<金曜は本の紹介>
「ドキュメント秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの344日(竹内 明)」の購入はコチラ
この本は、スパイ・エージェント・スパイハンターなどと呼ばれる100人近くの人から8年という年月をかけて取材してつくられたノンフィクションです。
主に、日本人自衛官がロシアの情報機関員に「戦術概説」「将来の海上自衛隊通信のあり方」という文書を漏洩した事件について書かれた本です。
そのロシア人情報機関員の接触から情報漏洩までの具体的な状況だけでなく、スパイハンターたちの地道な行動と活躍、ゾルゲ事件から続く歴史など諜報戦について詳しく書かれた本です。
なかなか興味深く読める内容で、日本の実態を知る上でも、とてもオススメです!!
なお、週間ダイヤモンド(2009.6.20)p131の「櫻井よしこ」さんのコラムでも紹介されています。
以下はこの本の一部ポイントなどです。
・在日ロシア連邦大使館には「SVR(ロシア対外諜報庁)」や「GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)」の機関員が外交官のカバー(偽装)で駐在し、エスピオナージ(諜報)活動を行っている。彼らスパイと呼ばれる男たちの非公然、非合法な諜報活動の端緒をつかみ、事件化まで持ち込むのがスパイハンターの任務なのだ。
・オモテに所属する捜査員の任務は、ロシア大使館の情報機関員の公然視察だ。姿を隠すことなく対象に顔を晒して行確(行動確認)し、時には「インタビュー(直接尋問)」「強制追尾」もこなす。あるオモテ班員は、レストランで昼食を終えて出てきたロシア大使館員に接近し、「お前はGRUだな。俺たちはすべて知っているからな」とロシア語で耳打ちしたことがある。この大使館員はまったくあわてる素振りを見せず、ニヤッと笑って、「私はただの外交官ですよ。あなたこそ警察の秘密の部門にいるんでしょう?」と流暢な日本語で返した。双方の挑発的な態度で一触即発の険悪なムードが流れたが、オモテ班員は「この男は単なる外交官ではなくGRUだ」と確信した。笑顔で皮肉たっぷりの逆質問を返すなど、修羅場をくぐった情報機関員しかありえないからだ。こうしたオモテの「インタビュー」での相手の表情、発言といった反応は、すべてファイリングされ、記録として残される。
・信じがたいことのようだが、TSはラッシュ時にターミナル駅を乗降する人々、さまざまな方向から押し寄せてくる群衆の中から、情報機関員を引っかける(発見する)という職人技を持つ。機関員を発見次第、秘匿追尾を開始する。
・「デッド・ドロップ・コンタクト」とは木々が鬱蒼と茂る郊外の公園のベンチ下、通行量の少ない橋の下などをあらかじめエージェントに指定し、機密文書などを「投函」させる手法だ。ジュースの空き缶にマイクロフィルムを入れて地中に埋めたり、パッケージを穴に埋め込んだりといった手法も使われる。エージェントと物理的に接触せずに、機関員が機密文書を回収できるため、発覚しにくい。
・「フラッシュ・コンタクト」は雑踏の中で擦れ違いざまに機密文書を受け渡す手法で、こちらもロシアの情報機関員が得意とする独特の手法だ。
「GRU」とは、旧KGB(ソ連国家保安委員会)とライバル関係にあった諜報機関だ。その名のとおり、ロシア連邦軍の作戦指揮機能を持つ参謀本部一部局で、参謀総長を通じて国防省に直結している。ソ連時代から一貫して組織実態が明らかにされず、ロシア国内でも最も謎めいた組織のひとつである。内部はアメリカ、アジア、ヨーロッパなどエリア担当局に分かれているほか、工作局、電波諜報局、技術管理局など目的別の局が存在する。その局数は12、職員数は1万2千人といわれる巨大情報機関だ。GRUのターゲットは、対象国の軍事政策や軍備、戦術に加え、軍事転用可能な科学技術である。このためGRU東京駐在部では、自衛隊の組織や人事資料、艦船・戦闘機の導入や開発計画、通信や戦闘指揮システム、ハイテクミサイルのスペックをはじめ、宇宙工学、医学、薬学にまでその触手は及ぶ。最大の狙いは日本の同盟国アメリカの軍事機密であることは言うまでもない。
・東京・府中市の「多磨霊園」を訪れればGRUに遭遇することも可能かもしれない。毎年5月9日が近づくと、日本に駐在するGRU機関員たちが「英雄」のもとを訪れるからだ。リヒャルト・ゾルゲの墓である。日本のスパイ摘発史に昂然と名を刻むゾルゲは、GRUの前身となる赤軍第4本部に所属していた情報機関員で、ドイツの新聞社「フランクフルター・ツァイトゥング」の特派員というカバーで、エスピオナージ活動を行った伝説のイリーガルスパイである。ゾルゲは東京を拠点に、朝日新聞社で近衛文麿内閣のブレーンにもなる尾崎秀実らをエージェントとする国際諜報団を作り上げた。同時に、在日ドイツ大使館の特命全権大使オイゲン・オットに食い込み、大使顧問の立場も得た。ゾルゲがモスクワに打電した情報のうち、最も大きな功績として語り継がれているのが1941年の「日本軍は南進。ソ連攻撃の意思なし」という日本軍の極秘作戦に関するものだった。これを受けてソ連軍はソ満国境に集結させていた極東配備部隊を密かに西に向かわせ、ヨーロッパ戦線を増強、これがドイツ軍を打ち破ることに大きく貢献した。この打電のあと、1941年10月にゾルゲは警視庁特別高等警察(特高)部外事課ロシア班のスパイハンターたちによって逮捕された。ゾルゲがスパイハンターの足音が迫りくるのを感じながら、決死の覚悟で送った極秘情報のおかげで、ソ連は1945年5月8日にドイツを降伏させることができた。ロシアでは翌9日が勝利を記念する祝日となっている。
・こうしたゾルゲの墓前でのセレモニーは、第一次世界大戦でドイツ軍に対抗するための「赤軍」が組織されたことを記念する「祖国防衛の日(2月23日)」、ゾルゲの命日にあたる「ロシア革命記念日(11月7日)」にも行われる。年3回英雄ゾルゲの墓前で執り行われるGRU機関員の儀式を見ても、東西冷戦終了後、ロシアのスパイはいなくなったという考えは、おめでたい幻想であることがわかるだろう。
・「見当たり」と呼ばれるこのこの作業に取りかかると、ウラのスパイハンターたちはまず身長で群集を選別する。看板、柱の汚れなど、対象の身長と一致する高さの目印に、心の中で線を引き、この線に一致する者の顔だけをピックアップするのだ。そして彼らはピックアップした人間の「眼から鼻にかけての形状」を瞬時に確認する。どんな変装をしても、顔のこの部分だけは変わらない。さらにいえば、彼らは視線を走らせひとりひとりの顔を確認するのではない。乗降客の画像を目に焼き付けるのだ。しかも静止画にして切り取り、あたかも液晶画面のように眼底に残像を焼き付け、その中から対象を発見する。熟練したスパイハンターなら、一枚の「静止画」の中に20人から30人の集団が一度に映し出されても、零コンマ何秒で照合作業は可能だという。まさに職人芸である。
<目次>
読者の皆様へ
プロローグ
第1章 ゾルゲの亡霊
第2章 運命の狭間で・・・・・・
第3章 冷酷なるスパイの犠牲者
第4章 この国の真実
第5章 344日目の結末
エピローグ
あとがき
参考文献
面白かった本まとめ(2008年)
<今日の独り言>
大学から恩師の退官記念講演の記録冊子が送られて来ました。また文部科学大臣表彰も受けたようで、その中で、自分が在籍していたころが一番大変だったが楽しかったと書いてあったのがとても嬉しかったです^_^)
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この本は、スパイ・エージェント・スパイハンターなどと呼ばれる100人近くの人から8年という年月をかけて取材してつくられたノンフィクションです。
主に、日本人自衛官がロシアの情報機関員に「戦術概説」「将来の海上自衛隊通信のあり方」という文書を漏洩した事件について書かれた本です。
そのロシア人情報機関員の接触から情報漏洩までの具体的な状況だけでなく、スパイハンターたちの地道な行動と活躍、ゾルゲ事件から続く歴史など諜報戦について詳しく書かれた本です。
なかなか興味深く読める内容で、日本の実態を知る上でも、とてもオススメです!!
なお、週間ダイヤモンド(2009.6.20)p131の「櫻井よしこ」さんのコラムでも紹介されています。
以下はこの本の一部ポイントなどです。
・在日ロシア連邦大使館には「SVR(ロシア対外諜報庁)」や「GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)」の機関員が外交官のカバー(偽装)で駐在し、エスピオナージ(諜報)活動を行っている。彼らスパイと呼ばれる男たちの非公然、非合法な諜報活動の端緒をつかみ、事件化まで持ち込むのがスパイハンターの任務なのだ。
・オモテに所属する捜査員の任務は、ロシア大使館の情報機関員の公然視察だ。姿を隠すことなく対象に顔を晒して行確(行動確認)し、時には「インタビュー(直接尋問)」「強制追尾」もこなす。あるオモテ班員は、レストランで昼食を終えて出てきたロシア大使館員に接近し、「お前はGRUだな。俺たちはすべて知っているからな」とロシア語で耳打ちしたことがある。この大使館員はまったくあわてる素振りを見せず、ニヤッと笑って、「私はただの外交官ですよ。あなたこそ警察の秘密の部門にいるんでしょう?」と流暢な日本語で返した。双方の挑発的な態度で一触即発の険悪なムードが流れたが、オモテ班員は「この男は単なる外交官ではなくGRUだ」と確信した。笑顔で皮肉たっぷりの逆質問を返すなど、修羅場をくぐった情報機関員しかありえないからだ。こうしたオモテの「インタビュー」での相手の表情、発言といった反応は、すべてファイリングされ、記録として残される。
・信じがたいことのようだが、TSはラッシュ時にターミナル駅を乗降する人々、さまざまな方向から押し寄せてくる群衆の中から、情報機関員を引っかける(発見する)という職人技を持つ。機関員を発見次第、秘匿追尾を開始する。
・「デッド・ドロップ・コンタクト」とは木々が鬱蒼と茂る郊外の公園のベンチ下、通行量の少ない橋の下などをあらかじめエージェントに指定し、機密文書などを「投函」させる手法だ。ジュースの空き缶にマイクロフィルムを入れて地中に埋めたり、パッケージを穴に埋め込んだりといった手法も使われる。エージェントと物理的に接触せずに、機関員が機密文書を回収できるため、発覚しにくい。
・「フラッシュ・コンタクト」は雑踏の中で擦れ違いざまに機密文書を受け渡す手法で、こちらもロシアの情報機関員が得意とする独特の手法だ。
「GRU」とは、旧KGB(ソ連国家保安委員会)とライバル関係にあった諜報機関だ。その名のとおり、ロシア連邦軍の作戦指揮機能を持つ参謀本部一部局で、参謀総長を通じて国防省に直結している。ソ連時代から一貫して組織実態が明らかにされず、ロシア国内でも最も謎めいた組織のひとつである。内部はアメリカ、アジア、ヨーロッパなどエリア担当局に分かれているほか、工作局、電波諜報局、技術管理局など目的別の局が存在する。その局数は12、職員数は1万2千人といわれる巨大情報機関だ。GRUのターゲットは、対象国の軍事政策や軍備、戦術に加え、軍事転用可能な科学技術である。このためGRU東京駐在部では、自衛隊の組織や人事資料、艦船・戦闘機の導入や開発計画、通信や戦闘指揮システム、ハイテクミサイルのスペックをはじめ、宇宙工学、医学、薬学にまでその触手は及ぶ。最大の狙いは日本の同盟国アメリカの軍事機密であることは言うまでもない。
・東京・府中市の「多磨霊園」を訪れればGRUに遭遇することも可能かもしれない。毎年5月9日が近づくと、日本に駐在するGRU機関員たちが「英雄」のもとを訪れるからだ。リヒャルト・ゾルゲの墓である。日本のスパイ摘発史に昂然と名を刻むゾルゲは、GRUの前身となる赤軍第4本部に所属していた情報機関員で、ドイツの新聞社「フランクフルター・ツァイトゥング」の特派員というカバーで、エスピオナージ活動を行った伝説のイリーガルスパイである。ゾルゲは東京を拠点に、朝日新聞社で近衛文麿内閣のブレーンにもなる尾崎秀実らをエージェントとする国際諜報団を作り上げた。同時に、在日ドイツ大使館の特命全権大使オイゲン・オットに食い込み、大使顧問の立場も得た。ゾルゲがモスクワに打電した情報のうち、最も大きな功績として語り継がれているのが1941年の「日本軍は南進。ソ連攻撃の意思なし」という日本軍の極秘作戦に関するものだった。これを受けてソ連軍はソ満国境に集結させていた極東配備部隊を密かに西に向かわせ、ヨーロッパ戦線を増強、これがドイツ軍を打ち破ることに大きく貢献した。この打電のあと、1941年10月にゾルゲは警視庁特別高等警察(特高)部外事課ロシア班のスパイハンターたちによって逮捕された。ゾルゲがスパイハンターの足音が迫りくるのを感じながら、決死の覚悟で送った極秘情報のおかげで、ソ連は1945年5月8日にドイツを降伏させることができた。ロシアでは翌9日が勝利を記念する祝日となっている。
・こうしたゾルゲの墓前でのセレモニーは、第一次世界大戦でドイツ軍に対抗するための「赤軍」が組織されたことを記念する「祖国防衛の日(2月23日)」、ゾルゲの命日にあたる「ロシア革命記念日(11月7日)」にも行われる。年3回英雄ゾルゲの墓前で執り行われるGRU機関員の儀式を見ても、東西冷戦終了後、ロシアのスパイはいなくなったという考えは、おめでたい幻想であることがわかるだろう。
・「見当たり」と呼ばれるこのこの作業に取りかかると、ウラのスパイハンターたちはまず身長で群集を選別する。看板、柱の汚れなど、対象の身長と一致する高さの目印に、心の中で線を引き、この線に一致する者の顔だけをピックアップするのだ。そして彼らはピックアップした人間の「眼から鼻にかけての形状」を瞬時に確認する。どんな変装をしても、顔のこの部分だけは変わらない。さらにいえば、彼らは視線を走らせひとりひとりの顔を確認するのではない。乗降客の画像を目に焼き付けるのだ。しかも静止画にして切り取り、あたかも液晶画面のように眼底に残像を焼き付け、その中から対象を発見する。熟練したスパイハンターなら、一枚の「静止画」の中に20人から30人の集団が一度に映し出されても、零コンマ何秒で照合作業は可能だという。まさに職人芸である。
<目次>
読者の皆様へ
プロローグ
第1章 ゾルゲの亡霊
第2章 運命の狭間で・・・・・・
第3章 冷酷なるスパイの犠牲者
第4章 この国の真実
第5章 344日目の結末
エピローグ
あとがき
参考文献
面白かった本まとめ(2008年)
<今日の独り言>
大学から恩師の退官記念講演の記録冊子が送られて来ました。また文部科学大臣表彰も受けたようで、その中で、自分が在籍していたころが一番大変だったが楽しかったと書いてあったのがとても嬉しかったです^_^)