浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

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タテカンと自由

2018-05-02 06:10:08 | その他
 京都大学で、大学当局によりタテカンが撤去された。

 今、大学にはタテカンがない。私が学生時代は、タテカンが無数にあった。サークルの勧誘はもちろん、様々な政派による政治的主張その他、内容は多々だったが、それが大学だという場であると思っていたし、今もそうであるべきだと思っている。

 ところが、今はほとんどの大学からタテカンが消えている。

 前川氏がいた文科省のによる永年に亘る教育統制政策で、文科省がつくった学習指導要領を疑いもなく教育する教員たちがあふれ、彼らは検定された教科書をのみ教え(教科書で教えるのではなく、教科書を教える)、また子どもたちを部活動に押し込み、思春期の頃に芽生えるはずの生への疑問の奔出をおさえてきた。

 かくて学校はおとなしく従順な人間たちのみが生存を許され、そうでない者はそこで「生息」できない状態となった。そういう人間たちが大学に大量に入学してきた。部活動で体だけを動かしてきた彼らは、人生の懊悩を抱えることもなく、したがって本を読むわけでもなく、ただひたすら小学校以降で身についた、ひたすら先生の「ご講義を拝聴する」ためにせっせと大学に通う。みずからの主張を持つのでもなく、上意下達を疑問にもたない、おとなしい「日本人」が大量につくりだされてきた。

 その結果、ほとんどの大学でタテカンは消えていった。日本がアメリカに隷従するように、学生も隷従の中に育てられてきたのだ。ほとんどの大学から、学問研究は消えていった。もちろん、なかには学問研究をする者もいるが、それは希有である。

 関東における学生運動の雄であった、東京大学、早稲田大学にもタテカンはない。

 関西におけるそれ、京都大学。報道によれば、京都大学には、大学の自治、大学内の自由な空間が保たれていたようだ。しかし京都大学でも、他大学と同様に、そうした空間を窒息させようとしている。

 昔、「圧殺の森」という映画があったが、ほとんどの大学は、まさに「圧殺の森」ならぬ「圧殺の空間」へと化している。遺されていた京都大学も、そうした空間への変容が企まれている。

 だが、学問研究は、「自由な空間」でのみ飛翔していくのだ。それを知っている京都大学の人々は、タテカンがダメだというのなら、垂れ幕だ、として、そうした当局の自由な空間を「圧殺」する企図と闘っている。

 創造的、個性的な人間は、自由な空間でのみ生み出される。現在の日本では、そうした人間が「無用」にされつつある。他方で、自由な発想を持った創造的人間を育成しなければならないと、産業界から声がかかる。それでないと、二一世紀の日本は生き残れないのだと。

 「自由な空間」を圧殺して、自由な発想をもつ創造的・個性的な人間を見つけようなどというのは幻想に近い。

 自由、自由、これなしに生きていくことはできない。自由が圧殺される日本、ああ息苦しい。

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