日本政府が、アメリカ艦隊を歓待したことに対する、啄木の批評である。『岩手日報』1908年10月30日に掲載されたものだ。
然れども、御馳走政略は遂に善良なる政略に非ず。吾人は帝国の外務当局者に対して、よく斯る機会を利用するの功慧を嘉すと共に、常に堅実にして不抜なる外交方針を把持せむことを希望せずんばあらず候。一時的の御馳走政略によりて得たる好感情は、譬へ如何に大なりと雖ども遂に又一時的ならざるを得ず。機会に信頼するものは機会に翻弄せられる。これ啻に外務当局者のみならず、 五千万同胞の常に思念すべき所なり。帝国外交氏に恨事多き、その由読りて来る所多々ありと雖ども、要するに、国民的自覚の上に建てられたる不抜の外交方針なきは、其最大の原因に非ずや。
アベ政権も、各地に旅行して、Japanマネーを投入する約束をしている。その大盤振る舞いをみていると、啄木の言う「御馳走政略」と同じことだと思う。「一時的の御馳走政略によりて得たる好感情は、譬へ如何に大なりと雖ども遂に又一時的ならざるを得ず。」は正論である。啄木の日記を読んでいると、ダメンズであることばかりが気になってしまうが、こういう格調高い論説を書けるのだから、啄木はやはりすごい人物だ。
現代の日本において、「国民的自覚の上に建てられたる不抜の外交方針」ありやなしや?
然れども、御馳走政略は遂に善良なる政略に非ず。吾人は帝国の外務当局者に対して、よく斯る機会を利用するの功慧を嘉すと共に、常に堅実にして不抜なる外交方針を把持せむことを希望せずんばあらず候。一時的の御馳走政略によりて得たる好感情は、譬へ如何に大なりと雖ども遂に又一時的ならざるを得ず。機会に信頼するものは機会に翻弄せられる。これ啻に外務当局者のみならず、 五千万同胞の常に思念すべき所なり。帝国外交氏に恨事多き、その由読りて来る所多々ありと雖ども、要するに、国民的自覚の上に建てられたる不抜の外交方針なきは、其最大の原因に非ずや。
アベ政権も、各地に旅行して、Japanマネーを投入する約束をしている。その大盤振る舞いをみていると、啄木の言う「御馳走政略」と同じことだと思う。「一時的の御馳走政略によりて得たる好感情は、譬へ如何に大なりと雖ども遂に又一時的ならざるを得ず。」は正論である。啄木の日記を読んでいると、ダメンズであることばかりが気になってしまうが、こういう格調高い論説を書けるのだから、啄木はやはりすごい人物だ。
現代の日本において、「国民的自覚の上に建てられたる不抜の外交方針」ありやなしや?
日大アメフト部のもと監督・内田氏らの記者会見で、司会をしていた人、もと共同通信の論説委員長だったとのこと。へえ、こんな人が論説委員長だったなんて、共同通信という会社も、たいしたことないね。
内田前監督ら主役の座を奪った「上から目線」日大広報の正体 記者とのバトル一部始終
内田前監督ら主役の座を奪った「上から目線」日大広報の正体 記者とのバトル一部始終
私はアメリカンフットボールに全く興味がない。しかし、今回の事件、日本大学の対応に、日本が壊れているという感じがした。アベ政権、狛江市長、日本大学、いずれもウソをつき、ウソを維持するために、ひたすらウソをつき続ける。客観的には、真実が何であるのかはほぼ認識できるのに、それでもウソのうえにウソを乗せていく。
日本大学、私が学生の頃、「ポンダイ」と呼んでいた。なかば侮蔑的な意味合いをもって。というのも、日本大学では、学園トップ、確か古田だったか、彼の専制的な運営に対して学生たちが強い抗議の声をあげていたからだ。日本大学の学生たちの主張は至極当然であったし、大学当局の対応は、今回のアメフト事件の対応と同じく、ひどいものだった。
昨日の日大側の記者会見をみて、ああ、体質は変わっていないんだ、と思った。それにひきかえ、事件当事者の学生の、真実を話そうという姿勢には、未来があると感じさせられた。
権力を持つ者がウソをつき続けるその厚顔無恥に、日本という国は終末にむかっているという気がしてきた。支配層に、倫理性が失われている。ということは、社会全体にそれが蔓延していくことにもなるだろう。
日本大学が、日大闘争の時代とほとんど体質がかわっていないとするなら、支配層が日大化、ポン大化してきたということなのだろう。日本のポン大化、私は明らかに侮蔑をこめてこのことばを使っている。
日本大学、私が学生の頃、「ポンダイ」と呼んでいた。なかば侮蔑的な意味合いをもって。というのも、日本大学では、学園トップ、確か古田だったか、彼の専制的な運営に対して学生たちが強い抗議の声をあげていたからだ。日本大学の学生たちの主張は至極当然であったし、大学当局の対応は、今回のアメフト事件の対応と同じく、ひどいものだった。
昨日の日大側の記者会見をみて、ああ、体質は変わっていないんだ、と思った。それにひきかえ、事件当事者の学生の、真実を話そうという姿勢には、未来があると感じさせられた。
権力を持つ者がウソをつき続けるその厚顔無恥に、日本という国は終末にむかっているという気がしてきた。支配層に、倫理性が失われている。ということは、社会全体にそれが蔓延していくことにもなるだろう。
日本大学が、日大闘争の時代とほとんど体質がかわっていないとするなら、支配層が日大化、ポン大化してきたということなのだろう。日本のポン大化、私は明らかに侮蔑をこめてこのことばを使っている。