一旦鹿児島に戻り、さらに山形屋前バス停からバスに乗り約1時間半、鹿児島市を挟んで今度は全く反対方向の知覧特攻平和会館へと向かいました。
到着したときは既に午後2時を回っていましたが、ここでとりあえず昼食。写真は麺に竹炭を練りこんだ「竹炭ラーメン」。変わっていますが味は普通です。
冒頭の写真は2007年の映画『俺は、君のためにこそ死にに行く』の撮影のために復元された陸軍一式戦闘機「隼」です。当時、この隼が知覧特攻基地から120機ほど出撃して行ったそうです。
すぐ隣には特攻隊員の像「とこしえに」(写真左奥)。そして右手前がそれを見送るように佇む特攻の母の像「やすらかに」があります。これらの像を見ているだけでも胸に迫るものがあります。
これは俗に「三角兵舎」と呼ばれた、特攻隊員の宿舎の復元です。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕を掘り、屋根を杉の幼木で覆い偽装していたそうです。出撃前夜にはこの三角兵舎の中で壮行会が行われ、隊員たちは酒を酌み交わしながら隊歌を歌い、遺書や別れの手紙をしたため出撃していったそうです。
三角兵舎内部の様子です。
三角兵舎内には戦闘機の残骸や隊員たちの写真などが展示してあります。
平和会館の中は撮影禁止のため写真はありませんが、「隼」、「飛燕」、「疾風」など各戦闘機の復元や引き上げられた零戦の残骸、特攻隊員の遺品や遺書などが展示してあります。
とりわけ胸を打つのが隊員たちの遺書です。内容もさることながら10代後半から20代前半の若者たちが書いたものとは思えないほど達筆で表現力も高度なのです。戦争によってどれほど多くの惜しむべき優秀な人材を失ったことでしょうか。また生き残った人たちによって成し遂げられた戦後復興は、これだけの教養と公徳心があったからこそ可能だったのではないかと感じました。
遠い昔のようで僕が生まれるわずか28年前の出来事。恐らく僕よりもはるかに若くして立派だった人々の犠牲の上に今日の平和と繁栄を享受していられるのですから、何らかの恩返しをする使命と責任があると思いました。安逸な生活を貪っている僕に大それた事を言う資格はないと思いますが...
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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