浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「コロナ戦記」

2021-10-11 21:00:41 | 社会

 『世界』には、コロナに関して二つの連載がある。ひとつは「コロナ戦記」、もうひとつは「分水嶺」である。後者は尾身某をはじめとした「専門家」といわれる人々の動きを追ったものであるが、そもそも厚労省に重用される方々の多くはもと「医系技官」。「医系技官」こそが世界標準のPCR検査を抑制し、なされるべきことを邪魔していた。したがって、彼らの動きを追うことにいかなる意味があるのか、私は疑問に思う。

 さて「コロナ戦記」の最終回。知らなかった事実がいろいろ記されている。

 日本の医療の中核を担うのは民間病院であるが、ドイツやフランスでは全病床の65~85%が公的セクターだそうだ。

 「公」を細くしたのは小泉内閣。小泉内閣はろくなことしかしなかった。今原発反対だからと支持する向きもあるが、私は「小泉改革」がいかに日本を悪くしたか、きちんと認識すべきであると思う。小泉は、患者の医療費の自己負担額の増額、診療報酬の大幅な切り下げ、療養病床の削減、つまり今につながる施策を行った張本人である。

 コロナ禍においても、自民党・公明党政権、厚労省は病床の削減を進めている。削減したら消費税から病院にカネが入る。消費税は福祉や社会保障などにつかうといいながら、このように逆のつかい方がなされているのだ。

 「コロナ戦記」では、全国自治体病院協議会名誉会長・邉見公雄の意見が記されている。

その一部を紹介しよう。 

 もともと医療には 緊急時のための余裕、ゆとりが必要です。しかし国は効率至上主義で、常に病院のベッドが満杯でなくてはいけない診療報酬体系にしてしまった。 ハイリスク・ローリターンやね。 病院は、難しい患者さんが入院すればするほど経営で損をする。病床は9割以上埋まらんと黒字にならない。いつも全力疾走させられているような状態です。感染症に対して国は、結核患者が減って「感染症はもう終わった」と思い、感染症対応の病床をどんどん減らした。急に頑張れ、コロナ専用のベッドを増やせといわれても容易ではありません。医療にはゆとりがいる。

 医療は国民の安全保障、経済学者の宇沢弘文さんが唱えた社会的共通資本です。公がきちんと支えるべきもの。 国防で、イージス艦を2隻、5000億円もかけて新造するくらいなら、その分、国民の安全保障に回せといいたい。災害への対応も考えれば、イージス艦よりも病院船。日本は海岸線が長いから太平洋側と日本海側に一隻ずつあってもいい。何もかもちぐはぐです。

 効率至上主義から脱却しないと医療は荒れ放題になる。病院は大きな事業体で、地域の雇用を支えている。そこに気づかない。国には現場に出て、現物を見て、現実を理解する「三現主義」の姿勢がありません。

 その通りである。新自由主義の施策の中で、自民党・公明党政権は福祉・医療・教育への予算をどんどん削減してきた。その結果が、医療崩壊である。

 コロナの第六派が予想されている。自民党・公明党政権を倒さないと、また自宅放置など医療へのアクセスができない患者が大量に出てくるだろう。

 自民党・公明党政権は、新自由主義的施策を推進してきた。その結果が現在の体たらくである。変えるしかないのである。

 もっと医療にもゆとりがあるように、国民が安心して生きていけるような社会にしなければならない。

 

 

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東京オリンピックを見つめること

2021-10-11 06:57:26 | 社会

 まったく見ていない東京オリンピック・パラリンピック。それを見つめるというのもおかしなことだが、しかし多額の公金を費消し、いまだに問題がくすぶり続けている東京オリパラはきちんと見ておかなければならない。

 『世界』11月号も東京オリンピック・パラリンピックについての論考を載せている。鵜飼哲の「崩壊のスペクタクル」とプチ鹿島の「安倍マリオからずっとうさん臭かった」である。

 鵜飼はNHKを問題にするが、NHKはもう問題にするのもイヤになるほどだ。

 それよりも、「祝賀(祝祭)資本主義」の問題点を紹介しておいたほうがよいだろう。

鵜飼は「祝賀資本主義」について五つ挙げている。

①「祝祭」を口実として 非常事態的状況を人為的に作り出し、 通常の法運用や人権規範を軽視ないし停止する。

②祝賀資本主義は片務的な官民協調によって、民間資本が通常では考えられない条件で公的な資産・資金を収奪することを可能にする。

③祝賀資本主義は国内外の大企業の協賛によって巨額の開催資金を調達する。

④祝賀資本主義は新興のセキュリティ産業ととりわけ密接な関係を持つ。「祝祭」の「安心安全」な実施のために生体認証、顔認証から携帯の監視アプリ、ドローンや監視気球まで最先端の監視技術の社会への浸透が一気に進む。

⑤祝賀資本主義は持続可能性、多様性、ジェンダー平等など、一見リベラルな理念を好んで掲げる。

 まさに指摘の通りである。⑤はもちろん、掲げるだけで実質はない。今やこういう理念を掲げないと何も出来ないというのが実状だからだ。

 いずれにしても、オリンピックというのは、民間巨大企業が収益をより拡大する手段として存在する。飽くなき資本の論理が、オリンピックの名の下に堂々とまかり通るのだ。

 この点で、プチ鹿島が、神宮外苑の変化を記している。オリンピックを契機にして、今まで高層ビルがなかったこの地域に、それが「雨後のタケノコ」のように出現したのである。高さ制限が緩和されたからである。ここでも民間巨大企業がカネ儲けをした。

 プチ鹿島は、『Journalism』にも書いているが、『世界』のほうがよい。彼はきちんと「安倍マリオ」までさかのぼり、その後の経過の中に森喜朗の「働き」を位置づけ、彼により様々な混乱が起きたことを示している。

 そして最後に、ネトウヨの元皇族をうみだした竹田恒和もとIOC会長の「贈賄疑惑」が現在も捜査中であることを指摘し、「もう日本に五輪を招致するのはやめませんか」と記す。同感である。

 しかし札幌に再び冬季オリンピックを招致したいというおめでたい日本人がまだいるようだ。

 

 

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2021-10-11 06:57:26 | 社会

 『世界』11月号に、国谷裕子さんが、亡くなられた内橋克人さんを追悼する文を載せている。NHKが自民党・公明党政権の広報機関化になるとともに、国谷さんがキャスターをしていた「クローズアップ現代」は大きく変質して他の時間帯に移動になった。

 国谷さんはこの番組を20年ほど担当したそうだ。その間に「国民の平均所得は120万円減少し。所得の不平等を表すジニ係数や相対的貧困率も次第に上昇していた」

 その流れは1990年代に始まった。

「1993年の11月、細川首相の私的諮問機関「経済改革研究会」から規制緩和についての中間報告、いわゆる平岩レポートが出された。経済的規制については「原則自由・例外規制」を基本とし、社会的規制は「自己責任」を原則に最小限に、と書かれていた。」

 日本の政治を破壊した小選挙区制も、この細川内閣からであった。今は陶芸に日々を送っている細川家の「お殿様」の罪は重い。

 こうした規制撤廃に対して、内橋克人さんは異議を唱えた。規制撤廃が進む方向には「地獄」が待っていることをやさしいことばで語り続けた。その通りになった。

 さて内橋さんの語り口はやさしく、語られることも庶民の生活を最優先に考えるものであった。内橋さんのような語りは、テレビや新聞からも消えていった。メディ関係者は、あたかも経済通であるかのように、財界や政治家と同じようなことをピーチクパーチクと語り、同じような考え方をした新自由主義者に語らせた。メディアは、現在の悲惨な日本にすることに大いに貢献した。メディアは万死に値すると私は思っている。

 「クローズアップ現代」では内橋さんを何度も招いた。内橋さんは、働き方の自由化、多様化は、「働かせ方の自由であり、働き方の自由ではない」とその本質を語り続けた。「競争力というのは単に人件費を安くしたから高まるのか、強まるのか。そうではありません。働く人一人ひとりの能力全体を高くしていくことが競争力になるのです。」と。

 日本のGDPは今なお世界第三位ではあるけれども、それ以外の経済的数値は下降し続けている。日本の平均賃金は、OECDのなかでも22位である(2020年)。

 財界優先、輸出企業優先の政策が、国民の生活を苦しく貧しい日本をつくってきた。

 100円ショップに行くと、「日本製」が増えたなと思う。低賃金の国でつくり安く販売するというシステム、その低賃金の国が今や日本となっている。コロナ禍により大きく減少したが、アジアからの訪日客は、「安い」日本を買いに来ているのだ。

 日本の現実を知れば、自民党・公明党政権ではダメだと思うはずだ。それをどれほど日本のメディアは伝えているのか。

  内橋さんの温厚で知的なお顔、自民党・公明党の政治家にはお目にかかれない顔だ。

 

 

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