浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

5月3日

2018-05-03 20:22:13 | その他
 神戸新聞コラム

商社に勤めている、あるいはかつて勤めていたという人たちの「九条の会」がある。戦争放棄を掲げる日本国憲法9条について話し合う集まりだ◆ノンフィクション作家の保阪正康さんはその集いに招かれたことがある。講演後の懇談会で、一人の元商社マンが話しかけてきた。世界中で取引をしていくうえで「日本国憲法は身分証明書でした」と言う◆「身分証明書?」と聞き返すと、彼は続けた。私たちは武器や軍事にかかわる取引はしない。そう説明するための「最高の証拠が憲法」であり、戦後日本で踏ん張った「商社マンの一つのプライドでした」と◆以上、保阪さんらの講演録「未来は過去のなかにある」から引用したが、元商社マンの落胆が目に浮かぶ。安倍政権が「防衛装備移転三原則」を閣議決定し、武器などの輸出に踏み切ったのはそれから間もなくだ◆今日は憲法記念日。9条を中心に改憲の是非をめぐる議論があちこちであるだろう。与党の動きは足踏み状態とはいうものの、閣議決定一つで「身分証明書」の効果を奪ってしまう時代の流れに胸騒ぎが募る◆揮毫(きごう)を求められると、保阪さんは「前事不忘 後事之師」と書く。過去の出来事を忘れず、将来への戒めに、という意味である。不忘に揺らぎはないか。2018・5・3


 京都新聞コラム


 高知新聞コラム


小社会 1947年のきょう施行された日本国憲法には…

 1947年のきょう施行された日本国憲法には画期的な面があった。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を定めた先進性もさることながら、平仮名・口語体によって書かれたことだ。

 口語化の作業を担ったのは「路傍の石」などで有名な作家、山本有三ら。文学者、学者、文化人など各方面の代表による「国民の国語運動」という団体だ。戦前の旧憲法やほとんどの法令は文語体で書かれていた。

 むろん「法令には法令の書き方がある」という守旧派もいた。「口語憲法なんていうのは、浴衣がけ憲法でいけない」と批判する向きも(「ルポルタージュ 日本国憲法」)。憲法の重みを言いたかったのだろう。

 それでも口語憲法は完成し、施行後は他の法令もこれに倣うことになった。山本の信条は「国民に必要な書きものは、国民にわかりやすい書き方でなければならない」。私たちはその恩恵に広く浴した。

 山本が追求した「わかりやすさ」はその後、中高生らの教育にも生かされる。旧文部省が作った「あたらしい憲法のはなし」「民主主義」などの教科書を手に取り、未知の世界が現実になった若者たちの感激はいかばかりだったろう。

 それから70年余、かつてない大きな岐路に立つ憲法や当時の教科書を再読してみたい。時代の波にもまれ、傷つきながらも風雪に耐えてきた、不朽の真理がきっと見つかるはずだ。憲法はいつ読んでも新しい。


『中日新聞』社説


平和主義の「卵」を守れ 憲法記念日


 自民党により憲法改正が具体化しようとしている。九条に自衛隊を明記する案は、国を大きく変質させる恐れが強い。よく考えるべき憲法記念日である。

 ホトトギスという鳥は、自分で巣を作らないで、ウグイスの巣に卵を産みつける。ウグイスの母親は、それと自分の産んだ卵とを差別しないで温める。

 一九四八年に旧文部省が発行した中高生向けの「民主主義」という教科書がある。そこに書かれた示唆に富んだ話である。


「何ら変更はない」とは

 <ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化(ふか)日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落してみんなこわしてしまう>

 執筆者は法哲学者の東大教授尾高朝雄(ともお)といわれる。「民主政治の落し穴」と題された一章に紹介されたエピソードである。そこで尾高はこう記す。

 <一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる>

 この例えを念頭に九条を考えてみる。基本的人権や国民主権は先進国では標準装備だから、戦後日本のアイデンティティーは平和主義といえる。国の在り方を決定付けているからだ。

 九条一項は戦争放棄、二項で戦力と交戦権を否認する。自民党はこれに自衛隊を書き込む提案をしている。安倍晋三首相が一年前にした提案と同じだ。

 だが、奇妙なことがある。安倍首相は「この改憲によって自衛隊の任務や権限に何らの変更がない」と述べていることだ。憲法の文言を追加・変更することは、当然ながら、その運用や意味に多大な影響をもたらすはずである。


消えた「必要最小限度」

 もし本当に何の変更もないなら、そもそも改憲の必要がない。国民投票になれば、何を問われているのか意味不明になる。今までと何ら変化のない案に対し、国民は応答不能になるはずである。

 動機が存在しない改憲案、「改憲したい」欲望のための改憲なのかもしれない。なぜなら既に自衛隊は存在し、歴代内閣は「合憲」と認めてきたからだ。

 安倍首相は「憲法学者の多くが違憲だ」「違憲論争に終止符を」というが、どの学術分野でも学説は分かれるものであり、改憲の本質的な動機たりえない。

 憲法を改正するには暗黙のルールが存在する。憲法は権力を縛るものであるから、権力を拡大する目的であってはならない。また目的を達成するには、改憲しか手段がない場合である。憲法の基本理念を壊す改憲も許されない。

 このルールに照らせば九条改憲案は理由たりえない。おそらく別の目的が潜んでいるのではないか。例えば自衛隊の海外での軍事的活動を広げることだろう。

 歴代内閣は他国を守る集団的自衛権は専守防衛の枠外であり、「違憲」と国内外に明言してきた。ところが安倍内閣はその約束を反故(ほご)にし、百八十度転換した。それが集団的自衛権の容認であり、安全保障法制である。専守防衛の枠を壊してしまったのだ。

 それでも海外派兵までの壁はあろう。だから改憲案では「自衛隊は必要最小限度の実力組織」という縛りから「必要最小限度」の言葉をはずしている。従来と変わらない自衛隊どころでなく、実質的な軍隊と同じになるのではないか。

 それが隠された動機ならば自民党は具体的にそれを国民に説明する義務を負う。それを明らかにしないで、単に自衛隊を書き込むだけの改憲だと国民に錯覚させるのなら、不公正である。

 また安倍首相らの根底には「九条は敗戦国の日本が、二度と欧米中心の秩序に挑戦することがないよう米国から押しつけられた」という認識があろう。

 しかし、当時の幣原(しではら)喜重郎首相が連合国軍最高司令官マッカーサーに戦争放棄を提案した説がある。両者とも後年に認めている。日本側から平和主義を提案したなら「押しつけ論」は排除される。

 歴史学者の笠原十九司(とくし)氏は雑誌「世界」六月号(岩波書店)で、幣原提案説を全面支持する論文を発表する予定だ。


戦争する軍隊になるか

 他国の戦争に自衛隊も加われば、およそ平和主義とは相いれない。日本国憲法というウグイスの巣にホトトギスの卵が産みつけられる-。「何の変更もない」と国民を安心させ、九条に自衛隊を明記すると、やがて巣は乗っ取られ、平和主義の「卵」はすべて落とされ、壊れる。それを恐れる。

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【本】佐藤卓己『言論統制』(中公新書)

2018-05-03 18:39:38 | その他
 連休明けまでに横浜事件に関する文を書かなければならない状況の中、戦時下の雑誌検閲で厳しく、過酷な検閲を行った情報官として、様々な言論統制を撃つ文に、鈴木庫三が登場する。

 横浜事件とは関係はないが、出版統制についてよんでおかなければならないと思い、最近書庫から取り出して読んでみた。


 鈴木庫三の日記などを入手した佐藤は、検閲の場で暴れる鈴木ではなく、生まれてから死ぬまでの人生を追った。すると、検閲の場で猛威をふるった鈴木ではない人物像が浮かび上がってくる。強靭な精神力で、みずからが正しいと思う方向に、妥協することなく突き進む。学ぶ意欲、貧者への目配り、社会主義などへのある意味での「共感」など。佐藤は、鈴木が国体的社会主義者であったとする。

 だが、そうした鈴木が、出版統制の場でどう立ち回ったのか、戦時出版統制に関する文献にあらわれる鈴木に対して、そういう人物ではないということを記しているが、私が知りたかった検閲の場における鈴木の姿は、最後まででてこなかった。

 佐藤は、おそらく鈴木にのめり込みすぎて、彼を批判的に捉えることができなくなったのではないか。



 
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