もう自民党・公明党によるこんな悪政、独裁的政治はストップしよう。そのために投票に行こう。その際、私たちは怒りや憤怒をもっていこう。こんな日本に誰がした!と。
今日は迂遠なことを記す。
岩波書店が発行している『世界』という月刊誌がある。その8月号に、ジャーナリストの斎藤貴男が「蘇る戦場の鬼気ー戦中派サスペンスをいま読む」を書いていた。そこには2冊の本が紹介されていた。西東登『蟻(あり)の木の下で』、山田風太郎の『太陽黒点』であった。
「蟻の木の下で」は、1964年の江戸川乱歩賞を獲得しているが、すでにその本はなく、『江戸川乱歩賞全集』5(講談社文庫)に収載されている。図書館から借りだしてそれを読み始めた。読みはじめたらもう途中でやめるわけにはいかなくなり、最後まで一気に読んだのである。
ストーリーをあまり詳細に紹介することはしないが、そのテーマは記さなければならない。そのテーマとは「暴力」と「復讐」である。
戦時下、日本の男たちは徴兵制度によって戦地に送られた。彼らは戦地で何をしたか。戦争であるから、「敵」を殺傷する。しかし日本軍兵士はそれだけではなく、掠奪、放火、強姦・・・・様々な悪事を働いた。それだけではなく、日本軍には徹底的な階級制度があり、上意下達の命令系統だけではなく、上官が一般兵士を、また先に入隊した兵士が初年兵を、「指導」という名の下に激しいイジメをし、暴力を加えることが日常茶飯事であった。日本軍の内部では、それがシステム化されていた。ふつうの人間を、殺人ができ、物を掠奪することができる「鬼畜」とするためであった。日本軍は、まさに暴力の塊(かたまり)であった。
この小説の主人公は、おそらく淵上軍曹(宍倉)であろう。彼は日本軍兵士の典型であった。戦時下、彼はタイなど外国で殺人を平気で行い、若い娘を犯し、部下に激しい暴力を加えた。淵上は娘ラサヌを犯し殺害した。淵上は部下であった矢ノ浦に激しい暴力を加えた。矢ノ浦はその結果、無数の殺人蟻に襲われた。その場には野々村、池見がいたが、淵上の暴力を抑えなかった。
戦争が終わり彼らは帰国した。淵上は「戦病死」とされた矢ノ浦の美しい妻千代に、彼から面倒を見て欲しいと頼まれたとうそをつき、旧姓に戻っていた宍倉千代と結婚した。矢ノ浦には幼い娘麻美がいた。淵上(宍倉)は小さな商社の社員として中国やタイの駐在員となり、日本にはほとんど帰らず、帰っても妾宅にいた。淵上は「正聖会」という新興宗教団体の理事となるために麻薬を密輸、そのカネを寄付して「理事」に就任した。
その間、まず野々村が不審な死をとげた。そして池見が殺された。だが警察はその事件の犯人を挙げることが出来なかった。その頃、ラサヌの弟キムが、淵上をさがしに来日した。麻美も、父が実父ではなく、実父の「殺害者」であるという真相を知った。
そして淵上とその妾が殺された。犯人は、キムでもなく、麻美でもなかった。死んだと思われていた満身創痍の矢ノ浦が「復讐」を遂げたのだ(彼はタイの住民にいのちを救われていたのだ)。そして矢ノ浦と笹倉千代はいのちを絶つ。
斎藤貴男は、この本の紹介でこう書いている。「私は真犯人に心の底から共感した。もしも同じ立場に追い込まれたら、必ず同じ行動をとる。悲しすぎる結果しか招かれないとわかっていたとしても、だ。」と。
私も同感である。ひどいことをされたら、「復讐」をしないまでも、憤怒を持ち続け、そして忘れない。執拗にひどいことをした輩を批判し続ける。
そのためには、みずからの苦難の原因を知ることが必要だ。そしてその原因を絶つのだ。