われる福井県敦賀市の「気比(けひ)の松原」へ、平日の12:20頃に、JR敦賀駅前で借りた電動レンタサイクルを利用して行って来ました♪
↑気比の松原入口
さすが、車が通る一般道の両脇から松だらけで、もちろん砂浜の海岸近くまで散策路も松原となっていて素晴らしかったですね♪
↑一般道
↑散策路
↑散策路
砂浜の先に青い海が広がっているのも良いです♪
↑海方向
↑砂浜の先の海
↑砂浜
この気比の松原は、wikiの説明によると、佐賀県唐津市の虹の松原、静岡県静岡市の三保の松原と共に、日本三大松原の一つとされ、1934年(昭和9年)に国の名勝に指定されています♪
また、若狭湾国定公園の一部であり、みなとオアシス敦賀の構成施設の一つでもあるようです。
この「気比の松原」は、『万葉集』や『日本書紀』で詠まれ、江戸時代後期の歌川広重『六十余州名所図会 越前 敦賀 気比ノ松原』でも紹介され、古くから知られる敦賀の景勝地とのことです。
また、「日本の白砂青松100選」「日本の名松100選」「日本の自然100選」「レクリエーションの森」に選定されていますね。
この「気比の松原」は、敦賀湾の奥に面し西側半分を占め、長さ約1.5km、広さ約34万平方mの松原で平均樹齢は約200年の約17,000本の赤松・黒松が並んでいます。
松原の中に地図がありました。
↑地図
日本の海岸の松林は黒松が多いが、気比松原では赤松が85%を占めているとは珍しいですね。
確か松茸は赤松で育ちますね。
普段は静かでひっそりとした場所ですが、夏は市営松原海水浴場として開放され、近畿や中京からの海水浴客で賑わい、また日本海一と自称する花火大会と併せて行われる灯籠流しの会場として賑わうようです。
冬は、雪化粧された松林と日本海の荒波とがあいまった壮麗な風景となるようです。
日本三大松原の1つと言われる福井県敦賀市の「気比の松原」は、かなり広大で赤松だけでなく砂浜や青い海も素晴らしく、とてもオススメです!
福井県敦賀市の金ヶ崎城跡へ平日の10:40位にJR敦賀駅前で借りた電動レンタサイクルで行って来ました♪
↑入口
↑金ヶ崎城の解説
金ヶ崎城とは、織田信長の朝倉攻めの際に、同盟を結んでいた北近江の浅井家に裏切られ、挟み撃ちに遭うことから退き陣となったことが有名ですね。
殿軍の豊臣秀吉や明智光秀が耐え、それを徳川家康が助けたとの逸話も残っています。
↑金ヶ崎の退き口の看板
金ヶ崎城は山城で、縁結びの神様で有名な金崎宮の左脇の桜並木の山道を登って月見御殿跡を目指しました♪
↑進む
↑金崎宮の鳥居
↑金崎宮の説明
↑地図
↑明智光秀関連の看板
↑金崎宮
すると、金ヶ崎城址の石碑もありましたね。
↑金ヶ崎城址の石碑
↑金ヶ崎城址の石碑
また緑あふれる山道を登って行くと、左側に敦賀市内が見えて来ました♪
↑敦賀市内
↑敦賀市内の説明
そして金ヶ崎の退き口の解説もあります♪
↑金ヶ崎の退き口の解説
更に山道を登り、途中左側に海を見ながら進みます♪
↑山道
↑左側に海
↑山道
↑山道
↑山道
すると、道しるべがあり、展海広場(月見御殿跡)へと進むと、10:50位にその広場に到着します♪
↑道しるべ
↑展海広場(月見御殿跡広場)
↑展海広場(月見御殿跡広場)
そこには金ヶ崎古戦場石碑もありましたね。
↑金ヶ崎古戦場石碑
また、明治42年に発見された古墳もあり驚きました。
確かに古墳のように土が盛り上がっています。
↑古墳
そして、奥に進むと敦賀湾が見える絶景が広がり素晴らしかったです♪
↑絶景方向
↑絶景
ここは標高86mあり、南北朝時代にはこの場所に本丸があったようです。
戦国時代にも武将がここで月見を楽しんだようです。
海方向の右側には大きな敦賀火力発電所が見えていましたね。
↑少し右
↑敦賀火力発電所(原発ではありません)
また、皇太子時代の大正天皇が訪れた明治42年の立派な石碑もありましたね。
↑石碑
↑石碑の裏側
そして、帰りも山道を通りますが、違うルートで金崎宮を目指します。
↑帰りの山道
南北朝時代の三の木戸跡(第3の関門)がありましたね。地名は水の手で、清水が湧き出ていたようです。
海に近いのに湧き水とは兵糧攻めに耐えられますね。
↑三の木戸跡の解説
↑三の木戸跡前の山道を下る
↑山道
すると焼米石出土跡がありましたね。
ここには戦国時代に米の兵糧庫があり、織田・朝倉の攻防戦で、落城の際に焼け落ち、その焼米が後で出土したようです。
↑焼米石出土跡
↑山道を下る
次に二の木跡(第2の関門)もありましたね。
南北朝時代にはここで激戦があったようです。
↑二の木跡の説明
そして道標があり金崎宮へ進みました♪
次回、時間がある時には、750m先の天筒展望広場へぜひ行きたいと思いましたね。
↑道しるべ
↑山道を下る
福井県敦賀市の金ヶ崎城跡は、戦国時代の織田信長の撤退戦の解説を学べ、また緑あふれる山道を気持ち良く進むと、敦賀湾の絶景が広がる展海広場(月見御殿跡)があり、とてもオススメです!
ぜひ春の桜の季節も伺ってみたいですね。
福井県敦賀(つるが)市のJR敦賀駅から徒歩約15分の氣比神宮(けひじんぐう)へ平日の午前10時頃に行って来ました♪
↑大鳥居
気比神宮は、北陸道総鎮守で、越前国一之宮の神社となります。
1300年以上の歴史を持ち、古事記や日本書紀にも掲載されるとは、日本の古代史と深い結び付きがあるようです。
現在も年間70万人も参拝する敦賀を代表する観光スポットとのことです。
ちなみに、神宮とは、天皇や皇室関係者を祀った格式高い神社とのことです。
明治神宮もそうですね。
↑氣比神宮の説明
入口の大鳥居はかなり大きくて立派で驚きましたね。
高さ11mを誇り、春日大社(奈良県)、厳島神社(広島県)と並ぶ「日本三大木造大鳥居」の1つとは素晴らしいです!
もちろん、この大鳥居は国指定重要文化財に指定されています。
↑大鳥居の説明
そして入って左側には長命水がありましたね。
↑長命水
↑長命水は亀の口から
長寿の神様が宿る湧水とのことで、大宝2年(702年)に神宮造営中に突然湧き出たとのことで、人気パワースポットとのことです。
もちろん美味しく頂きました!
↑長命水の説明
そしてそのまま進んで右側には、松尾芭蕉の像がありましたね。
↑松尾芭蕉
江戸時代の俳人「松尾芭蕉」は「奥の細道」の旅で敦賀を訪れ氣比神宮を参拝したようです。
中秋の名月を楽しむためだったのですが、当日は残念ながら雨で、ただ前日には月を楽しんだようです。
現在では日本百名月の地にこの氣比神宮が選ばれています。
↑松尾芭蕉の説明
↑日本百名月の地
そして本殿を参拝しました。
↑本殿入口
主祭神の伊奢沙別命(いざさわけのみこと)は食べ物を司る神様とのことでしたね。
海上交通や農漁法等とも関わりが深いようです。
↑本殿
それから、ここで頂いた氣比神宮の案内図や解説は分かりやすくて秀逸でしたね♪
しかも、裏面には氣比神宮の門前町「神楽町一丁目商店街」のオススメ商品の説明もあり、この後さっそく「中道源蔵茶舗のお濃茶パフェ」や「弥助寿司本舗のお鮨」を堪能し、「天清酒万寿店の酒まんじゅう等」を購入しました♪
↑気比神宮の案内図や解説
↑オススメ商品
また、一角には、「祝 北陸新幹線 東京〜敦賀開業記念パネル展」があり、敦賀や氣比神宮の歴史を学べたのは良かったです♪
↑パネル展全体
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
↑パネル展
それから大鳥居から入って左奥には土公(どこう)がありました。
旧北小学校のグラウンドにあり立入禁止となっていました。
↑土公の説明
↑土公
実は主祭神の伊奢沙別命が降り立った聖地(パワースポット)とのことで、平安時代には仏教の最澄や空海も訪れ、中国への航海の安全を祈ったようです。
福井県敦賀市の氣比神宮は、北陸道総鎮守で、越前国一之宮の神社で、大鳥居や長命水、土公があり、またパネル展で歴史も勉強できとても オススメです!
富山県立山の標高約2,400mの「みくりが池温泉」から、標高3,003mの雄山(立山)まで登山を9人で祝日に楽しみました♪
この日はあいにくの小雨模様で、朝7時頃出発します。
しばらくは整備された石畳の道を歩くこととなり、近くのミクニガ池を通り、しばらく歩くと、この日は小雨だったためか、雷鳥の鳴き声が聞こえ、午前8時頃には雷鳥を肉眼で見ることができましたね♪
↑石畳の道
↑雷鳥
絶滅危惧種の雷鳥に遭遇できるとはとても嬉しいです♪
そして午前8時頃に標高2,700mの「立山一の越山荘」に到着します♪
↑立山一の越山荘
この一の越にはトイレがありましたね。
↑トイレと山頂方面
そしてこれからは本格的なゴツゴツとした、しかも急な岩山の登山となります♪
雄山までの目安として、「一の越〜三の越〜五の越」とあり「五の越」が山頂でしたね。
午前9:20頃にちょうど半分の「三の越」に到着しました♪
↑三の越
↑山頂方面
この辺りからは特に高度があることから酸素が薄く感じ、ゼーハーゼーハーと息苦しくなってきましたね。
我々の一人は缶の酸素を時たま吸いながら、かなりゆっくりと進みます。
すると午前9:25くらいに、薄っすらと晴れ間が広がり、虹が見えたのには驚きましたね♪
素晴らしいです♪
↑虹
↑山頂を目指す
なお、上りは山頂方向右側の赤い表示に従い、下りは山頂方向左側の黄色の表示に従います。
そうすると、上りと下りは、すれ違わないので、スムーズに上りも下りも進めるのは秀逸でしたね♪
そして午前9:50頃に山頂近くに到着しました♪
すぐ右側に一等三角点(立山)もあります。
↑一等三角点等
この一等三角点は明治28年8月に設置されたもので、様々な測量の基準となるものです。
以下が書かれていましたね。
・北緯 36度34分21.2秒
・東経 137度37分02.9秒
・標高 2991.6m
↑一等三角点の表示
そして立山頂上雄山神社がありました。
↑神社
ここは日本三霊山の1つで、その他は富士山と白山とのことでしたね。
↑神社の説明
↑英語での神社の説明
この神社の先で700円を支払って、山頂を目指すことになります。
↑山頂方面
↑支払い窓口
↑入口
山頂へ行くには有料とは驚きましたが、山頂から降りた後に、この日は天候が悪かったので神社内でお祓いをして頂けました♪
700円はお祓い込みのお値段となります。
15分起きにお祓いがあるようで我々は午前10:15にお祓いをして頂きましたね。
なお晴れた時は、山頂でお祓いがされるようです。
そのため神主さんは、真っ黒に日焼けしていました。
このお祓いは7月から9月下旬までされるようでした。
山頂まで少し坂道が厳しい岩山を登ると、小さな木造建築物があり、その右側に雄山頂上(3,003m)の表示がありましたね♪
↑山頂を目指す
↑山頂を目指す
↑神社方面を振り返る
↑雄山頂上(3,003m)の表示
↑小さな建物
残念ながら小雨であまり景色はよくありませんでしたが、達成感はありました!
↑山頂の周り
富士山以外で標高3,000m以上の山への登山は初めてでしたね!
それから神社に戻ると、途中に立山山頂レピーター局(JR9VQ)がありました!
高い場所にアンテナがあり、無線通信ができるようです。
↑立山山頂レピーター局(JR9VQ)
↑立山山頂レピーター局(JR9VQ)の表示
そして午前10:15からしっかりとお祓いを受けました♪
清々しい気持ちになれましたね。
↑お祓い場所
またそこには分かりやすい地図と、目安時間がありましたね。
これは下山や更なる登山の参考になります!
↑地図
それから下山し、ミドリガ池やエンマ台(地獄谷展望台)へ寄って12:40頃には無事に「ミクリガ池温泉」に到着して、温泉を楽しみました♪
↑下山途中
↑ミドリガ池
↑ミドリガ池の表示
↑エンマ台(地獄谷展望台)
↑地獄谷
富山県立山の標高3,003mの雄山登山は、比較的道が整備され、途中で雷鳥に出会え、山頂ではお祓いも受けることができとてもオススメです!
次回は晴れた日に伺い、絶景を楽しみたいと思います♪