浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本社会の縮図

2018-05-13 23:08:46 | その他
 わが家の北側に6室のアパートがある。新築の時には、すべてに日本人が入居していた。

 しかし、そのうちの一軒には、子どもの虐待があり、その隣にいた夫婦は転居していった。子どもの虐待は、それはそれはすごかった。夏になると窓を開ける関係で、母親の子どもに対する怒号、叩く音が聞こえた。あるときは、ゴミ集配用のボックスに子どもを入れたことがあった。私は見るに見かねて、教育委員会や警察に連絡したりした。そのうちその家族はでていった。もうその子どもは二十歳を超えているだろう、その後どうなったか。

 その後も出入りがあり、母親と子どもだけの家庭、最初は家族で入ったが、いつのまにか母親と子どもの姿がみえなくなった家庭など、じかしいずれも日本人であった。

 いま、6室中2室が外国人である。1室には外国人の女性が二人、夕方になると車が迎えに来る。何時に帰宅しているのかは知らないが、夜の商売だろう。最近1室には、ブラジル人家族が入った。

 空いていた部屋に、定かではないがシンガポール人がひとり入るという噂を聞いた。夜勤専門だそうだ。これで6室中3室が外国人となった。

 そして1室に最近、おそらく30代の女性と若い男性のカップル、小学生の子どもが入ってきた。カップルは駐車場で抱き合っていたりする。日本人である。

 アパートの住人を垣間見ていると、日本の現状が象徴的に示されているような気がする。

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京大タテカン撤去

2018-05-13 12:20:33 | その他
 嫌な時代になってきた。京都大学のタテカンが撤去されたという。

京大のタテカン、ついに撤去 「寝看板」の抵抗も…

 ほとんどの大学からタテカンが消えている。京都大学だけが頑張っていたが、権力により「浄化」された。

 タテカンがないと、あまりにさっぱりして、いい感じだと思う人もいるだろうが、私はこう思う。


 美は乱調にあり、諧調は偽りなり。
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謙虚

2018-05-13 08:17:42 | その他
 昨日某氏の講演会に参加した。友人が主催者なので、最後の懇親会にまで参加したのだが、4年前にもこの講師の講演会を聴いたのだが、すごいの一言である。

 懇親会でも、飲みかつ食べ、しゃべりまくる。そういう人を私は幾人か知っているが、いつもとても元気である。やはりたくさん食べる人はすごいと思う。

 同時に、そういう人は自己主張が強い。また自信満々であることを隠そうともしない。質問への回答も、どうかなと思うものもままあるのだが、質問者はあまりに確信的に答えるので納得してしまう。この人は宗教家にもなれると思った。

 私の知り合いは歴史学者が多い。最近の若い歴史学者のなかには自己アピールを積極的に行う人々が増えているような気がするが、私の知り合いはほとんどの人がとても謙虚である。尋ねられたら丁寧に答える、すごい仕事をしていても自分からは「私ってすごいでしょう!」などという態度は取らない。あたりまえだ、わかる人が読めばその仕事がすごいことは一目瞭然、自分から主張する必要はまったくない。

 私はそういう尊敬すべき人たちの間で歴史の研究をしてきたので、ときに自慢げに自己主張する人と会うとたまげてしまう。昨日の講師は歴史家ではなく、歴史家にはいないタイプである。歴史家は事実を事実として確定しながらそれを根拠に話を進めるので、大言壮語はない。歴史家の発言は、とても慎重である。ここまでは言えるが、それ以上は言えないというように自己謙抑的である。

 講演を聴いていて、一般市民への話しとして、専門的な語彙を日常的なことばに翻案したり、聴衆に語りかける話し方、自分自身の場合ならここはもっと説明してしまうと思われるところでも、さっと切り上げるなど、内容よりも講演の仕方で学ぶことがあった。

 人々も、自信をいっぱいもって話す人を信用する、カリスマ的な人が好きなのだろうかと思った。

 事実の確定を慎重に積み重ねながら講演の中身を、長い時間をかけてつくっていく私には、今回も驚きであった。
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