A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

グイーン@渋谷O-East 2011.5.2(mon)

2011年05月04日 01時40分35秒 | こんな音楽も聴くんです
年2回の恒例クイーンのトリビュート・バンド「グイーン」のリサイタル。今年は本家クイーンのデビュー40周年/グイーンの結成20周年にあたるとのことで「Q40G20」というサブ・タイトル。

会場は先日行った「クイーン&Music Life展」同様、40,50代の元ロック少女中心に同窓会的な和気あいあいとした雰囲気。整理番号が一桁だったのでステージ真ん前で鑑賞。

私がクイーンを知ったのは中学2年生の頃だと思う。ラジカセ・ブームで洋楽番組をエアチェックし始め、レコード屋へ通い出した1976年頃。最初に買った音楽雑誌はテッド・ニュージェントが表紙のミュージック・ライフ。1976年はキッスが「地獄の軍団」を、エアロスミスが「ロックス」をリリースした年で、キッス、エアロスミス、エンジェル、ベイ・シティ・ローラーズなどが有望新人として大きくプッシュされていた。クイーンやディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなどは既に大物として君臨していた。どちらかというと私より一世代上のロック・ファンのアイドルだったと思う。以前も書いたがその頃金沢に住んでいた私は香林坊の山蓄というレコード店にロックのフィルム・コンサートを観に行った。そこでクイーンの動く姿を初めて目にしたのである。ギターが凄くうまいバンドだな、と思ったくらいで、その日の印象はディープ・パープルのリッチー・ブラックモアのギター破壊の衝撃に持っていかれた。その後パンクに走った私はクイーンをまともに聴くことはなかった。

実は私はクイーンのメンバー3人に会ったことがある。フレディ・マーキュリーがオペラ歌手のモンセラート・カヴァリエとデュエット・アルバム「バルセロナ」をリリースした1988年ロンドン出張中にアルバム発売記念パーティーに出席したのだ。そこにはロジャー・テイラーも来ていた。フレディにLPにサインを貰った。最近探したらそのお宝LPはどこへ行ったのか見つからないのだが・・・涙。
ブライアン・メイとは1990年代半ばソロ来日時に中野サンプラザの楽屋で挨拶させていただいた。

このように深からぬ縁のあるクイーンだが、未だにきちんと聴いたことがない。コピー・バンドのグイーンを通してクイーンの曲を体験している始末である。それだけにグイーンのリサイタルは私にとって実は結構楽しみなのである。「普通のロック」の世界と繋がる唯一の動脈のようなものだ。

さてこの日のライヴは前座にメンバーのフレディ波多江氏&スパイク山田氏によるプロジェクト「アリズ」が登場、アリスの物まねで会場を沸かせた。実際波多江氏は谷村新司さんに似ていて笑える。

本編はリマスターCDの発売に合わせて初期3枚のアルバムからの曲を中心に演奏。「キラー・クイーン」「サムバディ・トゥ・ラヴ」など知っている曲もあるが多くが複雑な構成のプログレ風のナンバーである。クイーン本体も難しくてやりたがらなかった曲に敢て挑戦した、と波多江氏。前半はそういったマニアックな選曲でクイーン上級者を唸らせ、後半はヒット曲で会場全体を盛り上げる。いい歳をした女性達が手を振り上げて唱和する姿にパワーをもらった。

グイーンは
本家を軽く
超えている?

40周年の今年は少し真面目にクイーンを聴いてみようか、ジェームス・チャンスを流しながらそう思った。

コメント
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