『世界』には、コロナに関して二つの連載がある。ひとつは「コロナ戦記」、もうひとつは「分水嶺」である。後者は尾身某をはじめとした「専門家」といわれる人々の動きを追ったものであるが、そもそも厚労省に重用される方々の多くはもと「医系技官」。「医系技官」こそが世界標準のPCR検査を抑制し、なされるべきことを邪魔していた。したがって、彼らの動きを追うことにいかなる意味があるのか、私は疑問に思う。
さて「コロナ戦記」の最終回。知らなかった事実がいろいろ記されている。
日本の医療の中核を担うのは民間病院であるが、ドイツやフランスでは全病床の65~85%が公的セクターだそうだ。
「公」を細くしたのは小泉内閣。小泉内閣はろくなことしかしなかった。今原発反対だからと支持する向きもあるが、私は「小泉改革」がいかに日本を悪くしたか、きちんと認識すべきであると思う。小泉は、患者の医療費の自己負担額の増額、診療報酬の大幅な切り下げ、療養病床の削減、つまり今につながる施策を行った張本人である。
コロナ禍においても、自民党・公明党政権、厚労省は病床の削減を進めている。削減したら消費税から病院にカネが入る。消費税は福祉や社会保障などにつかうといいながら、このように逆のつかい方がなされているのだ。
「コロナ戦記」では、全国自治体病院協議会名誉会長・邉見公雄の意見が記されている。
その一部を紹介しよう。
もともと医療には 緊急時のための余裕、ゆとりが必要です。しかし国は効率至上主義で、常に病院のベッドが満杯でなくてはいけない診療報酬体系にしてしまった。 ハイリスク・ローリターンやね。 病院は、難しい患者さんが入院すればするほど経営で損をする。病床は9割以上埋まらんと黒字にならない。いつも全力疾走させられているような状態です。感染症に対して国は、結核患者が減って「感染症はもう終わった」と思い、感染症対応の病床をどんどん減らした。急に頑張れ、コロナ専用のベッドを増やせといわれても容易ではありません。医療にはゆとりがいる。
医療は国民の安全保障、経済学者の宇沢弘文さんが唱えた社会的共通資本です。公がきちんと支えるべきもの。 国防で、イージス艦を2隻、5000億円もかけて新造するくらいなら、その分、国民の安全保障に回せといいたい。災害への対応も考えれば、イージス艦よりも病院船。日本は海岸線が長いから太平洋側と日本海側に一隻ずつあってもいい。何もかもちぐはぐです。
効率至上主義から脱却しないと医療は荒れ放題になる。病院は大きな事業体で、地域の雇用を支えている。そこに気づかない。国には現場に出て、現物を見て、現実を理解する「三現主義」の姿勢がありません。
その通りである。新自由主義の施策の中で、自民党・公明党政権は福祉・医療・教育への予算をどんどん削減してきた。その結果が、医療崩壊である。
コロナの第六派が予想されている。自民党・公明党政権を倒さないと、また自宅放置など医療へのアクセスができない患者が大量に出てくるだろう。
自民党・公明党政権は、新自由主義的施策を推進してきた。その結果が現在の体たらくである。変えるしかないのである。
もっと医療にもゆとりがあるように、国民が安心して生きていけるような社会にしなければならない。