有村溶岩展望所からは大隈の肝付兼続が薩摩の島津義久に13年に渡り抵抗した早崎の塁跡の山が見えます。いかにも山城がありそうな山です。今でこそここから陸続きですが、桜島と大隈半島が繋がったのは大正の大噴火の後のことなので、当時は城の手前は海だったはずです。非常に攻めにくそうな天然の要害であることが分かります。
元亀三年(1572年)、肝付・伊地知・称寝の連合軍が島津義久に叛したとき、この早崎の塁は肝付の勇将、川南安芸守が守っていました。島津方は夜陰に紛れて瀬戸を渡り、密かに早崎の塁に迫り、9月27日未明、早坂の塁を急襲しました。不意を突かれた川南軍は断崖に追い詰められ、次々と飛び降りたそうです。その姿がまるで花びらが散るようであったということから、この地は散花平(さんかびら=サックヮビラ)と呼ばれるようになったということです。
途中、有名な桜島大根が植わっているのを見つけました。
初めて知ったのですが、大根の種は上の写真のように葉の先に実をつけるんですね。
天然記念物に指定されている、薩摩鶏です。観賞用の鶏だそうですが通常良く見かける鶏の1.5倍位の大きさがあり、堂々たるものです。
昭和火口が良く見えるスポットまでやってきました。火口からは水蒸気が上がっています。
最後に、フェリーの船着場からちょうど島の反対側辺りにある黒神埋没鳥居です。大正の大噴火により、元々3メートルあった鳥居が上1メートルを残して火山灰に埋もれてしまったのだそうです。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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