言わずと知れた小林多喜二の作品である。
蟹工船で過酷な労働を強いられる労働者。しかしあまりに理不尽な扱いに、労働者の怒りが蓄積していく。そしてひとりの労働者が殺されたことを契機にして団結し、経営者に要求を突きつける。しかし、蟹工船に伴走していた帝国海軍の駆逐艦から水兵が乗り込んできて、首謀者を拉致していく。労働者たちは、帝国海軍はみずからの味方だと思っていたが、そうではないことを思い知らされる。
書いてしまえば簡単な筋ではあるが、そこには底辺の労働者の生活や風俗、様々な社会意識の混在が描かれる。
さてこの演劇である。「蟹工船」を演劇で見るのは初めてである。
まず労働者の団結を示すためには、舞台の上に多くの役者を必要とする。労働者の団結と言う時、「多く」という数の問題が生じる。東京芸術座は、たくさんの役者を動員した。そして労働者が働く現場は、海の上である。それも荒波の北方の海である。それをどう表現するか。ホリゾントには、海や波しぶきを映し出す。そして舞台上の役者たちが、大きな波が蟹工船に寄せる時、一斉に動く。演じながら、波への対応もしなければならない。動き続ける舞台であった。
また労働者という集団ではあるが、それぞれの労働者は思考や生活、生きていた地域も異なる。したがって、個としての姿も描かなければならない。
多喜二が描きたかったもの、それがきちんと描かれていた。
休憩を除き、2時間25分。終わった時、すでに9時を過ぎていた。終演は9時20分くらいだったか、舞台を凝視していたから、そんな遅くなっているとは気がつかなかった。
テーマは重い。近代日本の歴史の本質、近代日本国家とは何か、帝国軍隊とは何であったかをつきつける。ミュージカルを観た後のように、心が躍動するという感じは、皆無であった。
総じて、この演劇は、たいへん丁寧につくられていたと思う。重い「現実」を「現実」として、観客にきちんと示すことができていた。
私は高校生の頃、山村聡監督の映画「蟹工船」を見たことがある。月一回、土曜日の視聴覚教室を借りて映画会を開催していた。名古屋にあった中部日本フィルムセンターから目録を取り寄せ、その中からフィルムを選んで連絡し、浜松駅まで送ってもらう。私が駅までとりにいって上映し、また浜松駅に行き返送する。なぜ私がそういうことをしていたのか、その経緯を思い出せない。
おそらく、私は非合法サークル・社会科学研究会の一員であったから、その会の仕事としてやっていたのだと思う。見たフィルムの中に、モノクロの「蟹工船」があった。結末は同じであるが、最後に日本海軍の旭日旗がはためいていたような気がする。
今日の演劇、幕があがる前に、荘重な、いや何か心を不安にさせるような、重々しい音楽が流れた。山村聡監督の映画にも、そういう音楽が使われていたような気がする。
昨年亡くなられたSさん、私が近代の人物を語る講座について、取り上げて欲しい人物を何人かあげていた、その一人が、小林多喜二であった。Sさんの望み、来年応えたいと思っている。
[補記]「蟹工船」の舞台であるが、書き忘れたことがある。労働者たちは、あの荒れた海のなかで仕事し、生活しているのであるから、航海初めの頃は、ヘドを吐いたりすることがあったほうがよい。私は、学生時代、キャンプをしていた神津島から東京まで、台風が近づくなか、連絡船に乗ったことがある。甲板に立つ私よりも波が高い。つまり大きな波の上に乗り、また落ちるというように、大きな上下動をくり返していた。落ちた時に、大きな波が視線よりはるかに高いところに見えた。
私だけが酔わなかった。ほとんどの人は波に翻弄される船の中で、波と抗っていた。私は、抗わずに、その波に体を乗せていた。だから、私は全く酔わなかった。東京湾に入って波が静かになった時、物足りなさすら感じた。
ホリゾントの光景から、「蟹工船」は私が体験した時と同様な状態であったことが想像される。そうすると、労働者たちの動きは、不自然となる。
蟹工船で過酷な労働を強いられる労働者。しかしあまりに理不尽な扱いに、労働者の怒りが蓄積していく。そしてひとりの労働者が殺されたことを契機にして団結し、経営者に要求を突きつける。しかし、蟹工船に伴走していた帝国海軍の駆逐艦から水兵が乗り込んできて、首謀者を拉致していく。労働者たちは、帝国海軍はみずからの味方だと思っていたが、そうではないことを思い知らされる。
書いてしまえば簡単な筋ではあるが、そこには底辺の労働者の生活や風俗、様々な社会意識の混在が描かれる。
さてこの演劇である。「蟹工船」を演劇で見るのは初めてである。
まず労働者の団結を示すためには、舞台の上に多くの役者を必要とする。労働者の団結と言う時、「多く」という数の問題が生じる。東京芸術座は、たくさんの役者を動員した。そして労働者が働く現場は、海の上である。それも荒波の北方の海である。それをどう表現するか。ホリゾントには、海や波しぶきを映し出す。そして舞台上の役者たちが、大きな波が蟹工船に寄せる時、一斉に動く。演じながら、波への対応もしなければならない。動き続ける舞台であった。
また労働者という集団ではあるが、それぞれの労働者は思考や生活、生きていた地域も異なる。したがって、個としての姿も描かなければならない。
多喜二が描きたかったもの、それがきちんと描かれていた。
休憩を除き、2時間25分。終わった時、すでに9時を過ぎていた。終演は9時20分くらいだったか、舞台を凝視していたから、そんな遅くなっているとは気がつかなかった。
テーマは重い。近代日本の歴史の本質、近代日本国家とは何か、帝国軍隊とは何であったかをつきつける。ミュージカルを観た後のように、心が躍動するという感じは、皆無であった。
総じて、この演劇は、たいへん丁寧につくられていたと思う。重い「現実」を「現実」として、観客にきちんと示すことができていた。
私は高校生の頃、山村聡監督の映画「蟹工船」を見たことがある。月一回、土曜日の視聴覚教室を借りて映画会を開催していた。名古屋にあった中部日本フィルムセンターから目録を取り寄せ、その中からフィルムを選んで連絡し、浜松駅まで送ってもらう。私が駅までとりにいって上映し、また浜松駅に行き返送する。なぜ私がそういうことをしていたのか、その経緯を思い出せない。
おそらく、私は非合法サークル・社会科学研究会の一員であったから、その会の仕事としてやっていたのだと思う。見たフィルムの中に、モノクロの「蟹工船」があった。結末は同じであるが、最後に日本海軍の旭日旗がはためいていたような気がする。
今日の演劇、幕があがる前に、荘重な、いや何か心を不安にさせるような、重々しい音楽が流れた。山村聡監督の映画にも、そういう音楽が使われていたような気がする。
昨年亡くなられたSさん、私が近代の人物を語る講座について、取り上げて欲しい人物を何人かあげていた、その一人が、小林多喜二であった。Sさんの望み、来年応えたいと思っている。
[補記]「蟹工船」の舞台であるが、書き忘れたことがある。労働者たちは、あの荒れた海のなかで仕事し、生活しているのであるから、航海初めの頃は、ヘドを吐いたりすることがあったほうがよい。私は、学生時代、キャンプをしていた神津島から東京まで、台風が近づくなか、連絡船に乗ったことがある。甲板に立つ私よりも波が高い。つまり大きな波の上に乗り、また落ちるというように、大きな上下動をくり返していた。落ちた時に、大きな波が視線よりはるかに高いところに見えた。
私だけが酔わなかった。ほとんどの人は波に翻弄される船の中で、波と抗っていた。私は、抗わずに、その波に体を乗せていた。だから、私は全く酔わなかった。東京湾に入って波が静かになった時、物足りなさすら感じた。
ホリゾントの光景から、「蟹工船」は私が体験した時と同様な状態であったことが想像される。そうすると、労働者たちの動きは、不自然となる。