下山(GEZAN)/ 青葉市子 / テニスコーツ / メルツバウ
BUG ME TENDER vol.8 ~8月のメフィストと~
これまで、関西NO WAVE即興シーン、静岡NOISE&PSYCHE、ご当地アイドル、ご当地JAZZなどローカル音楽シーンに興味を持ってきたが、もちろん大都市の音楽が面白くないわけではない。ただ、90年代にTOKYO FLASHBACKやTASTE OF WILD WEST等で注目を浴びた都市型アンダーグラウンド・シーンが、21世紀に入り徐々に分裂・解体・再構築され、同時にインターネットとSNSの隆盛により誰もが情報を共有できるようになったことにより、都市地下文化のダムが決壊し秘伝エキスが流出したことで、地上も地下もアウトドアもインドアもあらゆる文化分野がどこでもドアで繋がったかの如く差異がなくなってしまったのは確か。大都市に住む限り、ちょっとしたことでは人々の関心を惹きつけられないし、個性を発揮するのも難しい。
そんな東京に敢えて乗り込んだ下山(Gezan)の挑戦が1年経過して渋谷WWWに結実した。マヒトゥ・ザ・ピーポーは「東京へ出て来て1年経ったけど、全く分からない。なーんにも分からない。」と語るが、実際はいろいろ得るものがあったことは、対バンを含めたこの日のパフォーマンスで明らかだった。テニスコーツと青葉市子というアコースティック系アーティストを選んだことは、パフォーマンスの過激さや音のでかさだけが「強さ」ではない、という宣言だし、対極にあるメルツバウの爆音ノイズの中にも「やさしさ」が溢れている、という真理も明らかにされた。まさに下山(Gezan)の表現行為のベクトルを如実に表す布陣である。
●テニスコーツ
さやと植野隆司の二人組テニスコーツは90年代終わりに活動を開始したらしいから、すでに15年近い歴史を持つ。ロケンローなら初期衝動というべき"始まりの予感"がまったく色褪せないどころか、歳を重ねるに従いワクワク感が増しているのに驚く。というかそれを感じさせないさりげなさが身上。そよ風のような存在の軽さゆえに、現代カオス状態の世の中で際立つ。最小限の音と言葉による強靭なやさしさの萌出に全身が浄化される。ゲストで出演した幼女が青葉市子と紹介され虚を突かれた。
●メルツバウ
メルツバウのライヴは何度も観ているが、この日は初体験ともいえる濃厚な世界に圧倒された。大きな会場ということもあるだろうが、秋田昌美の「気」の状態が極限レベルに沸騰していたのではなかろうか。2週間前にBiS階段がノイズカオスに陥れたWWWを再度音響の暴力が襲う。テニスコーツが濾過した透明な空気の中を、最大限に圧縮された電子音塊の粒子が摩擦なく飛び交う。無数の音魂に全身を包まれて、意識は200メートル頭上に浮遊する。
●青葉市子
タワレコで『青葉市子と妖精たち』というCDがプッシュされていて気になった女性シンガー。細野晴臣、坂本龍一、小山田圭吾、U-zhaanとのセッションというから只者ではないな、と想像していたら、童顔に似合わずしなやかでしっかりした歌に、惚れ惚れしてしまった。マヒトと踊ってばかりの国の下津光史がコーラス参加した1曲目でメルツバウの残響の埃を洗浄し、清涼な飛沫を散布する。テニスコーツの無垢なエーテルとは違い、醸成された匠の技ともいえる至福空間が現出した。絶叫系の大森靖子とはタイプが違うが、今面白いのはアイドルとフォーキーである、という持論に間違いがないことを確認した。
●下山(Gezan)
首謀者下山(Gezan)のステージ。メロコアを騙った前回の洒脱さはなく、とことん真摯にこの場を彩ろうという覚悟が伺える。4人のメンバーそれぞれがキレまくったステージングのテンションはハンパなく高い。メランコリックな弾き語りが一瞬にして殺戮ハードポアに切り替わるスイッチングの妙。広いステージを切り裂くように飛び回るマヒトの姿がスローモーションで浮き上がる。空間と時間を切り刻み、肉体と精神をとことん追い詰めることでしか到達できない別次元の境地、そこに向かって破裂し疾走し続ける4つの身体。その美しさは何者にも代え難い。1年間の想いが高速回転する結晶体に変わった。
下山(Gezan)インタビュー(Rooftop2013年1月号)⇒コチラ
各アーティストが自らの表現の究極型を体現したこと、最後のパートでそれぞれ下山(Gezan)とコラボした後、全員で「Ahhhh」と謳う壮絶なテンダネスを詳らかにする大団円を迎えたことで、出演者と観客全員が山を下りて、次の千年紀へと旅立つ準備が完了したと言えよう。
限界を
突き抜けて
やさしくバグって
大都市に棲むエクストリームな奴らの饗宴。これはひとつのローカル・シーンといえるのではなかろうか?