90年代~00年代前半にかけてコンピレーション・アルバムのブームがあった。「NOW」「HITS」「MAX」といったヒット曲系、「That's Eurobeat」「SUPER EUROBEAT」「JULIANA'S TOKYO」といったダンス系、「feel」「image」といった癒し系、他にもCMソング、バラード、カフェミュージック、パンク、トリビュート等様々なテーマで編成したコンピがリリースされ、中には100万枚近い大ヒットを記録するものもあった。着うたや配信やYou Tubeのない時代、好きな曲はあるけどアルバムを買うほど好きではない、という多くのリスナーにとってコンピレーションは最適だった。レーベルを超えた選曲を売りにしたCDも多かった。
しかしCDが売れないと言われる現在、コンピ市場はほぼ消滅したといっていい。YouTubeにはヒット曲や特定のテーマで選曲した再生リストが無数にあるし、好きな曲をお気に入り登録すれば自分だけのコンピが簡単に作れる。10年前もてはやされたコンピ盤は、CD墓場ブッコフ¥250コーナーでも売れず、産廃処理される運命を辿る。
そんなコンピ氷河期に敢てコンピ企画を提案したい。まさに今やるしかない旬の企画である。恐らく実現へ向けて動き出したレコード会社もあるだろうから、いち早くリリースした方がいい。
<コンピレーション企画>
「あまコンピ」シリーズ
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」が視聴率20%超えの驚異的人気。特に40~50代男性に人気が高い。この年代はCD全盛期に育ちコンピ・ブームに踊った世代で、CD離れが進む若年者層に比べ、所有欲が高く、CDやアナログ盤の中心的な購買層である。さらに劇中で使用される80年代歌謡曲やポップスは勿論、スカビートのテーマ曲などオリジナルサントラ音楽の人気も高く、音楽ファンの掘り起こし効果も見られる。今年の流行語大賞候補No.1「じぇじぇじぇ」をはじめ、社会現象的な話題になっている。
音楽業界もこのブームに便乗しない手はない。ただし相手は公共放送のNHK。表立ってタイアップは不可能。また音楽担当の大友良英はあまちゃんの楽曲が政治や営利目的に使われるのをとても嫌っている。
そこで考えたのが、海女ちゃんではなく「尼さん」のあまコンピ。シリーズ監修は瀬戸内寂聴に依頼する。何故寂聴か、と問われれば、今年のFREEDOMMUNE 0<ZERO>ONE THOUSAND 2013に出演し、Penny Rimbaud(co-founder of CRASS)や大友良英やボアダムズや灰野敬二と対バンするから。萩原健一や辻仁成といったミュージシャン出身者とも付き合いがあるから、音楽に造形が深いに違いない。
ただしジャケットに寂聴の写真を使うと余りに説法臭くなるので、若くかわいい尼さんを起用し、海でフォトセッションをおこなう。法衣で海に入り頭に手ぬぐいを巻けば、天野アキ(能年玲奈)と区別がつくまい。騙しっぽいが、間違いなく本物の尼さんなので問題ない。
シリーズ中、最も力を入れるのは「あまノイズ」である。実はこのシリーズの肝がこの商品なのである。というのは「あまノイズ」に大友良英を参加させて仲間に取り込むことで、便乗商法だと文句を言えないようにするため。さらに「あま階段」を結成すれば、例のイントロの触りだけでも使わせてくれるかもしれない。ちなみにあま階段は潮騒のメモリーズ+非常階段ではなく、瀬戸内寂聴+マル非なのでお間違いなきよう。
このご時世に宣伝制作費はほとんどゼロに近いと思われるので、あまノイズさえちゃんと出来れば、残りの「あまアイドル」「あま歌謡」「あまフォーク」「あまクラシック」「あまジャズ」の選曲に神経を使う必要はない。聴きやすく当たり障りがない、できれば著作権切れの楽曲を適当に繋げばOK。要はあまコンピという体裁さえ整えれば内容はどうでも...というと語弊があるが、まあ気軽に聴ければいいのである。「あまノイズ」以外の購買ターゲットは音楽マニアではなくあまちゃんファンのおっさんとその家族なのであるから。
ここまで考えて、「尼」じゃなくて「甘」でいいじゃないか、ということに気がついた。あま=甘なら瀬戸内寂聴を担ぎ出して高い監修料を払う必要はない。「甘ソウル(Sweet Soul Music)」という商品も増える。さらに甘味業界とタイアップすれば、そこそこの協賛金と販促用試供品が手に入るかもしれない。大きな売り上げは望めないだろうが、損をすることはあるまい。この不況の折にナイス企画だと思うが如何だろうか。唯一のリスクはあまちゃんファンの文化人(とても多い)から総スカンを喰うだろう、ということだけ。
▼次回はお座敷ノイズ電車をやってケロ。
同じ便乗するなら、後追いよりも先駆けでありたい。
便乗は
業界の常
気にしない
なお「あまロック」がないのは、このアルバムに敬意を表するからである。