良い本だった。昨日のブログでも紹介したものだ。
いろいろな本が紹介されている。読まなければならない本がたくさんあるのに、この本を読んでさらに読みたい本が増えた。
自治体史などで歴史を調査し叙述している頃は、資料調査ででてくるテーマに関する本をひたすら読んでいたことを思い出す。そのために、そういう文献が蔵書として、どんどん増えていった。あの頃は、読みたい本を読めなかった。でてきた資料を日本の歴史、地域の歴史に位置づけていくためには、資料に関する智識をきちんと持たなければならない。それに、それに関する研究の動向をも視野に入れなければならないから、歴史を書くということはとてもたいへんなことだ。今、そういう仕事から足を洗ったので、好きな本を次々と読み進めている。至福の時である。
さてこの本は、図書館から借りた。もう本を増やしたくない、という気持ちが強いからである。
この本は、著者が今まで読んできた本について綴られている。巻頭は、『チボー家の人々』である。この本は、今も書庫にある。著者はこの本にいたくこころを動かされたようだ。わたしの場合は、やはりロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」だな。高校生の頃読みふけり、日記にこころを動かされた部分を書き出している。自分自身の精神の持ち方が、これによって決定づけられたような気がする。「ロマン・ロラン全集」で購入して読んだのだが、今はこの全集は処分した。字が小さくて二段組み。誰も読まないだろうと思い処分した。
次は林芙美子と郷静子、林については読んでいない。郷は『レクイエム』だけ読んでいる。次は、永山則夫。『無知の涙』だけ読んだことがあり、小説は未読である。鶴見俊輔、後藤郁子、茨木のり子。鶴見の本はよく読んできた。茨木も同様。しかし後藤郁子は知らなかった。
次に『詩の中にめざめる日本』(岩波新書)。これは最近、もう一度読み直そうと思って書庫からだしてきて、今足元にある。著者は、そのなかから沖田きみ子の詩をとりあげている。
順に書いていくのが面倒になってきたので、いくつか割愛。読みたくなったのは、長璋吉、「朝鮮短編小説選」(岩波文庫)、堀田善衛。堀田の本は何冊か読んではいる。もう一度読む必要があると思った。田辺聖子、森村桂。この二人については読んだことがない。朝鮮の文学を翻訳している長璋吉の本は、読まなければと思った。中村きい子の『女と刀』は読んだ。みずからの筋を通すということで、大いに学ばされた。
それから、李浩哲の『南のひと北のひと』(新潮社)。
他にも紹介されている本があるが、この辺で。こうした本に関するエッセイめいたものは好きだ。知らなかった本で、きっと読みたくなる本が紹介されているからだ。
読みたい本がたくさんある。まだまだあの世にはいけない。