浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

勉強不足

2023-10-28 20:00:24 | 日記

 毎日本は読んでいる。今年夏、もう読まないだろうと判定した本は捨てた。読まなければならない本、読むべき本は残してあり、それらの本を次々読んでいる。

 最近、加藤陽子(東大文学部)の『戦争まで』(朝日出版社)を読んだ。とてもよい本である。大いに触発された。同時に勉強不足を感じた。

 日本の近現代史は私の得意分野であり、大方の歴史知識は持っている。だが、新しい資料が出て来たり、あるいは新たな問題意識から照射したときに歴史の読みはかわっていく。必要があれば本を読み勉強する。

 ほぼこの十年間、1980年代以降の自治体の動きを書かなければならなかったので、それに関する本は読んだ。またこれも必要があって、前近代の新書もかなり読んできた。ところが、日本近現代史についてはあまり読んでこなかった。加藤の本を読んで、私が持っている歴史認識が時代遅れになっているものがあんがい存在することがわかった。勉強不足を痛感した。

 もちろん時代遅れになったからとて、生活の上ではどうってことはないのだが、自分自身の歴史認識が部分的に時代遅れになっていることは、やはり何とかしなければならないと思うようになった。

 そのあと、佐高信と加藤陽子の対談本、『戦争と日本人』(角川学芸出版 新書)を読み、ここでも新たな知見を得た。

 加藤は、ほんとうに多くの史資料(もちろん文献も)に目を通していることがわかる。それらを、加藤なりの視点から読み解いていくのだが、そのプロセス、結論には、なるほどと感嘆している自分を発見する。

 年齢的に、記憶力が減退していて、以前は一度読めばその内容の概略があたまのどこかに保存されていたのだが、それが最近はダメになっている。線を引き、書き込みをして付箋を貼る。しかしそれでも脳細胞に記録されない。

 午後の3時間近くは農作業につかわれる。午前中が読書や原稿書きの時間としているが、雑用でよくつぶれる。やはり自覚的にこうした時間を生みださないといけないと、加藤の本を読んで思った。

 今日は、ある「たより」の編集を終えて、印刷屋に送った。40頁になった。綴じ込むためには、4の倍数でなければならない。私が書いたもののフォントを小さくして、何とか40頁におさめた。20人以上が原稿を寄せてくれた。二週間以内にできてくるだろう。そのあと発送作業がある。これが「たより」の最終号である。来年からは「〇〇から」という題で不定期に出すことにした。

 2023年で責任ある仕事から完全に離れることを決意している。しかし、それでも続けていかないと脳が退化してしまう。少しだけがんばろうと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする