朝日新聞社発行の『Journalism』だけを購読している。今月号の特集は、「五倫の禍福」である。私は東京オリパラに反対していたし、「祝祭資本主義」としてオリンピックはすでにカネまみれになっていることから、オリンピックそのものをなくすべきだと思っている。
受信設備をもたないわが家のテレビはオリンピックをいっさい映し出さなかったので、まったく見ることもなかったが、多額の税金を投入して開催したのだからきちんとその会計まで公開すべきであるし、またきちんと総括すべきである。
無責任なテレビメディアはオリンピックを垂れ流していたそうだから反省すべきだが、しかしテレビはまったくそれをしないだろう。テレビメディアは、すでに犯罪的な存在になっている。
また新聞もきちんとこれも総括すべきである。『東京新聞』はそれを始めるようだ。
さて『Journalism』の巻頭には、為末大のインタビューが掲載されている。彼はなかなか良い指摘をしている。オリンピックについて、「ビジネスが先にあって、そのために理念を持ち出している」という、その通りである。私はバッハなる輩の顔は商魂たくましい悪徳商人に見えた。
日本のスポーツは、「何のため」を問わずにきている、という指摘も正しい。「日本のスポーツ界は、社会に貢献するという土壌を作ってきませんでした。そこには、指導者の問題もある」、「他国と比べて、日本のほうが早くエリートコースに入ってしまう」。子どもの頃からスポーツ少年団に入り中学校からは部活動に入り込み、朝から晩までスポーツ。それだけの日々を送りながら、途中からそのなかから落ちていく。しかしスポーツをしていることしかしてこなかったから、「自由」があってもなにもできない。
欧州では、「スポーツはすべての人が楽しむためにあることを前提として」いるが、日本ではそうではない。いったんスポーツの世界に入り込めば、厳しい上下関係と長時間の練習に覆われる。スポーツの世界と一般の世界とは隔絶している。
「スポーツの今の状況を見ると、資本主義の負の側面がすごい。メリトクラシー、つまり能力主義の最たるもの。勝つとすべてが手に入って、そこに対して、強いプレッシャーと、それがすべてなんだという感覚が、まさに社会のありようとセットになっている」と為末はいう。
スポーツにおける能力主義、勝者ひとり勝ち、あるいは部活動における上下関係と精神論は、新自由主義的社会ときわめて親和的である。
スポーツは、支配の手段になっている、というのが私の見たてであり、支配層によってそのような位置に置かれてきたのだ。
10月号には、『信濃毎日新聞』のオリンピックを中止せよという社説について、同社論説主幹が書いている。良い記事だ。
また山腰修三のメディア論もよい。オリンピックを延々と映しだしてきたテレビは「ジャーナリズムに対する社会の不信を高めることになった」という指摘は正しいが、しかしもはやテレビはジャーナリズムではない。「既成事実への屈服」だけではなく、政治権力がつくろうとした「既成事実」を先回りして報じたり、なんども報じることによって「既成事実」をより強化する役割を果たしている。
小笠原博毅の論文は、いろいろねちっこく書いているが、最初の8行だけでよい。
「市民はオリンピックと手を切るべきである。なぜなら、オリンピックはスポーツの好き嫌い、選手たちへの応援や競技への興味の問題などではなく、一つの国際NGO主催にもかかわらず国家事業の体裁をとって巨額の公的資金を投入し、その資金源であるはずの市民の生活を将来にわたって破壊する出来事だからだ。」
「特ダネの記憶」は毎号面白いが、今号は「旧石器発掘捏造」である。当時のこのニュースには驚いたが、考古学という学問に対する信頼が損なわれたことは確かだし、考古学会にも問題があったということだ。なぜ捏造が早期に発見されなかったのか。日本列島に「原人」がいたということの信憑性を考古学者が疑わなかったこと自体、おかしなことだ。またそれをもとにした日本古代史の叙述も大きな影響を受けた。
自民党、公明党など国家権力や地方自治体の権力を掌握している政党の構成員とその関係者は、ほんとうにカネまみれである。日本大学の背任事件でも、逮捕された輩は安倍晋三の友人だそうだし、甘利という自民党幹事長もカネまみれだ。
日本の国会議員の「歳費」やそれ以外のカネを含めても、世界で最もカネを多くもらっている。にもかかわらず、自民党などはカネ集めに余念がない。カネにまつわる話がいつもでてくる。
選挙でカネがかると言われるが、だとすると選挙で候補者の周辺に集まる者どもは、カネに群がる者たちか。
日本のカネは、「偏在」している。集まるところに集まるし、集める。本来ならば、「遍在」でなければならない。「遍在」であってこそ、経済活動は活発化する。
日本の政治状況は、絶望的である。とにかく自民党・公明党政権を倒さなければならない。話はそれからだ。