兵庫県知事のパワハラやおねだりが大きな問題となっている。兵庫県だけではなく、自治体の首長のパワハラ、セクハラなどが報じられ、いったい自治体はどうなっているか、という疑問が寄せられている。
わたしは、個々の首長の問題もあると思うが、それよりも構造的な問題があると思う。
いつの頃からか、新自由主義が席捲するなかで、自治体改革が叫ばれるようになった。自治体を私企業の経営に似せて経営するというものだ。
最近、もう読まないだろうと思って、自治体経営に関する書物を処分してしまったので、詳しくここに記すことはできないが、その特徴は、首長への権限集中、それに伴う上意下達のシステムの構築、旧来の組織的経営ではなく一定の目的を持ったグループ、それも首長直属のそれをつくっての運営、減量経営(正規公務員を減らし、非正規を増やす。公的な業務を民間企業などに委託する。要は人減らしである。)、浜松市の場合は、スズキ式経営方式を真似るということであった。
こういう経営方式が全国の自治体に普及した背景には、公務員の労働組合が弱体化したことによる。公務員の労働組合は、自治労と自治労連と分裂している。連合ができたときに、連合に入る公務員労組と、連合には入らない労組とが分裂したのである。後者は共産党系であるが、分裂する前は、自治労の中にいろいろな潮流があった。分裂する前は、自治労はいろいろな学習会をやっていて、わたしも講師を務めたことがある。しかし分裂してからは、呼ばれなくなった。わたしは共産党系ではないから自治労連からは呼ばれないし、自治労はそうした学習会をしなくなった。
わたしはそうなることを予想していた。共産党がいない労働組合は切磋琢磨がなくなるから闘わなくなる、共産党系だけの労働組合は加盟する労働者が減る。それは教員の労働組合でも同様で、日教組と全教に分裂し、前者は連合の芳野体制を支えているし、全教の組織率は後退している。全体的に労働組合の力は弱くなっている。
公務員労働者を守る労働組合組織が弱体化すると、公務員は個々バラバラに自分自身を守らなければならなくなる。その場合、力ある者に従うことによってみずからを守ろうと考える者がでてくるのはやむを得ない。
新自由主義的な行政改革と、労働組合の弱体化が、自治体の首長の専制化を生みだしている。
ただし、そういう状態であっても、いわゆる「出世」をしなくてもよい(給与が上がらなくてもいい)、上司に嫌われてもいい、指示があっても問題があると思ったらやらない・・・・などという姿勢を堅持できる人が多ければ、専制化は阻止できるはずだ。しかしそういう人間は、絶対的にマイノリティである。
現代においては、わたしはそうしたマイノリティ、少数派が抵抗の核になると思っている。