村上護が長谷川泰子から聞き取って執筆編集した本である。長谷川泰子という女性が、どういう人生を送ってきたのかが、彼女の語りのなかに描かれる。
中原中也、小林秀雄・・・・彼らをとりまく文学者、あるいは演劇人らとの交流。とはいっても、彼女は文学者でもなく、演劇で身を立てたわけでもないので、それぞれの分野で主体的に生きたわけではない。それぞれの分野に生きる人々の傍らで、あるときは病的な潔癖症に陥ったときもある。それが原因でか、小林は去っていった。
彼女の人生は、ひとつの主体としての脈絡をもったものではなく、行き当たりばったりの人生であった。しかしそれでも生きてこられたというのがすごいことだ。彼女の人生にとって、過去はすぐに消え去り、過去は彼女を束縛しない。同時に、彼女は未来を見通すこともしない。ただあるのは、生きている現在だけである。そしてその現在は、集積しない。過去を振り返るときもあるが、過去は現在とは関係しない。
そういう生き方もあるのだ。
中原中也、小林秀雄・・・・彼らをとりまく文学者、あるいは演劇人らとの交流。とはいっても、彼女は文学者でもなく、演劇で身を立てたわけでもないので、それぞれの分野で主体的に生きたわけではない。それぞれの分野に生きる人々の傍らで、あるときは病的な潔癖症に陥ったときもある。それが原因でか、小林は去っていった。
彼女の人生は、ひとつの主体としての脈絡をもったものではなく、行き当たりばったりの人生であった。しかしそれでも生きてこられたというのがすごいことだ。彼女の人生にとって、過去はすぐに消え去り、過去は彼女を束縛しない。同時に、彼女は未来を見通すこともしない。ただあるのは、生きている現在だけである。そしてその現在は、集積しない。過去を振り返るときもあるが、過去は現在とは関係しない。
そういう生き方もあるのだ。