浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

水俣・・

2021-10-01 20:31:41 | 社会

 水俣病についていろいろ読み、考え、水俣にも行った。しかし、私は何の力にもなれなかった。申し訳ないという気持ちがある。

 ユージン・スミスをテーマにした「MINAMATA」という映画ができた。この映画が、大きな力を発揮してくれることを祈る。

 

MINAMATA~ユージン・スミスの遺志~【テレメンタリー2020】

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共同通信の虚偽報道

2021-10-01 15:07:05 | メディア

 共同通信というと、反骨の記者がたくさんいたところだ。斎藤茂夫の著作はほとんど読んだし、今も書庫にある。 

 しかし、今の共同は、首相官邸に記者が引き抜かれたように、かつての番犬ぶりは消えてしまった。

 菅義偉がヒロシマの平和記念式典で挨拶文を読み飛ばしたときに、原稿にのりが付着していたからだという「弁解」を共同が流した。

 しかし、それがまったくの虚偽であったことが報じられている。

【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上)

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変わった?変わっていない?

2021-10-01 08:08:58 | 社会

 らいてうの「世の婦人達に」は、1913年『青鞜』4月号に掲載された。『青鞜』に対する批判に対して、明確な反論を書いたのである。論旨明快、現在にも通ずる鋭い問題意識に立つものである。戦闘宣言でもある。

 しかしこれが『圓窓より』に掲載されたところ、同書は発売禁止となった。良妻賢母主義を批判しているということからであった。

 しからば、その内容をここに掲載しよう。

何故世の多くの婦人達には、女は一度は必ず結婚すべきものだということに、結婚が女の唯一の生きる道だということに、総ての女は良妻たり、賢母に、結婚が女の唯一の生きる道のだということに、これが女の生活の総てであるということにもっと根本的な疑問が起こって来ないのでしょう。私は不思議に思います。長い過去の歴史や、多くの慣習や、目前の実利、便宜や、殊に男子の生活の利便の為めに成立した在来の女徳などから全然離れて、本来の女子たるものの真の生活はいかなるものになるべきかに就いてもっと根本的な考察を試みようともしないのでしょう。

私共は何も敢て総ての婦人に向って独身主義を主張するものではありません、独身主義だとか、良妻賢母主義だとかいうようなそんな主義争いをするような、閑日月は有って居りません。私共は今在来の婦人の生活を根底から疑って居るのです。最早そういう生活を続けることに堪えなくなって居ります。婦人は果して結婚すべきものかということが已に、已に久しい疑問なのでございます。種族保存の必要の前に女の全生涯は犠牲にせられるべきものか、生殖事業を外にして女のなすべき事業はないであろうか、結婚は婦人にとって唯一絶対の生活の門戸で、妻たり、母たることのみが婦人の天職の総てであろうか、私共はもうこんなことを信することは出来なくなって居ります。結婚を外にしても婦人の生活の門戸は各人個々別々に限りなくあらねばならず、婦人の転職は良妻賢母を外にしても各人個々別々に無限にあらねばならぬのではないでしょうか。そしてその選択の自由は各自の手に握られているものではないのでしょうか。そんなことは最早云う迄もないことでございましょう。

それ故に私共は婦人の為めに出来る丈高等の文化教育を要求いたします。一個の人たる婦人として男子の生活から独立してそれ自身意義ある女の生活の為めに、高等な精神教育を要求いたします。又一方には(中略)経済上の独立のない処から生ずる様々な不安や、障害を取り去るために、職業教育をも要求いたします。婦人が結婚によらない時、いつも、すぐ起ってくるものは職業問題でございます。(中略)

幸か、不幸か私共現代の日本婦人はそういう外的な要求からでなくーそれもなくはないがー寧ろ内的な要求から、婦人も亦家庭という小天地より出でて一つの職業をとって生活したいと希うようになったのでございます。

(中略)

多少なり個人として自覚した現代の婦人は今迄男子から、又社会から強制されていた服従、温和、貞淑、忍耐、献身等の所謂女徳なるものを最早有難いものだとも何とも思えなくなって居ります。何故なら私共は何故に斯くの如きことが婦人に向って要求されたか。社会はそれを婦人の美徳として承認するに至ったか、そして終にはそう云うのが婦人の天性だと迄信じられるようにたち立ち至ったかの原因、其のよって来る源に泝って考えて見たからです。そこに私共は何を見出したでしょう。私はここに是等のことを委しくは述べますまい。けれども「男子の生活の為め」以上に根拠ある何ものも遂になさそうです。要するに少しも根本的な価値のないことなのです。今私共に対し、何の理由もなき偏見から、因習的な反感から理解なくして、只新しきものに対する世間の有象無象の雑言眩惑されて無暗に反対される世の婦人達も今少し物事を根本的に考察されるようになったなら、思い半ばに過ぎることとが必ず多かろうと信じます。

こういうと、 すぐ世間の婦人達は、新しい女は男に反抗することを目的にしているとか、婦人の自覚ということは何だか離婚するということのようだとか勝手な早合点をされることでしょう。そうです、私共は男に反抗もいたしましょう。時に離婚することはあるかも知れません。けれども反抗が目的ではない。離婚が目的ではない。反抗するということがいい事であるか、悪いことであるか、離婚することがいい事か、悪いことか、そんなことは問うにも足らぬほどに自分の生活そのものを、女の生活そのものを重じて居ります。今まで男子の私利、私欲や目前の便宜のために婦人の生活が踏みにじられていたのなら、それを取戻すために男子に対する反抗的態度を或時期に於てとるのは当然のことではないでしょうか。 今、妻と呼ばれている幸福な婦人達も、もう少し眼蓋をこすって見た時、自分の今迄の生活に満足していられるでしょうか。愛なくして結婚し、自己の生活の保証を得んが為めに、終生一個の男子のために昼間は下婢として、その雑用に応じ、夜間は淫売婦として侍することを肯じている妻の数は今日どれ程あるか知れないでしょう。甚だしきは夫の過度な淫心をさえ柔順でなければならぬという処から受け容れて、多産の結果、衰えて仕舞う婦人もあるそうです。よし、又同棲後相互の愛情が生ずるにしてもそれは多くの場合、利害の打算と、便宜の結果に過ぎません。それらを超越した恋愛そのものではありますまい。

私共はたとえ結婚そのものに反対しないまでも、今日の結婚という観念、並に現行の結婚制度には全然服することが出来ないのでございます。今日の社会制度では結婚ということは一生涯に亘る権力服従の関係ではないでしょうか。妻は未丁年者か、不具者と同様に扱われてはいないでしょうか。妻には財産の所有権もなければ其子に対する法律上の権利も有っていないのではないでしょうか。夫の姦通は罪なくして、妻の姦通は罪とせられているのではないでしょうか。私共はこんな無法な、不条理な制度に服して迄も結婚しようとは思いません。妻となろうとは思いません。

一たび目覚めたものはもう二度と眠ることは出来ない。私共は生きて居ります。目覚めて居ります。内なる生命は何処かしらに放散させねば生きていられません。どんな圧迫があろうとも新しき生命はその出口を見出して止みません。(以下略)

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新しいものだけではなく・・・

2021-10-01 08:08:58 | 社会

 平塚明子の『圓窓より』。

 らいてうは、イプセンの「人形の家」のノラに対して、こう書いている(「ノラさんに」)。

 男を愛するのは男から愛されようがためでしょうか、多少理知の眼の開いた女は男の利己的な、打算的なこと、そこに名誉とか、功名心とが伴う場合の外自己の生命を賭するようなことはしない位なことは承知の上です。・・・・百も承知の上でなお女は男を愛するのです。女の愛は己れを他に与えるだけで、与えるということを楽しむので、他から与えられようが、与えられまいがそれは問うべき限りではありますまい。(表記、漢字を現代表記に改めている。)

 らいてうのこの文を読んで、いかにらいてうが男の本質を知りながらも、自立的な思考をしているか、がわかる。らいてうにとって、愛するということも徹底的に自立的なのだ。

 また最後に、こう書く。

女の生涯は各個人によってそこに大小の差異こそあれ、高く、美しい一曲の宗教的音楽でなければなりません。一篇の詩として真実なものでなければなりません。

 自分にとって「真実」であると考える生き方をする、それが「高く、美しい」のだと記す。

 らいとうという人間の凄さが、ここに書かれている。新しく出版される本でもなく、こうして100年以上前に書かれたものも、私たちの思考を羽ばたかせてくれるのだ。

 

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