以前このブログで福岡県太宰府市の宝満山登山について紹介しましたが、今回その近くでの岩屋山(岩屋城跡)~四王寺山(大野城跡)~水瓶山登山がとても良かったので紹介したいと思います♪
その前に、整備が進む太宰府政庁跡や、令和の里である坂本神社にも行ってみました♪
今回は約6.4kmを3時間24分かけて歩き、登り362m、下り345mと、比較的登山初心者向けの歩きやすい行程となります♪
特に岩屋山(岩屋城跡)からの景色が想像以上に絶景でとてもオススメですね。
出発がやや遅れてしまいましたが、西鉄の都府楼前駅から平日9:51に出発しました♪
都府楼前駅は国道3号線の高架下にある小さな駅で、急行が停まる下大利駅と、特急が停まる二日市駅の間にあり、即位礼正殿の儀が執り行われた令和元年(2019年)10月22日に、副駅名として「令和の里」となっています♪
というのは、この後で詳しく紹介しますが、新元号「令和」発祥の地としての坂本八幡宮の最寄り駅であるためです。
↑都府楼前駅にある周辺案内図
都府楼前駅にある周辺地図を見ると、その坂本八幡宮やこれから向かう太宰府政庁跡の他に、筑前国分寺跡があり、今は福岡市が中心地ですが、昔はこの辺りが筑前の国の中心部であったことが分かります。
↑都府楼前駅
まずは都府楼前駅から約900m先にある太宰府政庁跡を目指します♪
この日は9月上旬で少々暑かったですが、車道の横の砂利道を歩き、青い空や白い雲の下で、木々の緑が美しくて素晴らしかったですね♪
↑砂利道
そして広大な太宰府政庁跡がありました♪
↑太宰府政庁跡
そしてその説明もあります。
古代、西海道と呼ばれた九州一円を統括していた太宰府は、外交・貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられ、その機構は中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していたようです。
発掘調査によると、7世紀後半に掘立柱建物が建てられ、8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備されますが、藤原純友の乱によって焼き討ちされ、その後10世紀後半には立派に再建されたようです。
その規模は平城・平安の都に次ぐ「天下の一都会」だったようです。
↑太宰府跡の説明
そして日本遺産にも選ばれていましたね。
↑太宰府跡
それから、この太宰府政庁跡の保存の歴史の説明がありました。
太宰府が繁栄を誇ったのは平安時代末頃(約900年前)までのようで、その後は実は田畑と化したようです。
ただ、昭和30年代ころから歴史的価値を持った貴重な遺跡として再び脚光を浴びるようになったようです。
↑太宰府政庁跡の保存の歴史
確かに昭和40年頃の写真を見ると田畑と民家がありますね。
↑昭和40年頃の写真
貴重な遺跡として脚光を浴びる状況の写真もあります。
↑当時の写真
そして近年では少しずつ整備されているようです。
↑最近の写真
それから、太宰府政庁南門跡に行きました♪
南門とは政庁の南に開かれた正門とのことです。
当時は赤いかなり立派な門で高さは18.2mほどあったようです。
↑太宰府永長南門跡の説明
↑南門跡
そして中門跡に進みます。
それにしても太宰府政庁跡はかなり広大です。
↑中門跡
↑周り
↑周り
そして大きな石碑が3つありましたね。
↑石碑
そして南門の方へ振り返ってみました。
改めて広大さを実感します。
↑北側から南門方面
そして側道を通って登山へ進みます。
当時も排水路があったのでしょうか。
↑側道
そして10:20頃に坂本八幡神社に到着しました。
↑坂本八幡神社等の道案内
坂本八幡宮には「令和の里」の幟がたくさんありましたね。
↑坂本神社入口
↑鳥居
そして坂本八幡宮の縁起の説明もあります。
応神天皇が御祭神のようです。
↑縁起
↑坂本八幡宮
それからお守りが売られていましたが、「令和」の典拠となった万葉集「梅花の宴」についても書かれていましたね。
↑お守り
そして「令和」発祥の地として石碑もあり、「令和」の典拠となった万葉集の「梅花の歌」を読むこともできます。
↑石碑
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」
なるほどこれに「令」と「和」がありますね♪
調べると、現代語訳は以下とのことです♪
新春の好き月、空気は美しく風は柔らかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如き香りを漂わせている
令和には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められているようです。
そして登山に向かいますが、途中には梅展示林がありましたね♪
さすがこの梅林は良さそうです♪
令和を記念して整備されたようです。
↑梅展示林
そして市民の森を通って、岩屋城跡のある岩屋山を目指します。
↑市民の森
↑市民の森の案内図
すると10:50くらいで、岩屋城跡まで0.9kmでした♪
↑道しるべ
ゆるやかな緑多い山道を進みます♪
↑山道
↑山道
そしてまずは、高橋紹運や家臣らのお墓がありました。
高橋紹運は大友宗麟配下で、この岩屋城主でしたが、1586年(天正14年)に九州制覇を目指す島津5万の大軍を迎え撃ち、激戦十余日、豊臣秀吉の援軍到着を待たず玉砕し落城したとのことです。
手を合わせて祈ります。
↑高橋紹運や家臣のお墓
↑岩屋城跡の案内
そして11:20頃に岩屋山頂(標高281m)に到着ですが、飛行機がゆっくりふわりと福岡空港に着陸していましたね♪
飛行機の実際の速度は速いのでしょうが、この遠い山頂からだと、かなりゆっくり着陸しているように見えます。
それにしても素晴らしい景色です♪
↑飛行機の着陸
それから大きな岩屋城址の石碑もあります。
これは昭和30年(1955年)に高橋紹運の家臣の子孫が建てたようです。
↑岩屋城址の石碑
そしてここからの景色が抜群に良く、とても感動しましたね。
↑岩屋山山頂からの景色
久留米方面に遠く見える山は耳納連山とのことです。
小学生の頃はその耳納連山近くに住んでいましたので懐かしいです♪
↑岩屋山山頂からの久留米方面の景色
↑山頂からの景色の案内
先ほど訪れた太宰府政庁跡も良く見えましたね♪
↑太宰府政庁跡
岩屋山頂はさすが本丸があっただけはあり、かなり広かったですね。
↑岩屋山頂
そして、次なる山を目指し山道を歩きます♪
↑山道
戦国時代に馬を訓練していた「馬責め」という場所もありましたね♪
↑馬責めの説明
そして何かの建物の礎石が発掘されていたようですね。
大野城の一部でしょうか。
↑建物の礎石
当時は大野城の高床建物(倉庫)があったようです。
↑増長天地区の説明
そして11:50頃に県民の森に入りました♪
子どもの国もあるとは知りませんでしたね^_^;)
↑県民の森の案内図
この辺りは大野城跡とのことです。
この四王寺山の一帯には、西暦665年に築かれた朝鮮式山城の大野城があり、土や石の城壁を巡らし、その中に少なくとも約70棟の建物跡が見つかっていて、そのほとんどが高床の倉庫のようです。
当時朝鮮半島では「百済と日本」の連合軍が、「新羅と唐」の軍に大敗するという白村江の戦いがあり、その「新羅と唐」の侵攻を恐れた日本が九州北部を中心に防衛網を築きますが、その一つがこの大野城だったようです。
↑大野城跡の説明
またこの大野城跡も日本遺産に選ばれていましたね。
↑日本遺産の説明
この辺りからの景色も素晴らしいです♪
↑景色
立派な土手もあり、これは城壁の一部だったのでしょうか。
↑土手
この辺りからの景色も素晴らしく、太宰府の九州国立博物館も見えていましたね♪
↑九州国立博物館など
そして広い野原に進みます♪
↑広い野原
この辺りは「焼米ヶ原」と呼ばれるようです。
↑焼米ヶ腹の説明
そして、右に曲がると水瓶山ですが、もう少し山頂を目指すため、曲がらずにまっすぐ進みます。
↑道しるべ
すると9月上旬なので、栗がたくさん収穫期を迎えていました♪
↑栗の木
木の上でもイガが開いていて栗が取れやすくなっていましたね♪
↑拾った栗
それから、この辺りは四王寺33ヶ所霊場もあり、第10番目の観音様の石仏もありましたね。
その他にも石仏はいくつか見かけました。
↑石仏
そして12:10頃に遠見所があり、恐らくこの辺りが一番標高が高いようです。
↑遠見所
そして来た道を戻って、先ほどの道しるべのところを左に曲がり、水瓶山を目指します♪
↑山道を下る
12:30頃に道しるべがあり、目指す水瓶山まであと450mです。
↑道しるべ
木々の緑が多い山道を下ります♪
↑木々の緑
↑木々の緑
そして12:50頃に水瓶山に到着しました♪
屋根がある休憩所もあります。
↑水瓶山の休憩所
標高は212mでしょうか。
↑水瓶山頂の立て札
ここでは雨乞いが行われていたので水瓶山なのでしょうか。
その史跡が残っていましたね。
13世紀から戦前まで雨乞い行事が行われたとは驚きです。
↑雨乞い史跡の説明
この辺りからも、九州国立博物館が綺麗に見えていましたね♪
↑九州国立博物館等
そして今回の登山で一番の山場がありましたね♪
ひもに摑まってゆっくり下ります。
↑山場
そして赤い鳥居があり、平地に戻りつつあります。
↑鳥居
ダムがあるのには驚きましたね♪
↑ダム
多少の水場があり、その上を歩いて行きます。
↑水場
そして13:16頃に太宰府市街地に到着しました♪
太宰府天満宮まで700mの地点です。
↑太宰府市街地
↑周りの道路
今回の山登りのルートは以下となります♪
下りが結構急でしたね。
帰りはお腹が減って、そしてランチの時間が終わりそうで急ぎました♪
↑今回のルートなど
↑今回の距離など
結局約6.4kmを3時間24分で歩き、昇りは362mで、下りは345mで、初心者向けの優しい登山コースだったと思います♪
しかしそれ以上に岩屋城跡からの景色は素晴らしかったですね♪
とてもオススメですね!
その後、次のブログで紹介しますが、太宰府天満宮の表参道にある隈研吾氏設計の素晴らしい木材で組み立てられたスタバでランチをして、天満宮で参拝しました♪
その太宰府天満宮の様子を紹介しますね♪
↑太鼓橋や池
↑太鼓橋から本殿方向
↑本殿
水おみくじが流行っていましたね。
おみくじを水に浸すと文字が浮かび上がって読めるようでした。
天満宮でおなじみの御神牛もあります♪
↑御神牛
太宰府天満宮の由緒は以下ですね♪
菅原道真公を祀ります♪
↑太宰府天満宮由緒
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