『週刊金曜日』1347号、昨日届いた最新号、そこに落合恵子さんの、「追悼 内橋克人さん」が掲載されていた。「STAND ALONE 独り立つ」という副題がついている。
内橋さんの本は、私もいろいろ読んでいるが、そこにいつも温かい人間的な微笑みがあった。もちろん、内橋さんは正義感の強い人だったから、現実への怒りや哀しみももちろんあっただろう。しかしそれも温かな人柄により包み込まれていた。
今でも内橋さんの本は、読む価値がある。私も書庫からとりだして読み直そうと思う。
余談だが、落合さんの文にこう云うところがある。
「40数年前のことである。新聞の書評委員会が終わって、それぞれが関心のある新刊を手に立ち上がったあとのことであった。きら星のごとき、としか言いようのない(エラソーな星もいたし、媚びる星もいたかな?)先輩たちの中で、かたまっているしかなかった若年のわたし。頭越しの会話。自分たちだけが知っている誰かの噂話。そして「ここだけの話」の連発。正直、呼吸が浅くなった。門外漢でありたかった。あるいは仲間外れでよかった。まいったな。引き受けなければよかった、と悔いが走った。」
この書評委員たちは、とうぜん男たちだろう。男たちはエラソーだし、媚びるから。
私はそういう男たちのなかにいるのがいやで、研究会の役職からも引退した。「ボクって偉いでしょう!」と自慢する方々からの避難である。
畑で身体を動かしているときがいちばんの幸せだ。イヤな人間たちとつきあわなくてよい。
落合さんの文は、内橋さんの人柄をやさしく紹介している。