モスク地区の東門を出て北に向かうと、まさに廃墟と化した都と呼ぶに相応しい光景が目に入ってきます。ここは宮廷地区と呼ばれるところの外れにあたり、恐らく都の外郭部分だと想像されます。
宮廷地区そのものは残念ながら日没が迫っており、その日のうちにジャイプールへ移動しなければならなかったことから見ることができませんでした。上の写真右手がジョド・バーイー殿。ジョド・バーイーは第4代皇帝ジャハンギールの妃です。左手が廷臣ビルバルの館と呼ばれています。しかし、いずれもはっきりしたことは分かっていません。
こちらは「象の門」と呼ばれる門。入口の両側に象の彫刻が施されています。イスラム建築において象はタブーですが、これもやはりアクバルの融和政策の一つでしょうか?象が破壊されているのは、ひょっとしたら後代になって意図的になされたのかもしれません。
兵舎と水を確保するための階段井戸(バーオリー)。巨大な井戸で、底まで階段で下りられる構造になっています。前述のように、ファティープル・スィークリーは水不足に悩まされ、そのことが都放棄の原因となりました。
隊商宿(キャラバン・サライ)。ガイドはハーレムだと説明していましたが、いくら何でも後宮を町の外郭に造るとは思えません。やはり隊商宿か市なのではないかと思います。
ヒラン・ミナール(鹿の塔)。アクバルが大切にしていた愛象の墓の上に建てられたという説があります。塔の外壁一面に象牙のような装飾が施された、珍しい塔です。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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