窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

アグラ城砦③

2011年12月18日 | 史跡めぐり


  シャージャ・ハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために造った豪華な風呂は、ガイドに1,000ルピーを払うと見られるという、公然の秘密のスポットです。



  この風呂の何が凄いのかといいますと、壁や天井に刻まれた透かし彫りの模様の奥に、小さな鏡が無数に埋め込まれているのです。



  したがって、この部屋の中でロウソクの火をちらつかせると、ゆれる炎が鏡に反射し、満天の星の如くキラキラと輝いて見えるのです(上の写真をクリックすると拡大します)。これが松明のかがり火、あるいはランプの炎であったなら、一層きれいに輝いたに違いありません。

  この贅を尽くした風呂は完成までに18年の歳月を要しました。お風呂でさえこの有様ですから、愛妃を失ったシャージャ・ハーンが墓として、あれほど壮麗なタージ・マハルを造ってしまうわけです。余談ですが、第4代皇帝ジャハンギールの愛妃もムムターズ・マハルもいずれもペルシャ系でした(ムガル帝国はモンゴル系になります)。やはりペルシャには美人が多いのでしょうか?



  しかし、これほどの権勢を誇り、ムガル帝国の最盛期を築き上げたシャージャ・ハーンも晩年は皇位継承争いに巻き込まれることになります。1658年、第3皇子アウラングゼーブが皇位を簒奪し、第6代皇帝に即位。シャージャ・ハーンは「ジャスミンの間」(上写真)に幽閉されました。

 

  幽閉といっても、元々は自分が住んでいた間。中は豪華そのものです。



  シャージャ・ハーンはここからムムターズ・マハルの眠るタージ・マハルを眺めつつ、1666年、74歳でこの世を去りました。



  ムガル帝国は、息子アウラングゼーブの治世に最大版図を獲得するものの、その晩年から急速に衰退していきました。

  19世紀、イギリス統治下でアグラ城砦はイギリス軍の駐屯地として使われました。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ『四つの署名』には、1858年のインド大反乱時、アグラ城砦に運び込まれた王家の財宝をジョナサン・スモールと3人のシーク教徒が奪うという話が登場します。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする