
4月20日、NPO法人日本交渉協会の第11回燮会に参加してきました。
今回は交渉アナリスト1級会員の末永正司さんより、「剣豪に学ぶ交渉」と題してお話いただきました。

剣豪と交渉者がどう結びつくのかということですが、元々戦うことを職業とした武士は太平の江戸時代に入ると、「殺人の技術」である剣を「活人剣」へと昇華させ、やがては山岡鉄舟や勝海舟、あるいは坂本龍馬に代表されるように、剣によって培われた精神によって幕末・明治の時代を動かしていきました。一方、我々交渉者も駆け引きによる一方的収奪や奪い合いから、交渉による分配、やがて統合型と呼ばれる共創的解決へと消化していくことを常に目指しています。この両者の過程に相通ずるものがあるのではないかということでした。非常にユニークで興味深い視点だと感じました。
剣は殺人の技術ですが、それを究極まで突き詰めた結果、互いが剣を抜くことなく平和が保たれるという「無刀」に至る過程は、いかなる道具やテクニックも使う側の精神のあり方にあるということを教えてくれます。交渉とは「紛争や対立を話合いによって解決すること」と定義されますが、その技法だけをみれば詐欺師のそれと大差ないかもしれません。しかし、詐欺師と交渉者とを分けるものは、その目的とやはり使う側の精神のあり方にあるのではないかと思いました。
末永さんのお話の中で、最後に印象に残った、神夢想林崎流(居合)林崎甚助重信の道歌をご紹介したいと思います。
居合いとは
人に切られず 人切らず
己を責めて 平らかな道
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

よろしければクリックおねがいします!
↓
