浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

呪術の世界

2020-01-23 14:43:19 | 政治
 森本あんり氏が、『世界』2月号で「政治的神話と社会的呪術」という論文を載せている。長いものではないが、きわめて刺激的な内容であった。

 現在、アベ政権の森友、加計、桜・・・・その他、信じられないほどの醜聞が明らかになっている。しかしそれら醜聞が、野党政治家やメディアが厳しく追及しても、政府やそれを支える官僚たちは、平気でウソをつき続け、真実を隠蔽し続けている。
 その背景の一つとして、読売新聞、産経新聞の存在がある。読売や産経は、はっきりとアベ政権を支える方針をもって紙面をつくっている。アベ政権がウソをつけばウソを書く、隠蔽すればそれを支える。さらにテレビメディア、とくにワイドショーがそれを支える。

 真であるAという事実があるのに、虚偽であるBという事実を対置する、あるいは真であるAという事実があるのにそれをないとする、そういう報道を読売、産経、テレビはやっているのだ。となると、Aが真であることを知らない人々は、AかもしれないしBかもしれない、あるいはAはあったかもしれないけどなかったかもしれない、という宙ぶらりんの状況におかれる。
 支配層は、そのように有権者を「宙ぶらりん」の状況におくことにより、私利私欲を追求しているのである。つまりメディアは、支配層のために有権者をだましているのである。そういう機能をもつものとして、メディアは存在している。

 だから今、私たちには、選挙民を「宙ぶらりん」の状況から、きちんと大地の上に立たせることができるかどうかが問われているのではないかと思う。

 同時に、これは日本だけではないということだ。アメリカでも、イギリスでも、同じような状況は存在する。だとするならば、21世紀の世界的な「構造」の問題としてこれをとりあげなければならない。

 さて森本氏は、カッシ-ラーやハンナ・アーレントの著述をもとに論じていく。氏は、アーレントの「事実というものは、もはや大衆への説得力を失ってしまった」ということばを引く。アーレントはすでに亡くなっているのに、この言葉はまったく現在の状況を指摘しているようだ。「大衆化」という動きの中で、すでにそのような事態は存在していた、というわけだ。

 森本氏は、「人は、正しいと思うから納得するのではなく、納得するから正しいと思うのである」と記す。また「他人が何と言おうと、権威筋の偉い人が何と言おうと、「自分がそれをほんものと感じられるかどうか」「それが自分の心をふるわせて感動させてくれるかどうか」がものごとの真偽を決するのである」として、それを「神秘主義」という。「ファクトよりもフェイクを受け容れる現代人の傾向は、こうした信憑性構造の時代的な変容に相即している」と指摘する。

 まさに「構造」なのである。それも国境をこえた「構造」なのだ。この「構造」を解明し、それをどう克服できるかの道筋を提起できるかどうかが肝心だということになる。

 氏はこう指摘する。「われわれの認知構造がひとたび大きく変化すると、個々のファクトはすべてそのフレームに合致するように解釈される。もし人びとの思い込みを正そうとするなら、個々のファクトでなくそのフレーム全体に関わるような価値観や世界観のシフトが起きなければならない」と。そのフレームは、「政治的に作りだされた人工物」であり、つまり支配層によってつくられたすじ道なのである。

 氏は、その打開の道を示すことはしていない。「現代社会が目撃しているあからさまな人権無視や民主的正統性への侮蔑、平和や正義といった理念の無効化の次には、何が来るのだろうか」と記して、文をほぼ終えている。

 どうすればよいのか。私たちは考えなければならない。これは世界的な「構造」の問題なのである。
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2020-01-23 13:53:23 | 政治
 アベ首相の周りにいる人の顔って、どうして人間性豊かな顔が一つもないのだろうか。皆一様に、傲慢な顔をしている。

 買収の原資か 河井前法相夫妻「選挙資金」1億5千万円の「入出金記録」を入手した

 こういう輩が悪事を働く。
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安倍周辺には、品性下劣な人ばかり

2020-01-23 13:40:53 | 政治
夫婦別姓問題発言中 女性議員がヤジ「結婚しなければいい」

 こういう人間たちが、日本の政治を担っている、恐ろしいことだ。
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【映画】韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」

2020-01-22 22:41:48 | 映画
 毎日映画コンクールで、「新聞記者」が日本映画優秀賞を獲得、また女優主演賞がシム・ウンギョンであった。シム・ウンギョンは、韓国版「のだめカンタービレ」でも主演をし、また「サニー 永遠の仲間たち」でもほぼ主役であった。

 この「サニー 永遠の仲間たち」は、アマゾン・プライムでみることができる。女子高校生の不良集団(?)だった人々が、歳をとってから再会するというストーリーだが、なかなか感動的である。内容は女性向きかもしれないが、男性が見ても感動する。

 高校生の頃は人生のその先に何があるかわからない、不安や希望を持って、その時期を面白おかしく生きる。しかしその時期は、あっという間に過ぎてしまい、その後はそれぞれが様々な選択を重ねながらみずからの人生をつくっていく。

 しかしあるとき、ふと高校時代、青春の時期を振り返るときがある。ああ、青春は輝いていたなあ、今は輝いていない、とか、失恋の経験やけんかなどの思い出がふと出てくる。

 仲間の一人が癌を発症し余命幾ばくもないという診断が下されたことをきっかけに、高校時代の仲間たちを探し出す。仲間はそれぞれの道を歩むが、高校時代の結束は心の中に燃え続けていた。仲間は、長い間離れていたが、仲間は永遠の絆でつながれていた。

 最後の場面が素晴らしい。あり得ない話ではあるが、仲間が復活し、同時に人生が開けていく。

 見る価値は十分にある。
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【本】安田浩一『愛国という名の亡国』(集英社新書)

2020-01-22 14:59:42 | 
 読みやすい本である。ネットなどでさらっと情報を読んで、あまり詳細なことを知らなかったことがここではきちんと書かれている。

 まず第一章、「愛国という亡国」は、右翼とネトウヨのことが書かれている。右翼とネトウヨは今ではほとんど同じような存在になっているが、そうではない右翼もいる。沖縄で反基地の運動に関わっている右翼もいる。右翼であれば、それが本当の右翼と言えるだろうが、ほとんどの右翼は安倍晋三やネトウヨと共同歩調をとっている。
 そのなかに森友学園の籠池泰典もいた。今では、安倍晋三に裏切られ棄てられたことから、反安倍政権の先頭に立っているが、しかし森友学園を経営していたときの籠池の行動はまさにネトウヨと同じであった。籠池がどれほど過去のみずからの行動を自己批判しているかどうかわからないので、安易に判断は出来ないが、そういう過去があったことをふまえていかなければならないと思う。しかし右翼やネトウヨというのは、切るときは素早く、かつ徹底的であることが、この森友事件で知った。

 第二章は、「移民を拒む移民国家」である。すでに日本ではたくさんの外国人が働き生活している。にもかかわらず、日本政府は公式には「移民」を認めていない。外国人労働力なしには日本経済は立ち行かなくなっているにもかかわらず、である。一方では実習生という名の低賃金で働き必ず出身国に帰国させるという外国人労働者の存在がある。彼らに対しては、日本政府はまったく庇護する気配はない。使い捨て労働者としてのみ使っていこうという野蛮な雇用者と足並みを揃えて見て見ぬふりである。長野県川上村の事例が記されている。また帰国を迫られたタイ人母子のことも記されている。日本の入管の非人間性があぶりだされる。

 第三章は、「デマと愛国。沖縄編」。アベ政権の政治と歩調を合わせるネトウヨや右翼は、沖縄への差別を平然と行う。その事例が記されている。東京都知事の小池百合子の沖縄蔑視も書かれている。小池も、ネトウヨをつながるところがある。

 第四章は、「時のなかの生」。ジャーナリストの本田靖春のことが記されている。私も本田の本はほとんど読んでいるが、ジャーナリストとしての本田の人間性の一部が記されている。笹川陽平、池口恵観、二人の人物について書かれたことについてはまったく知らないことであったのでとても参考になった。

 第五章は、「ヘイトの現在地」。ヘイトスピーチは、強力なカウンターの力によって表面にでてくる者は減ったが、まだまだのさばっている。彼らのヘイトスピーチをはじめて知ったときの驚愕を忘れられない。よくもこんなひどいことを平気で、大声で、それも公の場で語れるなあと思った。ネットに書き込まれている同じことが街頭で叫ばれているのだ。私には、とても信じられないことである。なぜそんなことができるのか。その背景にあるのは、アベ政権そのものがヘイトスピーチの仲間だからではないか。アベ政権=ネトウヨ=ヘイトスピーチ集団。

 地方に住む者に、東京を中心にどういうことが起きているのかを知る良い本である。多くの人に読んでもらいたい。
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コンビニ

2020-01-22 10:04:37 | 社会
 コンビニはほとんど利用しない。唯一利用するのは、コピーである。図書館から借りだした本で、重要であると判断したところをコピーして保存するためだ。ミニストップのコピー代が1枚5円なので重宝している。それ以外には利用しない。

 そうした私は、コンビニが作られては消えていくという「現象」から、経営者の苦難を思うだけである。コンビニ業界が過酷であり、本部だけが儲かるという構造は、ずっと前から報じられていた。にもかかわらずコンビニ店主となってみずからの生活を破壊する人が後を絶たない。
 経営者のことを思うと、24時間営業なんて必要ないと思う。煌々と明かりをつけているなんて、電気の無駄遣いだと思うし、深夜働く人の大変さを思うと、24時間営業なんかはやくやめればよい。

 さて『世界』2月号には、前号に引き続き斎藤貴男による「コンビニ絶望経営」がある。

 本部から契約を取り消された大阪の店主・松本実敏さんのこのことばが重い。

 日本のコンビニの歴史は、社会を狂わせ、人間を駄目にする歴史でもありました。

 として、店のトイレの使用、駐車場の長時間停車、店のゴミ箱に家庭ゴミなどを捨てる、店の前で人々がたむろする・・・・・をあげる。

 「コンビニの人間には何をしても許されると思い込んでいる消費者が多すぎる」

 本部が「お客様第一主義」を店に強いてきた結果が、客のわがままし放題なのであった。

 問題を多数抱えたコンビニが、実は国家的保護に支えられて発展してきたことを、この文を読んで初めて知った。「中小小売商業振興法」がそれである。全国各地にあった個人商店、今ではほとんど消えかかっているが、国家はそうした個人商店がきわめて非効率であると認識し、それらを潰し、コンビニのような「効率的」な店舗の拡大を図ったのだ。

 斎藤はこう書く。

コンビニは国家に庇護され、大いに優遇されて今日の繁栄に至ったのである。結果は、はたして生業としての零細な店はことごとく淘汰された一方で、加盟店に対するFC本部の「優越的地位の濫用」が当たり前になった。

 私は小規模な個人商店が消されていった背景には、もうひとつ、規制が緩いままに出店がなされていった大店の進出があると思う。ほとんどの都市の中心商店街はシャッター通りと化し郊外のショッピングセンターに人が集まるという構造が、国家の庇護により推進されていったのである。

 中小や弱者が蹴散らされていくという社会。こうした社会を、私たちは望んでいるのだろうか。

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『世界』2月号

2020-01-21 08:48:23 | メディア
 『世界』2月号を昨日から読み始めた。「フィクション化する政治」という特集名に違和感を感じたことからなかなか読み出さなかった。

 特集の鏡に、「真実と虚構の境界線が、もはや意味を失いつつある」とあるが、岩波書店もそういう書籍を発行しているではないかという突っ込みをいれたくなる。しかしその文を読むと、フィクションに期待を寄せているようなのである。なるほど栗原康の歴史的事実をねつ造している「伊藤野枝伝」、『村に火をつけ、白痴になれ』は、そうした視点から刊行したのかと思ってしまう。しかし、実在の人物について「伝」とする以上、きちんとした事実の上に立たなければ、「伝」ではなく、著者の主観的著作物(フィクション)になってしまう。岩波はそうしたフィクションに期待をするのだろうか。ならばその場合、これはフィクションである、これは史実に基づいているものである、という「峻別」がなされるべきである。栗原のその本は、言うまでもなくフィクションである。
 特集において、斉藤美奈子氏は「抵抗するフィクションを探して」において、日本文学の中に、果敢に現実に挑む作品を紹介している。長い間、日本文学は、とりわけ純文学というものは、社会問題をネグレクトし、ひたすら自分自身のことをあーでもない、こーでもないなどとこねくり回してきた。そうした状況に切り込んだプロレタリア文学があったけれども、弾圧によって息の根をとめられてしまった。
 しかし戦後、社会問題を正面からとりあげたよい作品がでていることは私が指摘するまでもない。大岡昇平、五味川純平、小田実、野上弥生子・・・・・
 斉藤は、近年刊行された小説の中に、「抵抗」が描かれたものを紹介する。沖縄、アイヌをテーマにした作品群である。いずれも読みたくなる。斉藤は、「権力の横暴に抗って、虐げられた民衆が立ち上がる」という作品は、「人を動かす力があるのだよ、フィクションには」と記す。そうだろうと思う。
 斉藤美奈子氏の文は、できるかぎり読んでいる。小気味よく、批判精神旺盛で、内容がある。
 だが、栗原の先の本は、伊藤野枝という人間を誤った理解に誘うものだ。斉藤が紹介した本と、まったく異なる。岩波が、よくもこんな本を出したものだという評価をする人は多い。

 この『世界』2月号には、高木博志氏の「近代天皇制と「史実と神話」」という重要な論考がある。その結論は、史実と神話とを峻別せよ、というものだ。私も近代天皇制について調べたことがあるが、近代天皇制は神話と明治初期につくりだされた虚構によってなりたっている。近代天皇制のそうした本質は、戦後の歴史学が解き明かしてきたが、その際の手法として神話と史実とを峻別することであった。しかし近年、史実ではなく、神話を強調する流れがでてきている。神話の土俵でものごとが進んでいく。そのことに警鐘を鳴らしたものが、この高木氏の文である。

 昨日読んだのは、澤地久枝氏の「痛哭の記」。中村哲氏に対するテロ、それによる死について記したものだ。素晴らしい文章である。「メディア批評」も中村さんの死に言及している。それを取り上げた各社新聞社説の比較があるが、中村さんの非戦の願いをきちんととりあげたのが東京新聞、次いで毎日新聞、朝日新聞は「何とも曖昧」とする。朝日新聞らしい。朝日新聞は、いつでも曖昧にして逃げをつくる。朝日新聞は、ずるい書き方をする。それは昔からだ。むろん、読売、産経は言及する価値なし。

 そのほか、オリンピックの問題をとりあげた文、コンビニの問題を扱ったものを読んだ。

 今月号の『世界』はよい文が並んでいる。
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「国益」が削がれる?

2020-01-21 07:42:37 | 政治
 私は「国益」ということばが好きではない。「国益」といった場合、誰にとっての「国益」なのか。その多くは、支配層にとってのものであることがほとんどであるからだ。多くの場合、庶民にとって無関係な「国益」であることだ。

 さて韓国徴用工裁判で、戦争責任、植民地責任にほおかむりし、戦後補償を無視してきた自民党や安倍政権は、韓国に対して経済制裁を行った。制裁というか、いじめである。その所業は、上から目線で、韓国を東アジア経済の重要なパートナーであることに目をつむったものであった。

 確かに韓国にとって、大きな衝撃であった。しかし、韓国だって負けてはいない。何とその経済制裁を逆手にとってきちんと対応策をたててきた。要するに、日本に依存しない経済体制の構築である。

 ということは、安倍政権は、明確に「国益」を損なう政策を行った、ということである。

古賀茂明「安倍政権が甘くみた韓国の脱日本路線」
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やらせレビュー

2020-01-20 12:36:19 | その他
『日経ビジネス』に「アマゾン「やらせレビュー」の首謀者を直撃、楽天も餌食に」という記事が載った。

 そうだろうな、と思う。私は、メーカーを知らない場合、いくら評価が高くても買わないようになった。「やらせ」のレビューがたくさん寄せられているから評価が高いのだ。評価が高い=よい商品ではないのである。とりわけ中国企業の場合は買わない方がよい。それで私は二度失敗している。値段的にはそんなに高いものではないからいいけれども、しかし、だまされた人が多ければ多いほど、その「やらせ」企業はもうかることになる。

 この記事でも、最後にインタビューアーが「罪悪感は?」という問いに、「ありません」と答えている。答えている人は中国人である。

 アマゾンで買う場合、星一つを必ず読む。そうすると買わない方がよい、と判断できる。

 なお、「やらせ」レビューをして儲けている者がいるわけだ。こういう人々にも尋ねてみたい、「罪悪感は?」と。答えは、「ありません」なのだろうが・・
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専門家の意見

2020-01-20 08:33:43 | その他
 学生時代の後輩からの年賀状、そこには読んでいる本の名が記されていた。まったく知らない著者であった。

 学生時代からの習性で、私は新しい分野についての知見を得ようとする際には、その分野において学問的に評価された著者の本をまず読む。いい加減な内容の本は、認識を曇らせるからだ。

 しかし後輩君は、そうしたことをしない。学生時代に同じサークルで研究活動をしていたのに、なぜそういう習性が育たなかったのかといぶかしく思う。

 現在は、ネットを中心にいい加減な内容のものが飛び交っている。本でもそうだ。昔は本が出るということはそれなりにきちんとした方法で、きちんとした根拠を持って書かれたものが多かったが、今はそうではない。あらゆる分野で、いい加減な本が出版されている。それは岩波書店も同様である。岩波から出版されている本を読んで、そのずさんな記述、思い込みによる独断・・・に驚いたことがある。最近のことだ。岩波書店編集者にも知性劣化があるのかもしれないが、ほかの出版社でも同じことがあるのだろう。その著者が今までに書いた文章をきちんと読んでいないからそういうことになる。いくつか読み込めば、その著者の書いていることが根拠を持った正確なものであるのかどうかはわかるはずだ。

 さて話は変わって、Ghosnの事件については、郷原氏の意見がまっとうであると思う。新聞記事や、それ以外のものをいろいろ読んでみたが、きちんと事象を専門的な知見をもとに批判的に判断しているのは郷原氏のものだと判断した。

 この意見は、参考になる。

「ゴーン逃亡は裁判所の責任」論の誤り~検察は、身柄拘束をいつまで続けるべきと考えていたのか
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いい加減にしろ、NHK

2020-01-19 13:36:46 | メディア
 今日、「NHKの放送受信料 契約・収納業務 受託事業者 (株)ワークスの社員が訪問してきた。

 私の家は、受信装置がない。以前、同じような「社員」が、携帯電話で受信設備があればカネを払え、といってきた。私のケータイはワンセグの機能はない。

 次いできた同じような「社員」は、カーナビで受信できれば払う必要があるといってきた。だいたいにして、私の車のカーナビは停車しているときだけテレビは映るが走っていれば見られない。わざわざテレビを見るために車に乗ることはしないと説明した。

 私は念のため、ディーラーにいって、テレビ受信ができないようにした。

 その後来た同じような社員が、同じようなことをいうので、では車のカーナビを見てほしいというと、そこまではしませんという。

 しばらく来なくなった。しかし今日来た。

 私はテレビを見ないし、受信設備がない、ということを、こうした会社は情報として共有することはないのだろうか。

 私は、怒りを持って、今日、この社員に説明した。

 もう来るな!!! NHKのような「御用メディア」も、白痴化路線をばく進する民放テレビも見ない。

 音楽を聴きながら読書をしているほうがよほど精神的に豊かな日々を送ることができるかを、NHkは知るべきだ。

 NHkが来るたびに、私の貴重な時間は奪われ、精神の落ち着きが奪われる。

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社会民主党、解党へ

2020-01-19 10:33:49 | 政治
 ついに日本社会党ー社会民主党が、2020年に消えていくようだ。私は、日本社会党ー社会民主党につかず離れずきたが、これで完全に手を切る時が来たというわけだ。

社民大分県連が「立憲と合流方針」 村山元首相の地元、国会議員4人のうち2人所属

 社民党解党について、私はつい最近もこのブログに書いた

 細川内閣における小選挙区制への賛成、自社さきがけ内閣であった村山政権のときに党是を簡単に捨てた社会党、その姿はあまりに情けなく、政党として心がなく、自滅の方向に舵を取ったと思った。民主党ができたときに社会党国会議員は全員が民主党に入れると思っていったら、小沢一郎にそれを拒否され、左派系の議員は排除された。それで排除された議員が社会党に残り、現在の社民党になっている。しかし小選挙区制では議員を送ることはできない。いつも選挙でやっと当選して政党要件を維持することができていた。

 社民党中央は、みずからの選択について総括もせず、反省もせずにやってきた。そのまま社民党は解党するようだ。

 私もこれで完全に社民党と手を切ることになる。だからといって立憲民主党とはならない。東日本大震災、福島原発事故の時に、「安全だ、安全だ」などと事実に基づかないことを繰り返していた官房長官が枝野であった。

 福島原発事故について、政府の「安全だ、安全だ」という主張を信じないように、私は世界から情報を集めてこのブログで発信し続けた。今ではこのブログを読む人は減ったが、原発事故の際にはものすごく多くの人がアクセスしてきていた。それほど民主党政権は、正確な情報を出さなかったのである。その中心に枝野がいた。

 小沢一郎が、小選挙区制の目的を、日本社会党潰しだと明言していた。その期待通りに、社民党は歴史のくずかごに捨てられるのである。

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新聞の衰退

2020-01-19 09:59:46 | メディア
 『朝日新聞』が、「新聞を発行する不動産業」の会社として存続する方針をたてているという。そのために、中堅どころの社員の早期退職を募っているそうだ。その条件として、社員の平均年収1200万円で退職一時金が6000万円、退職後は60歳まで年収の4割を支給、その後定年の年齢まで毎月10万円を支給するらしい。なかなかの好条件である。
 しかしおそらくやめていくのは、ペンでなんとか収入が得られる人であろう。ということは、有能な者ほど去って行くというわけだ。

 新聞の購読者が減っている。それはずっと前から指摘されていたことで、驚くに当たらない。とはいえ、日本の新聞購読者数は世界的には多いはずだ。なぜ減っているのかをあまり考えていないのではないかと思う。『朝日新聞』の特徴として、一貫した主張をしない、問題が起きそうだと逃げる、良識的でリベラルな主張は知識人に原稿を寄稿してもらう、断定は避ける(「・・しそうだ」)、権力に基本的に逆らうようなことはしない、安倍政権であっても・・・・
 リベラルな主張は紙面ではなく、Web Ronzaなどに多く見られるが、それも権力への忖度ではないかと思ってしまう。

 私もつい最近までネットで『朝日』を読んでいたが、今は『毎日』である。『朝日』のずるい姿勢が鼻につくのだ。

 どこもかしこも人減らし。新聞業界も例外ではない。他社も同様で、人手不足で労働強化、とりわけ地方支局や通信局は、管轄するエリアが広がり、統一地方選挙の際にはととてもたいへんで、記者になって地方に赴任する若手がやめていくそうだ。

 日本において、ジャーナリズムは消えていく運命にあるのだろうか。ネットで繰り広げられている怪しげな情報のやりとりが、日本人の情報取得の主な手段となっていく。検証された信頼できる情報が、日本では希少価値となっていく。

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とてもよい話

2020-01-18 21:52:48 | 社会
れいわ舩後議員の国会活動支える佐塚みさ子さん 看護のプロとしての自負
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【本】水本邦彦『村 百姓たちの近世』(岩波新書)

2020-01-18 20:52:31 | 
 シリーズ日本近世史の一冊。歴史の研究はどんどん進み、こうした本を読まないと、研究の進展に追いつくことができない。私は近世史を研究しているわけではないが、近現代史は近世史の研究成果の上に研究されなければならないという観点から、こうした前近代に関する本も読む。ただし、専門書はもう読まない。新書のような簡便な、それでいて研究成果をきちんと反映しているようなものを買い、また読むのだ。

 読んでいると、そうだったのか、と今まで疑問をもったままであったことが、わかるようになる。

 まず指摘しておきたいことは、「近世領主の大きな特色は広域の水利土木事業の推進にあった」(6ページ)という記述である。近世において、洪水を防ぐとか、河川改修は領主の勤めであった。しかし現在の日本政府は、そうしたところにカネを使わないために、全国各地で水害が起きている。安倍政権は、近世の幕府や大名以下の政権であることを、まず記しておきたい。

私は亡くなられた藤木久志氏の本をいろいろ読んでいるが、中世戦国時代とはたいへんな時代であった。現在この日本列島に生きている日本人の先祖は、戦国時代を辛くも生き延びることができた先祖のおかげでこの世に生をうけているということだ。中世は、自力救済の世界。誰も守ってくれないから自らの権利は自らの力で守らなければならなかった。しかし、秀吉、家康と近世幕藩体制が成立し戦乱がなくなったことから、人々は生業に専心することができるようになった。中世から近世への時代変化は、したがって「進歩」ということになる。

 近世になって戦乱なき社会になって、新田開発が進み、生産力が上昇し、人口も増えていく。17世紀初頭の人口は1200万人から、18世紀初めには3100万人となった。

 現在は人口が減り始めていて、このままでは減る一方である。ということは、幕藩体制下の政治よりも現在の方が悪政が行われているということでもある。

 話は変わって、私は今日も畑に行った。私は、農薬も化学肥料もつかわない。鶏糞と苦土石灰だけを金肥としてつかう。それ以外は、実家の垣根となっている槙の枝葉、草などを畑に入れて肥料としている。近世の農法である。近世は入会地・草場から草を取ってきて肥料とする。しかし人口が増えたりするとそこがはげ山になってしまう。肥料が不足し、富裕層は干鰯などの金肥を購入しさらに豊かになっていく。しかし貧困層は金肥を買えず、生産力をあげることができず、農閑余業に精を出すなど、格差が生まれてくる。近世後期は、貧富の差が拡大するが、こうした背景があったということである。

 ほかにも貴重な記述がある。

 なおこの著者、私が卒業した高校の先輩であるようだ。名前は昔から知ってはいたが、これは初めて知った。

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