竹田賢一『地表に蠢く音楽ども』刊行記念トーク&ライヴ
アンダーグラウンド音楽シーンに絶大な影響を与えてきた稀有なイデオローグ/オルガナイザー、竹田賢一待望の初評論集『地表に蠢く音楽ども』(月曜社)を記念したトーク&ライヴ!!!!!!!!
【出演】竹田賢一、平井玄、中原昌也、チヨズ
竹田賢一の名前を知ったのはいつだっただろうか。70年代末に吉祥寺のライヴハウスやレコード屋に出入りしていた頃に目にしたチラシかもしれないし、ピナコテカレコードからリリースされたLP『愛欲人民十時劇場』かもしれないし「Fool's Mate」や「Marquee Moon」といった雑誌や「Player」誌の連載「Pipco's」の記事中かもしれない。いずれにせよ、最初の認識では竹田は大正琴奏者だった。音程を無視した耳に突き刺さるハイピッチな音色は、白石民夫のサックスのフリークトーンや灰野敬二の轟音ギターと喘ぎ声や山崎春美の痙攣パフォーマンスと共に、当時の地下音楽の代名詞だった。1983年のA-MusikのデビューLPの解説書に竹田が書いたライナー/プロパガンダを読んで、彼が優れた著作家・思想家であることを知った。当時吉祥寺や高円寺界隈のライヴハウスやレコード店やカフェで配られたミニコミやフリーペーパーには、佐藤隆史、山崎春美、工藤冬里、科伏(T.坂口)、荒俣宏、霜田誠二、八木康夫、大里俊晴などと並んで竹田の名前があった。概ね虚偽妄言ばかりの文章の掃き溜めの中に、ただひとり竹田だけは(晦渋な漢字熟語を気にしなければ)極めて理路整然とした論考を綴っていた。ジャズやインプロやプログレに関する博学ぶりを惜しみなく開示しつつ、80年代の音楽状況論を現場から語る竹田は、濃い顎髭と鋭い眼光が相まって、マイナー音楽の守護神的な存在感があった。
竹田が1975年~1990年にかけて雑誌やレコード解説などに発表した60編余りの評論が『地表に蠢く音楽ども』として500ページの書籍にまとめられた。鞄に入れて通勤途中で読むには些か重過ぎる。取り上げられた音楽とレコードは昭和末期を彩る先鋭的な作品ばかりで、当時の自覚的な音楽リスナーにとっては、他の誰よりも音楽聴取の手引きになったと言われることも多い。まさに80年代地下音楽の旅先案内人だったことが判る。出版を記念したトークイベントが渋谷Last Waltzで開催された。前夜のライヴイベントに比べて驚く程の動員で満席。Last Waltzのオーナーも参ったという顔をしていた。
●チヨズ
トークが先と思っていたら、第五列のGESOこと藤本和男率いるチヨズの演奏から始まった。基本的には歌謡曲やテレビ主題歌を即興演奏でカバーするバンド。非在主義者の空想的連合体の第五列からの派生ユニットなので、似てるとか上手いという基準は無意味。ヘタウマとも破壊とも異なる、カバーでもオマージュでもない曰く言い難い演奏は、80年代の混沌を現代に継承している。後半ゲストに竹田を迎えて非力オーラ全開の演奏を聴かせた。
●トーク:平井玄+竹田賢一+中原昌也
思想系・音楽文化論系フリーターを自称する評論家、平井玄と90年代以降のサブカルを代表する音楽家・著作家、中原昌也とのトーク。7-80年代竹田と平井は共闘し、時代を先取りする文化論を展開した。その頃の想い出から、現代に至る竹田の歩みを語る。決して話術巧みではない竹田の一言一言考えながらの朴訥とした語り口は、大正琴という不器用な楽器同様の独特のテンポ感を持つ。中原の毎度の下げトークと相まって、放送事故ギリギリのスリリングな時間を産み出した。
●竹田賢一+中原昌也/竹田賢一SOLO
中原の演奏を聴けるとは予期していなかったので嬉しい驚き。2,3年前からライヴを辞めたい、と言っている中原は、毎年6月4日の誕生日には六本木スーデラで「お誕生会」を開催し、ミュージシャン仲間と共に演奏を繰り広げる。床屋で勝手に切られたという短髪姿は15歳若返ったかのよう。機材をかなり売り払ってしまい、福岡から帰ったばかりで寝不足だと言うが、久々に観る演奏は感慨深い。機材が減っても豊富なアイデアを音像化する才能は変わっていない。初共演のふたりのセッションは、ジャンクなエレクトロノイズの渦を切り裂く大正琴が見事な親和性を見せた。
20分の中原との共演に続き竹田のソロ。キーンという高音が耳に刺さる感覚は、1980年に初めて演奏を聴いた時そのままだった。当時学生運動的なイベントで大音量で演奏し、余りの騒音に警察沙汰になりかけたという逸話もある。
大著『地表に蠢く音楽ども』は是非とも購入し、ゆっくりと読み解いていただきたい。
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地表へと
蠢き出した
幼虫の危機
山崎春美の著作集『天國のをりものが』が8月末刊行予定。