A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

山崎春美『天國のをりものが』出版記念トークショー @渋谷UPLINK FACTORY 2013.8.28(wed)

2013年08月30日 00時59分23秒 | 書物について

(写真の撮影・掲載については主催者の許可を得ています。以下同)

山崎春美の覆水盆に返らず
祝・単行本初出版!!!『天國のをりものが』

出演:山崎春美、野々村文宏、ECD
司会:畠中実(ICC)

70年代後半、彗星のように現れた天才、山崎春美。阿木譲の『ロック・マガジン』でデビュー、松岡正剛の「工作舎」へ入塾、吉祥寺マイナー、伝説のバンド「ガセネタ」と「タコ」、自販機本『JAM』『HEAVEN』、山口百恵ゴミ漁り?、1stアルバムが同和問題で自主回収、自殺未遂ライヴ、天国注射の昼、鈴木いづみとのベッド・イン・インタビューなど……数々の《事件》を起こし、禍々しい煌めきでカルチャー・シーンに火を放った。その《伝説の人物》が、2013年夏、55歳を目前に、これまで書き紡がれた原稿を自選した集大成本『天國のをりものが』(河出書房新社)を、満を持して出版。70年代後半の劇団時代を共にしたECDと、80年代『HEAVEN』編集部を共にした野々村文宏を迎えて、過去の《言い訳》に終始する一夜!



竹田賢一に続き、80年代サブカルチャーのトレンドセッター、山崎春美の著作集が出版された。ここ数年過去音源や音楽活動再開により、パフォーマー/(非)ミュージシャンの面がクローズアップされてきたが、実際の山崎の影響力はむしろ秀逸なライター兼編集者という部分が大きかった。初めて彼の文章に触れたのがいつどこだったか覚えていないが、「宝島」「Fool’s Mate」等のサブカル誌で数多くの文章を読んだはずだ。山崎がメインで参加し編集長も務めた「Jam」「HEAVEN」は読んだことはないと思うが、名前だけは他誌や他ライターの文中に度々登場したので馴染みがある。タイトルの”天國”とは”HEAVEN”を意味し、昔馴染みのデザイナー羽良多平吉により「HEAVEN」 創刊号と同じ写真をあしらった装丁で、当時の空気をヴィヴィッドに伝えている。読み進むうちに、多感な頃の自分を追体験するような気持ちに捕らわれた。すっかり忘れていた同級生の顔を思い出すように拡がる記憶のパノラマ。はっきり言って饒舌な文章の大部分は空虚なロジックと無(非)意味なレトリックの垂れ流しだが、(非)芸術的な美意識に貫かれた流麗な文体が読む者の心を捉えて離さない。マインドコントロールに似た魔性の罠である。30余年前に山崎の罠に心惑わされた者が如何に多いことか。

天國のをりものが:山崎春美著作集1976-2013』発刊を祝って幾つかのイベントが開催される。この日は『HEAVEN』時代の編集パートナー、野々村文宏と当時から付き合いの深いラッパーのECDとのトークショー。アップリンクは予約で満員になる盛況ぶりだったが、JOJO広重のイベントとは異なり、90%男性で年配者の多い客層。騙されても欺かれても教祖に忠誠を誓う信者の群れの如し。かく言う私も亡者のひとり。かつての盟友の晴れ舞台を祝うため、伊藤桂司、近藤十四郎、羽良多平吉等編集・デザイン・出版繋がりの猛者も顔を揃える。



30年以上も昔の記憶を辿ると往々にして忘却の罠に陥りがちだが、三人共に驚くほど鮮明な記憶力を備えている。文章や言葉を生業とする者は、そうじゃない者より頭脳の箪笥が整理されているらしい。ECDは別として、メインふたりと進行役の畠中実は「活字の人」という印象を受けた。音楽・美術人に比べ事実関係やディテールへの拘りが強い。ガセネタやタコに於ける機関銃のような歌の迸りは、活字の行間に生きる男の性だろう。空白を埋めることへの強迫観念が無(非)意味な言葉の羅列を産み、痙攣・自虐パフォーマンスはパトスを言葉に出来ないもどかしさから生まれたのかもしれない。被害者妄想にも似た自嘲癖と露悪趣味。それが輝やいて見えた時代の空気。自ら好んで巻き込まれたメディアの寵児たち。自販機本を舞台にした表現の自由がカオスを助長した。



面白かったのは、一蓮托生に見える吉祥寺マイナー周辺人脈に派閥?があったという事実。左に白石民夫&工藤冬里(うごめく)、右に灰野敬二&ガセネタ(けはい)、どこでもないところに光束夜=金子寿徳&ミック&成田宗弘(きず)。三者が協働したしたのがマイナーのキャッチフレーズ「うごめく・けはい・きず」。






地下文化
自販機文化
携帯文化

『天國のをりものが』が主に俯瞰するのは1976~1983年。その時代を生きた者は勿論、間に合わなかった者にとっても、カオスを求め自浄(嘲)に突き進んだ時代の意思の極端な表層を追体験し追試することが、同じくカオスの時代を生きる我々の道標になるかもしれない。
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