
アグラ城砦は、1573年にムガル帝国第3代アクバル大帝(在位1556年~1605年)によって築かれ、第5代皇帝シャージャ・ハーンまでムガル帝国の居城となった城です。

ムガル王朝を名実共に帝国に発展させたアクバルが、その権力を誇示するために造った壮大なもの。タージ・マハルと並び今回4度目の訪問となります。城郭の75%は現在インド陸軍の駐屯地となっており、われわれが見学できるのはわずか25%に過ぎませんが、それでも相当見ごたえのある遺跡です。

1573年頃の世界(地図をクリックすると拡大します:「世界歴史地図」より)。

高い城壁と二重構造の堅固な濠。外側は水濠で鰐を放ち、内堀は空堀でライオンやトラ、毒蛇などを放って敵の侵入を防いだといわれています。

何故か外に置いてある、皇帝が使用したとされる風呂桶。

アクバルが妃と息子ジャハンギールのために建てたジャハンギール宮殿。

ここでの見物は、ヒンドゥー教徒の妃とイスラム教徒の妃のために造られた、それぞれの住まいです。アクバルは拡大した帝国を統治するために、支配者層のイスラム教と被支配者層のヒンドゥー教徒の融和を図りました。上の写真はヒンドゥー教徒の妃の住まいですが、柱などにヒンドゥー様式の彫刻が見られます。

一方、こちらはイスラム教徒の妃の住まい。

壁の一部を叩くと、中が空洞になっていることが分かります。これは暑さをしのぐため、中に水を通して部屋を冷やすための仕組みだそうです。

別の妃の部屋ではこんな窓も。外側から見ると塞がっているように見えますが、

中から見ると、このように風が通るようになっています。

アグラ城砦の中で最も壮麗なのは、第5代皇帝シャージャ・ハーンが造った宮殿です。タージ・マハルからも分かるとおり、大理石を好んだシャージャ・ハーンの宮殿は、全て大理石で造られています。


見事な彫刻が施された、私的謁見の間。部屋の向こうには噴水、その先にハーレムがありました。ハーレムの中庭には、ワイン醸造のため葡萄が植えられていたそうです。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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