やっと読み終えた。他の本と並行して読んでいるので、なかなか読了できなかった。
さて、黒海からバルト海に至る「ブラッドランド」では、ナチスドイツとスターリンによって1400万人が殺された。
「1400万というのは、ナチス・ドイツとソ連が故意におこなった大量殺人政策により流血地帯で殺害された人々のおよその数である。」とスナイダーは書いている。
もちろん、この数字には、様々な脱落がある。詳しくは本書にあたって欲しいが、すべての死亡者数ではない。もっともっと多くの人が亡くなっている。
なぜ人間は、このような大量殺戮をおこなうことが出来るのか?ソ連ではスターリンが命令し、ドイツではヒトラーが命令した。その命令を受けた人々が、殺戮に手を貸した。実際に殺戮をおこなった者たちはどのような人間で、彼らに責任はなかったのか。
ハンナ・アーレントの結論は、彼らは「凡庸な人間」であった。命令に従順になる人、殺戮すれば上司の覚えがよくなると思った人、そうすれば出世すると思った人・・・・・・・
そして大量殺戮がおこなわれたあとに生き残った人びとは、みずからを「被害者」と位置づける。
「20世紀の大戦争や大量殺人は、すべて最初に侵略者や犯罪者が自分はなんの罪もない被害者だと主張するところからはじまっている。」(263)
日本国政府もご多分に漏れず、「ABCD包囲陣」により、戦争を余儀なくされたのだ、被害者だと主張することと同じである。
ブラッドランドでは、たくさんの人が殺されたが、戦争に関わったそれぞれの国は、「戦争犠牲者」として死者の数を「盛っている」。死者は、ナショナリズムや「被害者だと主張する」なかで、水増しされる。
スナイダーは、1400万人という死者の数を、このように考えるべきだと主張する。「1×1400万人」。つまり殺されたひとり一人に着目させようとする。その通りだと思う。
さて今も、イスラエル国家は、ガザをはじめ、周辺の国地域に住む人びとに爆弾の雨を降らせている。イスラエルに来たユダヤ人のなかでも、このブラッドランドから生き延びてきた人が多いという。ブラッドランドはでは、その名の通りたくさんの血が流された。そういう体験をもった人びとが、イスラエルに移っていった。
暴力に囲まれて生きていた人びとは、暴力を憎むのだろうか、それとも自分が暴力を振るうようになるのだろうか。
歴史は、ここだけではなく、地球上のどこでも、暴力が吹き荒れ、多くの血が流された事実を刻む。
人間とはいかなる存在なのか。この問いは、今でも考える意味がある。