中に入ると、右手に皇帝用の通用門があります。意外なことに、皇帝は正面のブランド門ではなく、こちらの小さな門を使ったそうです。
左手にはジャマー・マスジッド。ジャマー・マスジッドはデリーにもありましたが、「金曜モスク」という意味です。
イスラム教のモスクでありながら、内部はイスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教の要素が取り入れられています。これはアクバルの3人の妃がそれぞれイスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教であったこと、そして広大な帝国を安定的に統治するため、各宗教の融和を図ったアクバルの政策を象徴してもいます。
イスラム・カーン廟。アクバルに皇子誕生の予言を授けたサリーム・チシュティの孫であるイスラム・カーンの墓があります。
奥の方の天蓋ベッドのような物がイスラム・カーンの墓ですが、元々ここはイスラムの聖職者が講話を行うところ(ジャマート・カーナ)でした。
中央にある総大理石の建物は、サリーム・チシュティ廟。1580年に彼が死去すると、アクバルはここに墓を建てました。
サリーム・チシュティ廟の雨どいを伝って流れ落ちた水は聖水とみなされました。
廟の周りは見事な透かし彫りが施されています。これらは1枚の大理石の板を彫刻したもので、一つとして同じ模様はありません。この精緻を極めた透かし彫りの技術は、やがてアグラ城砦やタージ・マハルに受継がれていくことになります。
螺鈿細工の施された聖者サリーム・チシュティの墓。
裏手には地下道の入口がありました。現在は閉鎖されていますが、遠く42km離れたアグラ城砦まで通じていたそうです。青函トンネルが53.85kmであることを考えると、にわかには信じがたいですが...
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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