窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

ファティープル・スィークリー①

2011年12月23日 | 史跡めぐり


  ファティープル・スィークリーはムガル帝国第3代アクバル大帝(在位1556年~1605年)によって、アグラ城砦の南西42kmの地点に建設された都です。ファティープル・スィークリーとは、「勝利の都スィークリー」を意味します。ガイドの話では初代皇帝バーブルがこの町を攻略した時、「勝利の町」(ファティープル)と名づけたとか。アクバルが命名したという説もあります。

  いずれにしても都自体はアクバル大帝によるものです。子宝に恵まれなかったアクバルは、1568年、ここスィークリーに住むイスラム教の聖者サリーム・シチュティより皇子を授かるとの予言を得ました。その予言どおり、翌年には皇子(第4代皇帝ジャハンギール)が誕生しました。皇子の誕生を記念して、アクバルはここに都の建設を決意、1574年にアグラから遷都しました。



1569年頃の世界(地図をクリックすると拡大します:「世界歴史地図」より)。

  しかし、猛暑と慢性的な水不足に悩まされ、都はわずか14年で放棄され廃墟と化しました。ファティープル・スィークリーは大きくモスク地区と宮廷地区に分かれます。冒頭の写真は、モスク地区の入口にそびえる、高さ54mもの巨大なブランド門。1573年、アクバルがグジャラート地方を征服したことを記念して建立したもので、アーチ内側の彫刻にはヒンドゥー教の要素が取り入れられています。



  トルコ式の風呂。かつてモスクを訪れる者は、まずこの風呂で身を清めました。



  ブランド門の扉にはたくさんの蹄鉄が打ち込まれています。病気の家畜が聖者によって治癒されることを祈ったものといわれています(ガイドの説明では、後にイギリス人が打ち込んだもので、上向きは幸運、下向きは不運、横向きは普通を意味しているということでした)。

ファティープル・スィークリー

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

よろしければクリックおねがいします!

人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする