小田実の『「難死」の思想』(岩波現代文庫)を読んでいる。小田もすでに亡くなっている。小田実の本もたくさん読んできた。というのも、私は高校生の時から、「ベ平連」の一員であったからだ。
私の青春は、ベトナム戦争とともにあった。本多勝一のベトナムでのルポなどを読み、あまりにアメリカ帝国主義がベトナムで行っている蛮行に怒りを持ち、「殺すな」ということからベトナム戦争反対の運動に入っていった。「ベ平連」の前は、確か「バートランド・ラッセル平和財団」というのがあって、そこから平和に関するシールなどを入手していたように記憶している。
小田実は、この本に収載されている「「殺すな」から」で、「殺すな」をみずからの原理として、それが「平等」、「自決」とつながり、さらにそれらは人間関係や国家関係などに敷衍され、その結果「世直し」へと向かう道筋を書いている。
小田の思考の軌跡は、私とも共鳴する。ベトナム戦争において、アメリカ帝国主義に対して「殺すな」を求めて、ベトナム反戦運動に加わった。私にとっても、「殺すな」は基本的な原理であり、それは原理として今も持ち続けている。
「「殺すな」から」の前には、「「生きつづける」ということ」という文があるが、私も「生きつづける」ことの大切さを十分に認識している。あまりにヒドイ状況であっても、「生きつづけ」て見つめることが必要だ。生まれ、そして生きつづけてきた私には、この世に責任があるからだ。
「この世」という場合、日本国内のことだけではなく、イスラエルの国際法違反の侵略行為により、「生きつづける」ことが困難になっているパレスチナの人びとが生きる現実も、もちろん包含される。
「殺すな」ということば、いや叫びは、普遍的であり、すべての思考の出発点になり得る。
小田実の「「殺すな」から」を読み、若い頃、みずからが何を考えていたかを振り返ることができた。