朝鮮民主主義人民共和国から逃げてきた若き女性の自伝である。
同国が閉鎖された、凄まじい、金日成の家系による独裁国家であるという認識は、ずっと前に読んだ『凍土の共和国』で知っていた。それから同国の内部事情について書かれた本は読んで来なかった。この本を読んで、『凍土の共和国』から良くなるどころか、ますますひどくなっていたのを知った。
在日コリアンの女性が、「ディア・ピョンヤン」、「スープとイデオロギー」、「愛しきソナ」というドキュメンタリー映画を制作していて、それはAmazonPrimeでみることができる。大阪の朝鮮総連の幹部をしていた夫婦には4人の子どもがいた。そのうち、うえ三人の息子は、朝鮮民主主義人民共和国へと「帰還」した。ひとりの娘だけが残った。彼女が同国を訪問して映画を制作した。
三人の息子は、ピョンヤンに住んでいる。彼らの元へ、その夫婦がたくさんの物資やカネを送っていることから、ピョンヤンに住む息子家族たちは、ある程度の生活を保持している。それでも、ドキュメンタリーを制作した娘は、同国に対しては懐疑的である。
通常いわれているように、ピョンヤンに住むことが出来ている人びとは、「選良」だけである。そうでない人びとは、貧しいいなかに住み、何度も停電する暗闇のなか、食べるものもないような生活をしている。
自伝を書いたヨンミも、そうしたところに住んでいた。父親が持ち前の才覚で密売をすることにより、経済的に一定の豊かさを享受できた時期もあったが、そうでなければ何日も食べることも出来ない、極貧の生活が待っている。朝鮮民主主義人民共和国は「社会主義」を標榜しているが、一応学校は「無償」とはなっているが、教員に賄賂を渡さなければ通学も出来ない。だから彼女は、学校を満足にいくことができなかった。彼女の学力は、8歳程度であった。
同国は、「出身成分」と賄賂とコネが社会全体を覆う世界である。大日本帝国支配下で、小作農や労働者であったものはよい成分とされ、地主階層であった者らはわるい成分とされ、同国の社会では冷遇される。
人びとは「人民班」に組織され、自由に話すことが出来ない。密告が大きなちからを持った社会である。自由もなく、学校では何でも丸暗記、正解は一つだけだ。正解はもちろん国家が決める。
だから彼女は「脱北」を決意する。母と共に、鴨緑江を超え、中国へ逃げた。しかし中国では、同国から逃れてきた女性たちが人身売買されるところだった。レイプはあたりまえ。しかし朝鮮民主主義人民共和国にいるよりはマシだと、彼女たちはそれに堪えながら生きる。そして韓国への入国を画策する。
ヨンミと母は、ゴビ砂漠を越えて、モンゴルに入ることを決意する。瀋陽からバスで、中国からの出国を手助けしてくれる人がいる青島まで行く。そしてはるか西方にあるエレンホトまで行き、ゴビ砂漠を歩いてこえ、モンゴルに入国する。もちろん非合法である。
彼女たちは韓国に逃れることができた。しかしそこは朝鮮民主主義人民共和国とはまったく異なった世界であった。
彼女は、韓国でいろいろなことを学ぶ。まず自由であることについて。「自由がこんなに残酷で大変なものだとは知らなかった」「自由であるというのは、つねに頭を使って考えなければならないことなのだ」(261)。脱北者にとって、「自由は苦痛」だった。
彼女は学びの遅れを取り戻すために、ひたすら本を読んだ。
「ひたすら本を読んだのは、頭のなかをいっぱいにして、忌まわしい記憶を封じ込めるためだった。でも、読めば読むほど、考えが深まり、視野が広くなり、感じ方も豊かになるのがわかった。韓国には、私の知らなかったたくさんの語彙があり、世界を表現する言葉が増えれば、複雑なことを考える能力もより向上する。北朝鮮では、政府が国民にものを考えさせないようにしているし、微妙さを嫌うあらゆるものが白か黒で、灰色がない。たとえば、北朝鮮で表現することの出来る“愛”は指導者への敬愛だけだ。こっそり観ていた映画やテレビドラマで、“愛”という言葉がべつの意味で使われるのを聞いたことはあったが、北朝鮮の日常で家族や友達や夫や妻に対してそれを使う機会はなかった。でも韓国では、両親や友達、自然、神、動物、そしてもちろん恋人に対して、さまざまに愛を表現する方法があった。」(274)
「自分のなかに育つ言葉がなければ、本当の意味で成長したり学んだりすることはできない。そのことがわかってきて、自分の脳が文字どうり生き返るのを感じた。暗く不毛だった土地に新たな道が出現したみたいに。読書が、生きていることの意味、人間であることの意味を教えてくれた。」(275)
おそらく朝鮮民主主義人民共和国では、こうした自由な読書ができないのだろう。わたしも、読書は、彼女が発見したように、人間にとってきわめて重要な営みであることを認識している。最近、多くの人が本を読まなくなっていることを憂う。
彼女は、中学校卒業、高校卒業の認定試験を受けて合格し、東国大学へと入学する。
「2012年3月から、私の大学生活が始まった。大学はまるで、目の前に並べられた知識のごちそうの山で、食べても食べても追いつかなかった。一年目は、英文法と英会話、犯罪学、世界史、中国文化、韓国史とアメリカ史、社会学、グローバル化、冷戦などの講義をとった。そのほかに、ソクラテスやニーチェなどの西洋の哲学書を読んだ。何もかもがとても新鮮だった。私はようやく、食べ物や身の安全以外のことを考えられるようになり、より人間らしくなれた気がした。知識から幸せが得られることはその時まで知らなかった。子供の頃の私の夢は、桶いっぱいのパンを食べることだった。今ではより大きな夢を持つようになっていた。」(285)
そして彼女は「脱北者」としてテレビにも出演するようになり、それで得た金でフィリピンの語学学校に夏季休暇を利用して行った。さらにキリスト教の慈善活動に参加するために、アメリカへも行った。
そこで学んだことは。
奉仕活動をしている中で、「・・・私がそこにいるのは、他人のためではなく、自分のためだったのだとわかってきた。コスタリカのホームレスの人々は、私が彼らのために食事をよそったり、ゴミを拾ったりしていると思っていたかもしれない。でもそれは、本当は私自身のためだった。人を助けることで、自分の中にずっと人を思いやる気持ちがあったのだとわかった。ただ、そのことを知らず、表現することができなかっただけなのだ。人を思いやることができれば、自分自身を思いやることもできるようになるのかもしれない。」(298)
朝鮮民主主義人民共和国では、このような精神は育たない。ピョンヤンではあるのかもしれないが、他の地域では生きるのが精一杯で、生きるためには賄賂を使ったりしなければならない。また密告をおそれなければならない。誰が密告するかわからない世界。そのようなところでは、「思いやること」を排除する。
わたしは、最後の、韓国で彼女が学んだことに、とくにこころを動かされた。本書の眼目は、朝鮮民主主義人民共和国の生活、脱北しての中国での悲惨な脱北者の生活、国境を超えることの大変さ・・・など、彼女が体験したことを知ってもらいたいということなのだろう。それはあまりに壮烈としかいいようがないものだったが、それを克服して、ひとりの人間として生きていこうという積極性に、わたしはもっとも感動した。
なお、朝鮮民主主義人民共和国は、大日本帝国時代の日本の相似形だと、わたしは思っている。同国をそのようにした日本による植民地支配の罪深さを感じる。同時に、民主化以前の韓国の独裁政権にも、それを感じる。
朝鮮民主主義人民共和国の悲惨な状況を知るにつけ、大日本帝国が、朝鮮半島の人びとに、多くの災厄をもたらした事実を知っておかなければならないと思う。
よい本である。なおこれは図書館から借りたものである。